第11主:もし、つまらないことをしたらどうなるかわかっていますか?
時間が経つと「先ほどのご無礼をお許しください」とヒカミーヤがシュウに謝罪していた。
「き、気にしないでください。俺が悪いのですから」
相変わらず目を合わせようとしないし、近寄ろうとしない。ヒカミーヤが今、トイレの扉の前に立っているので、彼はトイレから出られない。これ以上近づいたら怖く感じるからだ。
「それにしても、シュウさん。いい腹筋ですね」
気を使ってくれたのか二人の間にグウェイが入って来た。でも、パッと見は少女にしか見えないので、あまり変わらない。ただ、少しだけホントの女性よりも怖いと思う範囲が狭い。
「グウェイ……さんは別の意味でいいと思いますよ」
「この貧弱な体がですか?」
「はい。相手を騙すのに打ってつけじゃないですか。魔力人形は全身魔力のようですから、恐らく魔法と呼ばれる不可思議な力の類を利用できるでしょ?」
「確かにそう考えるとそうですね」
「そ、それにお、俺は中途半端な筋肉ですよ」
「そうですか? この学校の男子で腹筋が六つに割れている人は少ないですよ」
「そうなのですか? 話は変わりますが、グウェイさんはそのままでいいと俺は思いますよ」
「ふふ……。そうですか。そう言っていただけると嬉しいです」
グウェイが微かに頬を赤く染めながら言う。その表情がやはり女の子にしか見えない。だから、シュウも緊張してしまう。
恐怖ではなく緊張だ。そのことに不思議に思うが、結論は至りそうにならないので、思考を放棄した。
突然、扉が押し開けられる音が聞こえる。どうやら出入り口が開いたようだ。しかし、誰が入ってきたかシュウにはわからない。完全に死角だからだ。
「シュウくん! 食堂に行こ!」
声は聞こえたので、相手がビルルだとわかった。
「待っていてください! 今、着替えますから」
「着替える? 一体どんな格好をしているの?」
「制服ですよ」
「なら、そのまま来て。食堂って学園の敷地内だからね」
「そうですか。わかりました」
「あっ、そろそろみんなが帰ってくるかもしれないね。なら、PLO-03GWとそこの肉壁二枚もついて来なさい」
「かしこまりました」「わかりました」「了解です」
まるで騎士が姫に服従しているかのように三人は跪いていた。そこには明確な主従関係が存在している。だから、シュウは少しモヤモヤした。
恐怖を表に出さないようにしながらも、トイレから脱出した。
「おぉ……。似合っているよ。それにしてもいい腹筋だね」
「先ほど別の人にも言われました。そんなに腹筋を鍛えていない男子が多いのですか?」
「うん。たまにとてつもなく腹が出ている人もいるよ」
「外見を少しでも気にしないのですか?」
「どうだろうね。そういうシュウくんも目を隠すほど長いその前髪。気にならないの?」
「目を合わせていなくてもバレにくいので」
「そう……。さて、行こっ!」
ビルルは自然に彼の手を掴む。
「っ……」
シュウは恐怖で、叫びながら逃げそうになるが、唇を噛み締めて声を押し殺した。今まで、こんなことしたことない。
でも、さすがにここまで優しくしてくれているので拒絶し辛かった。だから、今までやってみたことないチャレンジをしてみたのだ。
結果は成功に終わった。でも、それはホントに成功か怪しい。彼にすれば成功だが、周りからすれば失敗しているように見えているかもしれない。
廊下は赤いカーペット的なものを敷いている。その上に唇を噛んで、出てきた血がポタポタと落ちている。そこまでしないと恐怖心は抑えられない。
幸いそこにいるメンバーでシュウ以外は気づいていない。彼はそう思っている。
でも、恐らくヒカミーヤは気づいている。
今の彼女は肉壁という人権がない身。元々、魔王なので人権はないようなものなのだが、今の彼女は自らのちゃんとした意思すら、シュウたちにしか伝えられない。
ましてや今は少しおかしいとはいえ、典型的なこの世界の住人のビギンス・R・ルセワルがいる。ヒカミーヤが声をかければ、どうなるかわからない。
