甘露姫の恋物語
天使のように美しいと噂される、第三王子クリストファーには、評判の悪い婚約者がいた。
ビキット伯爵家の長女ビアトリスだ。
ビアトリスは、冷たくて、計算高く、人の気持ちがわからないと噂されていた。
実際はただ第三王子の婚約者という立場に、忠実なだけだが、その立場を狙うもの、敵対派閥などにいいように言われていた。そういった噂は、本人の耳には入らないようにされるし、実績を積めばなにが正義か明らかだか、それが難しい時期もあった。
学生時代だ。
同世代の少年少女たちが集められ、実家から解放され、浮ついた気持ちで囁かれる噂は、もはや暴力に近かった。本来なら家名を背負って、より責任のある発言を求められるはずだが、どういうわけか子どもたちは、それを簡単に忘れてしまうのだ。
そしてそんな悪辣なビアトリスよりも、『甘露姫』と呼ばれている、マッキン伯爵家のルルのほうが、婚約者としてふさわしいと人々は囁くのだった。
ルルは、まばゆいばかりの金髪と、本物のエメラルドがはめ込まれたような、鮮やかな緑の瞳をしていた。
百年前、平民の少女でありながら、クリストファーという名前の王子と恋に落ちた、伝説の甘露姫そっくりの外見をしていたのだ。
そのためルルは生まれた時から、甘露姫という愛称で呼ばれ、家族も親族も友人たちも、そして領民たちからも愛されて育った。そのためとても無邪気な性格で、感情表現を表に出す、優しい少女と評判だった。
当然、第三王子クリストファーの婚約者を探す時、親は名乗りを上げた。だがなぜかビアトリスに決まってしまったのだ。
この結果に、伝説に恋い焦がれる多くの人間が不満を抱いた。
その状態で、クリストファー、ビアトリス、ルルの三人が、貴族のための学校に通うことになったのだ。ビアトリスが窮地に陥るのは火を見るよりも明らかだった。
文字通り箱入り娘として育てられたルルは、学校で初めてクリストファーを目にした時、一目で恋に落ちた。ルルは自分よりも美しい人間を、見るのは初めてだったのだ。少し青みがかった銀髪に、透明感のある青い瞳、その姿は舞い降りた、天使そのものだった。
欲しいものはなんでも手に入れてきたルルは、なにも考えずクリストファーに近づいた。だが反応は思わしくなく、側に控えていたビアトリスに、冷たく追い払われたのだ。
ビアトリスの冷酷な仕打ちに、ルルは涙した。甘露姫を模したルルへの敬愛は、もはや信仰に近いものになっており、多くの人間がルルを守るために、学校で彼女を取り巻いていた。
ルルの取り巻きである女生徒や、バトラー宰相の三男サミュエル、トーマス騎士団長の五男ディランは、激怒した。そして学校の中で、すでに高まっていたビアトリスの排斥運動と、ルルを第三王子の婚約者に推す運動を始めたのだ。
甘露姫として有名なルルは、あっという間に庶民の支持を集めた。
そして様々な思惑を持った人々が、ビアトリスの支持率を下げていったのだ。人々は声高にビアトリスの欠点をあげつらった。プライドが高く、思いやりがなく、利己的で、社交が不得手だと。皮肉だが、どれもある意味では的を射ていた。
そして甘露姫ルルの利点をあげていったのだ。誰からも愛され、無垢で、感情表現豊かで、人々にお優しいと。それらの運動は、激しい高まりを見せ、とうとう議会でも審議されるようになった。不思議なことに、その運動に、国も、王族も、主要貴族も口を出さず、成り行きを見守っているようだった。そのことがますます彼らをつけあがらせた。
◇◇◇◇◇◇
ある日、貴族学校の卒業パーティで、人々はクリストファーに迫った。婚約者をルルにかえるべきだと。その場には出席している学生と、そのパートナー、彼らの保護者、クリストファーの親族を含む関係者がそろい踏みだった。
彼らが見ている前で、その茶番は行われたのだ。
「進言申し上げております通り、ビアトリス様は相応しくありません。ルル姫となさるべきです」
ルルの取り巻きや、バトラー宰相の三男サミュエル、トーマス騎士団長の五男ディランは、集まって宣言した。
