31.「回帰」の効力
オッサンはなんとなく医者の気持ちが分かったような気になったのだ。
私の「回帰」でミシャエラの体を治せないか、という発言にオズマ一家全員が息を飲み動きを止める。
これまで十七年に渡ってどうにもならなかった事を、思いつきでどうにかできないかと言われれば驚き戸惑うのも当然だろう。
ちょっと軽率すぎたかもしれない……。
「ソウシ、詳しく教えてくれる?」
最初に平静を取り戻したのはグレイシアで、大きく息をつくとそう問いかけてきた。
「はい。ええと、説明が難しいんですが……」
私はまず「体調を整えるために必要な物質が脳内で分泌されていて、産後はそのバランスが崩れる。ミシャエラの体が弱くなったのはシェリーを産んだ後からだから、それを何とかすれば体調も改善されるのではないか」ということを話した。
そして「回帰」は「治癒」や「回復」と違って回復を促進するのではなく元の状態に戻す魔法であり、これまでに自身に使用した限りでは、怪我を負って長い時間が経ってから「回帰」を使っても、そのすべてが数秒で消えてなくなっていたという事も続けて説明する。
「ですから一気に全快とはいかなくとも、それなりの期間をかけて『回帰』をかけ続けていけば多少なりとも良くなるのではないかと……絶対に治るとは保証できませんけど」
私の考えをすべて話し終えたが、皆の反応は沈黙だった。
まったく聞いたこともない知識を披露されても納得はいかない、ということかもしれない。
まあ、そうだよなあ。私も専門家ではないから十分な説明もできたとは言えないし……。
「……ソウシ」
「はい」
「可能性があるのね?」
ミシャエラの問いかけに私は頷いた。それを見て彼女は目を瞑り大きく息をつくと、意を決したように目を見開く。
「お願いするわ。私も、もう一度オズマと同じ場所に立ちたい」
「ミシャエラ……」
ミシャエラの言葉にオズマが思わず、といった様子で彼女を抱きしめる。
「私にできる限りのことをします」
彼らの不安と期待の視線に晒されながら、私はそう宣言した。
それからの一週間は朝食の前に一度、夕食後に一度、一日に計二度「回帰」による治療を、ミシャエラに施し続けた。特に夜のほうは気絶しないように注意しながら、なるべくギリギリまで魔力を注ぎ込むようにしている。
もちろん探索者としての仕事も二日狩りに出て一日休むというペースで行う。
休みの一日はグレイシアとみっちり槍術の訓練だ。とはいえそう簡単に上達はしない。毎回ボコボコにされてしまうのはキツイが我慢するしかない。
狩りでメインに使うのはその槍術と「電撃」関連の魔法だ。「電撃槍」で槍の穂先に電気を纏わせたまま突いたり、相手の数が多いときは槍を横なぎに振ることで電気とともに発生した水を撒き散らし、それを伝って奔る電撃で感電による麻痺を狙う。同時に最低限、麻痺を発生させうる強さで、かつ毛皮を縮れさせない程度の威力に抑える事にも気をつけている。
なるべく一度の魔法発動で長時間戦えるようにすることで、魔力操作の習熟と消費魔力の節約を期待しているのだ。
上手くいっているかどうかはよく分からないが、試行錯誤することは無駄にはならないだろう。
「……ありがとうございました」
「多少、マシになってきたかしらねぇ」
ということで現在はミシャエラの治療を開始してから一週間目で二度目の休日だ。例によって私はグレイシアにボコボコにされたところだった。
多少でもマシになったのなら良かった……。うん……「回帰」で傷を治しておこう。
それにしてもミシャエラの治療とボコられて回復するのを繰り返すうちに「回帰」のコントロールがそれなりにできる様になってきた気がする。
これで初級並みに消費魔力と効果を抑えられれば気軽に使えていいのだが、さすがにそこまで都合よくはいかないようだ。今回もやはり、ゴソッと魔力が消費された感覚がある。
「ソウシ」
「はい?」
「明日、ミシャエラを連れて狩りに出るわ」
聞けば、シェリーが生まれてからの十七年ほどは「体が弱った」と気付くことになった狩り以降は、ミシャエラは一度も同行したことはなかったそうだ。本人も家族も、そうせざるを得ないほど悪い状態と感じていたということだろう。
そんな彼女を、グレイシアは明日、町の外に連れていくという。
正直なところ私は、どこまで「回帰」の治療が効果を上げているか判断できていなかった。
でもグレイシアがそう言うのなら、何か家族にしか分からない変化があったのかもしれない。
「わかりました。私も回復役として備えておきます」
私はグレイシアの言葉に頷き、そう応えた。
ミシャエラの体調が改善していることを祈ろう。
翌朝、朝食を済ませるとグレイシアはミシャエラに装備を身につけるように指示し、ミシャエラは不安げながらも黙ってそれに頷いた。
それぞれの準備を終え、私たちは探索者ギルドへと向かった。
依頼の選択、受付への申し出などはすべてグレイシアが行い、私を含めた他の四人はギルドを出て町の北門へ向かう間、一言も発することはなかった。
「シェリー、ウサギを探して頂戴。ミシャエラは少し体を動かしておきなさい」
「う、うん」
「はい」
グレイシアの指示にしたがい、シェリーは周辺の魔物を探しにその場を離れた。
現在我々がいるのは、私がイニージオの町に来た翌日グレイシアたちと狩りに訪れた辺りだ。背後に麦畑、右手には朝の光を反射してきらきらと輝く川がある。
グレイシア、オズマ、そして私を残し、ミシャエラが少し距離をとる。腰から抜かれたのは細剣。レイピアというやつだ。
エルフの血を引く女性は線が細くなりやすいらしく、それに比例して腕力が弱め。そのため軽い武器を好んで使うということで、彼女たちは親子三代で細剣をメインに使っているそうだ。
しばらく手にした剣の刃を見つめていたミシャエラは、おもむろに力をこめて剣を一振りすると、次々に袈裟切り、突き、逆袈裟切り、横薙ぎなどを繰り出し、段々と蹴りや拳、さらには細剣の鞘なども使って激しく体を動かしていった。
その動きはなんとも美しく、一瞬たりとも停止することなく流れる様は、まるで舞いを舞っているかのようだった。
「見つけたわ。二百メートルほど先にストライクラビット二匹」
ミシャエラのウォーミングアップが終ってすぐにシェリーが戻ってきた。どうやら標的を見つけたらしい。
グレイシアとミシャエラが目を合わせると互いに頷き、ミシャエラが一人、シェリーの手が指し示す方向に向かう。その背中は不安と期待がない交ぜになっているように頼りなげだ。
やがて彼女が駆け出すと、ついに魔物との戦いが始まった。
「……どう、ミシャエラ?」
現在、午前十一時四十八分。狩りを始めてから二時間ほどが経過していた。その時点で初めてグレイシアがミシャエラに体の具合を問う。
「……苦しくないわ。もちろん疲れてはいるし、以前ほど動けているわけじゃないけれど、苦しくならない……!」
多少、息が弾んではいるが、本人が言うとおり具合が悪くなったりはしていないようだ。
これまでに五度魔物の群れと戦い、十匹のウサギをしとめている。いや、ウサギだから十羽というべきか?
ともあれ、完治したといえるのかどうかは分からないが、少なくとも並の探索者を寄せ付けないほどの戦果をあげていることは事実だ。
「おかえり、ミシャエラ」
オズマが笑顔でミシャエラにそう言うと、彼女は感極まったように表情を歪め、オズマの胸に飛び込んだ。