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[35]私の名を呼ぶまで:第十八話

 宿営地に引き返し、グレンは二つのうち一つの卵を雌に変化させ、二匹の虫を孵し交接させ、そのまま手のひらの上で雌に雄を食わせる。

「産卵したら死ぬようにした。明日の昼前には産卵するようもした」

 雄の体を食べ終えた小指の第二関節ほどの大きさの羽虫が、手から飛び上がり王都へ向かった。

 小さい羽虫はすぐに景色に消え、グレンの手のひらには養分にならないのか脚が六本残された。

 手を叩きそれを払い、グレンは帰り支度を始める。

「これでいいかな?」

 そこかしこから虫が現れて、グレンと檻を取り囲む。虫師の操る雄虫は人を食うと聞かされた騎士たちは剣を構えた。

「グレン」

「なんですか? テオドラさん」

「最後にちょっとリュシアンに話があるので、少しだけ待ってくれますか」

「いいですよ」

 テオドラが一歩踏み出すと、グレンと檻を取り囲んでいた虫たちが一斉に避ける。

「リュシアン」

「……」

「あなたの狙いはラージュ皇族が持っているとされる哲学者の石だったのですよね。リュシアン、残念ながら私はリュディガーに哲学者の石を渡してはいません。ラージュ皇国の呪いの触媒は違うものです。哲学者の石というのは……これです」

 テオドラは横がけの鞄から、彼女の手のひらを覆い隠す程の大きさのぶよぶよとした物体を取り出した。

「水銀のように常温で液体。そして……少々硫黄に似た匂いがすることから、この二つで作れると思われているようです」

 グレンが説明した通り赤くはあったが、ヨアキムが思っていたような紅玉に似たような赤さではなかった。血と水が混ざった色合い―― ヨアキムにはそう見えた。

「実際は違うのか? テオドラさん」

「この哲学者の石を持って帰って研究してみますか? グレン」

 簡単に作れると言われるだけあり、テオドラは哲学者の石にまったく執着心を見せない

「要らない。そんな物持ってると知られたら、奪いに来るヤツらだけで研究なんてしていられない。いつかあんたがまとめて本にしてくれたら嬉しいんだが」

「そうですか。哲学者の石の使用方法をまとめるかどうか、はっきりと言えませんが。グレン、最後に少しだけリュシアンが勘違いした血の呪いの原石について教えましょう」

「なんだよ。怖いな」

「グレン、硫黄の匂いは昔からなんと言われていますか?」

「なんとって……」

「独特で心地良くない匂い。なにかが腐ったような匂いや、異界が開いた時の匂いと言われていますね」

 硫黄の匂いがする場所が楽園と呼ばれることはない。

 普通その匂いが充満する場所は、行きたくはないが、決して避けられない場所。

「……」

「私はどこへでも行くことができ、戻ってくることもできます」

「もういい、もういい! これ以上は聞かない。そういうことか、もういい!」

「凍らせました」

「なるほどね。感謝する、テオドラさん。じゃあな」

 脇で聞いていたヨアキムたちは理解できなかったが、グレンは充分に理解し、虫たちで檻を包み宙へと持ち上げて、自分の体も細かい虫に変えて空へと消えた。


**********


 ヨアキムは自分の天幕へテオドラを案内した。国家成立についての重要な話があると、入り口に二人の騎士を立てるだけ。明かりの乏しい室内で、相手の表情が分かるくらいに顔を近づけて

「なぜグレンは、あれ程までに”この石について”聞くことを頑なに拒否したのだ?」

 布を外して目蓋を開く。

 グレンは慌て戦いた”血の呪いの原石”

「分かりません。まあ彼は勘が良かったから、どこから持って来たのか分かったのでしょう。それほど死を恐れるようには見えなかったのですけれども」

「死を恐れる?」

「ヨアキム皇子が持っている血の呪いの原石ですが、石ではないのです。リュディガーはわざと”原石”と言ったらしいのですが」

「なぜ?」

「パンゲアと結託したのでしょう。ユスティカ建国に携わった錬金術師パンゲアのことです」

 ヨアキムはリュディガーが錬金術師パンゲアと旧知であると聞いたことはなかった。

「記録にはなかったが」

「ないでしょうね」

「隠されているのか?」

 真剣に尋ねるヨアキムに、テオドラは笑いをかみ殺して首を振り否定する。

「違いますよ。あの当時、建国に携わった『師』は全員顔見知りなので、わざわざ書き記す必要性がなかっただけのことなのです」

「……あなたも全員を知っているのか? 呪解師テオドラ」

「知っています。それでパンゲアと哲学者の石の説明は後回しにして――誰か来たようですね?」

 入り口が騒がしくなり、唯一立ち入ることが許されているリオネルが騒ぎの理由を告げにやってきた。

「ヨアキム殿下。助けを求めに来たものが」

「やはり来ましたか。助けを求めてやってきたのは男性でしょう」

「分かりますか」

 男性とは誰も言ってはいないのに、テオドラは見たかのように彼の容姿まで語った。その容姿はホロストープ王国の一般的な男性の容姿だが、ほくろの位置や眉毛の形、目元から身長まで、どれ一つとして外しはしなかった。

