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[20]私の名を呼ぶまで:第三話

 ベニートとテオドラは、王宮の裏門で落ち合うことにして一度別れた。ベニートは貴族としての邸へ戻り、王宮へ行ってくるとだけ告げて邸を出た。

 ベニートが夜、与えられた後宮へと足を向けることは珍しくはないため、誰もがなにも言わず彼を見送る。

 裏門でテオドラと合流し、見張りの兵士たちに門を開けさせ、自分に与えられた後宮を目指す。

「私の後宮の一室でお待ちいただければ」

「それはできません」

「どうしてですか? 呪解師殿」

「私は呪解師です。リュディガーが後宮にかけた呪いは、私が触れると壊れてしまいます」

「それは、年月を経て呪いが弱まったせいですか? それとも呪術師リュディガーの呪いが”子供だまし程度”だからですか?」

「どちらも」

「そうですか。では後宮前で少々お待ちいただけますか? ヨアキムを呼んできて、それから部屋を移しましょう」

「分かりました。お願いします、ベニート殿」

 テオドラは後宮前にあるベンチに腰を下ろして、先程も読んでいた黒い本を開く。

 この暗さでは読めないのではないかと思ったベニートだが、相手が本物の呪解師テオドラであれば無用な心配であろうと、ヨアキムの後宮へと向かった。

 入り口でヨアキムが後宮にいるかどうかを尋ねると、

「はい」

 後宮伝令係の侍女は、夕食前には後宮へ入ったと答えた。

「ヘルミーナのところか?」

「はい」

 滞在を確認したベニートは、先を急ごうとする。

「お待ちください、ベニートさま」

「なんだ?」

「昨日よりカタリナはヘルミーナさまの命で外出しており、その間私が代わりを務めております。なにをお持ちすればよろしいでしょうか?」

「そうか……パウラ殿の命日だったな。長居はしないから必要はない」

「はい」


 ベニートは勝手知ったる他人の後宮を早足で進み、ヘルミーナの部屋を目指した……だが彼は途中でヨアキムと遭遇した。


「ヨアキム? あれは……なんだ?」


**********


 窓際におかれた花瓶一杯にヘリオトロープ。

 後宮に入って三年、ヘルミーナとヨアキムの関係は徐々に変化した。

 その日は侍女のカタリナは、ヘルミーナの依頼で居なかった。ヘルミーナの故郷へと赴き、亡母に花を手向けに行ったのだ。

 いつもは会話をするが、その日は無言のままで食事を口に運び、半分近くを残して料理を下げ、あとは互いに見つめ合うだけであった。

 ヘルミーナはなにも言わずに隣室へと消える。ヨアキムは窓際のヘリオトロープの花束へと近付き、窓の外を眺めて待った。

「ヨアキム」

 窓に映ったのは髪を下ろしたヘルミーナ。

「ヘルミーナ」

 体の形がはっきりと分かるシルクのネグリジェに薄手のカーディガンを羽織ったヘルミーナは、ヨアキムの背中に抱きつく。

 回された手にヨアキムは自分の手を重ねる。

 互いの体温を感じ、重ねた手が解け、互いに向かい合う。

 二人の関係は兄妹のような幼馴染みから、男女の関係へと変わる。それは未来へとつながる……筈であった。

 行為が終わり、ヘルミーナを抱き締めながら眠っていたヨアキムだが、ヘルミーナの苦しそうな吐息に目を覚まし明かりを灯す。

 さきほどまで熱を持っていたとは思えない程青ざめた肌。

「カタリナ……いないのだったな。ヘルミーナ、待っていてくれ。医師を呼んでくる」

 ヨアキムはベッドから降り、ズボンをはき上着に袖を通しながら部屋を出ようとする。

「まって……」

 振り返ったヨアキムの目に飛び込んできたのは、大粒の涙を流しているヘルミーナ。

「ヘルミーナ」

「ヨアキ……」

 ヨアキムの頬に血がかかる。

 ヘルミーナの体が二つに割れて、大きな虫が姿を現した。涙を浮かべたままのヘルミーナの表情は永遠にそのままとなり、巨大な蜂が血を滴らせた羽を動かし、部屋中に血しぶきが広がる。

