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[44]私の名を呼ぶまで:第二十五話

 私は全ての魂の見分けがつくわけではなく、特殊な魂を見つけることができるだけ。ベニートとリザ・ギジェン殿は『無垢』という魂を持っている。

 リザ・ギジェン殿の性格はわからないけれども、ベニートの性格は知っている。彼のことを得な性格だと思ったことはないか?

 彼は多少の悪戯をしても許されてしまう……そう、私たちは無垢な魂を前にすると、許してしまう。


 バルトロはヨアキムにその様に語った。その話を聞いてしばらく経ち――


 男と女は一糸まとわぬ姿でベッドの上で上半身を起こし、話をしている。

 男はその柔らかな曲線を描く腰に手を伸ばし、彼女は乱れ情欲を感じさせる髪をかき上げ。回された腕に豊かな乳房を押しつけ誘う。

 彼女は積極的に男に跨り、自分の乳房を下から持ち上げて男の前に差し出す。

「もっと」

 くすくすと笑いながら、男は答えた。

「もっとだって、ヨアキム」

 彼女は跨っていたベニートの言葉に驚き振り返る。そこには彼女の夫であるヨアキムが、ドア枠に背を預け、腕を組み二人を眺めていた。

 彼女は叫び声を上げることもできず、ベニートによりベッドに降ろされ呆然としたまま。ヨアキムも彼女に声をかけることはせず、ベニートが服を着るのを待って部屋を後にした。

 彼女が追ってくることはなかった。

「浮気現場に踏み込んだ気分はどう?」

「なにも」

 ラージュ皇国の後宮は基本皇族男子は誰の後宮であろうが出入り自由なので、側室が兄弟や従兄弟、父などに寝取られることも珍しくはない。そのため側室の交換も簡単に行えるようになっている。

 このような下賜可能な側室と皇族男子の関係は、不倫ではあるが不倫であると見なすものは少ない。もちろん暴力や脅迫を用いたりせず、同意の上であれば ―― なる前提はある。 

「彼女、欲求不満だったからすぐに乗ってきた」

 唯一の例外は妃で、他人の妃と関係を持った場合は深刻な事態に陥る。もう一つ厄介なのはヨアキムの母親アイシャのような立場の側室。

 次の皇帝の母親だが、正式な妃ではない ―― この場合は下賜できない側室なので、正妃扱いとなり、夫以外の男性と関係を持った場合は不倫となる。

「欲求不満もなにも、あれは神に仕えるために側室になったのだろう」

「信仰心と性欲は別ものだ。私たちもそうだろう?」

「まあな。私もそれほど馬鹿ではない。女には性欲がないなどとは思わぬし、後宮玩具とやらを買って使っていても構わん。ただ……教会に送るのは止めておくか。教会内では後宮玩具の所持は異端対象だからな」

 後宮は後継者を作る場所であると明言しているので生身の女性であることを否定しないが、教会は女性を完全に否定する。もちろん否定されるのは女性だけではなく男性も同じ。


 二人は夜の人気のない後宮のテラスで椅子に腰をかけ、彼女の扱いについて話合いをする。


「ベニート、引き取るか?」

 長い足を組み椅子の右肘掛けに体重をかけて座っていたベニートは首を振る。

「丁重にお断りいたします」

「そうか。それにしても、異端審問官の娘が、やつらの専門用語でいうところの色情狂とはな」

「締めつけが厳し過ぎたんじゃないかなあ」


**********


 ヨアキムは側室リザの部屋で、

「ブレンダの指を傷つけるわけにはいかないからね」

 ”そんな物か”と侍女ではなく側室がりんごの皮むきしているのを、ぼんやりと眺めていた。側室の部屋で食事をとることはないが、果物は皮を剥いた物をフォークを使って食べることはできる。

 暗殺に使われる毒物はどれも果糖に触れると変色するためである。

 皿に並べられたりんごとオレンジ。オレンジは酸味が強いので、生食の場合は砂糖をかけて食べる。

「遠慮しないで食べなさい」

 側室リザがブレンダの分を取り分け、オレンジに砂糖をたっぷりとかけ目の前におく。

「ですが」

「……」

 控え目なブレンダの態度に ―― 被服について私に意見するときは…… ―― ヨアキムは思ったがそんなことはおくびにも出さず命じた。

「お前の分として用意されたものだ、食え」

「はい」

 ブレンダは洋裁関係以外のことでは、素直に言うことを聞く。側室リザから皿を受け取り、りんごを口に運ぶ。

 ちょうど良い歯ごたえのりんご。噛むたびに口内にその香りが広がる。

「そう言えばリザさま」

「なに?」

「前々から聞こうと思ってたんですけど、側室の部屋に果物ナイフっていいんですか? 皇族の方と騎士以外は刃物持ち込み禁止じゃないですか」

 ブレンダは仕事道具を持ち込もうとした際に、裁ちばさみは許されたものの、女騎士が一人つき、はさみが使われるのをずっと監視していた。あまりに凝視されるので、気になりブレンダは女騎士に尋ね、刃物の持ち込みが原則禁止になっていること、持ち込む際は監督として詰め所に控えている女騎士がつき、使用前、使用後の数が同じかどうかを確認することになっている―― と、聞かされていた。

