34.白い子狼
馬鹿なこととわかってはいてもやってしまうことがあるとオッサンは思ったのだ。
「おはようございます。道中の護衛、よろしくお願いします」
翌朝、行商人のナルドがオズマ宅を訪れた。
リビングで地図を前に、しばらく移動経路などについての話し合いの場が持たれ、森と山を北に迂回するルートをとることが決まった。
ドワーフの谷はイニージオの町から見ておおむね西北西に位置し、森と山を南か北に迂回する二つのルートがあるが、エルフの里に向かうなら北回りの方が一~二日ほど近くなるそうだ。
とはいえ、どちらのルートも馬車で七~八日かかり、途中からは整備されていない田舎道になるうえ、道沿いでもフォレストウルフに遭遇する場合があるため油断はできないという。
「北門を出て、まずは一日移動。川を越えた先の野営地を目指すことになるわけですね」
「ええ、三日目までは街道沿いの野営地を使えますから、そこから先が本番という事になりますね」
私の確認の言葉に、ナルドは頷いて答える。途中からは開拓村から街道までと似たような道になる、ということの様だ。そこまでに疲れを貯めないように気をつけなければならないだろう。
「じゃあ、皆の準備も終ったようだし、そろそろ出発しましょう」
グレイシアの言葉に促され、皆が席を立つ。
今回の旅のメンバーは行商人ナルド、グレイシア、オズマ、ミシャエラ、シェリー、そして私の計六人だ。
編成としては四頭立て馬車一台に馬二頭。馬車には通常の荷台にプラスしてもう一台、小ぶりな荷台が連結されている。どちらの荷台も荷物が満載だ。
馬車の御者はもちろん行商人ナルド。馬にはグレイシアとオズマが乗り、馬車の前方を固める。馬車後方は荷台に同乗するミシャエラ、シェリー、私の三人が注意することになる。
また、私を除いた探索者団の四人は状況に合わせて馬に乗る者を交代する。私だけ馬に乗れないからだ。切ない。
何にせよ、私にとっては初の長距離遠征だ。決して気を抜くことはできない。
さあ、出発だ。
イニージオの町を発って三日間は、軽い雨に降られた程度で特に大きな問題もなく過ぎた。
とはいえ何度か魔物と戦ってはいる。やはり野営中が最も危険なようだ。昼間はあまり見かけないフォレストウルフが、夜になると活発に活動しているからだ。
そしてグレイシアとの槍術の訓練も合間合間に行っている。さすがに遠征中に「回帰」を使わなければならないほどボコボコにはされなかった。それでもかなりの厳しさだが……。
四日目の今日はついに川沿いの街道を離れ、西の森に沿った未舗装の田舎道に差し掛かっていた。
この道は低めの山塊を中心とした巨大な森の北辺にあたり、森側はフォレストウルフ、平野側はスマイル、ストライクラビット、フォレストウルフ……と複数の魔物が活動する領域となっているそうだ。
ということで、ここからは昼間でもより一層の警戒が必要だ。
北にはとんでもなく高い岩山が見える。周囲の山々に比べると二倍くらいはありそうだ。あれ程の高さであれば山頂には万年雪が積もっていそうなものだが、まったく白くなっていない。なんとも不思議だ。
「ん?」
「どうしたのシェリー?」
街道を離れて一時間ほど経過した頃、シェリーが何かを聞きつけたようだ。ミシャエラの問いを手で制し、シェリーは森の方向に注意を傾ける。
「フォレストウルフが何匹かいるみたい。このまま進むと鉢合わせるかも」
そう言うとシェリーはナルドに声をかけ、馬車を止めさせて荷台から飛び降りる。私とミシャエラもそれに続いた。
「何かあったの?」
馬車の停止に気付いたグレイシアとオズマも、馬首をめぐらせ戻ってきた。そこに駆け寄ったシェリーがグレイシアの問いに状況を説明すると、オズマは馬車の後ろに回りこみ騎乗したまま大剣を抜き、周囲を警戒し始めた。ミシャエラも彼のそばで森に目を向けている。
「ソウシは私と一緒に来て」
グレイシアが馬車の前方で警戒に当たるのを見届け、シェリーは私に指示をだした。どうやら先行して偵察するつもりのようだ。
「了解」
私はその指示に頷くと槍の穂先を鞘から抜き、森へと小走りに向かう彼女の後を追った。
せっかくの機会だから斥候の仕事も体験させてもらおう。
「何か争っているみたいね」
森に近づくにつれて走る速度を落としながら、そうつぶやくシェリー。
人が襲われているのでなければいいが……。
「私にも聞こえてきました。狼の声だけ、でしょうか」
複数のうなり声。しかしどうも妙だ。子犬のような声も混ざっている。
状況を目で確認しようと踏み出した私の足が地面に落ちていた木の小枝を踏み、パキリと乾いた音を響かせた。一斉に振り返るフォレストウルフ。その数、四。
やってしまった。
「見つかった!」
シェリーが細剣を抜き、警告を発する。それと同時に狼たちが私たちをめがけ疾駆しはじめた。
「電撃槍!」
フォレストウルフの群れが間合いに入るまでの数秒で魔力を貯めていた私は、その接近にあわせ一気に全力で電撃を放ち槍を横薙ぎに振るった。槍の穂先で明滅する電撃と共に発生した水が、槍の軌跡に沿って飛び散り広範囲に電気を奔らせる。
「「ギャッ」」
「「ガッ」」
電撃に触れた狼が感電に体を痙攣させる。その隙にシェリーが細剣を次々に突き出し、魔物のノドを貫いていった。
私も残った一匹の胸を帯電したままの槍で貫き絶命させる。切っ先が体内に突き入れられた状態での電撃は効果絶大だ。
「なんとか片付いたわね。ソウシ?」
シェリーの言葉に頷くと、私は急いで森に踏み込んだ。子犬のような声が気になっていたからだ。疑問げな彼女を後目に私は声の主を探す。
「……いた」
それは茂みに埋もれるようにうずくまる、真っ白な毛並みを赤く染めた子犬だった。
いや、狼なのかもしれないが、とにかくその子犬は体中から血を流し、このままでは長くは持たないと見て取れた。私はほんの一瞬、逡巡したが、意を決し、手に魔力を集めた。
「回帰」
私がかざした手から放たれた魔力の光が子犬を覆い、その傷を癒していく。
「ソウシ……」
「すみません、見過ごせませんでした」
遅れて森へと踏み込んできたシェリーが、困ったように私の名を呼ぶ。私には謝ることしかできない。
この世界での常識に照らせば、私のやっていることはまったく間尺に合わない事だとは理解している。魔物は人間に害を及ぼすものなのだから。
「キュウン……」
か細い鳴き声で現実に引き戻された私は、状態を確認すべく目を向けた。
そこには弱弱しいながらも嬉しそうに私の手を舐める子犬の姿があった。