第11話 ラクダの車窓から
星霊暦五〇四年一月十五日、火曜日。
チャバハル港の城門をくぐり抜けた一行を待っていたのは、二台の「ラクダ車」だった。砂漠の過酷な環境に適応したその乗り物は馬車よりも一回り大きく、頑丈な幌が日差しを遮ってくれる。
一見、VIP待遇のような厚遇。だが、その周囲を固めるのは、昨夜エセルたちを取り囲んだタハトン・ファミリーの強面たちだ。
エセルは、メル、そして空八兵衛と共に一台のラクダ車に乗り込んだ。狭い車内には、もう一人。タハトン・ファミリーの幹部、ダリオ・イシュトヴァンが、値踏みするような鋭い目で同乗していた。
(逃げられない……)
エセルは緊張を悟られないよう、窓の外に流れる景色に目を向けた。チャバハルの街並みは美しい。白い漆喰で統一された建物、青を基調とした幾何学模様のタイル。カラッチ港の雑然とした雰囲気とは違う、洗練された異国情緒。
「綺麗……!」
もう一台のラクダ車に乗る母イマとハムサの姿を見つけ、エセルは思わず窓から身を乗り出しそうになった。
「メル! 見て! お母様たちが!」
「エセル様、おやめください! 危のうございます!」
メルが慌ててその体を引き戻す。ダリオが、その様子を無言でじっと見つめている。目は笑っていない。
「……八兵衛。この街の建物は、カラッチとは全く違いますのね」
エセルは、あえて無邪気なふりをして八兵衛に話しかけた。沈黙は恐怖を呼ぶ。ならば、会話で空気を支配するしかない。
八兵衛もその意図を察したのか、ニヤリと笑って応じた。
「へっへっへ。そういやエセルのお嬢は、このエイディン大陸のことはご存じで?」
「以前、八兵衛の口から少しだけ。地理は勉強しましたが、恥ずかしながら正確には……」
「じゃあ、現状整理も兼ねておさらいといきやしょう。……メル殿、アロンハブリット大陸の宗教圏はどう分かれてやすか?」
いきなり振られたメルが、目を白黒させる。
「え? 私? ……簡単なことだ。エメクハバカ地方を挟んで、西側が我らがルーアッハ教圏、東側がアルケテロス教圏だな」
「その通り! で、我々がいるこのエイディン大陸は、その南に位置する大きな大陸。そして、エセルのお嬢。ここの主な宗教は?」
「ロゴス教、ですわ!」
「ご明察! この美しいアーチやタイルの模様は、ロゴス教の特徴なんでさあ。もっとも、港町は独自の文化もできやすいもんで、この白い壁はチャバハルの特徴とも言えやすがね」
「私、この街の風景、好きだわ」
エセルが素直な感想を口にすると、八兵衛は少しだけ声を潜めた。
「そりゃ良かったですが……エセルのお嬢。本当に豪胆なお方ですな」
「え? どうして?」
「だって今、あっしらはこのタハトン・ファミリーにどこに連れていかれるのか、分かっていないんですぜ……」
ガラガラガラ……
車輪の音が響く中、重い沈黙が降りる。
それを破ったのは、メルだった。彼女は正面に座るダリオを鋭く見据え、低い声で問いかけた。
「……ならば、なぜ手枷も足枷もしないのだ?」
ダリオが、煙草に火をつけながら面倒くさそうに片眉を上げる。
「あ?」
「我々を捕虜として扱うなら、拘束するのが筋だろう。それをしないのは、我々を『客』として扱っているのか、それとも……」
メルはそこで言葉を切り、挑発するように目を細めた。
「我々が暴れたところで、いつでもねじ伏せられるという余裕の表れか?」
車内の空気が一気に張り詰める。
ダリオは煙をゆっくりと吐き出すと、鼻で笑った。
「へっ。安い鉄の輪っかなんぞ、あんたらには無意味だろうよ。それに……外を見な。俺の精鋭が二十人だ。万が一あんたが暴れても、その瞬間にこの可愛いお嬢ちゃんの命は保証できねえぞ?」
「貴様ッ……!」
