2.異世界の開拓村
たどり着いた村は意外にもオッサンに優しい場所だったのだ
「やっと出られた……」
出来損ないの顔文字みたいな、パンパンに膨らんだビーチボールのような謎の生物を幸運で撃破してから、約一時間ほど林の中を歩き続け、ようやく私は開けた場所に出ることに成功していた。
ウロウロしている最中にも絵文字野郎を頻繁に見かけたが、何とか気づかれずにやり過ごして、だ。
眼前に広がるのは大きな平原。そして私が歩き回った林に沿うように、踏み固められただけと思しき道が見る限り地平線から地平線まで続いている。
「草原ひっろ」
大草原の小さなアレ。などとオッサン以外にはわからないだろう昔の海外ドラマのタイトルのようなことを思い浮かべながら、しばし呆然。
「うん、これはアレだな、もう森でいいだろ」
振り返れば鬱蒼と茂る木々。見える範囲すべてが木。この規模の森を一時間やそこらで抜けられたのは、これまでの人生でも最大級の幸運ではないだろうか。
スキー場に向かう途中、友人の運転する車がスリップしてたまたま対向車が途切れた瞬間で、さらに車輪が側溝にはまったおかげで対向車線の向こうにある商店に突っ込まず止まり、かすり傷一つ負わなかった時とどっちが幸運だろうか。
いや、事故りかけている時点ですでに幸運ではないと言われれば、まったくその通りなのだが。
「それはそれとして、人里を探さなければ。このまま夜を迎えたら、明日の朝日を拝める自信はないしな……」
とはいえ視認できる範囲にそれらしいものはないので、運を天に任せて森沿いの道を歩く以外の選択肢はないのだが。
私は意を決すると、今日三度目の幸運を祈りながら森を左手に歩き出した。
一度目と二度目の幸運は当然、あの顔文字みたいな魔物と出会って生き延びたことと、森から生きて出られたことだ。悪い意味で三度目の正直にならないことを願う。
結果から言うと割とあっさり村が見つかった。出発したのが日本時間で午前八時五十二分、到着したのが午前十時三十八分。時間にして二時間かかっていない。
正直なところ、地平線まで何も見えなかったというのに、この短時間で文明圏?にたどり着けるとは思わなかった。地平線までって思ったより近いのね。
村は二メートルほどの高さがある綺麗な石壁で囲まれていて、どう考えても辺境なのに高い防衛力を備えていそうだ。
中を見れば門のそばから広がる畑と、まばらに建てられた家々。いくつか大きめの建物もあるが、二階建てはない。
いかにも中世ヨーロッパの田舎村といった風情だ。
衛兵らしき人影がないところを見ると、よほど平和なのだろうか。あの顔文字みたいな魔物も、この辺りには現れないのかもしれない。
「何はともあれ、村人に接触せねば。……しかし、言葉は通じるのだろうか」
もし通じなかった場合は、ボディランゲージでどうにかするしかないのだろうか。
果たして片言英語で外国人とコミュニケートすることすらおぼつかない私にそんな高度なことが可能なのかはわからないが。いや、相当に難易度は高いだろう。不安だ。
「すみません。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが」
意を決して村の門をくぐり、野良仕事をしている年配の男性に声をかける。
「ん?なんだいアンタ……。ああ、来訪者かい」
来訪者。何だろうかそれは。いや、意味はわかる。わかるが、なんだか言葉の使われ方に違和感がある。
「来訪者……?」
「ああ、世界全体ではニ~三年に一度、この辺じゃ五~六年に一度くらいの頻度で、どこから来たのかわからん奇妙な格好をした者が現れるんだ」
思わず疑問の声を発した私に、大体は黒髪黒目で上等ではあるが奇妙な服装をしている者を「来訪者」と呼ぶ、とご老人は説明してくれた。
「来訪者」はおおむね友好的で、何らかの利益をもたらす者が多いというのもあり、ご老人くらいの年齢の方々はもう何度も対応しているのだそうだ。
