思考少女は床の上 “病名”
病名がつかない苦しみを持つ人がどれだけいるだろう。特に心の苦しみは難しい。どんなに本人が苦しいといっても他人にはわからないし、病名もつかない。挙句の果てには、気合が足りないとまで言われるだろう。もしくは苦しいというのは嘘であるとまで言われることも。
病名ってなんなんだろうか。ただの指標であって、絶対ではないはずだ。今まで病名がなかったものも病名がついた途端に、手のひらを返すかのごとく態度を変える人がいる。病名は本質ではないはずなのに。
病気だから辛いのだろうか。私はそうは思わない。異常だから辛いんだ。異常だから病気なんだ。私はそう思う。病名のない辛さを人は持ってはいけないのだろうか? なぜ否定するのだろうか? つらいことには変わりない。病名があろうとなかろうと。
あの子はつらいと言っていた。あの子がそう感じそう言うのなら、あの子は辛いのだろうと思った。私も辛いと言った。あの子は「そんなことでつらくなるわけない」と言った。あの子は何を基に私の感情を否定したのだろう? あの子の感情はあの子だけのもの。私の感情は私だけのもの。分かりあおうとしようとも、完璧に分かり合えることはないだろう。分かり合おうとするならまだしも、否定とはなんたるや。私の感情まで否定されたら、私の心はどうなるのだろう。病名のない不確かな辛さ。人とは分かり合えない辛さ。それでも私が感じているこの辛さ。
疑問を持ち始める。もしかすると辛くないのかもしれない。思い込んでいるだけかもしれない。でもじゃぁなんでそう思い込もうとしているのかな? わからない。
だめだ考えても考えてもぐるぐる回る。終わりが見えない。そんなときは寝るに限る。問題を後回しにして、寝ちゃえばいい。もう誰にも辛いとは言わない。否定されたくないから。また、ぐるぐる回りたくないから。またその日まで忘れちゃおう。
病名のない健康な苦しみのために、今日も私は寝る。