005
翌日。
端月の父の部屋にいる。
椛の仮説と、答え合わせをするためだ。昨晩、椛が立てた仮説はこうだった。
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元々呪術師の血筋で、幻覚を操っていた封月家。
現にそれは封月家に伝わる家系の話として存在する。そして、呪術が必要とされなくなった時代には、幻覚は生活していく上で大きな障害となった。
その幻覚を操れる封月が、もし本気でこれからの時代を混乱に陥れようとするのなら、誰も止められない。
そこで、当時のお偉方は封月家の分家を買収し、紫煙を作らせた。
紫煙には、幻覚を抑える効果。これは都合がいい効果だった。
そしてもう一つ。強い中毒性。
この麻薬のような中毒性で、幻覚の能力を閉じ込め、呪術によって反逆される可能性を消した。
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こうして、今に至る。
「……封月家の真相は、この仮説と違いますか?」
端月の父は椅子に深々と座り、目を閉じている。
「なかなか鋭い。君が呼び出した『医者』は呪術師への造詣が深いようだな」
と告げた。屋敷牢に端月が閉じ篭った際に、俺は『特殊な医者』といって貝木椛を招き入れたことを思い出した。
「その仮説はおよそ真実に近い。悲しいことに、代を受け継ぐに連れて、歴史背景は詳しく教えて貰えなかったせいで、私も完全な事実を知らないのだがね」
「はぁ、そうなんですか」
「いや、それでも若い頃に調べたことがあってね、私が記憶している大筋と同じ筈だ」
「もともと、語り継がれてはいないんですね」俺は思ったままを口にする。
「受け継がれるには長すぎる歴史だ。そして、その中で形骸化してしまい、文献も記憶も風化した。私達は忘れたいのかもしれないな」呪いというものを。と端月の父は目を細める。自身の妻。端月の母もまた、こんな時期があったのかも知れない。
真実と答え合わせをするという目的も果たして、早々に部屋から出る。今度はこの答え合わせの結果を椛に伝えなければならない。
俺は客室で寝ている椛の所に着く。
「もう昼ですよ。起きましたか」
返事がない。そっと扉を開けると椛は端末に向かって何か文章を打ち込んでいるらしかった。
「起きてるなら返事をして下さい。入りづらいじゃないですか」
「んにゃあ、ちょっと立て込んでてね」
「何を?」
「周波数調整員の報告書」
「端月のことですか?」
「仕事だからね。これが問題解決に繋がることも多いし、情報は共有しないと。それに、こういうのは報告書が報酬に繋がるから」
「はぁ。俺は屋敷牢に行ってますよ」
「う、私も行く」
屋敷牢に着くと、いつもの端月がいる。腹は日に日に大きくなっているが、精神的には安定している。
「おはよう」
「お昼ですよ。今日は食事は三人で、居間で。」
「うん。わかった。……っ」端月は急に驚いてお腹をさする。
「どうした?」俺は端月に聞く。腹の子については、半分俺の責任だから、何かあれば知っておきたい。
「え?………ううん」
「?」釈然としないが、端月の表情は明るい。
屋敷牢から出て、居間に昼食を配膳する。
「両親は?」と貝木椛。
「別々です。基本的に屋敷牢で食べるので」と俺が答える。
「じゃあ、この料理は誰が?」
「俺です」
「……はぁー。……端月は案外幸せものかもね」
「もう、そう言うのはいいから。で、昨日の診断結果を教えてよ」端月は箸を咥えて少しだけ拗ねる。椛の意地悪に抗議しているようだ。
昨日の夜は端月の腹を触診したり、耳を当てて中の音を聴いていた。椛はその結果をもとに、他の周波数調整員から情報を集めて、今さっき報告書を提出した。現段階での診断結果を聞きたいのは俺も同じだ。
「うむ。結論から言えば、前例はほとんど集まらなかった。そして、人の子ではない。というのがまず悪いニュースだ。
…そしていいニュース。その子は人の子だ」
「……??」
「うん。そうだな、まず、人間かどうかを定義する線を何処にするか。その辺りから話そう。」
そう言って箸を休ませながら、説明を始めた。
例えば、街で見かける人間が、本当に人間か確かめるには、色々な手段が選べる。
まず会話をしてみる。次に両親について訊ねる。疑わしいなら戸籍を聞くのもありかもしれない。
相手はその全てに答えられたら、恐らく人間。人間に近い存在ではある。
端月の腹の中にいる子供は、会話が可能で両親は君たち。戸籍も作ろうと思えばどうにでも。人間社会に溶け込めるかはわからないけど、人格を認められるであろう存在だ。簡単に言えば街で見かけても外見の違和感は無いだろう。
では、別の事例。
ある可能性が出てきた。
人間に無い特徴。身体的な差異がある可能性がある。事例では、瞳孔の形、骨の本数、髪や肌の色、尻尾。それなりに事例があって、今回、端月の幻覚では……
最悪、紫煙を吸っている間は姿が見えない可能性が僅かにある。
これは、可能性としては薄い。現に、紫煙を焚いていても腹はしぼんだりしないから、実態を持っている可能性が強い。
次に、遺伝子の情報で人間かどうかをを定義する場合。
全く未知の領域だが、遺伝子が違う可能性がある。
……大雑把に現状を伝えるとしたらこんな感じかな。
あと、今のお腹は八ヶ月程だと思う。昨日から比べて成長が著しい。
……母体である端月の方が、ダメージはきついかもね。というか、今ももうだいぶ来ているでしょう?
