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斉家荘潜入作戦 一

 郭興は二段に重ねた茶箱を地面に下ろし、門番に言われるがままに門扉の前で入城の許可を待っていた。

 正午を過ぎた頃合、湖州の州城の前は午前の市から午後の市へと様変わる過程を表していた。魚や野菜が引き上げ、食器や小細工物がやって来ては軒に並び始める。夕刻前になればこれがさらに家具や書物に変わるというのがいつもの光景である。しかし、郭興が持つ茶箱の中身は市に並べる物ではない。市を行き交う庶民ではなく、州城の主が今日の客であった。

 暫く立ちっぱで待っていると、許可が下りたというお達しと共に中へ通される。奥へ奥へ、とにかく行けるだけ奥へと進んで行くと、やがて奥がなくなり壁となる。壁の前には椅子が置かれているが、その椅子へ座るべき主は全く椅子に座る気配もなく動いていた。湖州の知州事たる王真景がその主である。

 王真景は十有五にして学問を志し、二十にしてこれを極め、三十にして要職を歴任し現在に至るという人物。学問一筋の学者肌と言って差し支えないはずであるが、その容貌・素行たるや全くの真逆で、今日も今日とて

「ぬん! ぬん! 筋肉! 筋肉!」

 などと言いながらトレイニングに励んでいるといった有様で、その筋骨隆々たる身体はとても学問を修めた秀才とは思えないものであった。なんでもその昔、三十人ばかしの盗賊に襲われたところ、一人でこれを撃退した挙句、当の盗賊達が王真景に帰順を願い出たという逸話がある。誇張があるようにも聞こえるが、王真景直属の配下である刑務官の多くが元は盗賊であったということからして、全くの作り話とも言えないところであった。又、武官が文官である知州事を軽視する風潮があるところ、その武官も王真景の武勇に恐れ戦き、実に従順となっているがために、王真景の治める地は文官だけでなく諸武官にまで秩序が行き届き、頗る治安がいいことで評判であった。筋肉の力、侮り難し。

 その筋肉知事は郭興の姿を認めたのか、トレイニングを切り上げ、身体を拭きつつ郭興の前へとやって来た。郭興は茶箱を開いて中身を取り出し、王真景に示して見せた。

「西山六鹿谷の明前、それに同穀雨前をお持ち致しました」

「うむ、ご苦労」

 王真景は茶葉を確かめせず、茶筒を受け取って手近な台に置いた。上官への献上品として用意させたものであるが、品質に対して少しの疑いもかけることをしない。それだけ信頼しているという証でもある。ただ、王真景と郭興とのやり取りは、これが主目的ではない。

「それと、こちらが例の妖術書となります」

「うむ、大儀であった」

 王真景は妖術所を受け取ると、こちらは中身を確かめる。それが本物であることを認めると、茶筒の横に放り投げ、椅子に座って寛ぎ始めた。

 王真景は妖術書の内容に興味がない。王真景が妖術使いでないこともあるが、それ以上に崇高な理念の存在が王真景を基礎付けているからである。動乱の時代においては、少数の偉人による統治が最も望ましい形であるが、その動乱の時代はとうの昔に終わりを迎えており、ここ数十年、戦らしい戦のない平和な時代が続いていた。このような時代においては、必ずしも偉人を必要とするものではなく、凡俗の者をもってしても成しうる長期的に安定した国造りが求められる。又、近代化が進む昨今、国家は法によって統治を行うことを是とし、武力による前時代的な統治は淘汰されなければならないものであった。ともすると、武力による衝突は当然として、妖術を使ってドンパチやろうなどという行為も時代のニイズに沿わない時代遅れの代物であった。王真景は妖術を規制の対象とし、漸減させる考えを持っており、まず自身の統治下において実施し、結果を以って皇帝に上奏しようという腹積もりであった。その計画の一環として、巷間に流れる妖術書を回収し、全て国家の管理下に置こうということであった。そして、その実行は郭興のような勇士の仕事となったわけである。

 茶商人の小間使いというのは仮の姿。七級帯刀護衛兼斥候使。それが郭興の正式な身分であり、所謂隠密である。

「聞くところによると、丁一家とドンパチやったそうじゃのう。暴力はいかん、隠密裏に解決するよう精進せい!」

 数日前の夜に丁一家の屋敷に賊徒が入り、悶着の後に“宝冠”を盗まれたという噂が巷に流れていた。あれだけ派手に暴れれば隠す方が難しいわけだが、郭興としては噂の内容自体には安堵していた。これが“妖術書”であったならば大目玉であったろうに。

「実はその件なのですが、当日イレギュラアがありまして、それで少々予定が狂ってしまったのです」

「イレギュラアだと?」

「はい、丁度同じ場所に妖術を使う異人の少女がおりまして、その少女と鉢合わせになってしまったがために事が大きくなってしまった次第で」

 妖術を使う、という点が気になったのか、王真景の顔色が厳しさを増した。

「それは気になるところじゃのう。お主の友人か?」

「いえ、まったくの初見でありました」

「そうか……」

 王真景は椅子から立ち上がると、中庭を望む丸窓の際まで行くと立ち止まった。

 妖術の規制を進めようという計画がある中で、在野の妖術使いの存在はあまりよろしいものではない。それが異人であるというのも、国家の権威に少なからず影響を与えそうなことであった。王真景がこれを放っておくとも思われなかった。

