卯月、桜の中の嘘
今日は4月1日、エイプリルフールである。
俺は妻の用意してくれた朝食を食べながら、出勤前の、大事な妻との時間を過ごしていた。
「知ってるかい。エイプリルフールって、午前中しか嘘をついちゃダメらしいよ。午前中に相手を騙して、午後に種明かしをする感じなんだってさ」
「へぇ、そうなんだ。一日中、嘘をついてもいいと思ってた。じゃあさ、午後に嘘をついたら、どうなるんだろうね」
「死ぬんじゃないの。知らないけど」
俺たち夫婦は今朝も仲睦まじい。この会話のおかげで、朝特有の憂鬱な焦燥感をきれいさっぱり洗い流し、気持ちよく会社へ向かうことが出来るのだ。
「さて、会社に着いた。手始めに誰かを騙してみるか」
俺は手近な同僚を見つけ、軽くジャブを放ってみる。
「おい、大変だぜ。近くの商店街に、あの大女優が来ているらしい」
さすがに子供じみているかと思ったが、同僚は難なく信じてしまった。
「マジかよ、なんでこんなところにいるんだ」
「お忍びで旅行でもしているんじゃないのか。ロケかもしれないしな」
「そうだな。俺、大ファンなんだよ。ちょっと行ってくる」
「気を付けてな」
驚くほどうまくいった。こんな簡単に信じてくれるとは、今日の俺はなかなかノッている。少し得意になって、次のターゲットを探す。その眼はさながら、獲物を狩るチーターのようだ。スタミナが心もとない。
「おいおい、お前社内にいて大丈夫なのか? お前ん家が火事で大変なことになっているって、今ニュースでやってたぜ」
「えっ、ほんと? 大変、すぐ帰るね。ありがとう」
「大変だ。社内にテロリストが入り込んでいるらしい。そこで優秀なお前にそのテロリストを制圧してもらいたいって社長が言ってたぜ」
「マジで? そういう話の主人公になりたかったんだ。さっそく行ってくる」
「ああ、気を付けてな」
次から次へと引っかかる。ベタでわかりやすい嘘しかついていないのに、入れ食い状態だ。調子が良いのかな。
少しの達成感にひたっているまま昼休憩。最初に騙した同僚とばったり出会った途端、満面の笑みで感謝をぶつけられる。
「おお、お前を探していたんだ。あの大女優と握手をし、サインをもらい、写真まで撮ってもらえた。俺はもういつ死んでもいい。よく教えてくれた、ありがとう」
「え? 大女優と本当に会えたのか?」
「なんだよ。お前が教えてくれたんだぞ。とにかく、お前には感謝してもしきれない。今度、ぜひ奢らせてくれ」
なんと、俺の嘘の通りに商店街で大女優に会えたそうだ。
その後も、俺が騙した人々からの感謝の言葉が続く。やれ、火事だったけどなんとか貴重品を持ち出せた。やれ、テロリストを制圧して会社のヒーローになった。その他その他。
俺がついた嘘が大小かかわらず、ことごとく現実になっているようだ。
……
「そういうわけで、今日は一日中、驚きっぱなしだったよ」
俺は今日の出来事を、妻に語ってきかせた。エイプリルフールについた嘘が、嘘でなくなっていた不思議な話。妻は疑うこともなく、受け入れてくれた。
「でも、よくそんなに嘘をつける相手がいたね」
「バカにするなよ? 俺は結構、人気者なんだぜ」
「本当? そんな調子で、女の子にも言い寄られているんじゃないの?」
いたずらっぽく、上目使いで聞いてくる。かわいいやつだ。
「何を言っているんだよ。俺にはお前しかいないさ。愛しているよ」
俺は死んだ。