136.精霊界
オッサンはちゃんと考えてるつもりでも何か忘れてることって多いなあと思ったのだ
「どんな世界だったか、お伺いしても?」
「うむ、無論だ」
私の問いにアウルム女王は快く答えてくれた。
彼女の話ではもう一つの異世界はいわば「精霊界」とでも言うべきもので、地上も空もなく、空間全体に精霊たちが溢れているそうだ。
隣で静かに聞いているグレイシアは今ひとつ想像がつかないようだが、私はなんとなく理解できている。というのも、「精霊界」もまた、日本のサブカルチャーにおける典型的な異世界像の一つだからだ。
「純粋な精霊の力に満ちた空間だからの、気を強く保たねば己を見失ってしまいそうになるのだ」
もしかすると、長く浸っていれば身も心も精霊と変わらぬ存在になるかもしれぬの。という女王の言葉に、私はさもありなんと頷いた。
人体にも常に精霊力が働いているのだから、それよりも遥かに強い力を浴びせられれば、さながら海に落ちた雨粒のように混じってしまっても不思議はない。
「そうなると魔力制御に長けた者以外が行くのは危険ですね……」
「そうだの」
私の言葉に、今度は女王が頷く。
今の私は女王と同等に近い能力を持っているはずだ。となれば、私以外の者が「精霊界」に入り込めば二度と戻ってこられなくなる可能性がある、ということになる。
「今回ばかりは、私一人で行ってみるしかないか」
私のつぶやきにグレイシアは渋い顔だ。しかし、確認しに行かないという選択肢はない。
なにせ地球に戻れる可能性の有無は、コナミの今後の人生に大きく影響するのだ。
言葉にせずとも彼女が戻りたがっていることはわかる。
私と違って仲の良い友人知人に両親もいるし、まだ中学生の年齢なのだから戦うことなどなく平穏に生きるべきだろう。
コナミが戻ることを口にしないのは、事実上、戻っても平穏に生きていくことが難しい私の現状も影響しているかもしれない。
なにせ地球では百年を超える寿命を持つ人間などほぼいないのだから、それをぶっちぎりで超越してしまった事実が明るみになれば、私はあらゆる組織・団体から一生狙われ続けることになるだろう。
まあ、私自身は地球に戻る気はサラサラないので彼女が気にする必要はないのだが……。
それに、私のことからコナミにまで類が及ぶ可能性もある。だから私がこちらの世界に骨を埋めるのがベストな選択なのだ。
気軽に行き来できるのなら、仲間たちを連れて観光というのも良いかもしれないとは思うが、それもこれも全てが片付いてからのこと。
まずは「精霊界」におもむき、その向こうにも異世界があるのかどうかを確認せねばならない。
「陛下、扉を開いた時に何か問題はありましたか?」
「いいや、何もないの。術者の心構えだけ、あればよい」
質問に対するアウルム女王の返答に、私は満足し頷いた。であれば、早速、試してみるべきだ。
ということで、私は雑談している子供たちを呼び戻し、女王との会話で得た情報を説明した。
まずは安全確認のため、私だけが「精霊界」に行くと伝えると、みな一様に渋面になる。グレイシアと同じ反応に私も苦笑いだ。
とはいえ確実に大丈夫と言えるレベルの人間が私しかいないのだから我慢してもらう他ない。
実際に地球への道が拓けた場合は、なんらかの防護手段を用意する必要があるが……まあ、それは後で考えるべきだろう。
もし「精霊界」の隣に異世界があっても、そこが地球である保証もないし、場合によっては隣の異世界の隣に更に別の異世界があって、そのまた隣に更に別の異世界が……なんてこともありえない話ではないのだ。
コナミのことを考えれば、あっさり帰り道が開ける方が良いに決まっているが、期待が高ければ高いほどダメだった場合の落胆は深くなってしまう。
だからせめて私くらいは、冷静に段階を踏んでいくことを心がけるとしよう。
「さてそれじゃあ行ってみようか」
村から少し離れた森へと移動した私は「異界門」発動すべく、集中をはじめた。
仲間たちは若干不安げにしているが、アウルム女王の証言もあったし大丈夫だろう。念のため、フル装備で行くが。
「異界門」
今回も精霊たちに頼むのは、彼らが住む世界への扉を開くことだ。
前回、一足飛びに「精霊界」への扉が開かなかったのは、私が「隣の世界への扉を開いてほしい」と考えたからだろう。
しっかりと意識すれば一気に複数の世界をまたいだ形で門を開くことも可能かもしれないが、何があるか、あるいは何がいるか分からない世界につながってしまう可能性を考えれば、一つずつの方がトラブルが起きても対処しやすいだろうということもある。
ということで今回は素直に「精霊界」への扉を開く。
そしてそれはごく自然に成功した。
「わあ……」
女性陣が揃って感嘆の声を上げる。
それもそのはず、開かれた門の向こうには淡く明滅する光の世界が広がっていたのだ。「妖精界」でも十分異世界感が強かったが、「精霊界」は輪をかけて非現実感が強い。
「じゃあ確認してくるよ」
「気をつけてね……」
振り返り、心配する皆に手を振って「精霊界」へと私は足を踏み入れた。
しばらくして背後で門が閉じる。
「これは……」
完全に世界を渡った私が感じたのは、ぬるま湯に浸かるような心地よさだった。
精霊たちの力が体に染み込み、段々と「精霊界」そのものと一体になっていくような感覚……。これは確かに危険だ。自分の存在が希薄になっていくのが理解できるにもかかわらず、恐ろしいとも感じないのが特に。
一瞬で混ざり合ってしまうようなことはないだろうが、昇級回数の少ない者であれば、この心地よさには抗えないかもしれない。
「大丈夫そうではあるけど……早いところ隣に異世界があるかだけは確認しないと」
そう独りごちるが……よく考えたら門は開けるとしても、近傍世界の有無を確認する方法は考えていなかった。間抜けすぎる……。
「ああ、いや……」
せっかく精霊が溢れる世界に来ているのだから彼らに聞いてみればいいか。
とりあえず魔力を練って注目を集めるとしよう。
「精霊さん、私が来たのと反対側には別の世界がありますか?」
私の魔力に惹かれてわらわらと集まってきた不定形な精霊たちに、そう質問する。果たして答えは得られるのか――。
”あるよ” ”へんなの” ”いわ” ”つち” ”そらあかい” ”まものいる”
質問した途端、一気に声が頭に流れ込んできた。
どうやら、また別の異世界があるようだ。そして彼らの言葉からすると、あまり好ましい世界ではなさそうだと感じる。
「そこへの扉を開くと、この世界に何か悪い影響はありますか?」
”ない” ”つよい” ”かつ”
どうやらパワーバランスは「精霊界」の方が上だということのようだ。
これなら安心して確認に行ける。
「皆ありがとう。じゃあ門を開いてみます」
精霊たちに礼を言い、集めていた魔力をそのまま「異界門」へと変化させる。
進化したことで魔力の操作も以前より遥かに楽にこなせるようになっているなあ。
かくして私は次の世界への門を開き、精霊たちの声を背に、その地へと足を踏み入れた。