第32話:花の毒と、罪の名残
初夏の風が後宮の庭園をくすぐるように吹き抜け、牡丹の花びらが静かに舞った。
医局に戻ってきたわたくしは、机上に並べた薬瓶と紙束の山に囲まれていた。手元の文書には、過去十年における中毒死とされる女官の名前が並んでいる。その多くが、薬の過剰摂取、あるいは毒草の摂取によるものと分類されていた。
「これは……どうして同じような“失態”が、繰り返されてきたのかしら」
わたくしは手元の記録に、ある共通項を見出していた。死亡した女官たちの多くは、いずれも「銀燕」と交流があった者。さらに死の直前に、必ず何かしらの贈り物を受け取っていた。
「彼女は……見届けていたのね、他の誰も見て見ぬふりをしていた“罪”を」
銀燕の“縫製品”に隠された針目の暗号。それは、リンが解読した通りであれば、ひとつの「名」を指していた。
――黎華。
後宮にかつて在籍していた、今では誰も口にしようとしない女官の名だった。彼女が消えた年に、奇妙な連続中毒事件が始まり、そして今も続いている。
「これを、どう受け止めるべきかしらね」
わたくしは薬草棚の奥から、細長い瓶を取り出した。中には淡い紫をした乾燥花。毒性をもつ花——“夜更け草”。
古文書によれば、この草は常用することで、他の毒草の耐性を高めることがある。しかし、同時に精神に微細な混乱をもたらし、現実と記憶の境を曖昧にする副作用もある。
——もし誰かが、長期にわたってこれを他者に与えていたとすれば?
「記憶をぼやけさせる。罪をあいまいにする。まるで……“証人”を無力化するために使われたみたい」
わたくしの視線が、一枚の古い帳簿に移る。そこには黎華の名とともに、奇妙な印が記されていた。「返却せず」──何を、誰に?
そのとき、扉が軽く叩かれた。
「失礼します、診療院より薬草の件でお届けに参りました」
入ってきたのは、若い薬師の青年だった。だが彼の袖口に、見覚えのある“銀の糸”が覗いていた。
——銀燕の、縫製の痕跡。
「……その服、どこで?」
わたくしが問いかけると、青年は一瞬目を見開き、そしてゆっくりと答えた。
「譲り受けたんです。祖母が昔、後宮に仕えていたと聞いています。名は……黎華と申したとか」
空気が凍る。
まさか、とリンは思った。
——彼女はまだ、終わっていなかった。
花の毒は、過去を腐らせながらも、確実に“何か”を残し続けていた。すべてを忘れさせるためか、それとも伝えるためか。
そしてわたくしは、決意する。
「過去に埋もれた真実を、今こそ掘り起こすときね」
薬の香りが漂う室内で、静かに筆を執った。
証言は花の香に紛れ、罪の名残は薄れてゆく。それでも、真実だけは、決して消させない。
2話更新が終わったので、一度完結済みにしておきます。
明日以降執筆が終わり次第、再開します。




