青い髪の死神は、夜明けを拒む
常闇の雲が天を覆い、太陽の光が地を忘れて久しい。
古代王国ゼノスは、今や暗黒魔法使い「ヴォルガ」の呪縛に囚われている。
生ける屍たちの庭園と化していた。
この土地にに降る雨は、もはや恵みではないのだ。ヴォルガが玉座を奪って以来、空は重く濁った鉛色に染まり、降り注ぐ雨滴には魔力の残滓が混じっている。
その絶望の淵で、一人の影が動く。
名を、ティナという。
青い髪を夜風になびかせ、紫の瞳に冷徹な殺意を宿した少女。彼女は孤児として泥の中を這い回り、生き延びるために魔法を盗み、人を殺める術を学んだ。彼女にとって、正義は無価値な絵空事であり、力こそが唯一の真実である。
絶望が、彼女を育ててきた。
冷たい雨に打たれながら、ティナは路地裏の影に潜んでいた。
小さい頃は、孤児であることを哀れまれることもあった。しかし、彼女にとっては哀れまれる方がよっぽど悔しいことであった。
なぜなら、彼女はただの孤児ではないからだ。ヴォルガが禁忌の実験として生み出し、廃棄した「魔子の失敗作」の一人だった。
王国の中央にそびえ立つ、黒晶石の城。その最上階、ヴォルガの側近である「沈黙の司祭」が眠る寝所に、音もなく一筋の影が滑り込んだ。
彼女の足音は、死神の囁きよりも静かだった。
影が自我を持ったように動き出す。腰に帯びた短剣に手をかけ、その影から姿を現す。
「……誰だ」
司祭が目を開けた瞬間、ティナの手から漆黒の魔力が溢れ出した。
「地獄へ行く前に知る必要はないわ」
司祭は反射的に杖を振り上げ、激しい雷撃を放った。青白い火花が部屋を埋め尽くし、轟音が空気を震わせる。
しかし、ティナは避ける素振りも見せない。
「無駄よ。雷は私の肌を撫でる風にもならない」
直撃したはずの電光は、彼女の肌に触れた瞬間に霧散した。生まれ持った特異体質。彼女の体内には、常人なら即死するほどの高圧の雷が脈打っている。
彼女にとって雷属性の魔力は、ただの光の粒子に過ぎない。生まれつき雷の魔力と完全に同化しているということは、雷は武器ですらなく、自分の一部なのだ。
例えそれを知っていても、簡単に防ぐことなどできない。今までも、たくさんの愚者が玉砕してきた。
驚愕に目を見開く司祭の喉元を、ティナの短剣が冷酷に切り裂いた。鮮血が舞い、暗殺は一瞬で完了する。
彼女の瞳には、同情も躊躇もなかった。
城を脱出し、荒廃した城下町を駆け抜けるティナの前に、異質な気配が立ちふさがった。
それは、ヴォルガの支配を良しとしない抵抗軍の生き残り——聖騎士団の残党だった。彼らは「光の加護」を信奉し、暗黒に染まったこの国を浄化しようと目論んでいる。
「待て、暗殺者! 貴様の身に纏う禍々しい気配……見過ごすわけにはいかん!」
金色の鎧を纏った騎士が、白銀の剣を構える。その剣身から放たれるのは、彼女が最も忌み嫌う聖なる属性の波動だった。
「チッ……鬱陶しい連中」
ティナは顔を歪めた。
彼女は暗黒の魔力と雷の性質を併せ持つ特異個体だ。そして、生まれたあとも暗黒の魔力と混ざり合って育った。ゆえに、世界を浄化しようとする純粋な「聖なる光」の力は、彼女の存在そのものを否定する毒猛毒以外の何物でもない。彼女の細胞一つ一つを、光が内側から蝕んでいく。
彼女にとっては、闇のほうが心地よいのだ。
騎士が剣を振り下ろすと、まばゆい光の斬撃が飛来した。
「くっ……!」
ティナは身を翻したが、右腕を掠めた光が彼女の皮膚を焼き、激痛が走る。
「聖なる光」の力は、何よりも彼女を苦しめる。
「浄化の炎に焼かれるがいい!」
騎士の追撃。しかし、その程度で止まるようであれば既に死んでいるのだ。ティナは痛みを無視し、冷徹に思考を巡らせる。正面から戦えば分が悪い。
アサシンである彼女の辞書に、正々堂々という言葉は存在しない。
彼女は懐から黒い煙玉を投げつけ、視界を奪う。同時に、自身の魔力を糸のように細く展開し、騎士の背後に回り込んだ。
「光が守ってくれると思った? 甘いわ」
影から伸びたティナの手が、騎士の兜の隙間に魔法の短剣を突き立てる。聖なる加護も、その冷酷な一撃を防ぐことはできなかった。
