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猫と王女と  作者: 大熊猫大輔
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第4話 「実技指導と実路と」③

 月の光が照らす世界は、昼よりずっと静寂に満ちている。

 空に輝く星々と同じ様な輝きが民家の営みから漏れていて、そのそれぞれに日常の生活の物語があるのだろう。そんなことを思いながら夜の城下を見下ろすのもトリアリスは好きなのだが、今宵はそうではない。


「それで!? どうなったの!?」


「……それから彼女は、丁度このお城の一番高い塔くらいの高さの時計塔から落ちた我が子を救出すべく直滑降、塔の壁面のレンガがまるで地面であるかの様に平行して最高速度で降下! あと少しで迫りくる地面と体がぶつかる、その一歩手前で何とか子供をくちばしでキャッチ! 体を捻って、降りてきた塔を目印しに今度は急上昇、ギリギリの所で事無きを得えたんだってさ」


 一人と一匹と一羽が、ベッドの上で輪になって談笑している。



 ――あれからすぐに迷い込んできた青い鳥に治療を施し、その数分後にはトリアリスも戻って来た。

 いつも食事も入浴も長々と時間を掛ける彼女にしてはあまりにも早い帰還。

 頬はまだ湯上りで紅潮しており、薄青色の髪の毛もまだ乾ききっていない様子、普段は綺麗なストレートロングも濡れるとやや丸みを帯びて実年齢はもちろん、更に幼い精神年齢にもそぐわぬ艶めかしさを醸し出している。それでも浮かべる笑顔は酷く幼い。


 恐らく使用人の世話を振り切って、慣れない体拭きを自分で見様見真似でやって急いで戻ったのだろう。

 片手には水の入ったコップ、反対の腕には白パンを三つも抱えていた。


 そしてトリアリスが客人の鳥の様態を心配し、無事を確認すると次は客人をもてなす手順を思いつく限り一通りこなす。そして今に至る。


 外の世界と接する機会が極端に少ないトリアリスにとって、いや、そうでなくとも、空を飛ぶ生き物と意志を通わせ、その物語りを空の視点から聞く機会というのは中々あるものではない。

 アードロフから聞く外の世界のお話とはまた違った新鮮さがある。トリアリスは空の世界を自由に飛び回る光景を想像しては、どうして自分には羽が生えていなかったのかと心底悔しがる。


 ――もし今、羽が生えて来たならば、アードロフを連れて自由に空を泳いで二人でお城の部屋のベランダから飛び出して、いつかお話しに出てきた商業の街、メリビアの都市に行くのだ。そしてそこにあるとされるアレグロ教会の青銅の鐘、あれを直接叩いて鳴らしてやろう。着くのはお話しの内容から距離を察するに、急いでも朝方になってしまうだろう。正午を告げる鐘の音が朝に鳴ったらきっとみんな大いに驚くに違いない。


「ありがとう鳥さん。とっても楽しいお話しだったわ。まるで本当に空を飛んできたみたいな気持ちよ」


「ヒヒヒヒッ」


「……えっと、こちらこそお話しが出来て楽しかった。人間のお嬢さんに鳥の生活をお話し出来る日が来るとは思ってなかったから。……だそうだよ」


 お株を奪われつつあるアードロフには言いたい事が沢山ある。が、この場は変に口を挟まずあえて自分を殺して両者の通訳に徹していた。


「それでね。えっとね。あなたとお話しが出来て私とっても楽しかったの。それでね。えっと、もし良かったらなんだけど。えっと、私と、お友達になってくれませんか? あなたともっとお話しがしたいの。だから気が向いたらでいいからいつでもここに来てちょうだい。アードロフがいない時はお話しはできないけれど、それでも一緒に居るだけでも楽しいと思うの! もしあなたが望んでくれるならここに一緒に住んでもらってもいいし、それに私あなたに――」


「トリア」


「あ、う」


 いつもより少し強めの口調でトリアリスの言葉を途中で塞き止める。

 こういう時は大体自分が悪い時であると経験から学んでいるトリアリスは、その精悍な顔を目一杯幼げに歪めて叱られた子供の様に黙り込む。


 アードロフはまた流暢に鳥語を紡ぎだす。恐らくは今のトリアリスの言葉をうまく伝えているのだろう。


「トリア、彼女も君の好意はとてもうれしいそうだ。でも彼女にも都合がある。特に彼女は渡り鳥だ。時期が来ればまた東に渡らなければならないし、離れた群れの方も彼女を心配していることだろう」


