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[46]私の名を呼ぶまで:第二十七話

 夜の帳が降り、ランプの頼りない明かりに照らされたベッドの上で、レイチェルが髪を梳いている手を止め、ためらいがちに睦言にならない話を始めた。

「オルテンシア王女のことなのですが」

 ヨアキムは長い髪を手のひらでかき上げ、険を含んだ声で返す。

「なんだ?」

 庭師として仕事をしているレイチェルは、散歩しているオルテンシアを遠くから見かけることが多々あった。

 レイチェルはオルテンシアに対し。殺意に似たものをまだ持っているが、殺そうと武器を握るほどの物は残っていない。

 ある日、オルテンシアの表情が分かるほど近付いたとき、彼女は突如駆け出した。最初は自分を見て驚いて逃げたのかと思ったのだが、蜂が数匹彼女を追っていることに気付いた。

 オルテンシアが刺されたら大変だと思う反面、刺されても……と考えてしまったことを、レイチェルは否定しない。

 だが蜂はオルテンシアを刺すことはなく、蜂にしては遅すぎる速度で一定の距離を保ちあとを付いてゆき、室内に戻った彼女が何処へ行くのか分かっているかのように、オルテンシアの部屋の窓を目指し、庭から見張るようにしていた。

「見たことがないと?」

「はい。国内にあのような蜂はいなかったと記憶しております」

 観賞用の庭を作るためには、さまざまな知識が必要で、益虫や害虫を見分けるのも大切なことである。

「他に気になることは?」

 ヨアキムにとって蜂とオルテンシアは違う理由でつながる。

「その蜂を見かけるときは……いつもオルテンシア王女の近くなので、王女が飼っていたものが外に逃げたのだとしたら、どのような特徴なのかと。ですのでホロストープの昆虫図鑑を見せて欲しいと思いまして」

 ホロストープ王国は虫師が建国に携わった国。王族は虫を飼い愛でているのは有名であった。

「大至急探させよう」

 ホロストープ王国に残っていた財産は、すべてラージュ皇国の物となり、その中に王立図書館の蔵書も含まれてはいたが、まだ整理はされていない。

「では私は蜂を捕まえておきます」

「要らん。捕まえようとするな……それと、オルテンシアには近付くな。分かったな? レイチェル」


 ヨアキムは翌日キリエの部屋へと向かい、ホロストープの昆虫図鑑を探してくるように命じ、振り返ることもなくオルテンシアの部屋へとむかった。

 訪れたヨアキムを小国の王女らしく出迎える。

 頭を下げている彼女を無視してヨアキムは庭を望める窓へと近付き、静かに硝子窓を開く。

 蜂の姿はなく外から緑に満ちた風が入り込んできて、室内の空気を少しだけ軽いものにする。

「蜂についてなにか知っているか?」

「……」

「……まあいい」

 答えないオルテンシアに問い質すことなくヨアキムは部屋を後にした。


**********


 バルトロからボードゲームのリバーシをしないかとヨアキムは誘われた。

 なにかあるのだろうと思いながら誘いに乗り、バルトロの後宮を訪れ、ソファーに腰を下ろしてボード越しに向かい合う。

 二度勝負し、勝敗は一勝一敗。「なにか飲み物でも?」と聞かれたが断り、ヨアキムは指を組み、バルトロに誘いの理由を尋ねた。

「私を呼んだ理由は?」

「……」

 呼び出しておきながら話そうとしないバルトロであったが、

「話がないのなら良いのだ。また勝負を楽しもうか」

 ヨアキムはそれほど追求はしなかった。ヨアキムはエドゥアルドには遠慮などしないが、バルトロにはそれなりに遠慮があった。

 皇后の産んだ第一皇子で、性格も才能も申し分なく、両親とも不仲ではなく……血の呪いの原石を持っていることでヨアキムが皇帝になるのは仕方ないとしても、それを認めないような男であれば、ヨアキムは皇位を巡っての争いにより複雑で陰惨な人生を送ることになったのは確実。

 血の呪いの原石を持って生まれたヨアキムには争いを避ける手段はない。

 挑まれたら戦うのみ。

 争いを避けるのは相手に掛かっており ―― バルトロは争いを避けてくれた。バルトロは表面を取り繕うような性格ではなく、心からヨアキムのことを信頼している。その信頼と国家に関する責任は重いが、裏切りの心配がないという安心感はそれらを補って有り余るほど。

