第11話 「ごめんねとありがとうと」⑦
「――さて、着いた。ここからは馬車は入れない。徒歩で向かうしかない。とは言えもうすぐそこだけどね」
「ありがとうシーフス。アードロフ? 着いたわ。大丈夫?」
「うん。揺れさえ収まれば大丈夫なんだ。直ぐに良くなるよ。心配かけたね」
シーフスが馬車を木に繋ぎ、空いた手でトリアリスを馬車から降ろす。
トリアリスはそれからすぐに荷台の幌をめくり、中の猫を確認すると、のそのそと歩き、馬車の荷台からアードロフが飛び降りる。揺れない地面が恋しいのかその場でゴロゴロと転がっていた。
アムルー森林は広大だが、その土地は王国に帰属しており、神樹や神殿跡地、泉など、その位置や全体像は大体把握されている。道が整備されているわけではないが、それでも人の往来がそれなりにあるせいだろう。踏み固められた地面には草木が少なく、ぼんやりと各名所に通じる道線が浮かび上がっている。
生い茂る木々に空から当てられた光が遮られ、僅かな木漏れ日と、葉を通って緑がかった光だけが世界を照らす。
「丁度正午くらいだね。これでもここはこの時間が一番明るいんだよ。とはいえ足元には十分気を付けるんだよトリア」
ようやく普段の調子を取り戻しつつあるアードロフ。しかし、しっかりとシーフスの右肩に乗っかっており、未だにダルそうな表情。乗っかられているシーフスの方も右肩下がりになりながら、同じようにダルそうな、いや、重そうな表情だ。
「近くで見ると本当に大きいのね……」
鬱蒼と茂る木々を避けるように続くぼんやりとした道線を、足元を見ながら歩く一向の目の前がいつの間にか開けたかと思って視線を先に向けるとそこには壁、いや。
一瞬壁かと見まごうほどの幹を有したその樹木は、それが木であると意識したとたん不思議と圧迫感のようなものが消えて、どこか親しみ安さすら覚える感覚を見る者に与える。
「……よし、トリア。じゃあ始めようか」
「……そうね」
そう言うとアードロフは神樹のその根元、大きな根の浸食により隆起された大地を避け、なるべく平らなそこまで、とてとてと歩いて向き直り、トリアリスに促すと素直に頷いた。
ここに来た目的。
それはトリアリスの部屋への予期せぬ来客となった青い羽根を携えた鳥の埋葬。
神樹に宿って終わりたい。その最後の願いを叶える為。
その為にトリアリスは始めてお城を自分の意志で抜け出し、屋根を渡り、門を超えて、地面を踏みしめ、馬車に揺られてここまで来た。自ら負った責任。それに伴う義務を果たすため。
トリアリスにとって始めての外の世界とは期待や念願その高揚感を伴いながらも、それ以上に強い使命感と目的意識に突き動かされてのものとなった。
トリアリスがその身に羽織った白いローブを脱ぐとシーフスがそれを預かる。
「姫、緊張なさっておられるのですか?」
「緊張……してるのかな? でもこれは私がやらなければならない事だから。そのために私は――」
「姫、気負うことはない。これは、ただのお別れ会だ。最期に魂で楽しくお話をしてくればいい。それだけだ」
「……でも、あの子は私のせいで――」
「魂の最期の在り処を選ぶのは、それが何処であってもいつもその魂の持ち主、本人ですよ。だから大丈夫です」
トリアリスの言葉を、まるでことごとく遮るかのようにシーフスが言う。その普段より少し低めの発声は優しく、そしてどことなく憂いを帯びていた。
――木の根元には浅い穴が掘られている。それはトリアリスがシーフスとの会話中、アードロフが一生懸命掘ってくれていたものだ。
「ありがとう。アードロフ」
「力は貸すよ。でもここから先は君のお役目だ、頑張ってね」
そう言うとアードロフはその場にしゃがんだトリアリスの背中に飛び乗る。
そして、一度大きく瞬きをすると世界が一変。神樹を中心に開けたその場所はおびただしい量の妖精が浮遊し、不規則な点滅を繰り返し、なんとも幻想的に風景を染め上げていた。