「他にもそう思っている者はいるのか」
クリストファーの質問に、三分の一ぐらいのものが進み出た。それらの姿を人々はしっかりと目に焼き付けた。
「では、ビアトリスとの婚約を解こう」
クリストファーが悲しい宣言をすると、なぜか会場は喜びの拍手に包まれた。
「釘を刺しておくが、ビアトリスには役割があるから、婚約を解消したのだ。パーネル辺境伯令息フランシス、前へ」
準備していたフランシスが進み出ると、ビアトリスと並んだ。フランシスは異国の血が入り交じったエキゾチックな外見で、彼の登場に女性ファンたちはため息をついた。
そして発言のタイミングを計っていた、国王が宣言した。
「ここにパーネル辺境伯令息フランシスと、ビキット伯爵令嬢ビアトリスとの婚約を宣言する」
会場にいた一部の人々の、顔色がさっと悪くなった。
パーネル辺境伯は、この国の南の守りを一手に引き受けており、南部の貴族の命運を握っているのだ。だが地形の関係で、辺境伯領のみに負担がかかっており、それに対して、最近はどこの領地も、費用も人手も出し惜しみしていた。このままでは離反されてしまうが、他の領地が出していないのだからと、皆が横並びで出し惜しみしていた。離反を防ぐには、南部と繋がりが深い令嬢を嫁がせれば良い。それなのに排斥運動までされたビアトリスが嫁いだら、この国に未練なんか残らないだろう。この縁組みで南部の領地は、あっという間に窮地に陥ったのだ。
とりわけ顔色を失ったのは、南部騎士団を束ねるディランの父、トーマス騎士団長だった。南部の貴族たちは危険なパーネル辺境伯領への派兵を避け、安全な南部騎士団に人材を集めてきた。その結果、南部騎士団は精鋭と称えられ、辺境伯領の苦境を横目に大きな顔をしてきた。
その調整役であるトーマスにとって、この縁組みは、喉元に刃を突きつけられたも同然だったのだ。
「それで、次の希望はマッキン伯爵家の令嬢ルルを、クリストファーの婚約者にせよ、だったかな。よろしい。そうしてやろうではないか」
国王の英断を人々は喜んだ。ルルは満面に笑みを浮かべ、喜びのあまりその場でくるくると回りながら、クリストファーの元へたどりついた。
「愛しい方。やっとお側に」
ルルがそう言うと、まわりの取り巻きたちは、拍手をしながら口々に褒めた。
「なんて可愛らしい」
「妖精のようだ」
「場が一気に華やいだ」
だがクリストファーはとくに反応を見せず、無言で立っていた。せっかく邪魔なビアトリスを取り除いたのに、自分を見てくれないクリストファーに、ルルは涙を浮かべた。
「クリストファー様、どうしてお返事をしてくださらないのですか。意地悪は止めて下さい」
ルルに対するひどい態度に、取り巻きはいきり立った。だがビアトリス相手には、いくらでも罵詈雑言を並べるが、さすがに王族相手にはなにもいえず、視線で圧力をかけるだけだった。
それを見ていた国王は退出し、クリストファーは着席する。ルルはダンスをしたかったため、クリストファーの横に立った。
「クリストファー様、ダンスをしましょう」
ルルは望むものは、なんでも手に入れてきた。だから国王の前でも平気でしゃべったし、クリストファーに自分から話しかけた。さすがに王子相手に、なにかを無理強いしようとはしなかったが、『この自分』が話しかけてやるのだから、自分の望んだ反応が返ってくるのだろうと、疑いもしなかったのだ。
だからクリストファーがなんの反応もしないのを見て、涙ぐみその場から離れるふりをして、気を引こうとした。ところが女性騎士に力強く二の腕をつかまれ、無理矢理ビアトリスが座っていた席に座らされた。
「やだ。なにするの。怖い」
ルルはまわりに訴えたが、取り巻きと違って、目も合わせてくれなかった。ルルは必死に取り巻きに近くに来てくれるように、視線を送ったが、誰も王族席の側に近寄ることさえ許されなかった。
◇◇◇◇◇◇
「ソフ国の大使がいらっしゃる日のメニューは、こちらです」
第三王子の婚約者として、公務を担うことになったルルは、メニューを見て眉をひそめた。