もしかすると、殺すかもしれない。死んだとしても死ねないこの世界では、その程度のことは慣れている。だけど、異世界人のシュウにとってはまだ慣れていない光景だ。
ただでさえビルルが一度、ヒカミーヤとサルファを肉片にした時に吐いていた。あの時は関係なかったようなものだ。でも、彼に声をかけたという理由で今回殺されたら、確実に自分を責める。数時間しか一緒に過ごしてないけど、シュウがそんな性格だということをヒカミーヤは知っている。
だから、唇を噛みすぎて血を流していることに気づいていても、気づいてないフリをするしかない。
「ふん。ふふーん」
テンションが高くなって、鼻歌を歌っている。そんなビルルを見て、シュウが恐怖に耐えていることを知っているヒカミーヤは苛立ちを覚える。
数十分後に食堂に着いた。今は昼時だが、ほぼ全員が課外授業を受けているため、食堂の従業員以外は誰もいない。かなり静かだ。
食堂はライブ会場かと思うほど大きい。そのため料理を受け付けるところが東西南北に一つずつある。
「まず使い方を教えるね。そこら中にある券売機で食券を買うの。ちなみに明日、転入してもらうからその時に学園長から、こういう端末を貰えるの」
「そ、そのスマートフォンみたいな端末ですか?」
「スマートフォン?」
「お、俺の世界にあった機械です」
「そう。まぁ、ならそのスマートフォンみたいな端末を貰えるの。これでこの学園の敷地内なら何だって買える。わたしたちが通っている学園は国立だから、全て無料よ」
「そ、そんなことして大丈夫なのでしょうか? 国が破綻するなんてことは」
「それはないとハッキリ言えるよ」
「ど、どうしてですか?」
「この世界は死のない世界よ。税金が永遠に入ってくるのよ。国王にしてみればね」
「あ、あぁ、確かにそうですね」
納得ができた。ちなみにシュウは今、別のことで困っている。
ーー一体券売機には何が書いてあるんだ? カタカナ? 象形文字? わからん。この世界の人たちはこんなわけのわからない文字を使っているんだな。……って、待てよ? そうなると授業の文字がわからなくないか? まさかの永遠に留年か? 異世界に来てまで絶対いやだぞ?
「どうし……あぁあ。そっか。シュウくんはこの世界の文字を読めなかったね。それにシュウくんが住んでいた世界のシュウくんがいた国は、わたしたちでも知らない国だったね。普通なら、すぐに出るんだけどね。恐らくシュウくんがいた国の文字を券売機が解析しているの」
「えっ? 文字を解析? 一体どうやって?」
「特殊な周波数で対象の言語能力を司る左脳に直接アクセスしているの」
「そうなると、かなり時間がかかりますね」
「そんなに複雑なの?」
「らしいです。外国から見た俺たちがいた日本という国の日本語は難しいとよく聞きます。まぁ、地域によって方言がありますからね。それに異世界だともっと難しくなると思います。日本は日本語という独自のものだけではなく、他言語の言葉も日常的に使いますからね」
「それは複雑ね。恐らく一時間はかかるね。なら、今日はわたしのオススメの料理を食べてみて」
ビルルがシュウの返答を聞かずに選び、シュウに食券を渡した。
「東西南北。どこの料理受付に行ってもいいから」
彼女の言葉に「わかりました」と答えると、一番近くにあった南の料理受付へ向かった。
「すみません。これ一つお願いします」
「はーい。わかりました」
料理受付の人はなぜか、お姉さんという感じがする。でも、恐らくは肉体年齢はシュウと同じ17歳。なのに彼女からは大人の色気というものを感じてしまう。でも、服装は割烹着でなんの変哲もない。
「お姉さん!」
突然、シュウの肩からひょっこりと顔を出したビルルが満面の笑みを料理受付の人に向けている。でも、心の底からは笑っていない。
シュウは固まってしまう。まるで立ったまま気絶しているようだが、意識はあるようだ。だとしたら、恐怖で体が動かなくなったのかもしれない。
「な、なんですか?」
「彼はわたしの友達ですよ。もし、つまらないことをしたらどうなるかわかっていますか?」