「だからアンタも遠慮せずに、色々聞いてくれてええぞ」
というご老人のご厚意に甘え、私は疑問に思ったことや不安のあることをいくつも質問していった。
その結果わかったのは以下のような内容だった。
・ここはベナクシー王国の西、アインスナイデン辺境伯領にある開拓村である。
・宿のような施設はないから寝泊りは教会で。
・仕事はないから金が必要なら魔物を狩って、魔物の落とす魔石などを万屋に売ればよい。薬草・野草なども需要があるが、知識がないなら難しい。
・万屋では様々な物が売られていて、必要なものは大体そこで揃う。
・教会では魔法の契約をすることができる。
・現在、村に残っている来訪者はいない。
話の感じからして来訪者は大半が日本人のようなので、先達がいれば心強かったのだが。
というか、まだ若干、異世界転移じゃないことを期待していたのだが、もうまったく抵抗の余地はないようだ。おのれ。
「何にせよ教会に行ってみることだな」
ちょっと寄付でもすれば飯も食わせてくれるぞ。と言われてはそうせざるを得ない。
私はご老人に感謝を告げ頭を下げてから、村の中心に建っている教会らしき建物に向かった。
「ごめんください」
礼拝堂の扉を開け声をかける。室内はそれなりに広く、百人くらいは入れそうだ。
一番奥には祭壇があり、何かを抱こうとするかのように両手を広げた豊満な女性の像が立っている。女神か何かだろうか。
「どなたかな?……おお、これはこれは来訪者殿ですかな」
「あ、はい。どうもそうらしいです」
像の手前に設えられた壇上に立つ神父らしき初老の男性は、私の声に振り向くと訝しげな表情を見せたが、出で立ちから相手が何者なのか悟ったらしく、すぐに笑顔を浮かべて歩み寄ってきた。その手には雑巾が握られている。掃除中だったのだろう。
「魔法の契約をご所望ですかな?」
「ええ、こちらでその辺りのことも教えていただけると聞きまして」
どうやら野良仕事をしていたご老人の言っていた通り、来訪者の対応には慣れているようだ。
そもそも魔法がいったいどういうモノなのかから教えてほしいと告げると、神父は笑顔を深めると機嫌よく話してくれた。
ざっくりまとめると、かつてこの世界に魔法はなく、人々は魔物の脅威に常に晒されていた。それを不憫に思った大地の女神「ガイア」は、世界に遍く存在する精霊たちに働きかけ、己の身を世界に溶かし媒体とすることで精霊に力を借りる技術「魔法」を生み出した。
それ以来、人々は大地の女神と契約することで魔物を退け、生活を豊かにしてきたそうだ。
それにしても、なんとも自己犠牲の精神にあふれた女神様だ。そんなに人間が好きだったんだろうか。
「ありがとうございます。よくわかりました」
「いえいえ、どういたしまして。偉大なる女神ガイアの信徒が増えるのは喜ばしいことですからな」
信徒かあ。典型的な日本人としては、なかなか抵抗のある単語だ。
「では、契約なさいますかな?」
「あ、はい。お願いします」
今後どう行動するにせよ、使える手段が多いに越したことはない。
私は神父に促されるままに壇上に上がり、祭壇に描かれた魔法陣の中心に立ち目を閉じる。
神父の祝詞が唱えられると、瞼を閉じていてもわかるほどの光が足元から溢れた。その光は暖かく私の体を包み込み、額に吸い込まれるように消えていった。見えていたわけではないが、そう感じられたのだ。なんという神秘体験。
「契約は成された。女神ガイアの名に恥じぬ行いを心がけなさい」
「はい、肝に銘じます」
神父さんがいわゆる説教モードだ。信者に向かって神の教えを説くアレ。私も真面目に対応しておいた。さすがにいきなり敬虔な信徒にはなれないが。
「では細かい魔法の種類などについてお話ししましょうかな?」
引き続き神父による魔法の授業のようだ。