114.神狼族
複雑な親子関係は見ていてハラハラするとオッサンは思ったのだ
最初の来訪者・ユウキの残した文章の話が一段落してからは、これまで私たちが経験してきた探索に関することが話題になった。
強大な力を持つ竜人たちにとっては、しょぼい冒険に感じるんじゃ……と思ったのだが、単純に他者が見聞きしたことを聞くのが楽しいようだった。
特に恋愛に関しては強い興味があるらしく、グレイシアの語る、私に対する好意から恋心への変化などは、身を乗り出すようにして聞き入っていた。
アルジェンタムの両親の恋模様を見、それが銀鈴が生まれるきっかけとなったのだから、生物として重要なことだと考えているのかもしれない。
当のアルジェンタムと銀鈴はよくわかっていないようだが。二人とも十歳を超えたくらいの体格だが、頭の中身はまだまだ子供なのだ。
昼食の後も雑談は続き、アルジェンタムの父親に関することに話が及んだ。彼は、この竜人の住処の深層、様々な植物を育てる区画を管理しているという。
アルジェンタムの母・アーシェと離れて以降、そこから出てくることは稀だそうだ。
「その場所に、お邪魔することは可能ですか?」
できることならアルジェンタムを血の繋がった父親に会わせてやりたい。そう考えた私は、竜人たちに問いかけた。
「……無論じゃ」
白嶺に、ほんの少し躊躇するそぶりが見えたのは、アルジェンタムの父親に妻・アーシェの死を告げることになるとの懸念からだろう。だが彼らも、アーシェが全て覚悟の上でアルジェンタムを産んだことは知っている。うかつなことを言えばアルジェンタムを傷つけるとも理解しているのだろう。
「案内しよう。こっちじゃ」
私の顔に気遣わしげなものを感じたのか、白嶺はふわりと笑むと案内を買って出た。
ともあれ、ここに来た理由の一つを果たすことができそうだ。
大広間の壁に穿たれた洞穴の一つに設けられた階段を進む。大広間とは違い、螺旋階段のみが山の奥深くまで続いている。
ここにもやはり水路があり、階段に沿って階下へと流されていた。植物を育てる場所との話だったから、農業用水ということか。
百メートルは下っただろうか。我々は階段の終点にたどり着いた。……しかし完全に行き止まりだ。
「ふふ、心配するな」
こちらの困惑を他所に、白嶺は一言いい置くと壁に手を触れる。すると徐々に壁に穴が開き、最終的には人一人が余裕で通れるサイズの通路となった。その先から一際あかるい光があふれ、我々を照らし出す。
「おおー」
「これは……」
「すごい……」
ごく短い通路を抜けると、そこはドーム状の広い空間で、天井一面に繁茂したヒカリゴケによって十分な光量が確保されていた。その光に照らされて、あたり一面に植えられた多くの花や野菜が見て取れる。
秋に実るであろう麦、春に咲くであろう花々……。私でも分かるほど季節感がないその場所は、皆が嘆声を漏らすのも当然の壮観さだ。
まさか、どれもこれもが四季成りというわけではないだろう。となると、この空間がいつ実っても問題ない気温に保たれているということだろうか。
と、その光景を見回していると遠くに一つの人影を見つけた。畑の手入れをしているのか、しゃがみこんで手を動かしている。
「クラーツ」
私が目を留めると同時に、白嶺が声をかけた。すると彼女の口元から風の精霊が飛び去り、三百メートルほど離れた人物のもとへと一瞬でたどり着く。
「あれで聞こえたの?」
白嶺の声に反応し立ち上がった男性の姿に、シェリーが疑問の声を漏らす。ごく近い場所に話しかける程度の声量だったから不思議に思ったのだろう。
「風の精霊が動いていたから、声を届けてもらったんじゃないかな」
「うむ、その通りじゃ。ユウキは『遠話』と呼んでおった」
私の推測を白嶺は肯定し、うっすらと笑みを浮かべる。その目は過去を思うかのように遠くを見つめていた。
長い時を生きる種族である彼女にとっては、短い時間しか生きられない人間よりも別れが大きなものなのかもしれない。
「白嶺、何か用か?」
私が白嶺の心情に思いを馳せている間に、クラーツと呼ばれた人物が歩み寄ってきていた。我々を見るその目は明らかな警戒をにじませている。
竜人族の住処にいるはずもない人種ばかりだから当然か。……いや、一人だけ、いてもおかしくない者がいる。
――アルジェンタムだ。
彼の目もそれに気づいたらしく、驚きを持って彼女を見つめている。対するアルジェンタムの方は事前情報があったからか、特に感情は動いていないようだ。
……いや、そうでもないか。いつの間にか、私のコートを掴んでいる。
「クラーツ、この子はアルジェンタム。アーシェの……お前の娘じゃ」
白嶺がアルジェンタムを指し示し、クラーツに告げた。だが、彼はアルジェンタムをじっと見つめたまま動かない。
コートを掴むアルジェンタムの手に力がこもり、私は安心させるため彼女の頭に手を乗せた。
「……白嶺、アーシェは」
「亡くなったそうじゃ」
クラーツの問いに白嶺は短く答える。
「そうか……ダメだったか……」
しばし瞑目し、彼はうめくように声を絞り出した。その様子は慙愧の念を感じさせるものだった。
「わかってはいたのだ……きっと、もたないと。だが、必ず戻ると言った彼女の言葉に縋って、今日まで逃げ続けていた……。子が生まれたばかりだから、少し大きくならなければ、大人にならなければ……戻れないだけだと思いたかった」
竜人族がそばにいるとはいえ、長い時間を神狼族最後の一人として生きてきた彼には、伴侶を失うことは耐え難いものだったのだろう。私には想像することしかできないが……。
ただ、ここで心配なのは――伴侶を失ったことは、そのままアルジェンタムが生まれたこととイコールであるという点だ。
場合によっては、二度とここを訪れるべきでない状況になる可能性もある。
私の嫌な想像を他所に、クラーツは顔をあげてアルジェンタムに目を向けた。その表情は悲しげではあるものの、険はない。
「アルジェンタム……アルと呼ばれているのか?」
「ん……」
クラーツの問に、首肯するアルジェンタム。彼女の手は、まだ私のコートを掴んだままだ。
「アル、よく来てくれた。アーシェが亡くなったのは、とても悲しいことだが……お前だけでも無事で良かった。よく顔を見せておくれ」
そう言うクラーツの目は、とても嬉しげに細められていた。
どうやら最悪のパターンは回避されたようだ。
「お前の瞳はアーシェによく似ている。一度決めたら、どこまでも進んでいく目だ」
やっと私のコートから手を離しクラーツのもとに歩み寄ったアルジェンタムを見つめ、彼は優しく語りかける。アルジェンタムの中に、亡き妻の面影を見つけたのだろうか。
「おとうさん……」
クラーツの笑顔に緊張が解れたのか、アルジェンタムは彼の懐に飛び込んだ。