騎士は声もなく崩れ落ちる。
慈悲などは持ち合わせていない。とどめを刺し、彼女はその場を離れた。
傷口を抑えながら、ティナは月の出ない夜空を見上げた。
彼女は英雄ではない。人々を救うために戦っているわけでもない。むしろその逆に見えるだろう。ただ、自分を「出来損ないの魔子」として捨てこの歪んだ世界を作り上げたヴォルガを、その玉座から引きずり下ろしたいだけだった。
「聖なる光も、暗黒の支配も……全部壊してやる」
彼女の紫の瞳に、復讐の炎が灯る。
残酷なほどに強く、孤独な暗殺者は、再び闇の中へと消えていった。
いつか、この国に本当の夜明けが来るのか。それとも、彼女がすべてを終わらせる死神となるのか。答えを知る者は、まだ誰もいない。
しかし、攻防は相変わらず続くのである。
「……また、あいつらが来る」
ティナの耳が、規則正しい金属音を捉える。ヴォルガの親衛隊、通称『黒鉄の執行官』だ。彼らは魔法を封じる鎖を持ち、反逆の芽を摘むために街を徘徊している。
あの鎖に苦しめられたという人も少なくはないだろう。
ティナは指先を動かした。
「死にたくなければ、消えなさい」
暗闇から放たれた声は、少女のものとは思えないほど低く、冷たかった。
執行官の一人が、魔法灯を路地裏にかざす。光がティナの姿を捉えた瞬間、彼は恐怖に顔を歪めた。
「……青い髪。貴様、あの『影の暗殺者』か!」
黒鉄の執行官でさえも恐れ慄く。しかし、彼らも逃げるわけにはいかない。
執行官たちは一斉に、雷を蓄えた魔導銃を構えた。
「撃て! 少しの灰も残らぬようにしろ!」
轟音が路地裏に響き渡り、数条の雷光がティナの華奢な体を直撃する。石壁が弾け飛び、凄まじい衝撃波が周囲を揺らした。
だが、執行官たちが勝利を確信して笑みを浮かべたのも束の間。
それを嘲笑うかのように、影が立ち上がる。
煙の中から現れたティナは、無傷だった。
それどころか、彼女の周囲を舞う火花は、まるで主を慕う獣であるかのように彼女の肌に吸い込まれていく。
「……美味しくないわ。あなたの魔法、淀んでいるもの。なかなかないわよ、ここまでのものは」
ティナが地を蹴った。アサシンとしての修練を積んだ彼女の動きは、文字通り「雷光」の如き速さだった。
まさに、一瞬。
執行官たちが悲鳴を上げる暇も与えてはしなかった。ティナの手に握られた漆黒の短剣が、正確に、かつすばやく急所を貫いていく。
彼女の戦い方は、誰が見ても残酷だった。相手の得意とする魔法を無効化し、絶望させたところで命を刈り取る。相手が誰であろうと、同じである。それは、かつて自分をゴミのように捨てた世界への、彼女なりの復讐でもあった。
暗殺を終え、城壁の外へと逃れたティナだったが、その足取りが急に乱れた。
「……っ、あ……あぁ……!」
心臓が、焼けるように熱い。
彼女は膝をつき、激しく咳き込んだ。吐き出した血は、彼女の魔力と混ざり合い、紫色の光を放っている。
原因はわかっていた。先ほどの執行官たちが持っていた武器に、わずかに「聖なる光」の浄化魔法が施されていたのだろう。
「忌々しい……光なんて、この世から消えればいいのに……」
薄れゆく意識の中で、彼女は遠い日の記憶を思い出す。
ヴォルガの実験場。白いローブを着た神官たちが、幼い彼女に「聖水」を浴びせた時のこと。
「この子は闇が深すぎる。浄化しなければ使い物にならん」
冷たく見下ろす大人たちの目。叫び声を上げる彼女に構うことなく、彼らは実験を続けた。
何を言っても聞いてもらえない。届くことなどない。それを理解した瞬間、彼女の中で何かが弾ける音がした。
実験場を焼き尽くすほどの雷が放出され、彼女は自由を手に入れた。
しかしその代償として、彼女は永遠に「光」を拒絶する体になってしまったのである。
その後、意識を取り戻したティナを待っていたのは、ボロボロの布を纏った老人だった。
「……目覚めたか、青い髪の娘よ」
そこは、王国の地下に広がる廃坑だった。かつては金が採掘されていたが、今はヴォルガから逃れた人々が隠れ住むスラムとなっている。
「助けてなんて、頼んでない」
ティナは立ち上がろうとするが、体の芯に残る聖属性の痛みがそれを拒む。
