第6話:赤い唇と、偽りの香油
夜の帳が下り、東棟の館では静寂の中に、香がたなびいていた。
ユウは机の上に並べた香油瓶を一つひとつ手に取っては、蓋を開け、匂いを確かめている。
「どうして香の調査なんて……」
侍女リョウがぽつりと呟いた。
「遺体の唇、赤すぎたでしょう? おかしいと思ったの」
ユウはささやくように言いながら、瓶のひとつに指を伸ばす。
「王都で使われる香油には、顔料代わりになるものもある。たとえば“丹紅”──酸化鉛を含んだ着色油は、肌に塗れば数時間で微熱を引き起こす」
「じゃあ……あの侍女、殺されたんですか?」
リョウの声が震える。
ユウは静かに首を横に振った。
「いいえ、むしろ自分で塗ったんだと思う。美しさを求めるあまり、毒だと知らずに」
「でも、それって……」
「そう。“事故”に見えるわね。でも、だったらなぜ、その香油瓶が彼女の部屋から消えているの?」
事件が起きたのは、二日前の深夜。
王妃付きの侍女ナツが自室で倒れ、翌朝には息を引き取っていた。
毒の兆候はなかったが、唇にだけ鮮やかな赤。熱の痕跡と、部屋に残された香炉の香りに、ユウは違和感を覚えていた。
今日、ようやく侍女長の許可が下り、ユウは「香油庫」の調査にこぎつけたのだった。
「この香油……“紅白蓮”。中に使われている花粉に、毒性があるのよ。しかも、血中に入ると、眠気と脱力を誘発する」
リョウの顔が青くなる。
「誰かが……ナツ様に、それを塗らせたってことですか……?」
ユウは、香油の瓶に小さく刻まれた紋章を指さした。
「この瓶、元は東棟で使われるものじゃないわ」
「え?」
「西棟専用。ほら、印が違う」
リョウの眉が上がる。
「つまり、西棟の誰かが、ナツ様に“贈った”ってことですか?」
「ええ。直接手を下さずとも、毒の道具を“差し入れ”できる相手がいた……つまり」
ユウはそっと目を細める。
「──彼女の恋人、あるいは、密通していた誰か」
その夜。
ユウは西棟の渡り廊下にいた。侍女が通るのを見張っていると、やがて若い男が、袖を隠すようにして現れた。
「遅かったじゃない」
ユウが声をかけると、男はぎょっとして足を止めた。
「……なんの用だ」
「“紅白蓮”の香油、あなたが届けたのよね?」
「はっ、知らん。そんなもん──」
「部屋の床に、同じ香油の滴が落ちてた。しかも、あなたの靴底と同じ形で、ね」
男の顔から血の気が引いた。
「まさか……ナツが、死んだのは……」
「香油に毒があるなんて、知らなかったんでしょう。あなたも彼女も。けれど、それが事実よ」
「俺は……ただ、綺麗に見せたかっただけで……」
翌朝。
ユウは王妃の執務室で、報告を終えた。
「事故である可能性が高いものの、香油の管理体制と、外部との接触は厳重に見直すべきです」
王妃は静かにうなずいた。
「あなたは……時に冷酷ね」
「え?」
「侍女が死に、若者が泣いている。なのに、あなたの目は澄んでいる。──それが“毒見”というものかしら」
ユウは目を伏せ、静かに答えた。
「情を優先していたら、次の犠牲が出ます。私は……まだ、生きていたいので」
王妃は一瞬黙り、やがて微笑した。
「気に入ったわ。あなた、名前は?」
「ユウです。辺境の、ただの薬館の娘です」
──それから数日。
ユウの名は、王妃付きの「試験女官」として、王宮に知れ渡ることになる。
そして、さらなる毒と謀略が、静かに彼女の前に姿を現し始めていた──。