それは精霊であるアードロフが視認する世界。生命力そのものに惹かれる妖精がその場を埋め尽くすかのように漂っていた。
青い鳥が納められた小さな棺それをトリアリスは持参していたバックから取り出してアードロフの掘ってくれた穴に埋め、その上にお城からくすねてきた大理石のプレートをそっとのせた。
両手を合わせ、そして握り、祈りを添える――。
トリアリスの周囲に妖精の光が集まる。集まる。集まる。集まる。
集まるとそこは一面、金色一色の別世界に変わってしまったのだろうか。外界を一切視認できなくなる。
自身の体の視認すらできなくなってゆき、四肢の感覚も曖昧になった世界、五感も麻痺しているのだろうか酷く朧気な意識だけになる。
寄り集まった生命力はトリアスの前で更にもう一つの形を成す。羽根が形造られ、頭部が生まれ、まるでそれは……。
「久しぶりね。トリアさん」
「あ、えっと……うん。久しぶり」
突然の邂逅。
それでも二人はそれぞれがお互いの知る相手であると認識できた。言葉が交わせている事にも、今はその不思議な状況の一切が気にならない。
「わたし、あなたに謝らなければならないことがある。わたしのわがままのせいであなたは悲願を叶えることが出来なかった。本当にごめんなさい」
「……私たちが今こうして会えているという事は、私を神樹まで連れてきてくれたのね。……って事はばれちゃったのね。青いお花の花壇だったからうまく隠れられたと思ったのだけれども。……本当に何から何までありがと」
彼女が予期せぬ来客となり、そしてアードロフに生命力を分けてもらい、窓を出た時点では、神樹までの片道に十分な余命を残していた。そして彼女も途中までは確かに神樹を目指していた。
結果として彼女は西区の真ん中を少し過ぎたあたりでその道を引き返す事になるのだが、何が彼女をそうさせたのか。
青い羽根の鳥に対して人間がとる行動の一つ。そしてその最たるものが捕獲である。
観賞用に捉えられてしまえばその生涯は小さな籠のなかで過ごすことになる。
自由に空を飛び、空の青と交わるはずのその青さは籠の中で物珍しさという視線に晒れる事が目的となり果てる。
彼女の三羽の子供の中の一羽もそんな末路を辿っている。
弱肉強食の彼女らの世界にあってはそんな事は日常茶飯事、だからと言って殊更人間を憎む様な事はなかったが、その認識は危険対象のそれである。
故に足の痛みに気を取られ、ふらついて入ってしまったそこが人間の住処であると悟った時の絶望感は想像を絶するものであった。
最期の最後にやらかしてしまった。道半ば、それも人間に捕らわれて看取られて終わるのだと。途方に暮れているしかなかった。もしかしたらあの窓がまた開くまでここでじっとしていれば、あるいは脱出できるかもしれない。
しかし、そんな希望も儚く散り、舞い落ちた青い羽根によりその存在がばれてしまった。
自身の色をこうまで呪ったことは無い。もっと地味な色ならあるいは羽毛布団のそれではないかと見逃されたかもしれない。
その後の展開こそ彼女の想像を完全に超えるものだった。
なぜか鳥の言葉を知る猫との会話、そんなことは聞いたことがない。生命力を分ける? 取引き? いったいなんだというのだろう。
そして自身を発見しておいて、籠に捕らえるわけでもなく、足の治療を施し食料を分け与え、水を補給させ、いったいどんな対価を要求するのかと思えば、お話をきかせて欲しい? 友達になって欲しい? ――。
籠の中の鳥――。
彼女にとってトリアリスは何故かそんな風に見えた。
美しい薄青色の髪と金色の瞳、華奢な体躯に似合わぬ挙動から溢れる生命力、それらは種族の垣根を超えてその存在を美しいと、愛おしいと思わせる程のものだった。
だから、もしかしたら自分の子供も捕らえられた先で、思っていたよりも酷い扱いは受けていなかったのではないか? そうならいいな。っと彼女は願うのだ。
そしてそんな人間の少女からの友達になれないか? との問いかけ。その内心の戸惑いをあの猫は見抜いていた。余命の事もそうだが、それとは別に人間と鳥の間にある距離感。これに戸惑わない訳がない。
