第37話:瑠璃の杯と黒衣の影
「これで、全員が揃ったということでよろしいですね?」
帳の下りた応接間に、ぴんと張ったような声が響く。年季の入った木の机を挟み、五人の男たちが座していた。ひとりは侍医、ひとりは薬師、そしてふたりは書記官と役人。残るひとりが、王城内で名の知られた術者――その陰に隠れるように、ユウもひとり腰を落ち着けていた。
「それで? お招きいただいた理由というのは」
隣に座った薬師の女――鶯谷の杏が、涼やかに尋ねた。彼女の瞳は、氷を含んだような緊張感を宿している。そっと目配せをすると、ユウも頷いた。今宵は“ある儀式”の再検証が行われる。それも、先日の「空蝉の呪」と呼ばれる異形の現象がきっかけだった。
「……実は、昨夜、呪障の残滓が再び出現しました」
それを報告したのは、術者の男だった。黒衣に身を包み、胸元には琥珀の護符。城内に残る瘴気を測る専門家である。
「場所は?」
「西の厩舎裏、地下貯水庫の近辺。以前、貴殿が調査した場とは、同一の区域です」
ユウは思わず眉を寄せた。あの場所は、一度清祓いが済んだはずだった。残留呪素があるとはいえ、再活性化は考えにくい。
「なぜ再燃した?」
「――それが、“新しい触媒”が持ち込まれた可能性があるのです」
部屋の空気が、目に見えて凍る。術者が机に置いたのは、瑠璃の杯だった。透き通る青に、金の文様。宮中でも高位の献上品に用いられるもの。
「これを、誰が?」
「捜査中です。ですが、一つ気がかりなのは……」
術者が言い淀む。だがユウは察した。触媒は“意図的に”持ち込まれたのだ。呪詛は偶然ではなく、誰かの“再犯”だということになる。
「王子付きの侍女がひとり、行方不明です。名は――香月」
杏が息を呑んだのが、伝わってきた。香月は、先日ユウが診た患者の姉だったはずだ。あの時の言動に、確かに不自然な点があった。
「……香月が?」
「ええ。今朝、部屋に戻っておらず、衣類と袋もない状態です。探索部隊が出ておりますが、足取りが掴めていません」
ユウは静かに立ち上がった。ここからは、医師ではなく“観察者”としての自分の出番だった。
「――その杯、私に預けていただけますか?」
「……診るだけなら」
術者が渋々ながら差し出したその瞬間だった。
ふ、と。
部屋の隅、誰も座っていないはずの椅子が「きぃ」と軋んだ。
全員が、息を止める。
誰も、動いていない。だが、確かにそこに「何か」が座っていた――ような感触。
杏が即座に香を焚いた。菖蒲と薄荷を基調にした、簡易の霊避けだ。
「何かが、残っています。……これは、呼ばれたのではなく、“捨てられた”呪いです」
「捨てられた……?」
ユウが呟いた。呪術とは本来、意思を介して発するもの。だがこれは、術式が“空打ち”された痕跡に近い。
「誰かが、自分を囮にして、別の誰かを庇った可能性がある」
「庇った? 誰を?」
ユウは口を閉ざした。
だが、脳裏には浮かんでいた。
――香月が“捨て駒”になったのなら、その背後にはもっと大きな意志がある。
たとえば、御門の中枢に食い込む何者か――
「あとは、私が調べます」
「単独で動くつもりですか?」
「いいえ。杏さんに、ついてきていただきたい」
彼女の横顔に、わずかに緩むものがあった。だがすぐに、張り詰めた表情に戻る。
「……一度、香月の部屋を見に行きましょう」
そのまま二人は応接間をあとにする。
廊下を抜け、東棟の端にある侍女の居室へ向かう途中――
月の光が床に差す。
そこで、杏が囁いた。
「……ユウさん。貴方、最初から気づいていたのね。あの椅子に“誰か”がいたこと」
ユウは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「ええ。だけど、今言っても意味がない。あれは、たぶん“もうこの世にいない”誰かの――」
言葉を濁した。
そして思う。
これはもはや“毒”ではない。
“喪失”の話だ――誰かが、誰かを守るために、何かを差し出した。その代償が、また別の誰かを呑み込んでいく。
ユウは静かに拳を握る。
「今度こそ、止める」
月光が、淡く彼女の背を照らしていた。




