第10話 「ごめんねとありがとうと」⑥
慣れない馬車に強く揺られているはずのトリアリスはしかしそんな事はお構いなし。
シーフスに抱っこのかたちで座り、馬車の手綱を握らせてもらい、すっかり自分で馬をコントロールしている気分だが、その実、コントロールしているのはシーフスであり、やはり手綱を握らせてもらっているだけである。
「……にしてもシーフス、君が子供の面倒を見るなんて意外だな」
そういうアードロフの尻尾はしなだれており、馬車の揺れにかなり体調を崩している様子。
「何を言うんだラーフ、姫は君が思っているよりずっとしっかりした立派な大人の女性だよ」
「…………トリア、今すぐそこを退くんだ。その男は危ない。安心していい。僕が始末しとくよ。欠片も残さない」
「大人!? 女性!? シ、シーフスはお上手ね。アードロフもありがとう。でも大人しくしてた方がいいわ。もっと気持ち悪くなっちゃうから」
シーフスの不穏な発言にアードロフは明確な敵意を向ける。
普段子供扱いされる機会が多いせいか、不意の大人扱いや女性扱いに頬を赤く染めるトリアリス。
しかし今は馬車の操縦ごっこで忙しいせいか、どちらにたいしてもややおざなりな反応を返すに留まり、その神経の八割は馬の挙動に向いていた。
「ねえシーフス? 他にはアードロフの弱点は無いの?」
「まだまだあるとも。よくもまあ、これだけ長い期間隠してこれたと感心するほどだ」
馬車は現在、王都の積み荷の検品所から外に出てアムルー森林の入り口付近を走行中。
まだ森とは言えないまでも木々が多くなり、野生の獣がちらほらと視界にはいる。
トリアリスは白いローブを羽織り、中には黒い喪服を着用している。どちらもシーフスが調達してきたものだ。
普段自分で服を着ないため、かなり長い時間を掛けてそれらを何とか着こなし、長く薄青色の髪は三つ編みを結ったものを後ろで束ねて漆黒の蝶々の髪留めとゴムで留めている。これもシーフスにやってもらった。
布で覆われた馬車の荷台では外の景色が見れない為、トリアリスは着換えが完了して以降はずっとシーフスと手綱を握りながら色々なお話をしていたが、そのほとんどがお互いのアードロフへの普段の愚痴である。
アードロフのここが嫌。そんな会話を、普段なら黙っていないはずの薄茶色の体毛の猫はその身を低くして荷台で聞いているしかない。
「まさかアードロフが乗り物に弱いなんてねー。ほんとに意外だわ」
「足裏が浸かる程度の水も嫌いだね。それにエノコ草という雑草があると面白いものが見れる」
これまでトリアリスに、ひた隠しにしてきた自身の弱みや都合の悪い事実や逆らえない習性。それらが次々に友人の口から暴露されていく事に抵抗も出来ないアードロフ。
しかしそうと分かっていながらも、トリアリスの為に馬車に乗るという選択を迷わない所がなんともこの甘やかしすぎな猫のらしいところである。
「シーフス、他にはなにかお話はある?」
「んー、あぁ、そういえばここ最近だけど”幸せの青い鳥”ってお話があるよ」
トリアリスの顔が一瞬こわばるのをシーフスも感じたが、その後を話す。
「数日前だけどね。王都の西地区で珍しい鳥が目撃されていたんだ。なんでもその鳥は青い羽を携えていたそうだよ。足に白いテープ? が巻いてあったそうだが人に飼われている様な様子もなくてね。まるで頻繁に体を休めるかのように色んな家の屋根や庭先にとまっていたそうだ」
治療をしたとはいえ、そしてアードロフに生命力を分けられたからといって、やはり万全ではなかったのだろう。街をひと息で超える事が出来ず、何度も休憩したに違いない。
「……そう。それで、どうして”幸せを呼ぶ”なの?」
「ぼくがこの話を聞いたのは、よく朝食のパンを買いに行く夫婦の店にいつもの様に行ったときだ。その夫婦は、まあ、しょっちゅう小さな喧嘩をしているのだけどその日はやたらと穏やかでね。で、何かあったのかと聞いてみたら案の定その前日も新作のパンの名前をどうするか、でもめていたらしい。だけどそこに外の庭の木に青い羽根の鳥がとまったそうだ。それを見た主人は咄嗟に口から『美しい』って声が漏れたそうだよ。そのタイミングでちょうど寝室から奥さんがドアを開けてリビングに入ってきて、自分に言われたと勘違いしたそうだ」
もちろん、パン屋の主人も奥さんを愛している。世界で一番愛していると、君は美しいと、そう簡単に口に出せたら男はどんなに楽だろう。
小さな喧嘩も言い合いも、毎日の一日をその一言を添えて終われるなら、次の日に憂鬱な前日のしこりを残す事なんてないのだろうに。
男という生き物は、そこまでわかっていながらそれでも素直になれないのだからなんと怠惰なのであろう。
口に出されずとも、その態度や姿勢から愛されている自覚はある。それでも言葉を求めてしまう女という生き物はなんと強欲なのであろう。
偶然だろうとタイミングだろうと、勘違いだろうと怠惰だろうと強欲だろうと、確かにその一羽の青く美しい鳥は、その美しさでもって確かに幸せを届けていた。
「そんな話が西区では沢山でてきてね。まあ、ほかの話もそんな感じで似たり寄ったりだよ。純粋な美しさっていうのは、ただそれだけで見るものに幸せをあたえるからね」
「そうね。とっても素敵なお話ね」
「ああ、主人も言っていたよ。今度見かけたら是非ありがとうとお礼を言いたいと」
自然界に”青”というのはあまり見ない、だから多くの生き物は自身の体をあえてその目立つ色にしない。それはおよそ外敵の襲撃を招きやすくなる結果を生むだけだ。
それでも世界を彩ろうと彼らはその身を染めるのだろう。
「なかなか今日の様な外出も難しいのだろうけれど、もし機会があればそのパン屋へも後で案内しよう。小豆も砂糖も貴重なんだがね、そこの店ではふんだんに使われているんだ」
恐らく、普段からその数倍の質の良さを持つあんを使ったパンがお城の食卓には並んでいるに違いない。
それでも夫婦で言い合いながらも協力作業をして、まだ夜が明ける前に拵えられただろうパンが店に並ぶ。
それを寒い早朝、吐く息を白くしながら道を歩き買いに行き、まだ出来たてで、二つに割るとあんから湯気が立ち上る。そしてそんなパンを食べる自身を想像するとトリアリスはそれだけで胸の奥が言い知れぬ温もりに包まれ、満たされてゆくのを感じた。
『素敵ね。是非お願いするわ。シーフス、ありがとう』
「僕の家は西区の外れに位置していてね、自分の家にも来るかもしれないと待っていたのだけれど、来なかったね。西区の中心を少し超えたあたりまでは結構頻繁に目撃されていたのだけれど、残念だよ」
「それはきっと、シーフスが十分幸せだからよ」
「……そうかな。 そうならいいな」
振り向き、残念がるシーフスを慰めるかのように、自身より高い位置にある頭を下からポンポンと撫でる。
シーフスははにかんだように、にっと口角を上げて笑顔を見せた。
そして向き直るトリアリスの暖かい心中に、だけど一つだけ小さな蟠りがぽつりと残った。
――でも、それなら、あの子に幸せを届けてくれるのは、いったい誰なのだろう――と。




