第1話「定休日の日常」-十字街の様相
喫茶店兼自宅の扉を出ると、目の前に広がるのはいつも通りの十字街の様相。
ここは十字街という呼び名の通り、十字に交差する二本の大通りに沿って、住宅や商店などが軒を連ねることで街となっている。大通りは乗用車なら余裕をもってすれ違える程の広さがあるが、この街に自動車の往来は無い。乗り物の往来といえば月に二度訪れる「渡りの商人」の竜車くらいである。
ガチャり、と雄一郎は扉を施錠できたことを確認する。
玄関先には一本の林檎の樹が植えられている。
いつか、喫茶店のシンボルになれば、と雄一郎が植えたものだが、6年が経ってようやくシンボルらしさを醸し出すようになっていた。今年も秋になれば自家製の林檎バタージャムを作れるだろう。
そんな林檎の樹に見送られながら三段ステップの広い階段を降りると、すぐに大通りの交点─中央広場に達する。
マールムとその父が営む喫茶店─その名も「りんごの樹」─は、最も人通りの多い中央広場に面しているという好立地だ。加えて、「渡りの商人」がやってくる日は中央広場で市場が開かれるため、買い物客の休憩所として重宝されるなど客入りは上々。料理の方は、濃厚なデミグラスソースのオムライスや甘味と酸味のバランスが絶妙のアップルパイが人気を集めている。
マールムと雄一郎は二人連れだって十字街の大通りを歩いていく。不揃いな色の石畳が描く幾何学模様を、踏んだり避けたりしているマールムに、ふと雄一郎が話しかける。
「そういえば、向こうはもう梅雨入りらしいな」
「え~もうそんな季節かぁ。こっちにいる時間が長いと季節に置いていかれそうだよ」
マールムはそういうと両腕を広げてくるくる回ってみせる。少々子供っぽいリアクションをする娘に雄一郎は微笑う。
「ははは、週一回の買い出しで季節を感じるしかないな。夏は特に差がでる季節だが、こっちの方が涼しくていいだろ」
「うーん、そうはいっても風情ってものがあるじゃない?ここは桜の木もないし、セミもいないしなぁ」
マールムは少し拗ねたように石ころを蹴飛ばした。
彼女の言うようにこの街には風情というものが足りないのかもしれない。気候の変化は日本のそれと比べれば至極穏やかで、四季ははっきりしない。そして、梅雨も、夕立も、酷暑もないし、台風も来ない。桜も紫陽花も植わっていないし、セミもいなければスズムシもいないのだった。
この街の気候は春と秋が長く、夏と冬は触りだけ、というイメージが当てはまるのだろう。十字街に住んで6年が経つマールムだが、この春まで東京の高校に通っていたため、四季を感じられなくなるのは寂しいようだった。
東京と“繋がって”いながら、この街だけ切り取られたように違う。
そんな不思議なところ─
「りんごの樹ではなく桜を植えるべきだったかな」
いつの間にか石ころドリブルに興じはじめた娘の背を見ながら、雄一郎は独り言ちた。