『ひとり歩く山の道』
『ひとり歩く山の道』
焼津アルプスは、静岡県焼津市と静岡市にまたがる標高約400~500mの山々の連なりで、主な山として高草山(501m)、満観峰(470m)、花沢山(449m)。これらの山々を縦走することで、駿河湾や富士山、南アルプスなどの絶景を楽しむことができる。」
『初心者におすすめ、焼津アルプス』駿河湾と富士山が眺めが抜群の絶景ハイキングとyoutubeの番組をたまたま視聴した。
もう10年前になる。妻が亡くなって5年目、一人でこのコースを歩いた。
この連休中に視聴した後、また歩こうと思った。思ったが決意が必要だった。5年前、拡張型心筋症と診断を受けた。
不治の病だ。
隆介は深いため息をつきながら、山歩き用の靴を手に取った。
靴底はまだしっかりしている。5年前に最後に使って以来、玄関の下駄箱の奥で眠っていた。
埃を払い、手入れをしながら、あの日のことを思い出していた。
妻・三津子が他界して5年が経ち、何もかもが虚しく感じられた日々。
玄関脇の植木鉢には、三津子が大切に育てていたシャクナゲの花が咲いていた。
彼女は植物を愛し、休日になると庭の手入れに精を出していた。
「植物は、人の心を映す鏡なのよ,できれば樹木葬でもいいな」と言っていた三津子の言葉が、今でも耳に残っている。
焼津アルプスは、彼女と何度か訪れた思い出の場所。その時は、ただ寂しさから逃れるために歩いた。
三津子は山道で見つける小さな野花に目を輝かせ、その名前を教えてくれたものだった。
春にはカタクリ、秋には野菊。季節ごとの花々の移ろいを、彼女は自分の日記のように楽しんでいた。
「あの時は、ただ必死だったな」
独り言を呟きながら、バックパックに水筒を詰める。今回は違う。もう後がないかもしれない。
医師からは無理な運動は控えるように言われている。でも、この体が動くうちに、もう一度あの景色が見たい。
電車で焼津駅へ、バスで花沢村へ。朝もやの立ち込める高草山の登山口に立つ。
花沢の里から満観峰、朝鮮岩を経由して丸子へ至るルート。
道端に咲くツワブキの黄色い花が目に入る。三津子が「秋の山を照らす小さな太陽ね」と呼んでいた花だ。
5年前は早足で駆け上がるように登った。
今は違う。一歩一歩、足元を確かめながら、ゆっくりと進む。休憩を多めに取りながら、周りの景色を心に刻むように歩く。
道端の苔むした岩に手を触れると、三津子が「自然は最高の芸術家よ」と言っていた言葉が蘇る。
「ね、三津子。覚えてる?ここで弁当食べたよな」
満観峰の展望台に着くと、駿河湾がキラキラと輝いていた。
5年前は気付かなかった景色の細部が、今は胸に迫ってくる。
海面を渡る風、木々のざわめき、小鳥のさえずり。三津子が愛した自然の息吹が、今も確かにここにある。
すべてが特別な輝きを放っているように感じられた。
ベンチに腰を下ろし、水筒から温かいお茶を飲む。5年前もこうして一人で座っていた。
あの時は、独りであることが耐えられなかった。
誰かと話がしたくて、すれ違うハイカーに声をかけては、ぎこちない会話を繰り返していた。
三津子がいない世界で、自分だけが取り残されたような感覚。それは深い霧の中を歩くような、手探りの日々だった。
だが、今は違う。確かに一人ではあるが、孤独ではない。朝の光を浴びる木々を見つめながら、隆介は静かに考える。
この5年で、自分の中で何かが変わったのだ。
三津子との思い出は、重たい荷物のように背負うものではなく、自分を支える杖のようになっていた。
彼女が教えてくれた自然への眼差し、季節の移ろいを愛でる心。それらは今も自分の中で生き続けている。
拡張型心筋症の診断を受けてからは、むしろ一人でいる時間の価値を見出すようになった。
誰かと一緒にいなければ寂しいという感覚は、命の限りある貴重さを知ることで、ゆっくりと変化していった。
今は、風の音を聴き、鳥のさえずりに耳を傾け、道端の小さな花を愛でる。それだけで充分に満たされる。
「一人じゃないんだよな」と、隆介は空に向かってつぶやく。
三津子との思い出、彼女が愛した自然、そして今この瞬間を生きている自分自身。
すべてが繋がっている感覚があった。5年前は見えなかったものが、今はこんなにも鮮やかに見えている。
それは病と向き合うことで得た、新しい視点なのかもしれない。
満観峰に向かう道すがら、若い夫婦とすれ違う。手を取り合って歩く姿に、懐かしい記憶が蘇る。三津子と歩いた日々。
二人で見た富士山。彼女は山頂で風に吹かれながら「こんな景色を二人で見られるなんて、私たち幸せね」と笑っていた。
共に過ごした時間の尊さを、今更ながら噛みしめる。
「もう少しゆっくり歩けばよかったな」
後悔の念が胸をよぎる。でも今は、それも大切な思い出として心に刻まれている。
登りは、予想以上にきつかった。何度も休憩を取り、深い呼吸を繰り返す。
心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、それでも一歩ずつ前に進んだ。
頂上に着いた時、すこし涙が溢れた。目の前に広がる南アルプスの山々。
遠く富士山の勇姿。そして、きらきらと光る駿河湾。すべてが、5年前と変わらない美しさで存在していた。
風に揺れる草花たちが、三津子の面影を運んでくるようだった。
「ありがとう」
誰に向けての言葉だったのか。三津子に対してか、この景色を見せてくれた山々に対してか、それとも、ここまで歩いてこられた自分の体に対してか。
朝鮮岩で静岡の市中に葵タワーが富士山を背に、背伸びするように建っていた。
丸子への下山途中、隆介は静かに微笑んだ。多分、今日の山歩きが最後になるかもしれない。でも、この景色と思い出は、永遠に心の中で生き続ける。
帰り道、疲れた体に鞭打ちながらも、不思議と心は満ち足りていた。
明日からまた、日常の日々が続く。でも今日この瞬間は、隆介にとって何物にも代えがたい宝物となった。
丸子三丁目のバス停から静岡駅へ。
家に戻り、玄関で靴を脱ぎながら、ふと空を見上げた。夕暮れの空に、うっすらと星が瞬き始めていた。
玄関脇のシャクナゲの花が、夕暮れの中でひっそりと咲いている。
「また来られるといいな、多分これが最後になるな」
それは願いであり、祈りであり、そして新たな決意でもあった。