161.超巨大化
大きいことは良いことだ?いや良くねえよとオッサンは思ったのだ
驟雨のごとき雷光が魔神・ヴァラールの巨体を打ち、海面に流れた電流が海水をどんどん電気分解してゆく。
一発の落雷であれば大したことはないのだろうが、文字通り雨あられと降り注ぐ稲妻は、まったく手加減なしに酸素と水素を発生させていた。
そのためか、単純な熱での発火だけでなく、大小無数の爆発が魔神周辺で発生している。
……海での「招雷」は危険すぎるな。
轟音と爆音が鳴り止まないせいで、合流しようとしていたはずのグランツも何キロか先で近づくのをやめていた。これまで何度も「風火弾」などの爆発魔法を使ってきたからか、すっかり爆音対策が身についているようだ。
そうして数分、落雷がようやく収まる。魔神の周辺海域はすっかり煮立っていて、まるで温泉のように湯気が上がっていた。
……それにしてもヴァラールはまったく抵抗らしい抵抗をしなかった。続けざまに魔法を叩き込んだから抵抗できなかった、と考えるのは虫が良すぎるだろうか。
「うがっ!」
希望的観測に流されまいと考え直そうとしたところで、私は背後から激しい衝撃を受けた。
その威力は凄まじく、一瞬で視界が赤く染まり、私は南西方向へと弾き飛ばされてゆく。
なんとか身を捩り背後を振り返れば、ボロボロとまるで陶器の像のように崩れ、中身をさらす魔神の抜け殻が見えた。どう見ても体の中が「がらんどう」だ。
――まさか、攻撃を受けることを前提に、体の多くを切り捨てて囮にしたのか?
そこまで考えたところで、私の体は海面に接触、さながら「水切り」の小石のように何度も跳ねた。
これ、もし全身をくまなく覆う地竜装備を身に着けていなかったらヤバかったのでは? と思うほどの衝撃だ。もうすでに体の感覚がない。
「散々やってくれたなぁ! たっぷり、お返しをしてやるぜぇ!」
遠くからヴァラールの声が届く。気のせいか、さっきまでと違って言葉にたどたどしさがなくなっている。
まあ、それはどうでもいい。一旦、海中に退避――。
「な、に?」
次の衝撃は、その海中から襲ってきた。胴に万力のような圧力がかかり、金属がこすれ合うようなギリギリという音が聞こえる。
赤味を薄れさせた視界を動かすと、何度か見た魔物の顔が間近にあるのが分かった。
――シーサーペントを取り込んだのか。
なるほど、海の魔物を取り込めば多少体を切り捨ててもすぐに回復できるというわけだ。魔物の数は地上よりは少ないと思いたいが……。
そんなことより対処せねば。
「業火球!」
「……火払い」
火の精霊を払い、海蛇竜に食いつかれたままの私の頭を狙って放たれた魔神の魔法をかき消した。盛大な舌打ちが聞こえる。
その隙に「風火弾」をシーサーペントの口内に打ち込み、私は拘束を脱するに成功した。
これもまた地竜装備でなければ大ダメージ必至な状況だった。以前、食いつかれた時は牙があっさり鉄板を貫通していたが、今回は鎧の表面に傷一つついていない。素晴らしい防御力だ。まあ、中身は大分痛いんだけど。
「回帰」
爆風で吹き飛んでいる間に回復魔法で、全身にできているであろう打ち身を治療する。痺れたように感覚のなかった体に痛みが戻ってきたが、それもすぐに消えてゆく。「回帰」様様だ。
「ウォン!」
「う……グランツ、ありがとう」
再び海面に向かって落下していた私を、グランツが背中で受け止めてくれた。ダメージのせいで「飛翔」も切れていたから助かる。
私は西へと高速で移動するグランツの背から、我々の後を追ってくるヴァラールの様子を確認すべく振り返った。
巨体が僅かに縮んでいるように見える。とはいえ、脚部はシーサーペント、シースネークによってイソギンチャクのような姿に変化し、全長自体は伸びているようにも感じられる。
「ほぼ、ノーダメージか?」
これまで放った魔法は効いてはいたはずだが、いくらでも回復できるのでは意味がない。
そうなると、倒すためには本格的に一撃必殺の攻撃が必要だ。しかし、自然現象でそんな破壊力を出せるものがあるだろうか?
爆発、雷、凍結、打撃、斬撃……これらは耐えられた。
一瞬で焼き尽くす、あるいは消滅させるような威力――駄目だ、使ってはいけない物しか思い浮かばないし、原理がわからない。
あとは何だ?何がある?
一切反撃させない状況を作る? 瘴気を消費させきる? どこかに隔離する?
「ウォンウォン!」
グランツの声で思考の渦から現実に引き戻された。
何があったのかと周囲を見回すが、何もない。
「いや、待て。ヴァラールはどこだ?」
慌ててもう一度、周囲を見回す。いない……ということは海の中か?
いったいなんのため? ――そりゃ魔物を吸収するためだよな。
という私の考えを肯定するかのように、眼下に動きが起きた。
さながら池の鯉が餌に群がるように、無数の細長い影が一点に向けて集まり、海がどんどん黒く染まってゆく。
我々の飛んでいる高度から海面まで一千メートルはあるはずだが、比較物のない海上でも黒い影が恐ろしく長大な体躯を持っていることが分かった。
「なんてことだ……」
相手が全長百メートルでも手持ちの魔法ではまったく倒すのに足りなかったのに、数百メートルにもなったら手の施しようがない。
――いや、諦めてどうする。なんとかするしかないのだ。できなければ何もかも終わりなのだから。
「出てこい、最後まであがいてやるぞ」
私はそう宣言し、手に持つ槍を握り直す。攻撃を受けても手放さなかったのは、我ながらよくやったと思う。探索者としての自覚が備わったかな?
益体もないことを考えたことで、自然と自分に呆れたように嘆息した。つられて肩の力も抜け、精神的にも落ち着いてくる。
となると、次の手を考える頃合いか。
「自然の力では……いや、私の使えるレベルでの、自然の力では足りない」
眼下を見据えたままつぶやく。
黒い巨体が海面を割って現れつつある。浮上と共に海水が泡立ち、蛇身から流れ落ちる様は大瀑布のようだ。
「そうか……その手があったか」
巨神から目を切り、ふと空を見上げた時に閃くものがあった。
問題はどこまでいけるか。あるいはどこまでやれば倒せるのか。
「いや、いつもそうだったよな」
海面に目を戻し、こぼす。
そうだ、名もなき神に関わってからは、いつもいつもぶっつけ本番ばかりだったじゃないか。
ついに魔神・ヴァラールがその全容を顕にした。
思ったとおり全長は一キロに迫る大きさだろう。なんとも呆れた巨体だ。
「『雷神』、ソロソロ諦メル気ニナッタカ?」
また酷い発音になっている。巨大化しすぎて体を操りにくくなっているのかも知れない。
「いいや、お前を倒す……違うな。お前を殺す方法を思いついたところだ」
私は、あえて強い言葉を口にした。
魔神はそれを嗤ったのか、唸り声を上げ周辺の空気を震わせる。
――さぁて、最後の勝負、あるいはその前哨戦と行きますか。