メルが剣の柄に手をかけ、ダリオもまた懐に手を入れる。一触即発。
その空気を、パンッ! と手を叩く乾いた音が引き裂いた。
「おっとっと! 旦那も姐さんも、物騒な話はやめやしょうや!」
空八兵衛が、二人の間に割って入るように大げさに両手を振った。
「あっしらはただ、平和に旅がしてえだけでしてね。こんな所で喧嘩したって、砂漠の砂が増えるだけで何の得もありやせん」
「……チッ」
「……ふん」
二人が視線を外し、どうにか場が収まる。
八兵衛は冷や汗を拭うふりをしながら、わざとらしく話題を変えた。
「いやね、本当はあっしらもチャバハルからとっとと船に乗って、南の阿倭列島に抜けたかったんですがねえ。どうもタイミングが悪かったようで」
その言葉に、ダリオが視線を戻した。
「阿倭列島だ? ……なら、俺たちに捕まって正解だったな」
「へえ? そりゃどういうことで?」
「ここ最近はトリトン海も南ポセイドン海も荒れている。チャバハルから南の阿倭列島へ抜けるのは無謀だぜ」
ダリオは、諭すように言った。
「無難にフィリピの南、カヴァラ港から出る定期船を使え。……もっとも、俺たちのボスの許可が出れば、の話だがな」
「……なるほど。地元のプロの言うことに従うのが一番ですぜ」
八兵衛は肩をすくめた。つまり、タハトン・ファミリーの協力なしには、この大陸から脱出することは不可能ということだ。
「海で生き残りたきゃ、安全な航路ってのが鉄板だ。チャバハルの小さいギルドの漁船を使えば安上がりだが、危険性はグッとあがる。まあ、魔法船だったら別だがな」
「魔法船……? それは何ですの?」
エセルの食いつくような問いに、ダリオは少し面白そうに目を細めた。
「嬢ちゃん、魔法船も知らねえのか。たいした箱入り娘だな」
その少し見下したような物言いに、八兵衛が冗談めかして割り込む。
「エセルのお嬢、商船の箱に入っていけば、本物の箱入り娘になれやすぜ」
「まあ、何ですのそれ! 面白そうですわ!」
「八兵衛、貴様ッ! エセル様を箱詰めするとは! 奴隷以下の扱いにするつもりか!」
メルが本気で怒り出す。
「メルの姐御はもう少し冗談の勉強をした方が良いですぜ。それと、ファミリーの御仁がいる前で主従関係を出しすぎるのは悪手ですぜ」
「ぐぬぬぬ……八兵衛めぇ……」
睨み合う二人を見て、ダリオは呆れたように、しかしどこか感心したように言った。
「……あんたら、本当に危機感ってものがねえな。いや、肝が据わってるのか? 昨日の立ち回りを見てりゃ、ただの旅人じゃねえとは思ってたが」
ダリオの視線が鋭くなる。
「あの身のこなし。そして、アルケテロス兵を前にしても動じない度胸。……それに、その気品。泥で顔を汚してはいるが、隠しきれてねえぜ。どこぞの貴族か、あるいは……王族か?」
車内の空気が凍りついた。
メルが剣の柄に手をかける。八兵衛がそれを目線で制する。エセルは、心臓が早鐘を打つのを感じながらも、まっすぐにダリオを見返した。
「……ご想像にお任せしますわ」
ダリオは一瞬きょとんとし、それから腹の底から愉快そうに笑った。
「ハハハ! いい度胸だ! 気に入ったぜ、お嬢ちゃん。……ま、今は聞かねえでおいてやるよ。ボスへの土産話にとっときな」
エセルは安堵の息を吐きそうになるのをこらえた。
これは、ただの移動ではない。すでに「交渉」は始まっているのだ。
◇
チャバハルからフィリピまでは人々の往来が多いためか、道が石畳で固く整備されていた。
「道が綺麗ですわね」
「へえ。交通量が多いってこたあ、それだけこの道が儲かるってことでさあ。道が良けりゃ移動も速いし荷物も傷まねえ。だから国もギルドも金をかけて道を整備する。そしてその道を野盗から守るために傭兵を雇う。道一本で色んな人間の飯の種が生まれるって訳でさあ」
