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[68]私の名を呼ぶまで:第四十話

 メアリーとクローディアの騒ぎが一段落し、部屋に戻ったヨアキムは、立てかけているクリスチャンに愚痴をはく。

「エドゥアルドは虫師に嫌悪感を覚えていると思っていたのだが」

 ロブドダンの王族二名はともかく、エドゥアルドが虫師の虫を買うように言ったと聞かされたとき ―― エドゥアルドは認めなかったのだが ―― ヨアキムはエドゥアルドの表情が妙だったことに気付いた。

『どうして?』

「それは……」


 ヨアキムはヘルミーナが死んだ経緯をクリスチャンに説明した。


『ごめん、ヨアキム皇子。それは私とノベラが悪い』

 話を聞いたクリスチャンは、失われた記憶が判明し、エドゥアルドばかりではなくヨアキムにも悪いことをしたと謝罪する。

「どういうことだ?」

『ノベラが頭を輪切りにして、私が治療したのだが、完全に復元は無理で……その部分の記憶が抜け落ちている』

「そうか……」

『でも彼のことは悪く思わないでくれ。彼は皇子のことをとても心配していたよ。彼の中ではヘルミーナ嬢の死因が分からず、だが迂闊にその近辺に近付くなと注意してくれた』

 事実が明かになったので、クリスチャンは説明しようかとも一瞬考えたのだが、それはエドゥアルドに任せることにした。

「そうか……ところで、エドゥアルドの記憶障害は”それ”だけか?」

『それを言われると自信ないね。テオドラに聞いてみたらどうだ?』

「治せるのか?」

『分からないけれども、話したらなにかしてくれると思うよ』

「クリスチャン」

『なに?』

「呪解師テオドラは、剣技や体術など、体を使う技はどうなのだ?」

 クリスチャンの話を聞く分では、テオドラは体力を使う『師』の血も引いていたので、リュディガーも知らない才能があるのだろうかと。

 知ったところで得になるわけでもないのだが、ちょっとした好奇心でヨアキムは尋ねた。

『テオドラが必死に体を動かしているの見たことない。だから強さは知らないけれども、体を動かすのはあまり好きではないらしい』

「そうなのか」

『えーとだね、一般的にユスティカ王城とラージュ王城の違いはなんだと言われている?』

「建築様式はまったく異なるが」

『そう。建築様式で大きく異なるのは?』

「階段が多いか少ないか」

『テオドラは階段がこの上なく嫌いなんだよ。だから滅ぼす側のユスティカの城は階段尽くしで、助けるラージュの城は階段を極力減らした』

「そんなに嫌いなのか?」

『大嫌いだね。テオドラは空を飛ぶことも、人並み外れた跳躍力もないから、ひたすら自分の歩幅で進むしかない』

「…………」

『でも信用しないでくれ、ヨアキム皇子。私はテオドラのほんの一部しか知らない』


**********


 ヨアキムの執務室に血相を変えたブレンダが飛び込んできた。

―― 妃とカタリナと出かけていたはずでは?

 なにかあったのか? と立ち上がったヨアキムに、

「座ってください、ヨアキム皇子」

 ブレンダが”悪寒”を感じさせる笑顔と声で頼んできた。

「なんのつもりだ?」

「一回頬張らせなさいよ!」

「理由を聞かせろ。話はそれから……」

「カタリナの私物を勝手に捨てたってどういうこと!」

「……」

 四年ちかく前に虫がついていたら危険だと、ヘルミーナに関するものと一緒に、部屋にあったカタリナの私物も全て焼却処分した――

「その中にカタリナの大切な品があると考えなかったわけ!」

「補償はし……」

「同じ物を用意してないでしょう。ただ金で解決しただけじゃない!」

「お前がそれほど怒るということは……古いドレスかなにかも、処分してしまったわけか」

「中身を見ないで捨てたわけ?!」


 ヨアキムはブレンダの手元にあった燭台で頬骨の下のあたりを容赦なく叩かれた。避けることはできたのだが、殴ったら気が済むならと……その現場にブレンダを追ってきたカタリナと妃が到着し、声にならない叫びを上げることになったが。


「端切れねえ」

 ヨアキムとベニートが処分した品の一つに、カタリナが母親から受け継いだ端切れがあった。

 二人とも端切れの何が大切なのか? 理解できなかったのだが、怒るブレンダの話を聞き、

「たしかに手に入らないだろうな」

 あの時は、知っていたとしても端切れも全て焼却しただろうとは思ったが、自分たちの非を一応は認めた。


 カタリナの端切れ箱の中には、代々受け継いだレースや布、そして運良く手に入れた小さな宝石などが入っていたのだ。

 もちろんカタリナが渡された補償金ほどの価値はないが、それはブレンダが言う通り金ではどうすることもできない。かといって、なにか用意できるか? と聞かれると、なにも思い浮かばない。

 一度正式に謝罪をして……そんなことを考えながら頬の治療を終えたヨアキムは、後宮へと戻った。

 部屋へと向かう途中にある、かつては業者を呼び、宝飾品を並べて選ばせたりしていた広間でブレンダとカタリナと妃、それにベニートの側室たちとエリカが、なにやら歓声を上げていた。