 でも! っと聞き分け悪く食い下がろうとするが、すんでのところで思いとどまり、相手の立場や気持ちをあらためて考えるトリアリス。


「そうよね、ごめんなさい。無理に引き留めようとしてしまったわ。でも、あなたと会えたことは私本当に幸せよ。またいつでも来てちょうだい」


「――こちらこそ本当に楽しい時間をありがとう。また来年。ぜひ寄らせていただくわ。おいしいお水とパンもありがとう。だって」


「うん。待ってる。……もう、行ってしまうのよね?」


 そう問いかけられてすぐ。まだその言葉を翻訳される前に青い鳥は頷いた様な仕草を見せる。

 それを見てトリアリスは切なげな笑顔を見せて理解を示す。


 来た時と同じ窓を空けると、夜の闇に冷えた風が室内を蹂躙。ろうそくの炎が突風で吹き消えたかのように、室内の暖かさが一瞬で消失。トリアリスは寝巻き用の衣類に更に羽織ったガウンを抱き寄せる。


「それじゃあ、さようなら鳥さん。元気でね。怪我は本当に大丈夫?」


「大丈夫よ、本当に色々ありがとう」


 緩みかけていた足の包帯を、トリアリスは綺麗に巻き直してあげる。


 最後、アードロフも来客に言いたい事があったのだろう。少し長く鳥語による会話を交わし、その後、鳥は会釈をするような仕草をして、青い羽を大きく広げまだ明けぬ空へと飛び立っていった――。



 ※ ※ ※ ※



「さ! 支度ができたわ! 行きましょうアードロ……先生!」


 久しぶりの外用の靴。普段のヒールよりその丈が短いことから、これから向かう場所はあまり歩きやすいとは言えない場所なのだろうことがうかがえる。いつものドレスや法衣ではなく質素で汚れることを前提とした装いのドレスだ。

 普段ならこのあと外で行う薬草学は講師が別で、トリアリスにとっては大事なアードロフのお話の時間を奪う忌まわしい講義だった。

 それでも合法的に外に出れる数少ない機会であるという点のみが、これまで彼女の足をかろうじて動かしていたのだが今日は違う。


「分かったよトリア。しょうがないなぁ。もう」


 この日は本来の薬学講師が私用によりお休みのため、アードロフが引き続き代わって講師を務める。

 正直あまりいい人選とは言い難い。

 何せさっきもアードロフと言いかけた。これはもはや彼女がこれから行うのが授業であるということを半ば失念しているからに他ならない。


 というのも数日前の来客事件以来、アードロフが人間だけでなく、別の種族とも会話による意思の疎通が可能だという事実が、トリアリスに露見してしまったのだから。


 そこからのトリアリスは実に見事だった。

 鳥の来客が去ったあと、しっかりとアードロフに通訳してくれたことをお礼。


 そして、


 そんな特技を持っているなんて素敵ね! と。

 一体どうやったら身に着けられるの? と。

 どれくらいの時間をかけたの? と。

 まさか他の生き物の言葉も分かるのかと……。

 例えば薬草園の土の中の芋虫も言葉もわかるのかと……。


 その全ての問いかけに、浅はかに、そして鼻を高くしながら、もちろんそのくらい朝飯前さ。なんて返答したあの時の自分をアードロフは殴りたい。


 そんなやり取りをした次の日の朝には、今日の薬草園の講師の私用による休みとアードロフの代理が決まっていたのだ。



「ほらこっちよ! アードロフ薬学講師!」

「今日はここの薬草花壇の手入れをします! 今植わっているお花は少し別に移して……そしてここに植わる薬草の効能を先生は私に教えます! いい?」


 なぜか講義の進行の全権を握っているトリアリス。

 よほど調子に乗っていると見える。こういう時は調子に乗りすぎて痛い目を見るのが毎回の事なのでアードロフは少し意を決してトリアリスに注意を……。


「トリア?」


 先ほどまであれ程浮かれ、はしゃいでいたトリアリスが突然硬直した様に動かない。

 金色の瞳はまるで感情を置き忘れてきてしまったかの様に陰っており、ただ一点を見つめている。


 ――まさか、


「トリア……」


 次第に肩を震わせ始めるトリアリス。作業用で質素とはいえ、民衆からすればとても豪勢なドレスの裾を強く握りしめ、下唇を強く噛み締める。視線は鋭く一点を凝視しているが、その瞳が徐々に薄い水幕に覆われて潤みだす。


 鳥の死骸。


 青い羽根を携え、片足には人の手で施された治療懇が見てとれる。

 見間違えるはずがない。最後に足の包帯を巻き直したのは他ならぬトリアリスなのだ。


 少女の胸中に、さまざまな感情の奔流と疑問が渦を巻き、嵐の様に吹き荒れる。

 目の前の光景を理解できない。まず原因がわからないのだ。なぜこうなってしまったのか。わからない。

 そして何かの間違いであってほしい。痛ましいことではあるが、それでもこの遺体が彼女の知るあの予期せぬ来客ではない事を願い、その根拠を必死にさがす。


 受け入れがたい現実の光景に背を向けた思考とは逆に感情は素直だ。悲しい。悔しい。痛ましい。悲しい。哀しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。悲しい。