「これはいざという時、侍女の身を守るための武器なんです」

 ラージュ皇国の後宮は女性以外の立入はほぼ不可能だが、逆に女性の出入りは見逃される。よってこの後宮に放たれる刺客は女性。

 戦争などがあった場合でも、敵の女性兵士が乗り込んできて、側室や侍女を連れ出そうとする……ということも考えられる。

 その際に身を守るために、

「侍女体術? ですか」

「そう」

 侍女は身を守るための実技訓練を受ける必要がある。

「リザ」

 ヨアキムは側室リザに”見せるよう”指示を出す。側室リザは手元のおしぼりを丸め、

「これがナイフの代わり。それでね、こうやって構えると……」

 側室リザはまず肘まで伸ばして構えて、ヨアキムを刺そうとする。ヨアキムはその手首を掴み、攻撃を止める。

「素人の突きほど止めやすいものはない。そもそも女の腕の力では、深く突き刺さらん」

 手首が自由になった側室リザは、今度は腰の位置に構えて、

「こうやって、全身をぶつけるんだ。そうすると非力な女性でも深く突き刺せる……ただし練習が必要。人を刺した感触に怯んで突き刺せないこともあるから」

 ヨアキムの背中に全身でぶつかってみせた。

「へえー」

 ブレンダは純粋に感動し、実演してくれた側室リザとヨアキムに礼を言う。

「侍女の仕事をしないにしても、身を守るための技術だ、覚えていて損はないだろう。気が向いたら研修を受けてみろ。死角を見つける方法なども教えている」

「死角? ですか。ヨアキム皇子」

「そうだ。非力で震えている女が短剣を構えて正面からかかってきた所で、なにもできない。だから背後や、その人物には見えない近い箇所から襲いかかる。私は右目を失ったので右後方が弱い」

 側室リザは講義しているヨアキムと、聴講しているブレンダを眺めながら、りんごを口にした。しゃりしゃりとした食感は良かったのだが若干甘みが足りず、メイプルシロップをかけた。

「リザさま、りんごには蜂蜜のほうが合うのでは? 私取りに行ってきますよ」

 話が一段落したので、ブレンダが気付き声をかける。侍女の仕事はしなくても良いとは言われているものの、ブレンダもそのくらいの気遣いはする。だが側室リザは手を振り”要らない”と告げた。

「いや、いいんだ。これで充分」

「そうですか?」

 ヘルミーナの体を割って出てきた巨大な蜜蜂。それを考えるとヨアキムに蜂蜜を勧める気はおろか、目の前に出すのもためらわれた。

「……今度、用意しておけ」

 気を使われるのは不満だとばかりに、ヨアキムが横を向き指示を出す。

「はい」

 ”じゃあ私、いまから……”席から立ち、ブレンダはそう言ったのだが、声がかき消された。

「なにごとだ?」

 廊下から聞こえてくる、女性の高い叫び声と駆け回る音。

「下がっていろ」

 ヨアキムが剣を抜き、出入り口の扉を開く。廊下はざわついていたが、なにが起きたのか? 分かっている者はいなかった。唯一の足音に耳を澄ませ、そちらの方へと急ぐ。

「なにごとだ?」

 ヨアキムの視界に入った、血痕のついたエプロンを身に付けている侍女。どの部屋の侍女であったかをヨアキムは思い出し、部屋から出てきた側室リザに該当者の名を耳打ちする。

「正解」

 ヨアキムの姿を見て侍女は安心したのか

「ヨアキム皇子……あ、あの……」

 重要なことはなにも言えずに気を失った。

「ブレンダ」

「はい!」

「詰め所から医師と騎士を連れてこい。部屋は分かるな?」

 倒れた侍女の顔を見て、力強く頷きブレンダは外界とつながる唯一の通路に向かって走り出した。

 倒れた侍女は戻って来たブレンダが介抱するだろうと考え、二人は伯爵令嬢の部屋へ。そこで見たものは、放心状態の伯爵夫人と左目に深々と果物ナイフが突き刺ささり、全身を痙攣させ激痛に叫んでいる伯爵令嬢。

 到着した女医は「いまは死んではいませんが、いずれ死にます。治すことはできません」と診断した。それを聞き、ヨアキムは彼女の首に手をかけ力を込めて折った。

 伯爵令嬢は死により痛みから解放され、無抵抗の伯爵夫人と共に運び出された。伯爵令嬢の死因は”爆ぜ”とされ、伯爵夫人はヨアキムの妻を殺害した罪で罰せられることはなかった。

 事情を伯爵に説明し、

「……ただ、貴殿の邸は召使いの入れ替わりが激しいそうだな。それも気がつくと居なくなる――暴力に訴える癖がある妻に自由を与えすぎだ。分かっているな?」

 伯爵夫人を生涯幽閉しろと言外に厳命し、それはただちに行われた。


 伯爵夫人が令嬢を刺した理由は「ヨアキムに不倫が知られたので、どうにかして欲しい」と打ち明けられたため。

 伯爵夫人は『どうして自分があんなことをしてしまったのか分からない』と証言した。伯爵夫人は生来、頭に血が昇ると後先を考えず誰かを傷つける性質が強かった。いままでそれらは見て見ぬ振りをされて来たため、治療の機会も精神的な成長を助けてくれる人もいなかったため、このような事態に陥った。


 夫人と娘について説明を聞かされていた伯爵の隣にいたのは元凶になったベニート。


「私にも罰が?」

 ヨアキムは娘がベニートと関係を持っていたことを隠しはしなかった。いずれ夫人の口から知れるであろうと考えてのこと。

「罰せられるようなことはしていないだろう、ベニート。不倫はしないほうが良い、だが不倫をしたのなら自分で後始末をつけろ。不倫がばれたからどうにかして欲しいと親に泣きつくような成人女は要らん。異論はあるか? 伯爵」

 合意があったのでベニートは罪にならず、ヨアキムが不問にした以上、伯爵にはなにもすることができなかった。なによりも彼は自らの異端審問官の地位を守ることに必死で、全てに同意し、急いで事態を処理してしまいたかったため、ヨアキムが描いた通りに伯爵令嬢の件は終わった。

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