第9話 「ごめんねとありがとうと」⑤
城の西門をあとにした一人と一匹、トリアリスとアードロフ。
それまでずっと一心同体かのようにくっついていた二人は今はそれぞれの足で、城と王都トロイアートの間の僅かな道を歩いている。
履きなれた薬草園用のヒール低い靴が大地を踏みしめる小気味いい音と感触が、トリアリスの様々な感覚を刺激している。
なるべく町でも目立たない様に、と着てきた作業用の衣類はそれでも民衆からしたら豪勢に誂えてあるように見えるに違いない。
長く風になびく薄青色の髪と金色の瞳、身に纏う浮世離れした雰囲気もごまかしようのないくらい王族のそれであるが、へたくそなスキップをしながら歩く彼女の中ではすっかり自分は一人のどこにでもいる町娘の気分だ。
長年見下ろす事しかできなかったあの町に今これから向かうのだ。心が弾まない訳がない。
――街に着いたらまず何をしよう。アードロフのお話にはよく酒場がでてくるので是非実際どんな場所なのか行ってみたい。アードロフは酒場の話をするとき、いつも何とも言えない府抜けた顔をしているのだ。お酒はまだ飲んではいけないらしいが、一口、舐めてみるだけくらいならばれないかもしれない。酒場の料理で一番おいしいというパンプキンシチュー。なんとそれは、器に中身をくり抜いたかぼちゃを使っているらしく、しかも食べられるというではないか。是非ともそれを――。
「トリア、町についたら馬車を借りるよ。それから洋服と喪服。ってトリア? どしたの?」
思わず垂れそうになっていた涎を慌ててハンカチで拭うトリアリス。
つい、いつもの調子で妄想にふけってしまい、当初の目的をおざなりにしそうになっていたことと、完全に緩みきった顔をアードロフに見られてしまった事への羞恥で顔が赤く、熱くなる。
「な、なんでもないわ! それよりアードロフ。街に着いたらまず何をするの?」
まさに今その話をしたはずのアードロフはその切り替えしに半ば驚愕するが、気を取り直してもう一度言う。
「まずは馬車の手配だね。夕方までには戻りたいからこれは必須だ。あとはもっと目立たない衣類に、喪服も揃えたいかな」
「この服ではダメなの? 王都って結構身なりに厳しいのね」
トリアリスの理解は若干違っているものの納得。
お買い物もしてみたかったのでそれでもいい。かぼちゃのシチューは帰りでもいいだろう。
そう話しているうちに大きな門の前に到着、沢山の馬車が控えている。
「アードロフ、ここは?」
「この門の向こうが王都だよ。ここは馬車の積み荷の検品をしているんだ。ここから先への積み荷はお城に持ち込まれる物だからね。トリア、僕は馬車の手配をしてくるからここで待っているんだよ」
「ハーイ」
手配というけれど、猫なのに相手にしてもらえるのだろうか? などと思いながら門への階段に腰を落とす。チョコンとそこに座りおとなしくアードロフを待つ――。
と、見せかけて門をくぐり抜けて王都へ猛ダッシュ!
