○ 4番目の勇者:ダイヤモンド 1
「ドルク、もう一杯だ」と言って、客らしき男は空になったグラスを右手で持ち上げる。
「アガピオス、そろそろ止めとけよ。もう遅いから嫁さんの所に帰りな」と、グラスを拭いていたドルクと呼ばれた男は言った。このドルクという男、12番目の勇者タンザナイトを、未成年という理由で酒場に入れなかった人物、酒場のマスターである。
「いいから、いいから。もう一杯だ」
そう言って、アガピオスと呼ばれた男は、一杯分の料金に相当する銅貨をカウンターの上に置いた。
「もう一杯だけだぞ。お前が帰れば今日は店じまいだ」と言って、ドルクは酒を樽から注ぎ始めた。酒場の客は、アガピオスしかいなかった。
ドルクが注いだ酒は、この酒場で言えば上等な部類に入る。アガピオスは、そんな上等な酒を浴びるほど飲んでいる。連日のように。そして、最近では自分の足で帰れなくなるまで飲むというようなことが続いている。
「ほら、酒だ。あと、これは水だ」そういって、ドルクはカウンターの上にグラスを2つ置いた。
「なぁ、もう気にすることはねぇって」とドルクが言う。
「気にしないってことができりゃぁ、酒なんて飲んでねぇよ。だれがこんなしみったれた酒場に行こうなんて思うかよ」と言いながら、アガピオスは酒が注がれたグラスを口に運ぶ。
ドルクの方でも、自分の店の悪口を言われて機嫌を損ねたりはしない。2人は古くからの馴染みだからだ。お互いに憎まれ口をたたき合うのは、挨拶のようなものだ。
「そういえば、12番目の奴が来たぜ。ちっこいガキだった」
ゴッチン
アガピオスが乱暴にグラスをカウンターにたたき付けた。アガピオスの気に障ったようだった。そして彼がこの3ヶ月の間、ずっと気にしていたこと。それは、彼が4番目の勇者ダイヤモンドであったことだ。過去形であるのは、彼はすでに、ドロップアウト。つまり、魔王討伐を諦めていた。
「そんなガキが勇ましく戦おうとしているのに、俺がだらしがない、臆病者だって言いたいのかよ! 」
「いや。そういうことじゃねぇよ。勇者様も、ぞくぞくと増えているようだし、魔王討伐も近いんじゃないか。それに、冒険者が魔王を討伐するかもしれないぞ。もし冒険者が魔王討伐をしたら、それはお前のお陰ってもんだぜ」とドルクはコップを拭きながらアガピオスに話しかける。
アガピオスは、王様から下賜された第4の勇者としての証である光り輝く、どれほどのカットが施されているか想像もできないダイヤモンドを報酬として、冒険者ギルドに魔王討伐の依頼を出していた。魔王討伐をドロップアウトした自分、自分では強敵に立ち向かっていくこと、苦しい旅を続けていくことが出来ないと悟ったのだ。そして、冒険者に魔王討伐を託したのだった。
「俺は、あのダイヤモンドを売らなかっただけ、凄いと思うぞ」とドルクは続けて言った。
アガピオスも、あのダイヤモンドを売ろうとも考えた。しかし、それは彼の自尊心が許さなかったという側面もあるが、彼は商人として成功しており金銭に困っていなかったからということが理由の8割を占めると、アガピオスは思っていた。
「だけどよぉ、だけどよぉ」と、アガピオスはカウンターに頭をもたれて、うめき始めた。目からは涙が流れている。
何度となく思い出すのは、勇者ダイヤモンドとしてこの王都と旅だった日だ。
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真新しいく光輝く甲冑と、鋭く鍛えられた長剣を装備していた。アガピオスの装備しているのは、裕福な上位の冒険者が装備できるような高価な品である。中級以下の冒険者に取っては垂涎の的となる装備である。
アガピオスは妻に見送られながら出発をした。妻にも反対された。商会の部下達からも考えなおすようにと何度も説得された。しかし、アガピオスは耳を貸さなかった。
「俺が、かならず魔王を倒すから、安心していろ。魔王を倒せば、来年から生産も回復し、流通も通常に戻る。商会の商売も、以前より大きくできるさ。なんたって、俺が魔王を倒すんだからな。誰のおかげで平和になったんだと言えば、たいていの商会の奴らは利権を俺達に譲るさ。そうなれば、王都で一番の商会になることだって夢じゃないぞ」と、大口を叩いた自分が恥ずかしかった。口から出た言葉を引っ込めることができるなら、あの時自分が言った言葉を無かったことにしたいとさえ思う
アガピオスの冒険は、王都を出て直ぐに終わった。王都から商業都市セクメドラに行く途中の街道で、思わぬ挫折をして、王都へ逃げ帰ってきたのだった。一般的に、魔王討伐の最初の難所とされており、勇者がつまづくフィールドといるのは、ヤッファ村からドラゴン渓谷に行く際に通過するトット草原だ。しかし、彼はそこまでもたどり着くことなはなかった。いや、正確に言うのであれば、セクメドラにすら到達することが出来なかったのである。
彼は、あの日の体験を振り返ると、背骨に氷塊を押しつけられた時のように、冷たく、そして心が痛むような感覚に陥いるのだった。