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003


 屋敷牢には、端月はづきが籠城をしている。

 屋敷牢には、端月が幽閉されている。

 出たいと思えば城になり、出たくないと思えば牢になる。




 今の端月は、あまり人に見せられる状態ではない。




「うわ、煙が充満してる。入れないじゃん」

 貝木椛は屋敷牢に繋がる地下階段の扉を開けるとすぐに紫煙が天井を這う。鼻腔に染み込む紫煙の匂いにすぐさま息を止める。

「今、端月は防毒面ガスマスクを受け付けないので、直接屋敷牢の中に煙を焚いているんです。入るときは、これを」

俺は廊下の壁にぶら下げてある天狐の防毒面を二つ取ると、一つを貝木椛に渡した。

「……本来の意味での防毒面か。屋敷牢にいる月ちゃんは酸素足りてるの?」

「大丈夫です」

 貝木椛の軽口を受け流して階段を降りる。実際。酸素が足りなくなるほど煙が濃いわけではなく。空気より軽いため、階段の上にある入り口に煙が溜まっていただけで降りていけば煙と空気は程よい濃度になる。

「誰?」

 端月の声がする。

「俺です。気分はどうですか?」

「話しかけないで」

「……き、今日はよく眠れましたか?」

「……」

「……まだ、機嫌を直してくれないのか。」

「……」

 冷たい態度を取る端月に、俺はやるせなくなってしまう。ここ数日、ずっとこうだ。

「俺は端月の敵じゃない。機嫌をなおしてくれないか?」

「……」

 貝木椛は俺と端月の様子を階段の近くで隠れて見守っていたが、見るに堪えないといった様子で、つかつかと近付いてきた。

 その足音に反応して端月は顔を上げた。

「誰?」

「助産師ですよー。やっほ。久しぶり」

「椛……」

「どしたん? 前とは随分雰囲気違うね」

「……」

 端月は膨らんだ腹を隠すようにうずくまり、驚きと怒りと居心地の悪さをない混ぜにした顔をする。

「依頼されて来たんだ。月ちゃんの子供を見て欲しいって」

「……」

「言っておくけど、これが依頼である以上、月ちゃんであろうとなかろうもいかなる友人が相手でさえも、割り切って依頼を完了するのが、ポリシーでね。そうやって腹を隠すなら、それなりに力技も使うよ」

「話したくないの」

 端月は重い口を開けた。相手が貝木椛でなければこんなに素直にはならなかっただろう。

「まぁまぁ。腹を割って話そう。いや、本当に割ることはしないが」

「……」

「……」

「……入っていいよ。」


 ――!!


 端月が屋敷牢の中に貝木椛を招き入れた。俺は牢の鉄格子を隔てた外側から立ち尽くして、ただ見つめている。貝木椛は牢の扉を開けて中に入る。

「今って、月ちゃんは煙がないと見えなくなる?」

「……ううん。これは、『罰』」

「罰?」

 椛は振り返り後ろにいる俺に説明を求めた。





 罰。

 それは妊娠が発覚されて数日のことだった。

 この時はまだ端月は俺に冷たい態度を取ることもなく、精神的に不安定ではあったが、ここまで悪化していなかった。

 俺は端月の世話係として、何時ものように身の回りの世話をした。食事の配膳や話し相手など細々したもの。それと防毒面の管理だ。


 端月の防毒面は、内部に紫煙が発生するようになっていて、酸素マスクと同じ原理で投薬を行う。紫煙の素になる薬が切れたら交換してやるのも俺の仕事の一つだった。この日の夜も薬が切れて、防毒面を取り換えた。