 その中心にあるのはヨアキムにも見覚えのある箱。

 妃をロブドダン王国から連れて来る際に、運ぶのに最も苦労した荷物であった。

 箱の中身は無数の端切れが入っており、

「これ、きれいら……く、くれるの! ありがとう おきさきさまあ」

 それらの端切れには、小さく輝く宝石がついているものもある。

 カタリナの話を聞いた妃が、以前働いていた女主の遺品として渡された箱の中身が、大量の端切れと目を喜ばせるだけで、価値のない宝石が入れられていたことを思い出し、良かったら――と、カタリナに分けることにしたのだと、ヨアキムはエリカに説明された。

 妃はセシルに一枚一枚宝石が縫い付けられているレースを見せて、喜ぶ彼女の膝に乗せてやっていた。

 箱の中にはブレンダが見ても心躍るような古いレースなどが入っており、全員が少しずつ貰い各々の部屋へと下がる。

 妃はベニートの側室たちがお礼をしたいというので、彼女たちについていった。

 妃の端切れが入っている箱は特殊な物で、妃以外には開けないどころか持ち運ぶこともできない。押したり引いたりすることもできない。

 だがヨアキムはそれらの特殊さを無視し、運ぶことができる。

 箱を妃の部屋へと運び込んだヨアキムは、カーテンが開かれている窓から中庭を見て絶句する。

 その庭に見覚えがあった。

 レイチェルを説得するために連れてきて、説得だけではなく様々なことをしている場所。

 愕然としているヨアキムに、後ろから来たカタリナが、これはいい機会だとヨアキムに妃が休んだあとに話がしたいと伝えた。

 妃はベニートの側室たちから結婚祝いの品を貰い、困惑した表情で帰ってきた。祝いの品は側室たちが織ってくれた布。心がこもっているその布を、離婚が決定している妃としては受け取りたくはなかったのだが、彼女たちの気持ちを踏みにじるわけにはいかないと、罪悪感を押さえ付け感謝を述べて帰ってきたのだ。

 互いに曖昧な表情を浮かべたまま夕食を取り、二人は早々に各自の私室へと戻った。

 妃が眠ったのを確認したカタリナがヨアキムの部屋へと向かい――


 カタリナから話を聞いたヨアキムは、一人、糊がきいたシーツの中で苦悩しようとしたのだが、耐えきれず、クリスチャンに話しかける。


『妃は心を痛めていないから気にする必要はないだろう』

 ヨアキム皇子はどんな言葉が欲しいのだろう――と思いながら、クリスチャンは事実を言うしかなかった。

「それは分かっている」

『私は皇子を慰める言葉は持ち合わせていないよ』

「慰めて欲しいわけではない……自分でも分からないのだ」

 人間とはかくも面倒だな――クリスチャンはそうは思ったが、同時に楽しそうだとも感じた。かつてテオドラに会い希望したが、なれなかった人間。

 もう一度頼んだら聞いてもらえるだろうか? そんなことを考えながら、適当に言葉を連ねる。

『ヨアキム皇子、妃を襲うのはやめたほうがいいとおもうよ』

「そんなことはしない」

『そうだろうけれどさ。世の中にはヒロイン思考というものがあって、自分を襲った皇子さまを”寂しい目をしていた、もしくは、襲ったほうが辛そうだった。あんなことをされたのに嫌いになれない”とか言いながらヒロインになれる女もいるが、妃はそういった思考回路の持ち主じゃない。襲った相手は普通に嫌いになる』

 クリスチャンの言葉はまったく役に立たない。

「それは説明されないでも分かる、なにより最初にクリスチャンが語った女のほうが不気味だ」

『まあねえ。でも一応ね。妃は普通で考えるとヒロイン体質じゃないか。美しい魂持ちで、平凡な顔で元侍女で』


 クリスチャンが読んでいた本が、どんな物だったのか? ヨアキムは追求することができなかった。


 人間の感情を理解しないホムンクルスに、この類の相談を持ちかけるのが間違っているのである。

 かといって人間に相談したからどうなるものでもない。

「お妃さまに見られてたの! ……ぷっ」

 話を聞いたベニートは、笑いを全身で堪える。

「笑うなとは言わん。もう……どうしたものか」

「お妃さまのことだから、微塵も傷ついていないだろうけどさ」

「まあな」

 ヨアキムもベニートも妃に対する認識だけは間違っていなかった。

 これで妃が”傷ついている”などと勘違いするような男であれば、事態は……もう少しマシになったのかもしれないが。

「妃が織物に感謝していたぞ」

「お妃さま、気に入ってくれた? みんなで一生懸命織ってたんだ。セシルまで頑張ったんだよ」

「あの腕切り落とされた側室までか?」

 セシルは攫われ、商品にされる途中でベニートに助けられた。

 その商品とは”手足が切り落とされた人間”である。両手を切り落とされて、足を切られそうになっているところでベニートが踏み込んだ。

 自分の両腕を見てワンダ――セシルの本名だが、彼女は故郷に帰ることができないと泣き、いっそ殺してくれと懇願してベニートの側室になった。

「セシルは機織りが得意だったんだそうだ」

「そうか。可哀相なことだな……ところで、購入者たちをどうする?」

「プリシラの父君も購入していたらしいね」


 以前ベニートの誘惑が切欠で死んだ伯爵令嬢の父親も、購入者リストに名を連ねていた――


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