アードロフの言いつけを即反故にした。
が、トリアリスにはこれに対する言い訳がある。
確か、保護者は子供から目を離してはいけないのだ。監督不行き届きという罪だ。私は悪くない。
そんな浅はかな理論武装で駆け出した先。遂に王都に到着。
とたんに沢山の人が行き交い、露店や商店が立ち並ぶ。建物は大体が何かの商店なのかどれもニ階建ての様に見え、恐らくニ階が居住空間で下が商店なのだろう。
とても活気があり、ところどころで喧騒の様な声も聞こえる。
「…………」
こんなに多くの人間をトリアリスは見た事がない。
お城の関係者の顔と名前は全て記憶しているトリアリスは、王都に着いたらそこにいる皆の顔と名前を憶えて仲良くなりたいと願っていたが、その数の単位を完全に間違えていた。王都に足を踏み入れて第一歩でこの人数。街中の人間を把握するのに何年かかるのかわからない。
まさかの事態にその場に立ち尽くし、完全に出鼻を挫かれたトリアリスは一時撤退を決意。
「……あ、アードロフの言いつけを守らなくっちゃ」
今更いい子を気取るため、門の外に戻ことにした……。
「――あれ、本当にちゃんと待ってたの?」
馬車の手配を終えたアードロフはニタニタしながらトリアリスに聞いてくる。
彼からしたらトリアリスのここまでの一連の流れは手のひらの上なのであろう。その萎縮した様子から大体何があったのかを察していた。
「ば、馬車を見たかったの! とっても! あっ……」
「ラーフ、この方が例の?」
聞きなれない声を発する見慣れない男がアードロフと歩いてくる。
「ああ、シーフス。丁重にもてなせよ」
アードロフをラーフと呼ぶその人物は肩までの白髪を揺らし、赤い瞳が印象的などこか幸の薄そうな雰囲気を漂わせた人物だ。五十代以上にも見えるのだが、三十代前半だと言われればそう見えなくもない、なんというか存在が酷くぼやけている。白いシャツにクリーム色のズボンをはいていて、全体的に白い。そこに浮かぶ赤い双眸だけがやたらと存在を主張していた。
「こんにちは。姫殿下。初めまして。僕はシーフス・H・シトラスだシーフスでいいよ」
「はじめまして。私は王国トロイアート時期女王トリアリス・L・トロイアートです。シーフスはアードロフとは仲良しさんなの?」
「腐れ縁かな。ラーフは何かあると僕をすぐに頼るんだよ。まあ、僕も仮りが多いから無下には出来なくててね。それでって感じ。今はラーフの伝手で行商人をしているんだけど、これでも昔は大魔術師なんて呼ばれてたんだよ」
「そうそう、シーフスは魔法都市の生まれでね。過去の災害の弊害で未だに少し浮いたままの都市を着地させようとして魔力を暴走させて以来、魔力を使えなくなっちゃったんだ。笑えるだろ。それでたまたま通りかかった僕が助けてあげて、魔力を失って何もないこいつをこっちで行商人にしてあげたってわけ」
「あぁ! シーフス! はいはい、聞いたことあるわ。アードロフのとっても仲良しの男の子。小生意気でクールを気取っている嫌な奴って人! なんだかお話の印象とだいぶ違うからわからなかったわ。よろしくねシーフス」
トリアリスにはその名前に聞き覚えがある。以前アードロフの魔法都市での冒険のエピソードに出てきたそれだ。
しかし、アードロフは基本自身の活躍談しか語らないため、トリアリスにはシーフスの活躍談は語られていない。どころか、顔がいいので当てつけがてらその扱いは物語においてかなり情けない方向に誇張されていた。
でも、トリアリスは物語に出てくるシーフス少年のことが嫌いではなかった。それは恐らく、アードロフ自身の心情がまさにそうなのであろう。
なにかと狡猾な企てをするのに何故か憎めない、それでいてほっとけない少年。
全ての才能を失ってしまっても健気に生きる頑張り屋さん。トリアリスは初対面のシーフスに既にそんな印象をもっている。
「ラーフ、姫殿下にどんな風に僕を語っているんだい?」
「僕は事実しか語らないよ? 魔力をなくした君が泣きべそをかいたのも、魔力をなくきた事をしばらく街に隠して見栄をはっていたもの事実だろう?」
「この化け猫め……」
トリアリスからしたら物語の中から飛び出してきた人物。旧知の仲である彼らのやり取り、それはお話の中でも何度も交わされていたものであり、その会話に自分が今加わっていることがうれしかった。
「おほん、さて、姫殿下。大体のお話はラーフから伺っています。アムルー森林の神樹までの道のり、このシーフスにおまかせください」
シーフスは悪戯っぽく、にっと口角を持ち上げて笑いながら馬車に片足をかけて手を差し出す。
その表情がアードロフとそっくりなことから、アードロフの精霊術による人間の表情の模倣。それはシーフスのそれを意識しているのかもしれない。
そんな事を思いながらトリアリスは馬車の荷台に乗り込んだ。