108.銀鈴と狼の赤ちゃん
やっぱり実際の体験に勝るものはないなあとオッサンは思ったのだ
「銀鈴、あんまり近づいちゃいけない。ユキ一人にしてあげないと」
ユキのお産への興味と不安からか間近で見守ろうとする竜人の少女をたしなめ、部屋の外へと誘導する。
お産前後は神経質になると聞いた記憶があった。まあ、私が経験があるのは昔飼っていた猫のお産くらいなものだが。
「大丈夫かな……」
「大丈夫だよ、野生動物は強いからね。それにもし具合が悪くなっても私やコナミがいる」
心配そうにドアの隙間から室内を覗く銀鈴の頭に手を置き、私は軽く請け負うと告げる。コナミもそれに力強く頷いてみせた。
アルジェンタムが銀鈴を抱きしめてやると、彼女はやっと少し落ち着いたのか笑顔を見せる。
さあ、ここからはユキに頑張ってもらうのみだ。我々は有事に備えつつ、彼女の無事を祈るとしよう。
出産には長い時間がかかる場合もあると身構えていたのだが、どうやらユキは安産だったらしく、一時間もすると室内から子狼の小さな鳴き声が聞こえてきた。
それに反応して、早速子供たちが室内になだれ込もうとするのを大人チームであわてて押しとどめる。
「いっぺんに入ったらユキがビックリしちゃうから、静かにそっと、ね」
グレイシアが優しく注意し、子供たちは口元を押さえてコクコクと頷く。さすがは出産経験者だ。説得力が違う。
「……」
気を取り直し、子供たちは足音を立てぬよう恐る恐る室内に入る。皆あまり近づかず、遠目に見ることにしたようだ。
「ユキ、元気ない」
横たわったまま五匹の子狼を舐めるユキの姿に、アルジェンタムが不安の声を漏らす。確かに疲れた様子だが、生命力が失われているというほどではなさそうだ。
「念のため、ユキにだけ『回帰』をかけておこうか」
とはいえ子供たちの心配も分かる。ということで私は一人、ユキのもとに近づく。
「回帰」
そっとユキに手を触れ、魔法をかける。ほのかな青い魔力の光が彼女を包み、ユキは気持ち良さそうに目を細めた。どうやら機嫌も悪くなさそうだ。
魔法の発動が終わり、私が手を離すと、ユキは元気良く尻尾を振った。
「元気でた」
「よかったー」
アルジェンタムと銀鈴が安堵の声とため息をもらす。他の皆もようやく肩の力が抜けたようだ。
「あとはユキが子供たちを連れて出てくるようになるまで待ってあげてね」
私がそう言うと子供たちは一斉に頷き、近くのベッドに一塊になって腰を下ろす。そしてユキが子狼たちを愛おしげに舐めてやるのを飽きることなく眺めるのだった。
出産から一週間。ついにユキは子狼たちをつれて寝床を出てくるようになった。子狼はまだしっかりとは歩けないため、一匹ずつ口にくわえて近くにあるベッドに運ぶ。
子供たちはその様子を、ベッドの反対側の床に座り込みながらコソコソと覗くように窺っている。皆ソワソワと体を動かし落ち着かない様子だ。なぜかグランツも一緒になって座っていたが、彼は泰然としたものだ。
「え?」
と、いきなりユキが一匹の子狼を銀鈴の目の前に連れていき、ベッドにかけられている彼女の手のすぐそばに、そっと下ろした。銀鈴は困惑するばかりだ。
「ユキ、この子にさわってもいいの?」
その様子を銀鈴の隣で見ていたアルジェンタムが、ユキの意図を問う。それに対するユキの反応は首肯だった。
「銀ちゃん」
「う、うん……」
アルジェンタムに促され、銀鈴はおずおずと両手を動かす。やがて彼女の手が触れ、子狼はそれに反応して身動ぎすると少女の掌へと転がり込んだ。
「ふわ……」
驚きとも恐れとも取れる声が銀鈴の口から漏れ、動きが止まる。掌に収まった子狼は何かを探すように身をよじり、元気な鳴き声を上げている。
生まれて間もないが、そこにはしっかりとした生命力があふれていた。
「……ごめんなさい」
しばし後、銀鈴の口から謝罪の言葉がこぼれた。同時に瞳からあふれた涙が頬を伝う。
私たちと対面してからこれまで、ドワーフの谷でしてきた様々な経験が彼女の中でようやく現実味を得たのか、手の中の温もりが何かを与えたのか……。実際のところは分からないが身近な命を大切に思えるようになった、ということだろうか。
そして彼女の気持ちは皆にも伝わったのだろう。何度も謝罪の言葉を口にしながら泣きじゃくる銀鈴を、女性陣が総出で優しく抱きしめる。
これでもう、銀鈴が無為に命を弄ぶことはないだろう。蒼穹との約束は果たされた、というわけだ。
それから、さらに一週間。我々は順調に地下洞窟の探索を進め、一際大きな空間にたどり着いた。
大きく掘り下げられた床面には地竜の物と思われる大量の遺骨があり、さながら墓地のようだった。随分長い時間が経過しているらしく、すっかり乾燥した骨は触れればあっさり崩れてしまいそうで、なんともいえない寂寥の感を覚える。
「……ここは、そっとしておくべきでしょうね」
「そうだな、ここにはみだりに近づかないように通達しておこう」
私のつぶやきに、探索に同行しているドワーフが応えた。他の皆も同じ気持ちのようで、それぞれ瞑目したり頷いたりしている。
この情景を見るに、もしかしたらあの時現れたアースドラゴンは、この地下で生きていた群れの最後の一体だったのではないかという気がしてくる。
ここ二週間ほどで、グレイシア、シェリー、コナミの三人は地竜装備になっている。後のメンバーも近日中に更新の予定だ。
……正直、罪悪感を覚えるが、倒さなければ私たちが死んでいる場面だったのだ。せめて余すことなく有効活用することで納得してもらうしかない。
この地下迷宮もきっと、ドワーフたちによって上手く使われていくことだろう。新たな鉱脈にも繋がっているかもしれないしね。
そんなことを考えながら探索を続けた結果、我々は依頼開始から一月ほどで全てのルートを探索し終えた。
地下水路と繋がっている場所もあり、地下に住む魔物のほか水棲の魔物や野生動物もいたが、全体的にはさほど強い個体はおらず、比較的危険度は低いと判断された。
不思議なのは外に繋がるルートが見つからなかったことだ。
完全に地下だけで生息域が完結していたのかもしれないが、これほどの規模なら一箇所や二箇所は外に繋がっていても良さそうなものだが……。総延長は軽く五百キロを超えているだろうに。
「ウォン」
ぼんやりと考えていると、グランツが壁の一点を見て声を上げた。当然ながら、そこはすでに調査し終えた場所だったが、グランツが気にするということは何かがあるのだろう。
「グランツ?」
「……森のにおいがする」
コナミが声をかけ、アルジェンタムが壁に近づく。と、アルジェンタムはグランツが感じたであろう何かに気づいたようだ。
「森ということは……『石壁』」
私は彼女の感覚に従い、その壁を軽く掘ってみることにした。すると――。
「うおっ、なんだ!?」
掘った壁の向こうから現れたのは、赤熊族の族長の驚き顔だった。