第1話「定休日の日常」-その昼下がり
あれもこれもと商品を次々手に取っていたら、あっという間に買い物かごはいっぱいになった。レジの小計の数字が着々と増えていくのを見つつ、雄一郎は渋い顔をしながら、や~物価たかいな、と諦めたように心の中で呟いていた。
いくら経営が振るっていても、十字街の通貨─シェイルから見れば円は常に高いという問題が付きまとっている。なるべく安い所で買うように努めてはいるが、逆出稼ぎ状態であることに時々悲しくなることもある。
「お会計5834円でございます」
てきぱきとリズミカルにレジ打ちを終えた、ベテラン風のパート店員が告げる。
今日買ったのは例のジャムやらパンやら、マールムのシャンプーやら雄一郎の髭剃りやら自宅で使うものだけなので、そこまでの出費にはならなかった。来週は業務用スーパーで調味料の買い足しだからもう少しかかるなぁ、などと考えながら雄一郎は会計を済ませた。
買い物を終えた後は、サンドウィッチのチェーン店で昼食を取った。具をカスタマイズ出来る都合の良い店だ。
マールムは玉葱を食べると腹を下すので今回も玉葱は抜きにした。他にもNG食材はあって、例えば店先に大きなポスターで宣伝されている「アボカドサーモンサンド」のアボカドもNGだ。
雄一郎は、良いなあ、食べてみたいなあと溢す娘に、何かあってからでは遅いので止めてくれ、と懇願したばかりだった。そもそも、玉葱がダメだと気づいたのは、獣人は人間と同じものを食べても問題ないという文言を信じて与えた時だった。
ぐったりとしてしまったマールムを見て、雄一郎はイヌ科の動物が食べてはいけないものを片っ端から調べた。気を付けて食事を作っているにも関わらず、勝手にチョコレートを食べてきたりカフェオレを飲んできたりした時には肝を冷やされたものだ。
幸い、大事には至らなかったが、親の心子知らずとはこういうことか、と雄一郎は泣きたくなったのを今でも覚えている。
ブブッ、と聞きなれた短いバイブレーションが響く。マールムは隣の座席にかけた鞄をちらりと見やると、残りのチキンサンドを口に詰め込んだ。ぐふ、と詰まりそうになったマールムに、雄一郎は「焦るな焦るな」と苦笑しながら水を差しだす。
水を飲みほして落ち着きを取り戻すと、マールムは鞄から音の主を取り出した。クリーム色の手帳型ケースを開くと、黒い画面の中央にチャットの新着メッセージが表示されていた。
「あ、祥ちゃんからだ」
「確か、中学のころからの友達だったか?」
「そうそう~。あ、来週の月曜日、祥ちゃんの大学が創立記念日で休みなんだって。だから、久しぶりに遊びに行こうって…」
友達からのメッセージを要約しながら話していたマールムは、そこまで言ってから、はっとして顔を上げた。
「送り屋さんが空震の予兆があるって言ってたんだ…大丈夫かな」
「ひと月は平気だと言っていたし、来週くらいなら大丈夫じゃないか?行ってきなよ」
「そうだよね、せっかくの機会だし!ではでは~お言葉に甘えてっと」
マールムはすぐに祥ちゃん─藤沢祥子に同意のメッセージを返す。そのままメッセージのやり取りに入ったようなので、雄一郎は手洗いに立った。
5分と経たずに戻って来ると、すでにやり取りは終わっていたようで、マールムはスマートフォンを鞄にしまうところだった。
「早いな、もういいのか?」
「うん、ディスニーに行くことになったよ」
相当楽しみなのか、マールムはとても上機嫌だ。ディスティニーランド、通称ディスニー。地球の若い女の子たちは大体ここが好きだ。確立されたファンタジーの世界観で、個性的で愛らしいキャラクター達が来園者を迎えてくれる夢の国。
雄一郎は20代の頃、当時の彼女と一度だけ訪れたことがあった。そのころは若いなりに、彼女と夢の世界に没頭していたような気がする。しかし今となっては、夢というよりも現実めいたものに思えてしまう。特に擬人化された動物のキャラクター達に対しては。
ふと、ディスニーのキャラクターでキツネを擬人化した者がいたことを思い出して、マールムを見た。確か、マールムが好きなキャラクターだったか。
雄一郎は、なんだか面白可笑しい気がしてふっと笑ってしまった。
「あー、ロビンのこと考えてたでしょー」
マールムが、にやにやしながら図星をついてきた。
「ばれたか」
「も~、私がキツネのキャラクターを好きになるのは、人間の女の子がシンデレラを好きになるのと同じなんだからね」
「そうだよな、すまんすまん」
笑って謝りながら、雄一郎は面白可笑しさの正体がそれだと気づいてしまった。動物を擬人化した、言ってしまえば獣人のキャラクターは大勢いる。だが、狐獣人のマールムは狐獣人なキャラクターが好きなのだ。やはり、自分と同じ種族を好きになるものなのか、と当たり前のようなことを改まって実感したのが奇妙だったのだ。
その後も、あのアトラクションは外せないだの、何味のポップコーンを食べるか迷うだの、ターキーも食べたいだの、マールムの一方的なディスニー話に、雄一郎が相槌を打ちながら家路についた。
昼下がり。
サラリーマンもOLも、昼食はとっくに終えて、オフィスに戻ったのだろう。梅雨らしい曇り空の下、繁華街から外れた路地の人通りはまばらだ。
ここに住む人々がいつも通りの平日の日常を過ごすように、雄一郎とマールムはいつも通りの定休日の日常を過ごした。
買い物袋を提げた二つの短い人影が立ち止まり、そして吸い込まれる。
本人達は然るべき場所で足を踏み込んだだけだが、端からすれば消えたように見えるだろう。
地球の人間が空想でしか見られない街へ帰る、という特別感を、ほんの少しだけ土産にして、父娘はガーゴイル像を通り抜けた。
これにて第1話終了です。
次回から第2話に入ります。