第4話:偽医者と失われた薬帳
夜明け前、空がまだ墨色に染まるころ。
第三別館の薬庫に、小さな異変が起きていた。
「……薬帳が、ありませんの」
かすれた声でそう報告したのは、庫番を任されている老女官。
棚の鍵は壊されていない。扉も、窓も、閉まったまま。
だが、唯一──
薬の在庫や配合を記録する“薬帳”が、忽然と消えていた。
「ここは王妃さま専用の薬庫ですもの。誰の出入りも許しておりません」
ユウは棚のほこりを指でなぞり、わずかな跡を探る。
(……薬帳を狙うなんて、普通じゃない)
(薬を盗んだわけじゃない。記録を“消した”──つまり、何かを“隠したい”)
その日、第三別館に“新任の医官”が派遣された。
名は、凌という男。
都からの使いで、王妃の診察と薬の見直しを命じられたと言う。
「以後、王妃殿下の診療方針は私が統括します。あなたは補佐に徹してください、ユウ殿」
(──何、この男)
姿勢は丁寧。言葉も礼を失っていない。
だが、ユウの中で“鑑定の針”がチクリと動いた。
凌の動作に、妙な違和感があった。
薬包を広げるときの手つきがぎこちない。
湯の温度の測り方も、わずかに遅い。
(あれは“慣れてない”人間の動き……)
そして決定的だったのは──
王妃の脈を診る手が、**“左手”**だったこと。
「中原医術は、右手で診るのが基本……知らないはずないよね?」
ユウは静かに凌に問いかけた。
「なぜそんな基本を……」
「……左利きでしてね。癖が抜けず、つい」
言葉には乱れがない。
だが、ユウの“眼”は嘘を見逃さない。
(違う。あなた、そもそも“医官”じゃない)
(本物の医官なら、薬帳が消えたと聞けば顔色を変えるはず。なのに……一切動揺しなかった)
そして。
凌が処方しようとしていた薬の袋を、ユウはすり替えて手元に隠していた。
中身を、確かめる。
──それは“茵陳湯”と書かれていたが、中身はまるで違う。
“カクレ草”と“明眼花”。
どちらも、視覚を混乱させる作用がある。
(これ……王妃に投与されてたら、目が霞んで幻覚を見るかも)
(しかも長期的に使えば、精神も侵される)
──これは、ただの偽医者ではない。
誰かの意図で送り込まれた、“毒を流す者”。
その夜、ユウは凌の部屋に忍び込んだ。
扉の下に薄く香を焚いて眠りを深めさせ、部屋の中を探る。
机の引き出し。壁の裏。衣の縫い目──
そして、床下に仕込まれた密封袋を見つける。
中には、第三別館の薬帳があった。
(やっぱり。あんたが盗んだんだ)
ページを繰る。そこには驚くべき記録が残されていた。
──数日前、王妃に処方された薬に、“鎮静香”という名目で**“夜消花”**が混入。
これは中毒性があり、服用者の判断力を奪うことで知られている。
(王妃さま……今も“それ”を……?)
ユウは即座に王妃の部屋へ駆けた。
王妃は寝台の上に座り、ぼんやりと虚空を見つめていた。
脈も、言葉も、おかしい。
目の焦点も合っていない。
「……誰?」
掠れた声で、王妃がつぶやく。
「ユウです。薬を確認します──ちょっとだけ、我慢してくださいね」
香炉を開き、薬包を割く。
中にあったのは、“夜消花”入りの粉末だった。
すぐさま処分し、代わりに解毒茶を入れる。
(これは……もう“事故”じゃない。王妃を廃妃に追い込むための……)
王妃は少しずつ目を閉じ、眠りについた。
だが、その瞼の端に、一筋の涙が流れていた。
◇◇◇
翌朝、偽医官・凌は都に送り返された。
ユウが薬帳と偽薬を宮中監察に提出し、詰問の場で「医官免状の偽造」が発覚したのだ。
「お見事でしたね、ユウ嬢」
監察官は皮肉めいた笑みを残し、去っていった。
一方、ユウは薬庫の整理を続けながら、空を見上げる。
(“誰か”が、王妃さまを壊そうとしてる)
(そしてその“誰か”は、まだ館の中にいる)
そっと懐の中にしまった薬帳には、まだ空白の部分があった。
すり替えられた薬は、ほんの一部。
本当の“毒”は、まだ明かされていない。




