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[74]キリストの信徒,マリアの短縮形,すべて本当の,マリアの一つ

 ベニートとエドゥアルドはヨアキムの後を追おうとしたのだが、

『ラージュ皇族が追ってきたら逃げ回るだけだ。ヨアキム皇子一人でなければ、虫女は逃げる。君たちはそこで大人しくしているといい』

 二人は追うことができなくなり、そして――


 夜空から地上を照らす月。その明かりにより二重アーチ天井を持つ石造りの外廊が白く輝く。

「どこに向かったか分かるか?」 

『ちょっと待ってくれ……出入り口付近にいる。先回りしたのだろう』

 答えを聞きながらヨアキムは麻痺し、痛みを感じなくなってきた剣が刺さっている部分に触れる。

『普通の人間なら、もう意識を失っているだろう』

「もうじき意識を手放しそうだが」

『月明かりを浴びているうちは大丈夫だ。月は冥界における”源”だ。命の源とは違うが、すべてに力を与えることができる。ただ……出入り口は付近は窓がないから危険だよ』

 後宮の出入り口は”爆ぜる”可能性が最も高いので、外から見られぬように暗い石壁で覆われている。

 汗を浮かべながら、ヨアキムは足を進める。

「だが行かねば妃が殺される」

『だろうね……離婚する相手だけれど、殺されたら寝覚め悪いかい?』

 クリスチャンは虫と同化したオルテンシアを追わず、妃も殺されるままにしておいたらどうだ? ――最良と思える方法を知らないわけじゃないだろう? と尋ねた。

 オルテンシアの殺害は王城に到着したテオドラに任せれば済む。ただ妃を助けるには城が大きすぎ間に合わない。

「嫌って離婚するわけではない…………離婚するためにも助けねばならない。死別など御免だ」

 ヨアキムとしては妃を虫に殺されるのだけは避けたい。そしてオルテンシアに妃を殺させることも避けたい。

 この両方を叶えるためには、

『命と引き替えになる可能性もあるよ』

「かまわない」

 危険な橋を渡る必要がある。

 ここでヨアキムが死ぬと世界は終わってしまう。


―― テオドラなら生き返らせることもできるだろうが……本当に生き返らせるか?


『ヨアキム皇子』

「なんだ?」

『たぶんいつもの剣の長さでは間に合わない』

 クリスチャンはヨアキム皇子の希望を叶えるために、最後まで付き合うことにした。

「もっと速く走れと?」

『いいや足の問題じゃなくて。相手は先回りしている。ヨアキム皇子が角を曲がった先で見るのは、妃の向こう側にいる虫女だ。ヨアキム皇子に近い位置にいる妃が障害になってしまう。だが妃の後ろから私で斬りかからなければ助けることはできない。私は虫女に届く範囲まで剣身を伸ばす。妃を傷つけないように、虫女の首を切り落とすしかない』

「妃を斬らないようにはできないのか?」

『それは無理だな』

「分かった」


**********


 ”蝿を持って歩いているのを見られたくないので”

 テオドラはヨアキムに語った通り、夕暮れが過ぎた頃合いに王城を訪れ――そして混乱を収めるために行動に出る。

 持ち慣れぬ剣を握りながら、必死に指示を出すバルトロ。

 人の間を抜け、背中を軽く叩き挨拶をする。

「こんばんは」

「テオドラ殿」

「蜂についてはお任せください」

 握り絞めている手袋を嵌めた手を開く。灰色の手のひらの上に闇夜に溶けてしまいそうな蝿。

「蝿?」

「リュシアンの蜂如きには負けません。さあ、行きなさい」

 蝿はテオドラの指示に従い、その羽を動かし宙に飛び上がる。

「バルトロ皇子」

「はい!」

「ヨアキム皇子の後宮まで案内していただけますか?」


**********


 硬い石造りの廊下を歩いている筈なのに、ひどく足元が頼りなく、剣を握っている手は冷えて、重さもはっきりと解らなくなり、それでもヨアキムは出入り口を目指した。

『そろそろだ、ヨアキム皇子』

 妃の足音が止まり、驚いた時に呼気と共に漏れる微かな悲鳴が耳に届く。

 朦朧としていた意識は一瞬にして澄み、深呼吸の後、戻って来た足の裏の石畳の感触を確かめ、そして蹴り駆け出す。

 角を曲がった先は暗く、オルテンシアの向こう側にしか月明かりはさしていない。

 月明かりが届かなくなり、全身が一気に重みを増し地面に崩れ落ちそうになるが、もう片足に力を込め立ち上がり、上半身を捻る。

 短剣が刺さっている部分でなにかが幾つか切れる音が体内を駆け巡ったが、それらを無視し、

「ヨランダ! 伏せろ!」

 伏せた妃の頭上をかすめるようにして剣を振り、オルテンシアの首を切り落とす。首は勢いがつき壁に叩き付けられ潰れた。


―― 月明かりが遠い……


『ヨアキム皇子、ヨアキム皇子……意識を失ったか』


**********


 ヨアキムが最後に、殺害するためであっても、妃ではなく自分だけを見つめた―― それだけでオルテンシアは満足し、首を落とされたと同時に彼女のすべては消え去った。

 そして彼女の執念が消え去ったことで、押さえこまれていたリュシアンが、本来の目的の為に動き出す。

 ヨアキムの右眼窩に眠る物を奪うために。


「ヨアキム皇子と、そのお妃さまですか?」


 ラージュ皇国の王城と後宮で起きた騒ぎは、テオドラの登場により終息を迎えた。


**********


 暗いのか明るいのかはっきりとしない空間。

 ヨアキムは自分の居る場所について、それしか分からず、それ以外の感情は持てなかった。

「ヨアキム皇子」

 近付いてくる自分の顔をした”誰か”