「その男性、放置しておいても死にません」

「深い傷を負っておりますが」

「死なないようにされているのですよ。ヨアキム皇子にあることを告げるまで、もしくはホロストープ王が殺害されるまで。それまで彼は死にません」

 ヨアキムは指示を出し、その男を治療せずに一人きりにして、どんなことがあろうとも中に入って様子をうかがうようなことはするなと命じてから、テオドラの話を聞いた。


「彼はですね――」


 テオドラの説明によると、男はヨアキムに虫の存在を伝えるために送り込まれたのだと。

「ですが本人は知りません。彼は自分の意志で、そして運良く城を出られたと信じています」

 男の立ち位置は、王族に近いが王族ではない。

 そして彼は、王女の許嫁か誰かだとも明言した。

「王女さまは?」

「現ホロストープ王は王妃との間に五人の子を儲けた。その一人が王女だ。王女オルテンシア」

「その方の許嫁か恋人でしょう」

 彼は瀕死の状態だが、虫の力で生きているのだとテオドラは言う。

「急いで殺害せねば」

 リオネルの言い分はもっともだが、ヨアキムは最後までテオドラの話を聞けと促す。リオネルは長くラージュ皇国に仕えている男だが、皇族ではないので呪術師リュディガーについてあまり知らず、その師とされるテオドラのことはまったく知らない。

 ヨアキムが重用し、”側室リザ”を挟んで不仲であるエドゥアルドまでもが従っているので、それなりの身分の者であろうと、自らがいだいている疑問を押し込めてテオドラの話を聞いている状態のため、感情が幾らか追いつかないところがある。

「彼はただのメッセンジャーです」

「メッセンジャー?」

「ヨアキム皇子にホロストープの作戦を伝えるための。それだけのために存在しているので、治療しなくても死にはしません」

「殺すには話を聞くか、ホロストープ王を殺害するかしかないのだな?」

「そうです」

「その男はなにを私に伝えようとしているのだ?」

「王の乱心と王女に対する暴行の数々かと」

 テオドラの言葉はいつもと変わらず澱みはなく、見通しているような語り口もそのまま。

「その男の話を聞きたいのだが、いいだろうか?」

 ヨアキムは先の先を見て、完全に理解して話すテオドラとの会話に追いつけなくなりそうなので、男と会話をして不完全な現状を仕入れてから、分からない箇所の説明を求めて、事実の隙間を埋めることにした。

「ヨアキム皇子」

「心配するな、リオネル。王都の虫がいなくなるまでまだ時間がかかる。その時間潰しのようなものだ」


**********


 死ねばいい ―― ヨアキムの感情は負に傾いていた。

 肩から腰にかけて、致命傷と呼ぶのに相応しい傷を負い、敵国の天幕に助けを求めにやってきた男は自分が王女オルテンシアの許嫁であることも認めた。

 容姿はテオドラが言い当てた通り ―― 体格はベニート殿ていどで、顔立ちは典型的なホロストープ男性。他国で見かけたら「ホロストープからきたのかい?」と確実に声をかけられる顔立ち。気さくに声をかけたくなるような人好きする顔であり、人に声をかけられることが嫌いではない性格。肌は日焼けしているが、外で働く人々のような日焼けではない。眉はヨアキム皇子からみたら太めでしょう。色も黒いので目立ちます ―― であった。

 彼は自分が伝えるべきことを語れば死ぬことは知らず、ヨアキムはそれを彼に伝えなかった。

 手の施しようがないということもあるが、彼が語るべきことを語り、役目を果たして死ぬことをヨアキムは望んでいた。

 男が語ったところでは、ある日突然国王が狂い、人々を集めて虫の餌にし、兵士たちに戦わなければ虫の餌にすると告げた。

 人を殺して殺されるのが”尊厳のある死”とは言わないが、虫に食われて死ぬよりはと兵士たちは武器を取る。士気はなく、隙を見て逃げられたらという考えを持ちながら。その後カレヴァがホロストープ王国へとやってきて、ラージュ皇国に攻め込んだ。

 そして王はオルテンシアに生き血を飲ませ始めた。その生き血はオルテンシアの兄弟と、その兄の息子の物であった。男は王子たちが生き血を絞られ、青白くなり死ぬところと、オルテンシアがその生き血を飲まされる姿を見続けた。

 すっかりと人気が失われた王城に、一人の男がやってきた。

 手入れが行き届いていないある癖の強い、少々伸びている茶色の髪と、もみあげから顎にかけてを覆う頭髪と同じ色の髭。膝丈の黒に近い濃紺の上衣と同色のズボン。

 彼が何者であるのか? 男は分からなかったが、彼がオルテンシアのこめかみに触れると、狂ったように彼女は叫び出した。―― やめてお父さま! 私はお父さまの娘です! 娘なのです、やめてください ―― 意味をなさない悲鳴と、彼女の声など届いていないだろう王。


 彼は報酬を受け取り、王は彼女を連れて部屋を去り、残された男は彼に頼んで自分を繋いでいる鎖を外してもらい、城の外にラージュ皇国の軍が居ると教えられたので助けを求めるために、城から脱出を計ったものの、王に気付かれ背中から斬りつけられた。

 ”男は言う”

 王は自分を殺したと勘違いして去ったと。

 そして男は城を抜け出し、こうしてヨアキムの元へと辿り着いた。


 シリルと名乗った男は語り終えたが死ななかった。彼はまだ王が意図しているものを語りきっておらず、死ぬことができないでいた。


 ヨアキムは気付いていたがシリルにそれ以上語らせなかった。傷の手当てを命じて、城を落とす際に連れてゆくと告げた。


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