「お前さんは、ヴォルガを殺そうとしているのだろう? ならば、我々と目的は同じだ。奴は今、さらなる暗黒魔法の完成のために、民の魂を捧げようとしている」
老人の言葉に、ティナは鼻で笑った。
「私は誰も救わない。あいつを殺すのは、私を捨てた落とし前をつけさせるためよ」
だが、彼女の紫の瞳は、スラムにひしめく絶望した子供たちの姿を捉えていた。かつての自分と同じ、親を失い、飢えに震える影。
「……勝手にしなさい。私は私のやり方で、あの城を落とす」
ティナは短剣を研ぎ始めた。
「聖なる光」の力が弱点という、致命的な欠陥。それを補うには、光が届かぬほどの圧倒的な闇と速さが必要なのだ。
そして、決戦の夜。
ティナは単身で、ヴォルガの居城へと向かった。城の周囲には、数千のアンデッド兵と、強力な結界が張り巡らされている。
「雷鳴よ、我が四肢に従え!」
ティナが叫ぶと、天から巨大な雷柱が降り注いだ。本来なら、この国の空に雷は鳴らない。だが、彼女自身の魔力が天を穿ち、無理やり雷雲を呼び寄せたのだ。
「何事だ! 侵入者か!」
騒然とする城内。ティナは影から影へと飛び移り、立ち塞がる魔導士たちを瞬時に葬っていく。
彼女の動きはもはや人を超えていた。雷を足場にし、空を駆ける。その姿は、まさに空から降ってきた「凶星」だった。
だが、最上階の扉を開けた瞬間、彼女を待っていたのは絶望的なまでの「光」だった。
玉座に座るヴォルガは、冷酷な笑みを浮かべていた。
「来たか、失敗作。お前のことは覚えているぞ。雷を受け流すその体、私の最高傑作になるはずだった」
ヴォルガの周囲を浮遊するのは、数え切れないほどの「聖遺物」。暗黒魔法使いであるはずの彼が、皮肉にも、自分を殺しに来るであろう「闇の者」を排除するために、奪い取った「聖なる光」の力を利用していたのだ。
「くっ……あああああ!」
部屋中に満ちる「聖なる光」。ティナの皮膚は弾け、紫の瞳からは血が流れる。
立っていることさえ奇跡に近い状態だ。
「どうした? 復讐はどうしたのだ。お前のような闇の落とし子が、この純潔なる光の中で何ができる?そうだ、何もできないよな」
ヴォルガが手をかざすと、光の槍がティナの肩を貫いた。
「聖なる光」の力による痛みが全身を駆け巡り、彼女の魔力回路を焼き切ろうとする。
「……はは……あははは……!」
そんな中、彼女は笑った。絶体絶命の状況で、ティナは笑ったのだ。狂っているようにも見えるだろう。なんせ、常人ではありえない。ヴォルガは、初めてティナに対して恐怖を覚えた。
口から溢れる血を拭いもせず、彼女はヴォルガを睨みつける。
「……あんたは、一つだけ間違えているわ。私が『闇の落とし子』? 違うわよ……。私は、あんたたちが一番恐れた『天災』そのものなのよ」
ティナは、自分の体内に残るすべての魔力を一点に集中させた。
それは、「聖なる光」による拒絶反応を逆手に取った、自壊覚悟の暴走だった。
「聖なる光」と、彼女の雷が衝突し、激しい火花を散らす。
「おい、やめろ! 相打ちを狙うつもりか!」
ヴォルガの顔が、改めて恐怖に染まっていく。
「さようなら、クソ親父。地獄で私の雷に焼かれ続けなさい」
ティナの体が、眩い紫色の光に包まれた。
次の瞬間、城の最上階を吹き飛ばすほどの巨大な雷放電が巻き起こった。それは王国全体を白く染め上げるほどの輝きであり、数十年ぶりにこの国に響いた、真の「雷鳴」だった。
光が収まった時、そこには玉座も、ヴォルガも、そしてティナの姿もなかった。
数日後。
厚い雲が割れ、そこから一筋の陽光がゼノスの街に差し込んだ。
人々は戸惑いながらも、空を見上げる。
城の跡地で、一人の少女が拾い物をした。
それは、美しく磨かれた漆黒の短剣。
そして、街の片隅を歩く、青い髪の旅人の噂が流れるようになる。
彼女の瞳が何色だったのか、それを知る者はいない。ただ、彼女が通り過ぎた後には、決まって小さな紫の火花が地面を跳ねていたという。
二作目となります。どうだったでしょうか…?
週5で18時頃の投稿を予定しているので、見に来て頂けると嬉しいです。
ありがとうございました。