「やだ、これ、おいしくないのよ。最近、流行っている料理にしましょうよ」
「国の伝統料理ですので、変更は出来ません。ソフ国側のメニューはこちらで」
「絶対、いや。なんでおいしくないのを、食べないといけないの」
ルルは抗議のため、晩餐会の食事には手をつけなかった。
ルルは思ったことはすべて口に出し、自分のやりたくないことは、一切やらなかった。それをまわりはとくに咎めなかった。それにもかかわらず、ルルは婚約者としての生活か窮屈で、不満をためていったのだ。
そんな時、学校に留学生が来た。ソフ国の公爵令息ミシェルで、クリストファーの従兄弟だ。クリストファーと似た顔立ちだが、父親似の精悍な体つきの青年で、自国にあまりいない野性味を帯びたところが、女性たちに火をつけたのだ。そしてそれはルルも同じだった。
ルルはミシェルにまとわりつき、自分をアピールした。それまでルルを盛り立て、なんでも言うことを聞いていた取り巻きたちも、さすがに戸惑っていた。
「ねえ、ディラン。ミシェル様とお昼を食べたいから、カフェテラスの席をとっておいて」
騎士団長の五男ディランは、自分が第三王子の婚約者にと、推してきた女性にそう言われ、なにか策でもあるのかと混乱した。
「あの、ルル姫。そのことをクリストファー様は、ご存じなのですか?」
「知らないわよ。話してないもの」
「それでは、まずいのではないのですか?」
「どうして?」
心底不思議そうに聞いてきたルルを見て、ディランはなにも言えなかった。だが引き受けることもできず、ルルと距離を取るしかなかった。
ミシェルの来訪を歓迎して、王宮では舞踏会が開かれた。そこでもルルは、ミシェルに突撃し、パートナーとして出席していた、女性の外交官からミシェルを奪い取り、体を密着させてダンスを踊ったのだ。
ルルを推した人々は、商売女のような振る舞いに赤面し、いつもの拍手とお追従は鳴りを潜めたのだ。特に父親のマッキン伯爵は、人前での屈辱で顔が赤黒くなり、ルルを引き剥がすと初めて叱責した。しかし一度も怒られたことのないルルは、聞き流しミシェルのところに戻ろうとした。
そこへクリストファーがやってきたのだ。
「わたしとの婚約を解消してやろうか」
自分を無視するクリストファーへの、興味をなくしていたルルは快諾した。
「よせ、ルル。殿下との婚約を解消するな」
マッキン伯爵は真っ青になったが、なにかを我慢したことがないルルは、あっさりと解消し、今度はミシェルと婚約しようとした。
しかしマッキン伯爵は、『したいから』という理由で王子殿下との婚約を望み、『他の男に乗り換えたいから』という理由で解消した娘を、自由にさせる気はなかった。そしてルルを自領に監禁したのだ。
今までなら反対運動が起き、ルルを担ぎ出そうという勢力もあっただろうが、化けの皮が剥がれた今となっては、なにも起きなかった。
クリストファーとビアトリスとの婚約に口を出し、派閥に旨みをもたらそうとし、やり過ぎてしまった人たちは、発言権も勢力も失い、辛い時代を送ることになった。
特に名宰相と呼ばれた父親を持つバトラー宰相は、王宮内に強い権限を持ち、国王の親族であることを利用し、権勢を誇っていたが、調子に乗ってルルを担ぎ上げたため、悲しいほどあっという間に凋落してしまった。
◇◇◇◇◇◇
国王やクリストファーが、甘露姫の噂を聞いたのは、かなり昔だ。マッキン伯爵家に甘露姫そっくりの、美しい少女が生まれたというのは、ずいぶん前から話題になっていた。
ところがシンデレラストーリーである、甘露姫の大衆人気はすさまじく、同い年の王子にクリストファーという、史実と同じ名前の少年が生まれたことで、伝説を実現させようという運動にまで、発展してしまったのだ。それにのっかり暗躍する勢力は多かった。
その頃、国内はモラルが低下し、身分制度の根幹をなしている貴族階級ですら、権利は主張する癖に、義務は怠る有様だった。そのため国王は思ったのだ。このおさまらない騒ぎを利用しようと。
