夏の終わり
今年もコオロギの奏でる音色があちらこちらで聞こえてくるようになった
この時期になると、決まってあの時のことを思い出す
顔をクシャクシャにして泣きながら
悲しみに浸ったあの時のことを……
僕はしがないサラリーマン
会社では上司に怒鳴られ、後輩からは陰口を叩かれ、同僚からはアゴで使われていた
そんな冴えない僕には、これといった趣味もなかった
田舎から出て、働き口を得たものの
『ただ生きている』
当時はそういった状況
会社でしこたま怒られたある日の帰り道
気晴らしにと思い、近所にある小高い丘を登ってみた
そこで見た沈みゆく夕陽に
忘れていた自然の美しさに元気付けられた僕
その日は真っ暗になるまで景色を眺めていた
それからというもの
休みの日には決まって携帯を片手に
あの時もらった感動を画像にして収めるため
どこまでも足を運んだ
僕が撮った景色はツイッターに
いいねをもらえると嬉しかった
何度かツイッターにのせた画像にコメントをいただき
フォロワーさんも増えてきた頃
どの画像にもコメントをくれる人が現れた
僕なりに納得のいった画像をのせてはいたが
毎回コメントを入れてくれる人は初めてだった
コメントの内容には
「私もこんな素敵な景色を生で見たいです!」
「私もいつかこんな画像をアップしたいです!」
「私もあちこちの風景を見て回りたいです!」
いつも最後に願望があった
そんなことが続いていたある日
何気なくその人のプロフィールを覗いてみると
紹介欄には何も書かれておらずツイート数も0
フォロー、フォロワーの数はともに少なく
いいねには僕の撮ったものが並んでいた
タイムラインがない人とは繋がっても仕方がない
そう思っていた僕だったが
この人だけはいつもコメントをくれるのでフォローした
それからまた少し経ったある日
いつものようにコメントをもらっていた僕は
気になったことを聞いてみた
あなたも景色を撮ってつぶやいてみてはと
なぜかそれに対する答えはなかった
またしばらくして
ツイッターのダイレクトメッセージに通知があった
初めての通知だったので驚きながらも確認
いつもコメントをくれる人からだ
そこにはある程度高いところから撮られた街並みの風景
添えられていたメッセージを見て僕は驚いた
私は今日もこの景色を見ます
きっと明日も明後日も、ひと月後も半年後も
いつまでもこの景色を見てると思います
季節の移り変わりだけがこの景色を彩ります
自由気ままに色々な景色を追い求められられたなら
それはどれだけ素敵なことなんでしょうね
その人は病院から出たことのない女性だった
原因不明の臓器疾患
知っているのは院内から見える景色のみだそうな
手術をすれば治るのか治らないのか
あまり分は良くないようだった
そのような辛い状況にあるとは知らず
どんな想いでコメントをくれていたかを考えると
僕は居ても立っても居られなくなり
許可をなんとか取り付け
彼女に会いに行くことを決めた
遥々会いに行くとベッドの彼女は二十歳そこそこで
いくつかの管が服の下から伸びていて
それでも精一杯の笑顔で歓迎してくれた
僕は心に決めていた
ここに来るまでに何度も何度も自問自答して
あなたは僕にたくさんのメッセージという色をくれました
何の反応もなければあのツイートには価値はなく
これまでと同じく、つまらない、生きているだけの人生だったでしょう
いつしか僕は
あなたに喜んでもらえるような風景を
無意識のうちに選んで撮っていたようにも思う
病気を治して一緒にこれらの風景を見に行かないか
伝えたい言葉を一通り口にした
ベッドの上には僕がプリントした風景写真が散りばめられている
無責任だとは思う
でも、現状のままでいいはずがないと
そう思っての、心からの願いを込めた言葉
そんな彼女からの答えは
いつか大切な人ができたらその人と
色々な風景を見て回りたいと思ってました
手術を受けようと思います
彼女はわずかな希望に懸けた
幸せな未来に想いを馳せて
それ以降彼女からの通知が無くなって幾年が過ぎ
再び『生きるだけ』が目的に変わりつつあった僕だが
彼女のことを思い出し
僕の撮る風景に救われる人がいるかもしれないとの想いを込めて
今日も携帯を持って外に飛び出します
ひょっとしたらこういうこともあるのかなぁ?
なんて思いながら書いてみました