八兵衛の言葉に、エセルは深く頷いた。民の生活を豊かにし、国を守る。そのために為政者は、まず道を創らねばならないのだ、と。
やがて夕刻。一行の目の前に、フィリピの巨大な城壁が姿を現した。
検問の列は長く、ダリオの指示で一行はラクダ車を降り、徒歩で門をくぐることになった。街の活気が、熱気となって肌に触れる。
「お母様、道中はいかがでしたか?」
もう一台のラクダ車が隣に並ぶと、エセルは母の顔を覗き込んだ。
「ええ。安心して移動できましたから、ゆっくりできたわ。そちらはとても賑やかそうでしたね。笑い声がよく聞こえていましたよ」
「ふふふ。メルと八兵衛が仲良しでしたから、あっという間でしたわ」
「エセル様! それは誤解です! 八兵衛は憎き相手です!」
「そこまで言いやすかねえ。まるで犬猿の仲のような言いぐさで」
「犬? 猿? どういう意味だ!」
「メルは狂犬だから犬だね」
「ハムサの姐御が仰ると、説得力が違いやすね」
ハムサと八兵衛の容赦ない言葉に、メルがついに自棄になった。
「……犬なら私は、イマ様とエセル様の犬です!」
「メル、大声でそんなはしたない言葉を口にしてはなりません」
イマが間髪を入れずにメルをたしなめた。
「えぇ!? 何がはしたなかったのでしょうか?」
「イマ様、ハムサの姉御、メル殿の語彙力のなさは致命的ですぜ」
「うむ。明日から言葉の勉強を課すことにする」
「た、隊長……」
そのあまりに賑やかなやり取りに、エセルは笑いを堪えながらもメルに抱き着いた。
「でも、わたくしにとっては犬よりもメルの方が可愛いですわ!」
「エセル様……!」
メルが涙ぐむ。
フィリピの街は、これまでのどの街よりも巨大で活気に満ち溢れていた。エセルにとっては、ここ数日で世界が急速に広がっていく感覚だった。
「カラッチと比べてチャバハルも活気がありましたが、フィリピは別格ですわ……」
「へえ。ですが、エイディン大陸には、このフィリピよりも十倍はでけえ『都市』ってやつも五つ以上ありやすぜ」
「そんなに大きな街が!? 人々はどのような暮らしを……想像もつきませんわ」
ハムサは、少し自慢するようにエセルに話しかけた。
「我らがルーアッハ教圏には、そのさらに倍はあろうかという帝都もありましたよ」
「さらに大きいの!? もう、何が何だか分からなくなりそう……」
ハムサの言葉にも、エセルは目を丸くする。
「百聞は一見に如かず、と申します。聡明なエセル様でしたら、これからの初体験から多くを学ばれ、あっという間に我々の見聞を上回りますよ」
「ふふ、俄然楽しみが増えましたわ」
和やかな会話の中、一行はダリオに導かれ、街の一際立派な建物の前にたどり着いた。
エセルは、その壁に掲げられた紋章を見たあと、大きな看板に書かれている文字を読んだ。
「開拓ギルド ノウァーリス フィリピ支部」
八兵衛は、エセルの言葉を聞いて慌てて看板を見た。
「え? ここは、エイディン大陸の大手開拓ギルド【ノウァーリス】の支部……ですかい?」
「だな。私もメルも、ここでギルドカードを取得したんだが……まさかここに連れてこられるとはな」
ハムサの言葉に、エセルが「どういうこと?」と問い返そうとした、その時。
案内していたダリオが、建物の入り口で振り返り、ニヤリと笑った。
「うちのボス、オラム・タハトンがお待ちかねだ。飯と寝床ぐらいは用意してやる……『客』として振る舞えるならな。さあ、入りな」
その言葉には、明確な線引きがあった。ここから先は、彼らのルールが支配する場所だ、と。
エセルたちは顔を見合わせる。その中でも空八兵衛の驚愕に歪んだ顔を見て、メルは一人静かに呟いた。
「よし、八兵衛に勝った」




