32.依頼、エルフの里
エルフ萌えといっても限度というものがあるだろうとオッサンは思ったのだ。
結局、私たちはグレイシアが用意していた軽い昼食をはさんで夕方まで狩りを続けた。
特にオズマとミシャエラは終始、大はしゃぎで駆け回っていた。十七年もの長きに渡るくびきから解き放たれたことで感情が爆発したのだろう。
グレイシアとシェリーは最初は嬉しげにしていたが、二時間、三時間と続くうちに段々と苦笑へとその表情が変化していっていた。
まあ、グレイシアにしてみれば娘夫婦、シェリーにとっては両親が、付き合い始めたばかりのカップルのように人目を憚りもせずイチャイチャし続けていれば、そんな顔にもなろうというものだ。
私はといえば、この一週間ほどでまた「昇級」し、風属性の魔法が使えるようになっていたため、彼らの様子を見つつも自分の訓練ができたので特に問題はなかった。
構想だけは練っていた魔法もいくつか実際に使えることを検証できたからね。まだまだ色んなことができそうで夢が広がる。
なんにしても思いつきの提案から始まった、ミシャエラへの「回帰」による治療が、ひとまずの成功を見たというのは私にとっても幸いだった。失敗していれば針のむしろになるのは確実だったし……。
「そうか『回帰』でな……」
戦果の精算のため探索者ギルドに赴いた私たちは、受付嬢によって二階に案内された。というのも、ミシャエラが実に十七年ぶりに探索者としての装いでギルドに顔を出した事がギルド長に伝わっていたからだ。
かつてはグレイシアと共に、イニージオの町でも指折りの探索者だったというミシャエラの復帰だ。ギルド長ならずとも気にならないわけがない。
「ええ、なんとか上手くいったようです。とはいえ、何でもかんでも治るかは分かりませんが」
感慨深げに頷くギルド長に、私は結論だけを述べる。
実際、病気と言える状態を回復させたのはこれが初めてだし、気軽に病気を治せと頼まれても困る。まあ、ギルド長は私が「回帰」を使えることを他者に漏らすことはないと思うが。
「……なんにしても復帰できてよかったな、ミシャエラ」
「ありがとう」
ギルド長の祝いの言葉に満面の笑みで応えるミシャエラ。
しかし、もうずっとオズマとくっつきっぱなしです。夫婦揃って笑顔。オズマのほうは表情筋がふにゃふにゃというか、あまりにだらしない顔だ。
グレイシアはすっかり呆れ顔だし、シェリーは無表情になってしまっている。
「それでだな、今回お前さんらを二階に呼んだのはミシャエラのこともあるが、グレイシアに依頼が入っているからだ」
「私に?」
ギルド長はおもむろに話を切り替え、依頼書をグレイシアに差し出した。彼女はそれを疑問げな表情を浮かべながら受け取る。
「これって……」
内容を確認したグレイシアの表情が曇る。
「そうだ。エルフの里からの依頼だ」
ギルド長がグレイシアのつぶやきを肯定するように告げた。
エルフの里ということは、彼女の故郷、だろうか?
自宅に戻ってからのグレイシアは食事もそこそこに部屋にこもっていた。明らかにギルドの依頼が原因だ。
「……グレイシアさんとエルフの里って何かあったんですか?」
ミシャエラの用意した紅茶をすすりながら、私はそう切り出した。
オズマ、ミシャエラ、シェリー、そして私の四人は夕食後リビングに移動していた。というのも女性陣が妙に不安げにしていたため、解散するのも憚られたからだ。
「……詳しくは聞いていないのだけれど、父と里を出るときに一悶着あったらしいの」
私の質問に答えたのはミシャエラだ。ここにいる家族の中では当然、グレイシアの娘であるミシャエラが最も詳しいだろう。
彼女の説明によると、グレイシアはエルフの里の族長の一人娘で、すでに婚約者がいたらしい。そこに現れたのが、ミシャエラの父でありシェリーの祖父でもある男。
「父は来訪者で、エルフがいると聞いて里近くの森を単身、うろついていたらしいわ」
おいおい。何してんの。
つまりアレか。エルフ萌えってやつだったのか? 命を顧みずに目的地も定かでないのに、人気の無い森を単身ウロウロするほどに。
とにかく彼は森を一人さまよい歩き、ついに人の気配、ではなく争いの気配を発見。慌ててそちらへ向かうと、大量の魔物に襲われ奮闘するエルフたちを目にする。
そしてその中には当然、族長の娘であるグレイシアの姿もあった。戦いの最中にあれば怪我もするし、返り血も浴びる。そしてその後ろには燃える森。
「普通なら、そんな姿を見れば怖がるか引くかするけれど」
彼はグレイシアに一目惚れしたのだという。
うーむ、業が深い……。
さておき彼の恋心は一気に燃え上がり、全力でエルフに味方し奮戦。グレイシアも彼の一歩も退かない戦いぶりに心を打たれ、戦いが終ったあと彼の愛の告白を受諾。その結果、彼らは手に手をとって愛の逃避行に走った。
「それで里を出るときに物凄く反対されたらしいのよね……」
単純に考えるなら許婚がいる女性に懸想した間男が、いきなり彼女を連れていくと宣言して実際に連れていってしまった。という事になるわけだ。それも族長の娘、人間で言えば王族、それも王位継承権者を、となれば洒落にならない面倒事が起きるに決まっている。
「そりゃあ、反対されないわけないわよね……私でも分かるわ」
とシェリー。しかしそうなると……。
「グレイシアさんも、それが分からないわけはないですよね?」
「許婚が嫌な男だったのよぉ」
私が疑問を口にしたところで、グレイシアがリビングのドアを開けて顔を出した。
グレイシアの話によると、彼女の許婚は里でも立場のある血筋で、魔法の適性も地・水・風と三属性を生まれながらに持っていたそうだ。
だが、そういった立場や才能を鼻にかけ、他者や他種族を常に見下していた。その結果、周囲の者たちに疎まれるようになっていったという。
「だけど長老の血筋だったから、当時の族長だった私の母に取り入って許婚の地位を手に入れたのよぉ」
まあ、実際に取り入ったのはアイツの親だったけど、とつまらなそうにこぼすグレイシア。
つまり彼女が思い悩んでいたのは、その元許婚へのわだかまりや族長だった母親に対する不信感、そしてそれらにまつわる様々な軋轢が今回の依頼を受けることで再燃するのではないか、という懸念からだったという事か。
「……でも、その辺りの懸念は相手側にとっても同じことでは?」
グレイシアの説明が終っても誰も発言しようとしなかったため、やむなく私が話の先を促すことにした。
「つまり、それでもグレイシアさんを呼び戻そうとする理由があるのではないか?という事です」
疑問顔のグレイシアに、もう一言説明を付け加えると、彼女はようやくその事に思い至ったように驚きの表情を浮かべる。
どうやら普段は頭の回転の速い彼女も、自分にとって根深い感情には抗えなかったという事のようだ。
対してオズマ、ミシャエラ、シェリーの三人は特に表情の変化もなく、私と似たような考えに至っていたのだろう事を感じさせる。
「里を捨てた娘を呼び戻してまで、どうにかしなきゃいけない事がある……か」
そうつぶやくと、グレイシアは考えに沈むように手の中のティーカップを見つめた。