 しかし、端月は防毒面の薬を抜いて、俺を欺いた。紫煙の、麻薬の中毒性にも堪えて、静かに幻覚の呪いの中に身を置いた。

 一晩が経ち、朝になると屋敷牢は蛻のもぬけのからで、すぐに屋敷の中を捜索した。

 端月はすぐに見つかった。何処かから手に入れたビニール紐を木の枝に結び、ぶら下がる端月が。

 実体化した幻覚たちが不定形の蛸のように端月に絡みつき、ビニール紐をくくりつけられた首に体重が掛からないように持ち上げていた。幻覚が存在しているということは、端月は生きている。俺は硬直した体を遮二無二働かせて、端月を救い出した。驚いたことに端月の頭には二本の角が生えていた。幻覚の世界に身を置いた影響だ。幸いなことに今は角も消えている。屋敷牢に紫煙を焚いているおかげだろう。





 この事件は端月の両親にも伝えていない。

 そして、事件以降は屋敷牢内部に紫煙を焚いて、また同じ過ちが起きないようにしている。


「子供を妊娠した時、それが人間じゃないことはわかってた」


 端月は口を開いて、俺の説明に続いた。

「いよいよ人間じゃなくなるんだって思うと、今死なないとだめかなって」

「……へぇ」貝木椛は続けた。「いや、わからないな。尾田切おたきり君と恋仲になってこれからって時に、妊娠した。確かに自分の感覚でそれが人間ではないと確信しただろうさ。でも、それこそ尾田切君にもっと相談なりすればいい。自殺を決断した理由が弱いというか、なぜ死を選ぼうとしたのか、不鮮明だよ」

「……」


 ……もともと、端月は貝木椛が好きだった。


 目の前にいる貝木椛は、存外、鈍感というか、なんでこうも拗れているのか。

「だから、貝木椛さん。あなたを呼んだんです」

あかしっ……!」

 俺は屋敷牢の外から鉄格子を掴んで貝木椛を見つめる。その後ろで端月は『言わないで』という眼をしている。ここ最近冷たい表情ばかりだったから、その表情の変化がすごく嬉しくて。

 悲しい哉。俺は昂揚感に任せて自制することができなかった。


「端月は、あんたが好きだったんだよ」


 しん。

 屋敷牢は時間が止まったのかと錯覚するほどに無音となる。貝木椛は始めて動揺を顔に浮かべて、すぐに端月を見る。端月は顔を伏せて、その視線に堪える。

「……え? 月ちゃん……?」

「……れて……」

「いつから――」

「忘れて!!」


 端月の叫び声に驚き俺と貝木椛は押し黙った。


「もう…なんなの。………生きててぜんぜんいい事無い。辛いよ。これが呪い?」俯いているせいで顔は確認できないが、屋敷牢の畳にぽたぽたと雫が落ちる。

滂沱の涙。

「叶わないままなら秘密にしてようって思ってた。この世界で叶わないことはいっぱいあるよ。

 今では屋敷の外に出れないし、子供も作れない」涙声になって、畳には池ができる。なにより悲痛な叫びに心が痛む。なんで俺は、なんで端月は、貝木椛は……

 なんでもっと上手く生きていけないんだろう。

「死にたくなって首を吊る前、幻覚たちが『生きたい』って、私を止めて、首を吊っても私を抱いて助けてくれた。死ぬこともできない。私はこれからも煙を吸って、人間じゃない何かを産んで、……その先に何があるの?」

「月ちゃん」

「なに?」

「ごめんね。……気付けなくて。辛かったね」

 貝木椛は端月を抱きしめた。

 端月は押しのけることもできず、両手を震わせて、椛を見る。そしてゆっくりと、両手を椛の背中に乗せた。

「…々もともと秘密だったのに、今更……」

「気持ちに応えることは出来ないけど、私も月ちゃんのことは大切に想ってる」

「……っ、……ぅん。」

 二人は畳の上に抱き合ったまま座り静かに泣いた。

 俺も屋敷牢の中の二人に近付いて、端月の側に座る。そっと端月の右手に手を乗せる。

「……俺も、大切に想ってる」

「……うん。…冷たくして、ごめんね」

 言葉尻はまた涙に歪み、端月は涙を流した。感極まり、涙の池が幻覚の力を受けて光を放つ。

 すぐに透明な結晶となり、一つの塊になった。

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