「トリア。黙っていて本当にすまない。悲しませたくなかったんだ。そして、これは彼女で間違いない。そもそも彼女には足のケガとは別に、もう死期が迫っていたんだ。だから群れを離れ、死に場所を求めていた。本来彼女はこの城の裏手にあるアムルー森林の神樹に宿って終わりを迎える予定だったそうだよ」


 しかし、足の予期せぬケガに見舞われ、無理を押しての飛行により今回の来客となってしまったのだ。

 精霊術を体得しているアードロフは、その鳥をシャンデリアで見かけた瞬間から、その命の残り火が僅かであることを悟っていた。そして会話により、彼女の状況を知り、取引きをしたのだ。


 アードロフは彼女の願いである死に場所への到達。そこまで行くのに必要な分の余命の延長と怪我の治療を提示し、代わりにトリアリスに軽く空の話を聞かせて欲しいと願い出たのだ。


「そして昨日の事だ。彼女が僕の元を訪れた。驚いたよ。もう神樹に着いた頃だと思っていたから。そして彼女から君に言伝を預かった 」


「……なんて?」


「大事な事を言い忘れてしまったと。私にとっては当たり前の空のお話を目を輝かせて聞いてくれたこと。わたしの飛んできた物語を。私という物語を。私が生きた証を。私が過ごしてきた生涯を、最期にあなたに聞いてもらえたことが本当にうれしかった。そして、はじめての人間の”友達”が出来て、本当にうれしい。てさ」



 視点は遺体をとらえてはなさない。


 噛みしめられた下唇は力の強さに血流を止められ青白くなっている。

 目瞬きをせず、目一杯に溜めた涙は遂にこらえれずに決壊する。


「ゔーーー、ゔーーー」


 同時に唸るような泣き声が未だ閉じられたままのトリアリスの口から漏れ出す。


「……トリア、涙を」


「……分からない」


 今、なんて言……


「おそわって……ない」


 アードロフの顔から表情が消える。

 そしてハッとした様に、かつて無い程目を見開く。



 為政者として、民衆の上に立つ者はむやみに感情を表に出してはいけない。

 特に悲しみ。その象徴である涙はそれを見た民衆に”弱さ”を露呈することになる。


 為政者とは常に強くあらなければならない。

 そんな本をどこかで見知って以来、彼女は泣きそうになると

 口をぎゅっと結んで泣き声を。

 目を見開いて涙を、それぞれ塞き止めてきた。


 しかし、いざ涙を流してしまったとき、声を上げて泣いてしまったとき、その対処法までは記されていなかった。だから彼女はわからない。この現状を打破すべく術を持たない彼女は、それでも溢れる涙を、漏れる泣き声を、せめて今以上は漏らすまいと務めることしかできない。


 彼女は『涙を拭う』そんな誰もが知ってるはずの当たり前の仕草をこれまで知らずに生きてきた。


「アードロフ……私は泣いてはならない。強くなければいけないの。でも……どうすればいいの」


 当たり前の事だ。流れる涙をぬぐうのは当たり前の事なのだ。

 しかしトリアリスはそんなことも知らなかった。

 そしてそんなことすら知らない。教えていない自分に、今の王国のトリアリスへの対応に、トリアリスを取り巻く状況に。激しい怒りがこみ上げる。


 アードロフは彼女を一人前の女王にするための努力は惜しまなかった。適度にサボらせ、気をまぎれさせるのも、その方が勉学の吸収効率が良いからだ。

 もちろん愛情をもって接していたし、愛おしいくも思っている。


 だが、彼女が一人の人間としてこうまで欠けていることに、これまで気が付けなかった。

 このままでは彼女は政治をこなすだけの機械になってしまう。


 彼女の母にもそんな一面があった。確かにそこにも公私を分ける以上のものが見え隠れしていたが、一人っ子のトリアリスを取り巻く今の隔離体制は先代の比ではない。


 ――今ならまだ。


「トリア」


 アードロフは優しく名前を呼ぶ。そして彼女を壊さない様に言葉を選ぶ。


「そんな時は、顔を洗えばいいんだよ」


 そう言われてトリアリスは、今も裾を握りしめて離さない自身の両手を見た。

 少しずつ力を抜くと握りしめていた裾が両手から落ちる。


 両手を適度な硬さに握り、それを更に内側へ丸める――

 決して爪が出ないように気を付けながら両手で交互にしっかり顔をこする――


 目元は慎重に――丁寧に。


 涙が拭われる度に痛ましい姿が鮮明にその目に映り、また涙があふれてくる。


 何度も何度も、何度も何度も、まるで猫が顔を洗うかのようにトリアリスは涙を拭う。

 口を大きく開けて、お城にも届いているのではないかというくらいの大声をあげながらトリアリスは泣きつづけた。






「トリアリス。君はきっと、優しい女王になれる」

長くなってしまいました。

これにて「実技指導と実路と」終了です。

感想、批評貰えると血反吐吐いて喜びますので

ぜひ、お待ちしております。

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