 そして王真景は、背を向けたまま郭興に難題を投げかけてきた。王真景は言う。

「見付け次第ここへ連れてまいれ」

 中庭からの生暖かい風が部屋を通り過ぎていった。


「出ていけ――っ!」

 店先に響き渡る飯店の主の怒号と共に、アニエラは表通りに放り出された。

「なにするんだよっ!」

 がばっと飛び起きては主に食ってかかろうとするも、主は主でもう二度と店の敷居は跨がせぬといった態で仁王立ちしている。

「もうこっちはおまんまの食い上げだよ! いつになったら宿代のツケを払ってくれるんだい!?」

「それは……もう、ちょっと……待って、ほしいんだけど、なぁ……」

 店主は呆れた様子で口を開く。

「あたしゃねぇ、多少のことなら目を瞑りますよ。お客さんの経済事情なんかも分かってますからねぇ、二、三ヶ月はツケにして待ちますけどねぇ」

「じゃ、じゃあ、ボクのツケももうちょっと待ってよぅ」

「アニエラちゃんね、そのツケがどのくらいになってると思うの?」

「え、えーっと……三ヶ月?」

「半年だよ!」

「わーん!」

 アニエラがこの国に辿り着き、田家西京飯店に逗留すること一年。不覚にも、持ち金が半年で尽きた。それなりの金を持ってきたと思っていたのだが、所詮は子供にとってのそれなりでしかなく、ちょいと高めの部屋を取ったことも災いして、あれよあれよという間に金がなくなったのである。金を工面するため、本国の家僕に金目の物を送るように手紙を出したのだが、未だに何の音沙汰もない。そもそも往復の旅程が八ヶ月。どう急いだところで半年で届くはずもないのだが、そのようなことは店主にとって知ったこっちゃない。ついに店主も堪忍袋の緒が切れて、アニエラは部屋から追い出されてしまったというのが事の成り行きであった。

「アニエラちゃん、近所から何て噂されてるか知ってると?」

「え? なに?」

「ノボオルのキャッチャア、ノボオルのキャッチャアと噂されてるとよ」

「それ武鉄さんの歌の歌詞じゃないか!」

 ノボオルのキャッチャア、ミットもないということらしい。

「とにかく、自分で新しい宿を探すんだよ! うちはツケを払ってくれるまでは貸さないからね!」

 店主はそう言うと、店の中へと帰っていった。その店の中から「塩でもまいておけ!」という怒声が小さく聞こえてきた。

 アニエラが周囲を見回すと、通りを歩く人々は奇異な目でアニエラを見ていた。よく晴れた正午の表通りに、大きなトランクと共に放り出された異人の子である。

 店から見知った仲居さんが出てきて塩を撒き始めると、悪態でもついてやろうかと思った。しかし、その仲居さんがこそこそと近付いて来ては、店の方を窺いつつ懐からキャラメルの箱を取り出して、それをアニエラの手にそっと包ませた。

「ご主人には内緒ね?」

 そう言う仲居さんは、なんだか物悲しそうな表情をしていた。それがなにか、アニエラの中に渦巻き始めていた悪意を解かしていくように思われた。

 店の中で「塩は撒き終わったのか!?」という声がすると、仲居さんは名残惜しそうに店の中へと消えていった。アニエラは箱の中からキャラメルを一つ取り出すと、それを口の中へ放り込んだ。とても甘く、そしてどこかしょっぱい味がした。箱の表を見る。

「……」

 塩キャラメルだった。

「なんでよりにもよってこのチョイスなんだろう」

 塩キャラメルじゃなかったら号泣する準備はできていたのに、と。

アニエラは気を取り直して、キャラメルを噛みつつトランクを引きずって歩き始めた。行く当てはない。異人街の宿はどこも値が張るし、夜中の門限を過ぎると屯所の役人に怒られる。とりあえず異人街を出て、州城の前まで行ってから考えよう。アニエラの考えはだいたいその程度のことであった。つまり適当である。

 アニエラが小柄なこともあるが、自分の身体と同じくらいの大きさがあるトランクを引きずっと歩くのは骨が折れる。なんとか予定通り州城の前まで来たはいいが、もう一歩も動けないといった様子で、トランクの上に座ってじっとしていることしかできなかった。

 通りを行く人はちらちらとアニエラの方を見ている。異人の住む街であるから異人は珍しくないが、身の丈ほどのトランクを持った家出少女は珍しい。厳密には家出少女ではなく家なき子なのであって、同情するなら宿をくれ、と言える相手を探さなければならないのだが……。

 この街に友人知人がほとんどいないアニエラにとって、頼りを探すのは途方もないことであり、又、アニエラ自身もそのような都合のいい相手が見付かるとも思っていなかった。

 視線を落として溜め息を一つすると、再び顔を上げて通りの方を見た。その時である。アニエラにとって都合の良さそうな相手が、アニエラの方を見て立っていた。

 そして、二人の声は重なった。

「「……いた!」」

 と。


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