「妊娠線」椛は人差し指を立てて指摘する。
「……あー。うん。今は収まってるけど、前までは凄い痛かった」
僅か一ヶ月程で成長して、もうすぐ産まれようとしている。……これだけ急な成長。屋敷牢より整った設備でも、ケアなんて出来ない位じゃない?
「尾田切君にはショッキングかもしれないから、ご飯終わってから、服を脱いで見せてもらうよ」
「え? 見せるの? 昨日の触診の時に分かってたでしょ?」
「わかってるけど、百聞は一見にしかず。尾田切君にも見せるわ」
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昼飯を食べ終わり、屋敷牢にて。
「……さ、じゃあ先ずは私だけに見せて」
端月は俺に背を向けて、上着をはだけさせる。
「……引かないでよ?」
「私も女。引かないわよ」
端月はゆっくりお腹を晒す。後ろからは上着の布が目隠しになって何も見えない。
「……どう?」
「……予想より凄いわ……消えないわよこれ。だいぶ深い」
「確かにショックだったけど、今はもう大丈夫。灯との子供だから。後悔はないわ」
「……強いね」椛は少しだけ目に涙を浮かべて、そっと端月を抱きしめた。
「……さぁ、尾田切君。覚悟は出来た?」
「う、うーむ」
「成長スピードが恐ろしく速い。十月十日と言うけれど、端月のは一月一日。恐らく明日明後日産まれる。尾田切君にはこれから父としての自覚と責任。そして月ちゃんに刻んだ痕を見なさい」
「……うん。わかった」
俺は気を持ち直して真剣な顔をする。自覚を持たなければ。
「じゃ、月ちゃん。振り向いて」
「……私の心の準備がまだよ……」
服で隠しながら振り返る。この姿は前にも見た。
そうか、ずっと前から一人で抱え込んで、傷も痛みも隠してたんだな。
「俺は受け入れる。いつでもいいぞ」
「じゃあ、いくよ……」
服の裾を掴んで恐る恐る広げる。お腹が丸く膨らんでいる。そして何より皮膚が裂けて薄桃色の雷が走っている。
これが妊娠線。出産したらその裂け目が深い谷になって消えない痕になる。
その妊娠線は、端月が首を吊った時に支えてくれた触手に似ていた。
「なんというか、すごいな」
「引いた?」
「いや、引くというか、なんとも言えない。衝撃的?」
「衝撃……」
「いやいやいや、本当になんとも言えないんだ。確かに雷みたいな傷だけど、怖いというよりもっと神秘というか、近代芸術というか」
「近代芸術……」
もう何を言ってもフォローにならない。俺は少し落胆して肩を落とす。
「それより、明日明後日産まれるっていうなら、どうするんだ?」
「これから病院に行きます。月ちゃん。尾田切君。準備して下さい」
椛は唐突に進める。先の見通しがあるなら前もって知りたいのだが。
「病院? 医療機関で通用するのか? ……その、人間でなければどうする」
「むしろ、医療機関以外にどこで通用するの。蛇が出るか邪が出るか。封月家の御用達の病院なら多少は理解してもらえるでしょ」
振り返り、すべて知った様な顔で椛は笑う。
今回も娘が産まれるのでしょう?