そしてその答えを保留したまま旅立った。
生命力を分ける。という事が具体的にどういうことなのかは解らないが、それでも足の痛みは和らぎ、霞んで見えた視界もはっきりしている。問題は無い。
それでも、あの人間の少女の最後のさみしそうな顔がちらつくのだ。生涯分かり合えない種族であると思っていた人間の少女が、いつか捕らわれてしまった自身の子供とだぶるのだ。
そんな少女に自身の生涯を話せた事で救われた。
だから引き返す事を決めた。まだ言えていない事がある。だから。
ここで引き返せば神樹にはたどり着けない。それでも――。
そして彼女は城に引き返し、アードロフへとその想いを託したのだ。彼ならトリアリスを傷つけない。うまく伝えてくれるだろうと。
なるべく遠くに離れよう。あの少女に自身の死を悟らせてはならない。なるべく遠く、目立たない場所に――。
その後、そんな彼女の最期の視界に大きな花壇が映ることになる。
あそこなら目立つ事はないだろう。そう思ったのだ。
あの花壇、薬草園の花壇の薬草は空のように青い花を咲かせていた――。
「ふふっ。そんな事考えてたの? 本当に優しいのね。……ねえ聞いて。今度は私があなたに話したい事があるの。あなたが私にくれたここまでの冒険のお話。わたしの話。わたしの物語を――」
束の間の邂逅。それは泡沫の夢の様な時間、きっとこの光の世界が終わってしまえばここでの出来事はまるで覚めてしまったあとの夢の様にぼやけて消えてしまうだろう。それでも、今この瞬間を大切にしたい。
言葉にせずともお互いの思考が、意識が、そのまま伝わるその世界で、それでもそうして話す二人はまるで長年付き合いのある友人であるかのように、永遠にも似た一瞬を過ごすのだった――。
※ ※ ※
――「トリア? トリア!?」
「……アードロフ?」
体が光の粒に包まれて、五感が遠のいていって以降の記憶が判然としないトリアリスは辺りを見渡して、そこが意識が離れる寸前の状況と変わらない事を確認する。
あまり時間は経っていないような、そして永い永い眠りからようやく覚めた様な感覚に体が少しずつ追いついていく。
「わたしどれくらいこうしていたの?」
「実際時間は一瞬だよ」
「そう」
あの邂逅の時間はトリアリスの中では判然としない夢の様に、こうしている間にも消えてゆく。
それでもトリアリスの表情からはそれまでの重責に潰れそうな重荷が取り除かれたかの様に晴れていた。
「ちゃんとお別れできたかい? 言いたいことは言えたのかい?」
「うん。できたと思う。あ、それはこれから言うの」
トリアリスは墓石に文字を刻む。
――我が友ヒリアここに眠る――
その名は聞きそびれてしまった友人の名であり、意識が戻ったトリアリスの脳内になぜかストンと響く名前であった。
「こんな簡素でごめんね、本当はもっと立派なものを建ててあげたかったのだけれどもなかなかうまくいかなくて」
「それから――お友達になってくれてありがとう」
それだけ言って立ち上がり、着慣れない喪服の内側へ首元からハンカチを入れて汗を拭う。
そんな仕草がアードロフには、彼のよく知る別の人物の仕草と重なる。
「トリア、少し――背が伸びたんじゃないかい?」
馬車に向かって歩き出していたトリアリスは言われてその場で立ち止まり、右足を軸に綺麗にターンしてアードロフの方を向き――
「――いまさら?」
っと口角を上げて少し悪戯っぽく笑顔を作った。
自身の意志で外に出て、自らの力で城を降り、人の力を借りてここまでたどり着いた少女の初めての冒険は、友人へのごめんねとありがとうを告げるためのこの冒険は、籠の中の少女を少しだけ大人にしたようだった。
ごめんねとありがとうと これにて終了です。
ここまでお付き合い下さった皆さんありがとうございます。
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