「ヘルミーナ!」

 叫び彼女の元へと近付こうとしたヨアキムだが、巨大な蜂がその針を向けて迫ってくる。

 素早く扉を開けて隣室へと移り、剣を掴んで構える。扉に体当たりをし、破壊してヨアキムを追ってきた巨大な蜂。

 その向こう側に見えるヘルミーナの目は、もう濁っていた。蜂の針はヨアキムに照準をあわせて、執拗に狙ってくる。ヨアキムは部屋を飛び出し、開けた空中庭園へと誘い出す。

「ヨアキム? あれは……なんだ?」

「ベニート! 倒すのを手伝え」

「分かった……と言いたいところだが、私は帯剣していない」

 他者の後宮に立ち入る際は、帯剣はできない。

「手近にあるものを、手当たり次第に投げつけろ。その隙をついて私が仕留める」

 そんな危険な真似はさせられない ―― 言いたいとこではあったが、実際剣の腕はヨアキムの方が上。巨大な蜂も待ってはくれず、ヨアキムに狙いを定めて迫ってくる。

 ベニートは空中庭園の飾り石を掴み投げつけるが、異音を上げ形が見えないほどの速さで動かしている羽に当たると、その石が跳ね返ってくる。

 それでもベニートの攻撃が気になるようで、蜂の動きがやや散漫になり、ヨアキムはその腹を切り裂き針を付け根よりも上から切り落とし、あとは二人で蜂を蹴り潰し、腹と胴と頭を切り分ける。

 それでもまだ動く蜂の体にベニートは嫌悪感を覚えた。

「これはなんだ? ヨアキム」

 ベニートは驚きでヨアキムを呼びにきた理由を一時的に忘れて、とにかく目の前の人ほどの大きさのある蜂について尋ねるが、

「……」

 ばらばらになった虫を見下ろすヨアキムは答えようとしない。心ここに非ずといった横顔のヨアキムの肩を強く握り、

「ヨアキム、しっかりしろ!」

 揺すり、耳元で大声で呼びかける。

 ヨアキムが剣を握り振り上げて、まだ動いている蜂の頭部に突き刺す。

「来てくれ、ベニート」


 ヘルミーナの部屋へと連れていかれたベニートは凄惨な現場を目撃する。

「なんでこんな事……まさか、この事を予見して?」

 ヘルミーナのあまりにも無残な姿と、その体を愛おしそうに抱き締めるヨアキムを前にベニートは近付かなかった。

「なんの話だ? ベニート」

 ヨアキムは泣きながら助けを求めていたヘルミーナの目蓋を手で降ろす。

「お前に会いたいそうだ」

「誰だ?」

「呪解師テオドラ」


 つい数時間前まで甘くヨアキムの名を呟いていたヘルミーナの口に触れ、二人は部屋を後にした。


「呪解師テオドラとは名前を継ぐのか?」

「さあ? 呪解師は長生きすると聞く。あと虫師も」

「……虫師の仕業だと考えるか? ベニート」

「普通の虫じゃない……だろう」


 二人は後宮の正門ではなく、皇族男子しかしらぬ抜け道を通り、ベニートの後宮へと入り、

「ヨアキム。着換えてから……王宮の私の仮眠室へ来てくれ」

 服を着替えるように言う。

「ここで話すことはできないのか?」

「呪解師殿の話によると、彼女が一歩でも後宮に足を踏み入れると呪いが解けてしまうそうだ。だから私の後宮前で待ってもらっている」

「そうか……ならば待て。すぐに着換え終わる」


**********


 夜の空気の冷たさに、悪夢師の本を閉じて空を見上げながら「暖を取るためのお酒を買ってくるんでした」と後悔していたテオドラの元に、やっとベニートがヨアキムを連れて戻って来た。

「お待たせしました、呪解師殿」

 テオドラは立ち上がり頭を下げようとしたのだが、おかしなものを見つけて途中で止まり、そのままヨアキムに向かって手を伸ばす。

「初めまして、呪解師のテオドラです……虫?」

 ヨアキムの髪に特殊な蛹の破片を見つけた。

「虫? 何か知っているのか!」

 普通の人には見えないその破片をつまみ、鼻先に近づけると、強い「蜂蜜」の香りがした。

「いいえ。虫師の虫の痕跡が。巨大蜜蜂のような物と遭遇しましたか?」

「……」

「遭遇されたようですね。その虫は虫師が作った虫で、人間を宿主にして育つのです」

「詳しく教えてくれないか?」

「ヨアキム。まずは場所を移そう」

「私は虫師ではないのでそれ程詳しくはありません」

 テオドラは言いながらつまんでいた蛹の破片を風に乗るように捨てる。ヨアキムはその風に負けたかのように崩れ顔を手で覆い、嗚咽とともに先程まで腕の中にいた愛しい相手の名を口にした。

「私の腕のなか……ヘルミ……」

 テオドラはベニートの顔を見て首を傾げる。

「ヨアキムの側室から巨大な蜜蜂が……現れたらしいのです」

「そうですか。でしたら、死体があるのでしたら持って来ていただけませんか? 直接見れば助言することができると思います。本来ならば私が現場に向かうべきでしょうが私は後宮には入れません。私が後宮に足を踏み入れたら、呪いが吹き飛んでしまいます」

「分かった」

「いいや、私が行く。ベニート、お前は呪解師テオドラを連れて、部屋で待っていろ」

「ヨアキム!」


 立ち上がったヨアキムは覚束ない足取りで、来た道を引き返した。


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