「いいや、重要な話が」

 バルトロは苦悩の表情を隠さず、ボードゲームを寄せ、棚から布で目隠しされた物を取り出しテーブルに乗せた。

「見てくれ」

 バルトロが緞帳にも使われる重い布を持ち上げる。現れたのは大きめな瓶で、一匹の蜂と透明な石と液体で満たされていた。

「この蜂は?」

「私が捕らえた。人に襲いかかり肉を食いちぎる蜂が出たので捕まえて欲しいと頼まれて」

 バルトロは皇子の嗜みの枠を越え、軍人として足りる程の剣技を持っている。

 人を襲う蜂の話を聞き、急いで駆けつけて羽を真っ二つに切り、剣先に乗せて捕獲用の瓶に入れた。

「はっきりとしたことは分からないが、虫師の蜂ではないかと。瓶の底に幾つか透明な欠片があるだろう?」

「ああ」

「この蜂を捕らえた際、手のひらに乗る程度の小瓶に入れておいたのだ。しばらくして室内に異音が響き渡った。……蜂が硝子を食べていた。とても普通の蜂ではないと小瓶ごとこの瓶に入れた。修道士の一人が”これは虫師の蜂ではないか?”と。彼の実家は養蜂業を営んでいるので、たまにこれに似たようなものを見たことがあったと。彼の指示に従い瓶を度数の高い酒で満たした。小瓶は食い壊され、蜂は数日間酒の中で生きていた。毎日酒を半分程度入れ替えてやっと死んだ……とも言える」

 大きな瓶の底に広がっているのは、砕けた小瓶の欠片。

「この蜂はどこで?」

「養蜂場が併設されている修道院で」

 修道院の生活は自給自足が原則。全ての食糧を自分たちが作る。調味料も該当するのだが、砂糖は国家が独占しているので作ることができず、糖分の大半は蜂蜜で補っている。どうしても砂糖が必要な場合は、蜂蜜と交換という形になっていた。

「それで?」

「この蜂、私が足を運んだことのある修道院にしか現れていないようなのだ。それで後宮も確認したところやはり存在した。虫師と聞いてまっさきに思い浮かんだのはホロストープに関することだったので、かの国の書物を調べようとしたら先客が」

「キリエか」

 ヨアキムの側室が調べていることを知ったバルトロは、なにかが起きているのだろうと判断し、下手に探り合うよりならば早めに話合ったほうが良いだろうとヨアキムを呼び出した。

「そう。彼女が昆虫図鑑を探すようヨアキムから命じられたと聞いたので、話を聞きたくて」

 ためらった理由は虫師に関する話なので、まだ血も止まっていないかもしれない傷に触れることを恐れて。

「バルトロ。ヘルミーナは虫が孵って死んだ」

「……」

 話を聞き、傷はやはりまだ塞がっていないのだなと確信したが、自分から投じた話題、途中で終わらせるわけにもいかない。

「ヘルミーナの体内から現れた虫なのだが、巨大な蜂だった」

 ヨアキムはと言うと、少しばかり語りたくもあった。

 記憶の中で何度も死んでしまうヘルミーナ。思い出すつど死ぬ彼女、思えば思う程記憶の中で死を迎える。

 楽しかった頃のことだけを思い出せと言われてもそれもできず、思い出しては彼女を殺してしまう自分の思考回路にうんざりとしながら……そして誰も彼女については触れない。


 父親が国を裏切り、彼女自身もヨアキムを裏切った疑惑が付きまとう。


 リュシアンの告白を聞いた数名の近衛兵たちは吹聴して回ることはなかった。守秘義務もあるが、近衛の彼らは呪いの恐ろしさを重々理解している。下手なことを言って回ったが最後、苦痛の果てに話した相手共々、滅びる可能性があることを知っているからだ。


 疑惑を晴らすために虫に寄生されて死んだと公表すべきだろうかと悩んだこともあるが、ヨアキムは自分が寝取られた情けない男だと思われるほうを、なし崩し的にではあるが選んだ。

 他者の記憶のヘルミーナまで内臓を食い荒らされ空になり、体が裂けて、肌が変色してしまうのならば――


「蜂が……」

「ああ。これは報告書に記載しなかったのだが、リュシアン、ホロストープ王国を裏で操っていた虫師のことだ。そのリュシアンはクニヒティラ一族に狙いを定め、長年虫の卵を寄生させていたそうだ。血の呪いの原石を奪うために」

「それはどういうことだ? ヨアキム」

「言葉通りなのだが。カレヴァとヘルミーナの場合だが、カレヴァに虫の卵を植え付け、ヘルミーナは虫の卵と融合し育ち、私が抱いたことで蛹であった虫が孵化し容れ物であったヘルミーナは空っぽになり死んだ……融合した女は男に抱かれるとそのようになる。だからリュシアンはいつもクニヒティラ一族の男子に卵を植え付けていた」

「男子から男子の場合は?」

「もちろん男児にも卵は受け継がれるが、男児の場合は孵化しない。そして虫師が作る寄生卵にも寿命はあるらしく、八十年ほどしか持たないのだそうで、虫の卵が勝手に増えることもない。その間に卵も劣化するらしく、三十年から四十年くらいが確実だと。だからホロストープ王国は国境沿いで小競り合いを起こして、クニヒティラ一族をおびき出していた……というのがリュシアンの言い分だった」


 そこまで語り、声が途切れた。あのとき、リュシアンはなにを言おうとしていたのか? 真実はなんであったのか?


―― 呪解師テオドラは真実を知っていたのではないか? ――


 再会した際には聞くべきだろうか? と、ヨアキムはいまも悩んでいた。


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