表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/45

第2話:神託と赤い水

(人が倒れても、誰も動かない)


 


薬館──正式名「第三別館」の朝は、静かだった。

昨夜の発作騒ぎの張本人、若い侍女ハナは、今も部屋で伏せっている。

誰も見舞いに行こうとしないし、医師も呼ばれていない。


 


(“呪い”って言えば、全部説明がつく便利な言葉だこと)


 


ユウは洗い桶を抱え、館の西棟へ歩いていた。

使い込まれた廊下の木はところどころ歪み、年に一度しか塗り直さない朱塗りの柱にはひびが入っている。

都の中心に建つ第一別館とは比べものにならない、旧い場所だった。


 


その西棟に、“神託”はあった。




部屋には香の煙がうっすらと漂っている。

奥に敷かれた布座に、白衣の僧侶のような者が一人。

ユウは桶を置き、目を細めた。


 


「お祓いでもしてるの?」


「……薬匂がしますな」


 


声は男とも女ともつかない、中性的な響きだった。


 


「君が、昨夜“毒”を見抜いたという、辺境の鑑定士か」


「別に、毒ってわけでもない。使い方を間違えただけ」


 


神官は口元だけで笑った。


「だが、呪いとは言わなかった。それは、珍しい」


「知ってたら言わないでしょ。呪いなんて、便利すぎて怪しい」


 


部屋の片隅に、大きな鉢が置かれていた。

薄紅色の水が張られていて、中央に一枚の蓮の花びらが浮いている。


 


「これが“神託”?」


「正確には、“神水”と呼びます。毒ある者が近づくと、赤く濁る」


「……へえ。毒を視る水?」


 


ユウは興味なさげに見ていたが、観察の視線は鋭い。


(これは……蓮じゃない。“血蓮華”の属種。水に溶け出す色素は……)


 


「そういえば昨夜の騒ぎ、あなたは?」


「私は神の声を聴く身。女たちの喧噪に混じる必要はありません」


 


(つまり、面倒事はノータッチ)


 


ユウは足元の木床を踏んだ。微かな軋みと音。

その音に、神官の眉が一瞬、ぴくりと動いた。


 


「何か用かね」


「“赤く濁る”って言ったよね」


ユウはさっと指を水鉢に突っ込んだ。


 


「おや──!」


 


神官が止める前に、ユウの指先は赤い水に沈み、小さく波紋を描く。

だが水は、何も変わらなかった。


 


「……毒を持つ者ではない、と証明したかっただけ」


 


指を拭いながらユウは言う。


「けど、これ、“血蓮華の色素”でしょ。微量の鉄分と温度差で赤に変化する。つまり……」


 


神官は表情を変えずに言った。


「黙っていたほうがいい。ここは、知りすぎると死ぬ場所だ」


 


ユウは薄く笑った。


「……じゃあ、もうすぐ死にそうだね、あなた」


 


その日の夕刻、王妃から呼び出しが来た。


 


「昨夜、倒れた侍女に薬を与えたとか」


「ただのハーブ湯。解毒作用があるやつを」


 


王妃は細い指で頬杖をつきながら、ユウを見下ろしていた。

装飾の多い部屋、重たい香の匂い。

目元には疲れがこびりつき、唇は乾いている。


 


「最近、食が細くてね。夜も眠れない。……神託は“身の内に病あり”と告げているけれど」


「神託より、顔色を見たほうが早いですね」


 


ユウは薬包を取り出すと、王妃の前に置いた。


「胃と肺が弱ってる。香の焚きすぎですね。あと……子を望んでますか?」


 


王妃のまなじりが、わずかに吊り上がる。


「……望んで、いけないかしら?」


「構いません。ただ、あの香を続けると、できても育ちません」


 


沈黙。


部屋にいた侍女たちが、一斉に息を飲む音がした。


 


「……退いて」


 


王妃の静かな声。ユウは深く頭を下げ、退出する。


 


その夜。


侍女ハナは完全に回復したが、神官が姿を消した。


誰も探そうとしない。

「神託の者は風のように現れ、風のように去るものだ」と。


 


だがユウは知っている。

あの神水は、本物ではない。

──毒を隠すための“嘘”の道具だ。


 


そして、王妃の身体の異常も、香だけが原因とは限らない。


 


「神託」

「呪い」

「赤い水」


──この館には、見えない毒がいくつも沈んでいる。


 


ユウはそれを、一つずつ掬い上げていくつもりだった。


たとえ、それが宮中の誰かの“怒り”を買うとしても──

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