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[18]私の名を呼ぶまで:第一話

 ヨアキム・ラージュ・ヴィクストレーム。

 ラージュ皇国の第二皇子で、次の皇帝の座にもっとも近いと言われていた男。

 いまは皇帝となっている。皇后はロブドダン王国の元下働き ――


**********


「ヘルミーナの勝ち!」

 眩しい陽射しの元、勝負の審判をしていたシャルロッタが右手を挙げて勝者の名を叫ぶ。

 負けて地面に尻餅をついているヨアキムは”言われなくても分かっている”と日を浴びて輝いているヘルミーナを見上げる。

 細身の白銀の剣を肩に担ぐようにして、二つに分けた金髪を耳の上あたりで高く結い、袖と裾にレースを縫い付けた可愛らしい稽古着を着て笑う彼女を見ると、

「今日も勝てなかった」

 ヨアキムは負けた悔しさがどこかへと消えてしまう。


「ヨアキムのこと、シャルロッタと一緒に守ってあげるから。ねっ! シャルロッタ」

「もちろん!」

「期待してる」


 王宮の片隅で、どこにでもある誓いだった。


**********


 ヘルミーナは幼い頃、母のパウラを亡くしていた。医師も原因を突き止めることができぬ病で、手の施しようがなくひっそりと息を引き取った。

 ヘルミーナは以来、父カレヴァと共に王宮によく出入りするようになる。

 そこに女騎士志望で王宮に来ていたシャルロッタと出会い意気投合し、二人で剣の修行をして、

「ヨアキム殿下だ」

 皇子と出会う。銀髪が印象的だったと二人は後で語り合った。

 ヨアキムの異母兄バルトロは剣よりも祈りを大事にする性質で、将来は聖職者の道に進みたいと考え剣の修行や軍の動かし方を学びたがらなかった。

 皇帝マティアスは、神に仕えたいと考えているバルトロよりも、ヨアキムのほうが皇帝に相応しいであろうと見ていた。


「ヘルミーナの勝ち」

 ヨアキムは自分よりも年下の少女に、初対面で早々にぶちのめされた。

 高らかに勝ちを宣言するヘルミーナに悔しさが沸き上がることはなく、

「カレヴァの娘は強いな」

 照れを隠し頭を掻きながら立ち上がる。

 ヘルミーナが剣の天才であることは誰もが知っていることで、ヨアキムが負けても『女に負けて』と言われるようなことはなかった。

 ただいつの頃からか、ヨアキムはヘルミーナに負けると悔しくなるようになった。


 ”何故だろうか?”

 

 くるくると変わる表情。いつも元気いっぱいに動き回る健康な手足。

 ヨアキムと呼びかける声が幼い少女から変わる。まだ女性には届かないその声の響きと……先にヘルミーナを愛したのはヨアキムのほう。

 愛しい女を守れない自分に対する苛立ちを覚えていることに気付き、悩んだヨアキムは、思いを告げた。

 ヘルミーナは驚き、困惑を返す。

「ヨアキムのことを異性として意識したことはないの……」

 いままで見せたことのない女性の心の揺らぎが、緑の美しい瞳をより一層際立たせた。

「分かっている。だが私はヘルミーナのことを女として意識している。だから、もう会わないほうがいい」

 ヨアキムも返事は分かっていた。ヘルミーナが自分を兄のように思っていることも。だが伝えなければいつか傷つけるだろうと、遠ざけるために伝えた。


 始まることのない恋と、終わりをむかえた友人関係。そう割り切り数名の側室を後宮に収め、皇子としての責務を果たすようになったヨアキムの元へ、カレヴァがやって来た。

「ヨアキム殿下」

「どうした? カレヴァ」

「娘のことについてお話したいことがあるのですが」

 ヘルミーナの金髪はこの父カレヴァ譲り。

 ヨアキムはヘルミーナの母パウラと生前面識はないが、緑の瞳は母譲りだと本人も、目の前にいるカレヴァも言っていた。

「ヘルミーナがどうした?」

「娘が殿下の側室になりたいと申しております。お考えいただけませんでしょうか」

 カレヴァの言葉にヨアキムは驚き、椅子から立ち上がり身を乗り出す。

「ヘルミーナが言ったのか?」

「はい。私が娘に後宮を勧めることはありません」


 カレヴァの妹ラトカは現皇帝マティアスの側室で、後宮内で不慮の死を遂げていた。

 それ以上のことをヨアキムは知らない。


**********


「どうしたんだ? ヘルミーナ」

 ヨアキムはヘルミーナを部屋に呼び、二人で話したいと人払いをして向かい会う。

 いつもの闊達さはなりを潜め、ヨアキムの問いかけにヘルミーナは俯いたまま。青色のふんわりと広がるドレス。編み込みまとめた金髪。

 椅子に腰をかけ、手元を見続けるヘルミーナが顔を上げるのをヨアキムは待った。

「ヨアキム」

「どうした? ヘルミーナ」

「お父さまからから聞いた?」

「聞いた。私の側室になりたいと。本気か?」

 ヘルミーナはゆっくりと顔を上げる。

 紅をさした唇が開かれたとき、少女の中に女性の艶やかさが現れヨアキムは息を飲む。

「ヨアキム」

「なんだ?」

 ヘルミーナは艶やかさを感じさせる唇を強ばらせて、また俯く。

 ヨアキムは座り直して口を開くのを黙って待った。

「シャルロッタに話したの……ヨアキムから言われたって。シャルロッタ自分のことのように喜んでくれて……答えられなかったって言ったら驚いて。そして話をした」

 ヘルミーナは手に持っていたハンカチを握り、勢いよく顔を上げて。

「私、自分がこんなに……こんなに。ヨアキムのこと兄のように思っていたはずなのに、ヨアキムのところに女の人が居るって考えるだけで。自分がこんなに身勝手で、我が儘で嫌な女だなんて……」

 泣き出したヘルミーナを前にヨアキムは、その喜びしかもたらさない嫉妬に目を細める。

「ヘルミーナ」

「私、ヨアキムのこと」

「側室とは言わず、妃に」

 手を伸ばしいつも剣を握っている手を取り、愛を語るよりも先を告げる。

「それはできない」

「どうしてだ? ヘルミーナ」

「私に時間を頂戴。私がお妃になってもいいと思うまで……自信がないの。ヨアキムのお妃に、ヨアキムが失望しないようなお妃になるために」

「分かった」


 ヘルミーナはヨアキムの側室となる。まだ兄と慕いたい気持ちがあるヘルミーナ気持ちを考慮し、側室と皇子であっても昔のまま。


「侍女のカタリナ。護衛の女騎士はシャルロッタだ」


 時が満ち、ヘルミーナの気持ちが決まるのをヨアキムは待った。


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