006
「――しかし、尾田切君も凄いわね。」
私は椛の言葉に顔を向ける。言わんとしていることは、なんとなく分かっている。
陣痛は昨日の早朝にやってきた。灯は分娩室の外で待ってもらい、私一人の闘いとなる。激しい痛み。陣痛の波は断続的に続き、その感覚は狭くなる。一分間隔になるといよいよ意識は切り詰められて下半身から裂けてしまうような気さえした。
痛みに意識を蹂躙されて、子供のいたずらのように振り回される。目の前がちかちかと明滅して、紫煙を焚くこともできない分娩室で幻覚が壁から滲み出てきている。
蛇だ。
私の幻覚にはよく出てくる。蛇。
湧き出るように蛇は湧き出てきて、私の中に潜り込む。熱い身体を冷やして溶けてゆく。時には腰に噛み付いて毒を注ぎ込む。鎮痛剤になるのか、少しだけ意識に余裕が生まれる。
現実と幻覚が綯い交ぜになり、蛇が本当に実体化しているのに気付く。
長年封月家を相手してきた医者達だからか、この状況でも取り乱すことはなかった。蛇と息を合わせるような動きで腰の痛みを指圧してくれた。
子宮から蛇が躍り出る。羊水と共に蛇の津波。
そこから記憶が曖昧で、強い痛みと幻覚の最中、私が開かれて行く感覚を覚えている。
そして、無事に娘が産まれた。頭角の生えた可愛い娘だ。
そして今。椛は私のベッドに凭れて眠る尾田切灯を見ている。
「びっくりしたわよ。尾田切君が蛇になって分娩室に消えていったのを隣で見てたけど、まさか彼さえも幻覚だとは思わなかった」
「うん。私も」
「ちょっと!? 月ちゃんの幻覚から出てきたんでしょうが」
「……うーん。今思えば、椛が居なくなるのと入れ替わるように灯が来たなぁ」
「寂しさを紛らわすためにいつの間にか出てきた?」
「そうかも」私は灯の頭を撫でる。
私の幻覚にはよく出てくる。蛇。尾田切灯。
「……んで? 娘の名前は考えてるの?」
椛は頬杖をついて聞いてきた。少し眠そうだ。椛もまた、夜通し心配してくれたのだから。疲れが溜まっているのだろう。それはそうと、名前。
「実は、考えてあるんだ」
「へぇ、どんなの?」
「『謳歌』。……これからの人生を、この娘には思い思いに生きて欲しいっていう願いを込めて」
「封月謳歌……なるほどね。いい名前かも」
私は「でしょう?」と椛に微笑んで、傍に眠る我が娘の小さな二本の頭角をそっと撫でる。
…『尾田切灯の幽閉』では、想像の余地を残していたいと書いていますが、続きを書いてしまいました。
別の結末を描いていた読者がもしいるとするのなら、それを納得させるものが出来たのか、考えてしまう。
とはいえ、あくまで結末の一つとして楽しんでいただければ幸いです。