155.ジーナ目を覚ます
何はともあれ助かって良かったとオッサンは思ったのだ
アインスナイデン辺境伯領・領都アインス、及びセクンディ侯爵領・領都セクノにおける我々の仕事は、ひとまずの決着を見た。
わずかに残っている食屍鬼・グールは、すでに統制を失っているので掃討するのは容易いだろう。あとは各領軍にお任せだ。
ということで、私は一度「女神の腕」へと向かい、名もなき神の魔石を湖へと沈めてきた。
三つ目の魔石ということで、女神の腕を管理している最初の来訪者・ユウキも嬉しそうだった。
これで後の懸念はエミリアの母の容態だけ。
現在のところ、彼女は眠ったままだ。瘴気は完全に抜けているはずだから、あとは体力が回復するように……いや、念のためミシャエラへの治療と同じように、数ヶ月前の身体状況に戻すよう「回帰」をかけていけば良いだろう。
そのためには「回帰」を使える私、コナミ、そしてエミリアはしっかりと休養をとっておく必要がある。
彼女たちを含めた女性陣は、既にエミリアの母と同じ部屋をセクンディ侯爵邸で借りて休んでいる。念のため、グランツは彼女たちの護衛だ。
城壁からセクノの街を見渡すと、夜中の戦いだったためか誰もが疲労困憊な様子だ。
とはいえ、街中にはなんの被害もなかったのは幸いだったと言えるだろう。
「ふう……」
北を見れば、大穴が開いている上に大量の土砂があちこちに積もっている。やった時も思ったが、ちょっとやりすぎだったかも知れない。
……まあ、相手がどの程度の防御力・耐久力を持っているか不明だったのだから許していただきたい。復旧には協力しますので。
今回の戦いは、一度翻弄されたとは言え、前回に比べれば戦闘そのものは楽だった。
条件の違いとしては、私とグランツが進化していたことだが、相手が予想よりは力を取り戻していなかったか、あるいは勢力を分散したため本来の力を発揮できていなかったか……。
……どちらにせよ勝てたのだから気にする必要もないか。
考えるべきことはまだあるが、今はゆっくり休むべきだろう。
「おはよう、ソウシ」
「おはよう、グレイシア」
翌日、大分日が高くなった頃、起床した私の部屋にグレイシアがやってきた。
私もセクンディ侯爵邸に部屋を借りられたので、柔らかいベッドでぐっすりだった。ありがたい。
「エミリアのお母さんは、どう?」
「……目は覚まさないけれど、呼吸は落ち着いているわ」
私の問いにグレイシアは笑顔で答えた。どうやら問題はなさそうだ。とはいえ、完全に気を抜くわけにはいかない。しっかりと治療をしていくとしよう。
「子供たちの方は?」
「多分、もうすぐ起きてくると思うわ」
と話していると、バタバタと複数の足音が近づいていることに気づいた。おそらく子供たちだろう。
「「おはよう!」」
「「おはようございます」」
「昇級した」
口々に朝の挨拶をし、部屋になだれ込んでくる子供たち。アルジェンタムは一人だけ、昇級したことを報告してきた。
昨日の戦いで、私が合流する以前に多数のグールを倒していたのだろう。
これでエミリア以外は八度目の昇級だ。いよいよ進化にリーチという段階まで来てしまった。
進化してしまえば軽く千年を超える寿命を得ることになる。ユウキの例から考えると、安易に進化することを認めるべきではない。
だが、戦わないという選択肢を選べない状況であるのも確かだ。できることなら、それぞれしっかり考えてほしかったのだが……。
いや、考えたかも知れないが、私はまだその辺りの話をしっかりしていないのだった。何をしているのやら。
「ソウシさん、母をお願いします」
エミリアに声をかけられ、私は「わかった」と答え立ち上がる。
昇級して誇らしげに胸を張るアルジェンタムの頭をなで、そのまま部屋の扉をくぐった。
「失礼します」
隣室の半開きになっていた扉を二度ほど叩き、ドアノブを引いて中に入る。
室内には穏やかな寝息を立てるエミリアの母・ジーナと、祖母・ミレーヌがいた。グランツも二人を見守るように座っている。しっかり護衛役を果たしてくれていたようだ。
「雷神かい」
「ソウシと呼んでください」
ミレーヌとは昨夜のうちに軽く挨拶はした。が、今は娘のことが心配なのだろう。あまり私たちに打ち解ける様子はない。
本来はかなり奔放な人らしいのだが、さすがにこの現状では明るくするのは厳しいか。
「ジーナは、目覚めると思うかい?」
「……正直、なんとも言えませんね」
ジーナの場合はエミリアの時より魔物化してからの時間が長かったので、人間に戻ったとしても相当な負担があっただろうことは想像に難くない。
「気休めは言わないんだね……」
「はい」
進化しハイヒューマンになったとはいえ、私も所詮は人間だ。上手くいったように見えても、駄目な場合もありうることに安易な言葉は吐けない。
「ですが、できることはします」
沈鬱な表情のミレーヌにそう言い置き、私はジーナに「回帰」による治療を施す。昨夜考えた通り、数ヶ月前の状態に戻るように意識しながら、だ。
ミシャエラの時は一週間ほどの施療で約十七年前に原因のある病を治した。であるなら数ヶ月程度の巻き戻しは、おそらく一日で完了するだろう。
ハイヒューマンになって、あらゆる能力が伸びているということもあるしね。などと考えながら魔法を維持していると、かすかなうめき声を漏らしてからジーナがうっすらとまぶたを開いた。
「ジーナ! アタシが分かるかい!?」
その様子を目にし、ミレーヌが慌てて声をかける。
「………………母さん」
しばらく宙を彷徨っていた瞳がミレーヌの顔に止まり、ジーナは相手が誰か理解して声を出した。
どうやら「人間に戻ったように見えて中身は魔物のまま」といった事態はなかったようで何よりだ。
というところで、子供たちが荒々しく扉を開けて入ってきた。先程ミレーヌが上げた声が届いていたらしい。
「お母さん!」
「エミリア……」
当然、真っ先に声をかけたのはエミリアだ。ジーナも彼女の姿を認め、弱々しいながらも応えた。
そしてジーナが本当に回復したのだと理解したミレーヌとエミリアは、彼女を抱きしめながら歓喜の涙を流す。
いやホントに上手く治療できて良かった。治ったと希望を持ったところで、やっぱり駄目だったとなれば、ショックは最初から治らなかった時よりずっと大きくなっていただろうからねえ……。
「失礼します。雷神殿、侯爵様がお呼びです」
温かい空気が流れ始めたところで、一人の兵士が現れた。なにやら、少し慌てている様子だ。
……これは続けざまに来た、かな?