41.里の現状
感情のもつれというのは面倒なものだとオッサンは思ったのだ。
「こんな所で立ち話もないでしょう、うちにおいでなさい。お仲間の方々も、どうぞ」
族長に促され、我々は彼女の後について里の中へと足を踏み入れた。
道は土がむき出しだが幅はそれなりに広く、まっすぐに村の中央に伸びている。向かう先はあの大樹だろう。
この木なんの木というか、世界樹というか、そんな感じの木だ。近づくにつれ、その巨大さがより明確に理解される。
グレイシアを除いた面々は私と同様、雄大な光景に圧倒されているようだ。
なぜかついてきているイルチスティーノは我々の様子を見て自慢げな上に馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
まったく子供みたいな奴だ。グレイシアと同年代なら少なくとも二百年は生きているはずなのに、なぜこうも軽薄なのか不思議だ。
まあ、エルフは日本の創作物では「人間を見下す鼻持ちならない種族」というキャラ付けがなされていることも間々あるので、さほど違和感はないが。
「イルチスティーノ、あなたはここまでです」
たっぷり三十分近く歩いて大樹の袂までたどり着いたとき、族長はきっぱりと彼に告げた。
「なっ、何故です! 私はグレイシアの……」
「ただの友人でしたね。そしてグレイシアは里を出た身。すでに族長の娘という立場にはありません」
いまだ許婚のつもりであったらしい元許婚に、族長はすげなく応える。いや、言葉に割り込んで切って捨てる、というべきか。
当然ながら、切って捨てられたイルチスティーノは絶句している。
「去りなさい」
もう一度、念を押され、イルチスティーノは渋々と、ぶすっとした表情を隠しもせず踵を返す。
去り際に我々、特に私にひときわ厳しい視線を投げつけていった。何かつぶやいていたようだが、私には聞き取れなかった。
「調子に乗るなよ、って……調子に乗ってるのアンタでしょ、ってのよ」
どうやらシェリーには聞こえていたらしい。
実にそれらしい台詞だ。それだけに面倒でもある。
こういう手合いは悪い意味で絶対に諦めない奴が多いと思う。場合によっては手段を選ばなくなる可能性もあるだろうから、気を抜かないようにしなければ。
「……恥ずかしいところを見せてしまいましたね。さ、こちらへ」
族長は申し訳なさそうな表情を浮かべながら我々を手招きすると、巨木の幹に巻きつくような形で設置された長大な螺旋階段を上りはじめる。
階段は幹には一切手をつけない形で作られているらしく、柱と大樹の枝から吊るされたロープ、それに大樹の表面を覆うように伸びた植物の蔓で保持されているようだ。
階段は左右幅も広く作りもしっかりしているのでさほど揺れたりはしないが、手すりや段差の隙間が大きく、歩を進めるごとに離れていく地面が確認できてしまうため正直、恐ろしい。
だが私以外の人々はさほど怖がる様子もない。グランツなど小走りで駆け上る様は実に楽しそうだ。
何事もなく族長宅にたどり着ければいいなあ……。
無事たどり着いた。
実際には十分もかかってはいないだろうが、すごく長い時間に感じたよ……。
予想通り、族長宅は大樹のてっぺんというか茂っている枝の只中にあった。
地上から二十メートルは上っただろうか。見晴らしがいいのは良いが、階段は本当に怖かった。金属製なら、まだ安心だったのだろうが……。
「改めて、よく来てくれましたね。私はこの里の族長、レティシアです」
室内に入り、全員が席に着いたところで、族長は口を開いた。
族長宅はさほど大きくもない平屋で、部屋数も多くなさそうだ。調度品なども木製が主で、華美な装飾などはまったくない。
我々が通された応接間にしてもごくごく質素な木製のテーブルと椅子、この家では珍しいであろう金属製のろうそく立てくらいしか目に付くものはなかった。
「……ええと、はじめまして。私はソウシと申します。グレイシアさんにはいつもお世話になっております」
何故、私が応えたのかというと、族長の自己紹介の後、誰も反応を返さなかったからだ。
流れや立場的に言えば、グレイシアが受け答えするのが妥当なところだが、ここに来てわだかまりか何かが再燃、噴出しているのをひしひしと感じる。表情が能面のように固まっているのだ。
グレイシアが応えないとなると当然、彼女の家族たちは萎縮してしまう。事実、誰も発言しなかった。
そこでやむなく、私が応えたというわけだ。
……家族の中に完全に他人が一人とか居心地が悪いなんてもんじゃないんですけど。
「早速、依頼の話を、と言いたいところなんですが、実のところ我々は夜を徹して歩いてきたもので、少し休ませていただきたいのです」
「あ……そうね、ごめんなさい。すぐに離れに案内します」
一旦、区切らなければマズイ事になりそうだと感じた私は、矢継ぎ早に場所を移すことを願い出る。
族長は少し戸惑った様子を見せたが、室内の空気が悪い事を悟ったのか、私の言葉に応じた。
……これで少しでも事態が好転してくれればいいのだが。
案内された先で皆が腰を落ち着けるのを確認してから、私は族長レティシアと共に離れを出た。森の中であったことを伝えておくべきだと思っていたからだ。
「そうですか……またオークが出たのね」
私が昨夜オークの一団と遭遇したことを話すと、族長は物憂げな表情になり、そうこぼす。
「また、ですか?」
大樹の上、さながら屋上のウッドデッキといった風情の場所を歩きながら、レティシアは私の言葉に答え、ここ最近の大まかな実情を説明してくれた。
それによると二月ほど前から徐々にスマイルをはじめとする魔物が増え、ここ一月はフォレストウルフやブレードボアもそれなりの頻度で目にするようになり、そのせいで野生動物の狩猟に出た者が何人も襲われているそうだ。
「また、と言ったのは五十年前も、百年前も、そして百五十年前も、同様の前兆があったからなの」
なるほど、それなら「また」と言うのも納得だ。
そしてグレイシアがエルフの里からの依頼の意図を理解できなかったのも当然のことだったわけだ。なにせ彼女は百五十年前のオークの襲撃の後、エルフ萌えの来訪者と駆け落ちしてしまったのだから。
恐らくは百五十年の間にエルフの里の内情、あるいは族長であるレティシアの内心になんらかの変化があったのだろう。
でなければグレイシアが里を捨ててから何の音沙汰もなかったのに、今になって依頼という形をとっているとはいえ連絡をよこす事はあるまい。
何にせよ、グレイシアにはこの百五十年の事を族長と共有してもらう必要がありそうだ。そうしなければ冷静に依頼の話をすることも難しいだろう。
それは私も含めた全員が、場合によっては無用の危険を背負い込むことになる可能性も高めてしまう。
「とりあえず、お聞きした内容は皆に伝えておきます」
族長の話を聞き終えた私は、その場を後にし、グレイシアたちのいる離れへと向かった。
なんとか上手く話を持っていくように考えねば……。