 以前どこかで出会ったことのある相手 ―― 分かるのはそれだけ。

「……」

 尋ねるのも億劫で黙っていると、相手が名乗りを上げた。

「俺だよ、俺。悪夢師のローゼンクロイツ」

「お前が私の姿で現れるとは、まさしく悪夢だな」

 ヨアキムは口の辺りに手をあてて、視線を逸らす。

「だろうな。それでヨアキム皇子が悪夢を見ている理由は死にかかってることが原因だ。普通の人間なら死んでるところだが、そこは黄泉の凍えた水がいい仕事をした」

 そんなヨアキムの態度を気にすることもなく、話しかける。

「そうか。それでお前は私に死の宣告をしにきたのか?」

「惜しい! 俺はヨアキム皇子に”生きるか死ぬか”を聞きにきた。どうする? ヨアキム皇子。死ぬ? それとも生きる? 二つに一つ。いまヨアキム皇子が選べるのはこれだけだ」

「私が死んだら大陸が滅ぶと、呪解師テオドラから聞いたが」

「滅ぶけれども、死ぬなら滅んでも構わないだろ」

「確かにそうだが……」

「で、どっちにする?」

「今すぐ決めなくてはならないのか?」

「そりゃあ。看病している人の身にもなってみろよ」

「看病……か」

「そうだ。ヨアキム皇子はいま高熱を出して生死の境を彷徨っている状態だ。皇太子内定している皇子さまを放置すると?」

「たしかに」

「両親や兄弟に心配かけたくないなら、さっさと決めるんだな」

「……」

 そうは言われたものの、直ぐに答えをだすことはできなかった。生きることに未練があるのか? と問われれば”特にない”そう答えられる。だが死を選びたいほど辛い人生か? 問われるとそうでもない。

 死ぬのは嫌だが、本来は死ぬ運命でありながら無理矢理生き返るのも好かない。

 生死に関して限界まで努力はするが、それ以上は神の審判に委ねたい――

「じゃあ一つだけ質問に答えてやるから」

 ヨアキムの考えが通じたのか”神”であるローゼンクロイツは別の方法で生死を選ばせることにした。

「なに?」

「なんでも質問に答えてやるって言ったんだ。ヨアキム皇子は【いま】【もっとも】【なにが】知りたい?」

 この状況でヨアキムが最も知りたいこと。それは――


「私の妃は無事か?」


 後宮に連れて来られ、オルテンシアに狙われた妃の状況。

「……」

「なんだ?」

 自分の顔が自分ではない笑いを浮かべ、そして拍手をする。

「ヨアキム皇子は生きるってことで決まりだな」

「なに?」

「現実に未練があるんだろ?」

「未練というほどではないが……」

「俺が本当のこと答えると思ってるの? 死んでても生きているって言いそうな男だろ?」

「それは」

「目を覚ませば妃が無事かどうかわかる」


 妃が死んでいたら ―― それは”それ”として受け止めて生きていかなくてはならない。どちらにしても、自分が妃にたいして責任を取るためには生きる必要がある。

 ヨアキムの覚悟が決まったと同時に、世界が輝きだす。光ではなく四角い硝子窓のような物が現れ、それらが白み始めたのだ。

 ヨアキムの手のひらほどの大きさの四角い物に覆われ、今居る場所が徐々に希薄になってゆく。

 ヨアキムとローゼンクロイツの間に人が一人通れそうな大きな長方形の光の出口が現れた。

 その光の中にローゼンクロイツが消えるのだろうと、ヨアキムは本能的に感じ取る。

「最後に、ヨアキム皇子、知ってるか?」

「なにを?」

「自分が見た自分と、他人が見た自分ってのは違うということを」

「知らんが、それがどうしたのだ?」

「ヨアキム皇子は俺を見て、自分だと思っただろう?」

「ああ……」

「いまここにいるヨアキム皇子の姿をした俺は、俺が認識しているヨアキム皇子じゃない。皇子が皇子だと認識できる姿をしている。それはどういう意味だとおもう?」

「分からん」

 ローゼンクロイツが光の出口に足を踏み入れると、小さな四角い光は一気に色を強め、ヨアキムは目を開いていられなくなった。

「分かった。じゃあな、ヨアキム皇子。そうだ、クリスチャンにもよろしく言っておいてくれ」


―― 他人と同じ物を見て、同じように認識できるのは稀だ。その稀なる相手を大事にするといい


 身が裂けるような光がなくなり、柔らかい明るさを目蓋に感じて目を開く。

「フェリシア、無事だったか」

 少し疲れたように見えたが、ともかく無事な妃の姿を確認し、ヨアキムは再び目を閉じる。黒髪を右側に一本にまとめただけ。それは妃がヨアキムに出会った頃の髪型であった。


 深い眠りに落ちるが夢を見ることはなかった。悪夢師が訪れることも――


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