160.海へ
ボスはHP多いものだけど実際に戦うと対処に困るとオッサンは思ったのだ
轟音を響かせ、魔神・ヴァラールの超巨体が南へ移動を始めた。
傍目にはゆっくりと翼を振っているようにしか見えないが、その恐るべき風圧は、私はもとよりグランツの巨体すら翻弄するほどだ。
「くっ……!」
なんとか体勢を立て直す頃には、すでに魔神はガイア・ベナクシー間を隔てる長大な岩山を越えていた。
あの巨体で、なんという速度だ……。
「急ぐぞ、グランツ!」
「ウォン!」
素直に見送るわけにもいかない、と私たちは即座にヴァラールの後を追う。
岩山を越えて眼下に目をやると、魔神の羽ばたきによって地上では魔物も人も吹き飛ばされてゴロゴロ転がっていた。踏みとどまっているのは「妖精の唄」のメンバーたちくらいなものだ。
「土壁!」
私は一度低空へと降下し、起き上がるまでに魔物に襲われないよう、倒れている人たちの前方に即席の防壁と空堀を作る。これで何の抵抗もできずにやられてしまう、ということはなくなるだろう。
再び上昇しつつチラリとグレイシアたちに目を向けると、彼女たちはここは任せろとばかりに力強く頷く。
私も頷きを返し、魔神・ヴァラールを追うべく速度を上げた。
わずか十分ほどで、我々は王都近郊まで移動していた。凄まじいスピードで王城が近づいてくる。
どうやらヴァラールの狙いはそこのようだ。わかりやすい。なんて言ってる場合でもない。
「グランツ! 一発頼む!」
「グルァアアアア!」
魔神の腕が王城に振り下ろされようとしたところで、グランツに指示を出す。彼はそれに従い、魔神の胴体を突き上げるように電撃タックルを繰り出した。
ドォンという落雷にも似た激突音を轟かせ、魔神・ヴァラールの巨体がほんの少しだけ浮き上がる。それにより、豪腕は王城の尖塔の一つを破壊するにとどまった。
「反重力壁!」
グランツの一撃の間に魔力を集めつつ接近した私は、魔神の真下に入り込み、重力を大きく弱める防壁を広範囲に展開した。
地属性の魔法「減重」の超強化版である「反重力壁」は狙い通りの効果を発揮し、壁ごとぶつかった私にほとんど重さを感じさせないほどに魔神の重量を軽減させる。
――そして時速二百キロを超える速度でぶつかった結果は。
「ウオオオオ!? 何だコレはぁアアアアア!」
ほぼ減速しないままでの急速上昇だった。
あっという間に雲を越え、衝突の方向と角度によって魔神・ヴァラールはどんどんベナクシー王都の南へと運ばれてゆく。
「ウォン!」
高速移動に追いついてきたグランツが、己の額を踏み台とするように私の足裏に接触、上昇角を緩めたことで更に南下の速度を高めた。
もはや王都は彼方に消え、眼下には平原と荒れ地、そして広大な海が広がっていた。この辺りなら、周辺の被害を気にせず戦うことができるだろう。
「テメェええ! 俺の邪魔をスルんじゃネェええ!」
だが当然、魔神も抵抗しないわけがない。これ以上、移動させられないように激しく羽を打ち振り、胸元にいる私に巨大な腕を叩きつけようとする。
私も殴られるのを待つわけもなく、グランツと共に離脱する。するとヴァラールの腕は激しく自身の胸を叩き、「グオッ」と声を上げて悶えた。……どうやら相当な破壊力のようだ。
怯んだ隙に、もう一手――と、私は魔神の上を取る。
「風神天舞!」
この魔法は自分の後方に強烈な風を吹き出し、空を飛ぶ魔法である「飛翔」を強化するものだ。いわばブースターであり、飛行速度を劇的に向上させることが可能。「疾駆」の上位版と言える。
その速度はグランツを置き去りにするほどのものであり、竜人族である銀鈴の飛行速度に迫る。
この魔法を「反重力壁」を維持したまま使えば、魔神・ヴァラールですら抵抗できない速度で後退させることが可能だった。
とはいえ、私自身も風圧で呼吸不能になるなどの負担があるため、そう長時間維持することはできない。
だが今の状況ではこれで十分だ。
「ぶはっ」
空を飛ぶ以外の魔法を全て解除し、私は魔神から離れる。全力移動の影響で呼吸が乱れて苦しい。
そして魔神の方はというと、「反重力壁」から解放されたことで体重がもとに戻ったため、流星もかくやという速度で落下、海面に激突した。
高さ百メートルを超える水しぶきが上がり、四方八方に巨大な高波を発生させる。
すでに百キロ以上は離れているから大丈夫だと思うが、王都南にある港町が少し心配だ。
「だが今は、現状の打破が最優先だ」
海中に没した魔神・ヴァラールに意識を戻し、私は激しく波打つ海を凝視する。
この状況なら「氷結地獄」が最も有効か? それとも後のことを考えて「爆裂陣」を用意しておくべきか……。
「よし、決めた」
海面下に巨大な影が見えたところで、私は魔力を右手に集めた。
再び水しぶきを上げて姿を現した魔神に向け、魔法を発動する。
――どうせならケチらずに全部使ってしまおう。
「氷結地獄!」
海水を含む広範囲の空間が、一瞬にして火の精霊を払われて冷却される。海水は水しぶきが上がった形そのままに凍りつき、全身ずぶ濡れのヴァラールは飛び散り滴る水をまとった形の氷像に成り果てた。
払われた火の精霊は風に乗って上空へ移動、湿って温かい空気となる。高空で冷やされ水滴となったそれは、寄り集まって大きな雲を形作った。
これで、もう一つの魔法の準備が整う。
雲が完成するまでの間にも、もう一つ別の魔法の準備だ。こちらはお馴染みの爆発魔法。凍っている物に爆発魔法をぶつけたらどうなるのか?
「爆裂陣!」
魔法の発動と同時に轟音と衝撃波が辺りをなめつくし、突風が凍えきっていた空気を吹き散らした。そして今度は入れ替わりに強烈な熱気が空中に満ちる。
「……やっぱ、こうなったか」
数分後、海上の水蒸気が散ると、そこには体中の鱗という鱗を砕かれ、ピンク色の肉をむき出しにされた魔神・ヴァラールの無残な姿があった。
その姿は哀れを誘うものだったが、その巨体から漏れ出る瘴気は殆ど減っていない。――だから、手は止めない。
まず地竜の牙を鉄で覆ったボルトを魔神へ、次に上空の雷雲に向けて「電磁砲」で発射する。
僅かな時間差を置いて一方がヴァラールの額に突き刺さり、雲の間近にまで上昇したもう一方には雷光が迸った。
「招雷」
必要ないかも知れないが、一応魔法の発動を宣言する。その方が狙い通りの効果が出る気がするからだ。
そして、その狙い通り、雨の如き稲妻の奔流が魔神・ヴァラールへと降り注ぐ。
――さて、これでどの程度まで削れるか。