「わ、わかっていますよ! そんなことしません!」
「本当かなー?」
ビルルがしつこく言っているから、料理受付の人が可哀想に見えてくる。でも、シュウは助けたりしない。むしろ、助けてほしいと思っているはずだ。
少し離れたところにヒカミーヤたち三人はいる。
「わたしの人脈を駆使すれば色んなことができますよ。そうですね……お姉さんは美しいですし、この世界では珍しい二十代に見えますから、レイっ!?」
ビルルは突然のことに呼吸が止まる。むしろ、体全身が強張ってしまい、すぐに動ける気がしない。むしろ、動いたら死ぬ。
なぜなら、首にフォークが突きつけられている。しかも、少し刺さり、血が流れている。あと少しでも動けば、さらに深く刺さることになる。
そんなことをした犯人はシュウだ。先ほどのオドオドしていた人物と同一人物かと思えるほど、鋭い目つきをしていて、まるで見えるかと勘違いしてしまうほど強い殺気を放っている。
明らかに今までのシュウとは違った。
「あっ…………」
正気に戻ったのか、そうとだけ声を漏らすと慌ててビルルから距離を取る。でも、手にはフォークを持ったまま。
「す、すすすす!! すみませんでしたっ!!!」
彼は慌てて九十度くらいお辞儀しながら、謝罪した。それを聞いた瞬間にビルルはペタリとその場に座り込んだ。
「それとフォークを汚してしまいすみません」
今度は料理受付の人の方へ向き、フォークを受け取り口に置いて、素直に謝罪をした。
「あっ、いえ。こちらこそすみませんでした」
「お気になさらないでください」
料理受付の人との会話は終わったと判断した彼はもう一度、ビルルに向き直る。
座り込んでいる彼女が心配で近付きそうになるが、今の自分が行っても逆効果だと思った彼は留まった。
「これが恐怖…………あっ」
小声でそんなことを漏らすと、なぜか目に涙を溜めていた。あまりにも突然のことで焦ったが、すぐにどうして涙を浮かべているかわかった。
彼女がへたり込んだ。すぐに彼女は顔を真っ赤にする。どうしてそんなに赤いのか、わからないシュウは失礼と思いながらも、彼女を凝視する。そのおかげで理由がわかった。
ビルルがへたり込んだ場所に小さな泉ができていた。つまり、お漏らししてしまったようだ。そんな場所を目撃してしまった彼は少し離れたところにあるグウェイの方を見て、ジェスチャーで伝えてみようと思った。
自分にそんな表現力がないことを思い出したシュウはジェスチャーでグウェイを呼ぶことにした。
グウェイを指差す。手先を下にして、こっちに来てと指のみを振るう。シュウがいた世界では通じるだろうが、この世界では通じるかわからない。だから、一種の賭けみたいなものだ。
結果、通じたようだ。
グウェイが自分の顔を指で差したので、シュウは頷く。
「どうしたのでしょうか?」
「うわっ!?」
頷いた瞬間にグウェイが目の前にいたのだ。思わず叫び声をあげてしまう。だけど、後ろには受け取り口があるため下がれなかった。
「あ、あなたのしゅ……主人が、色々とま、マズいことになっていますよ」
「ビギンス様が?」
グウェイが落ち着いた声を上げてから、ビルルの方を見る。
「かしこまりました。今から使用人の本気をお見せします」
彼がニコッと微笑むと二人の姿が消えた。そう思うとグウェイが帰る前よりは、シュウから少し離れたところにいた。
「終わりました」
「へっ?」
理解しがたいことを言ったので、シュウは素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ボクは特定の人物の時を止める術を使ったのです。ちなみに今回の対象はビギンス様の姿を見ていた全員です。まぁ、普段は使ってはダメですからね。仕えている方の名誉や命などを守る場合でしか使えないですから。今回は名誉のために使いました」
「なにその力。強すぎだろ……」
「何か言いましたか?」
「いいえ、何も」
シュウが呟いた言葉は離れた場所にいるヒカミーヤとサルファには届いていただろうが、近くにいるグウェイには届かなかった。