排斥されるであろうビアトリスを、パーネル辺境伯領に嫁がせ、南部の緊張感を取り戻し、甘露姫を担ぐ、筋違いの勢力には痛い目を見せてやろうと。
もし甘露姫の勢力が、国王に対抗する気なら、話は簡単だった。ルルをきちんと教育し躾ければ良かったのだ。
王子殿下の婚約者として。格上のビアトリスを排斥するなら、彼女が次にどこに行くのかを、予想すれば良いだけだった。
そもそもそれ以前に、自領を守ってくれている、パーネル辺境伯領への義務を果たせば良かったのだ。
だがなにもしなかった。義務を果たさず、都合の良いことばかり考え、権利だけ要求した結果、自分の立場が悪くなったのだ。
◇◇◇◇◇◇
ビアトリスが、結婚のためにパーネル辺境伯領に赴く日、王宮で盛大に見送られた。
今まで、第三王子の婚約者として、長い間、誠実に仕えてくれたビアトリスへの、せめてもの礼だったのだ。
クリストファーは王族の控え席から出てくると、ビアトリスに声をかけた。
「今まで本当にありがとう。君が私をずっと支えてくれたことに感謝している。だが学校での三年間、辛い立場に置かせてしまったことを、いくらわびても足りない。支えてもらったのに、君を支えることができなかった」
「いいえ。ずっと側にいて下さって、わたくしのことをお守り下さいましたわ。わたくしの方こそ、最後までお支えすることができず、申し訳ございません」
「なにか困ったことがあったら、いつでも頼ってくれ。パーネル辺境伯領は遠いが、……達者で」
ビアトリスが臣下の礼を執ろうと、スカートをつまむと、クリストファーは目の前にさっと右手を差し出した。
『きみはボクのコンヤクシャになったのだから、タイトウだよ』
ビアトリスの耳に、婚約を結んだ時の、クリストファーの幼い声が蘇る。
小さいながら堅物だったクリストファーは、その時、礼を執るビアトリスに生真面目に握手を求めたのだ。
大人になったビアトリスは、右手を差し出すと、クリストファーと力強く握手を交わした。
「ボクはここでがんばるよ」
「遠くからお仕えいたしますわ」
二人は一緒に戦線をくぐり抜けた戦友として、信頼のこもった目で相手を見た。
ビアトリスが去った王城は、クリストファーにとって、まるで色がついていない世界に見えた。
クリストファーは口数が少なく、努力家で、完璧主義で、自分に厳しいように他人にも厳しい人柄だった。だから子どもの頃から冷たくて、人の気持ちがわからない、社交下手だと揶揄されてきたのだ。
だが婚約者となったビアトリスは、同じような性格だった。ビアトリスと出会った時、初めて息がつけたような気がしたのだ。だからクリストファーはずっとビアトリスのことを、人生を共にする盟友と大事にしてきた。
クリストファーはこの国に仕える身だ。
だがビアトリスを排斥した人々を、許せなかった。国のために努力してきたビアトリスを、大事にしない国民など不要だと思った。そんな人々が集まっている王都に、ビアトリスを置く気にはならなかった。だからルルとの婚約という茶番に乗っかったのだ。
「ここもさみしくなったな」
ミシェルが声をかけてきた。
「仕方がない。だがフランシスは、ビアトリスを実は昔から溺愛していてな。辺境に行った方が幸せになれると思う」
「えー、意外だな。あの武人が溺愛……。かえって怖いな」
「なにか言ったか?」
「いいや、なにも。ところで来週、暇か? 俺の妹が遊びに来るんだが」
「ポーレットが? ずいぶん久しぶりだな。十年ぶりぐらいか」
「ああ、すっかり女らしくなったよ」
そこへ国王がやってきて、父親の顔で聞いた。
「クリストファー。次の婚約者は誰にする? 希望を申して良いぞ」
「父上と議会が選んだ方なら、どなたでも良いです。私は国に仕える身の上ですので」
「そんなこと言っちゃうから、パパは心配なのに……」
国王は、このわかりにくい息子に、いい女性はいないものかと真剣に考えた。
まあ、そうは言っても来週、気の合いそうな来客が、すっかりおさめやすくなったこの国に来るのだ。パパは楽しみだった。




