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咎人戦騎  作者: 81MONSTER
8/17

第八話【武芸】




   壱





 強く成りたかった。



 誰よりも、強く成りたかった。()の一心で修練を積み、己を研磨する。身体を鍛え只々、一向(ひたすら)に強さを求める。武に身を置く者は、本来そう()るべきだ。



 幼い頃から、爪倉戎三(かくらいぞう)は武の道を歩んできた。江戸時代から()る流派の家に生まれ、弟と共に技を磨いてきた。()の弟は悪を討つ為に、警察官の道を選んだ。



 ()の一方で、戎三(いぞう)は強さを求め続けた。修練を積む程に、強く成る。()れを実感するには、実戦しか無い。様々な門派を叩いては、己が力を振るった。ボクシング、空手、ムエタイ、柔道、レスリング。()の他のあらゆる格闘技を相手にして来た結果、国内で戎三(いぞう)に勝てる者は居なく成った。



 更なる強敵を求めて、世界を渡った。素手だけでは無い。刃物、鈍器、果ては銃火器ですら相手にした。()れも多対壱(たたいいち)での闘いが多く、常に利は相手側に()状況(シチュエーション)。けれども全力を振るえる相手には、一度として巡り()えなかった。



 戎三は強く成り過ぎていたのだ。一体、どれ程の力を習得したのかが、解らない。全力を振るう相手が居ないのだから、己の底を測り得ないのだ。



「おい、オッサン。何見てんだよ?」



 若い盛りのチンピラ風情が三人、戎三を囲む様にして見ていた。皆、一様に(がら)が悪い。人気の無い裏路地で、華奢(きゃしゃ)な女に不埒(ふらち)な行為を働こうとしていた。全く、反吐(へど)が出る。



「助けて下さいっ……お願いします!」



 半裸姿の女が、涙を浮かべて懇願(こんがん)していた。



 男の一人が、女を抑え付けて離さない。



 白昼から、堂々と恥知らずな(やから)()った。全く見知らぬ女で()ったし、正義の味方振る気は毛頭ない。だが()れでも、見過ごす訳には()かない。



「あ~……()れだ。お前達、怪我をする前に女を、離してやりなさい」



 欠伸(あくび)を噛み殺して、戎三は男達に忠告した。隙だらけの男達。制圧するのは、赤子の首を捻る程に容易い。



()めてんのか、てめぇっ!」



 戎三の胸座(むなぐら)を掴む男。



 ()の行為が如何(いか)に愚かで()るかも知らずに、(いき)がる小童(こわっぱ)。余り滑稽(こっけい)過ぎて、笑いが込み上げていた。



「何笑ってやがんだ、てめぇ……っ!」



 間接に()る様にして、男の腕を捻って()る。大した力は入れていない。



「痛でっ……痛でぇ!」



 苦悶に顔を歪めながら、男は酷く情けない表情を浮かべていた。男で()()らば、如何(いか)なる時で()っても、そんな顔を見せては()らない。



 戎三は何の躊躇(ためら)いもなく、男の腕を折った。短い悲鳴。情けない声だ。骨の音が、枯れ木の様に軽い。栄養不足なのか、骨密度が低い。間髪入れずに、顔面に拳を叩き込んだ。鼻骨(びこつ)もスカスカなのか、容易く破砕(はさい)できた。最近の若者は、見掛けだけで軟弱(なんじゃく)()る。簡単に壊れてしまう。



 力なく倒れる男。地に伏しながら、何やら(うめ)いている。残る二人が呆気に取られた表情(かお)で、此方(こちら)を見ていた。()り足で間合いを詰めて、女を抑え付けている男に寄る。耳を狙って、ゆっくりと手刀を放った。



 小指と中指で挟み込んで、耳を引っ張ってやる。大きく体勢を崩して、女を離していた。肩から(たい)をぶつけると、あっさりと倒れた。



 思いっきり、顔面を踏み付ける。



 歯が砕け散るのが、足の裏に伝わる感触から解った。蛙の潰れた様な悲鳴を上げる男。全く、情けない奴だ。悪に染まるなら、(はな)から覚悟を決めておくべきだ。今更、後悔しても遅い。



 残る男が、鉄パイプで殴り掛かっていた。()表情(かお)は既に、恐怖に染まっている。大抵の人間は恐怖すると、武器に頼ろうとする。



 どんな獲物でも、間合いの内側に入ってしまえば無力と化す。男の懐に潜り込んで、(えり)(そで)を外側から掴んで投げ飛ばした。逆関節を取って、踏み付けると容易(ようい)に骨が折れた。()の男も骨がスカスカで()る。全く、貧弱極(ひんじゃくきわ)まり無い。



 女を見ると恐怖に顔を歪めて、小便を漏らしていた。



「つまらん……」



 強い相手と闘いたい。己の力を存分に、振るってみたい。心の奥底から沸き起こる願望を、満たしてくれる相手が欲しい。無聊(ぶりょう)()げて生きる日々に、辟易(へきえき)としていた。死闘の末に、全力を尽くしてみたい。



 戎三は一度として、全力で戦った事が無かった。未だ見ぬ強敵に想いを馳せ、常に苦慮(くりょ)を寄せている。決して満たされぬ想いで()る。強さに惹かれ、強さを求めた。強き者を求めて、渇きと飢えを感じている。



 戎三は強く成り過ぎていた。



 女を残して、立ち去った。





   弐





 深淵よりも更に深く濃い闇が、何処までも広がっていた。果ての無い、何処までも終わりの無い終焉の闇。



 何者にも抗う事の出来ない闇。何者にも抜け出す事が叶わぬ闇。其れは、極界の在る場所に存在していた。【闇の牢獄】の中を、一人の少年が囚われている。四百年近くも、底知れぬ闇の中で過ごしている。



 常人ならば、完全に自我を喪い無に帰している。けれども、其の少年は違った。深い怨みを懐いていた。



 深い悲しみも又、抱いていた。其の想いに引かれる様に、囁く声が在った。



 四百年もの時間を、自我を喪わずに居られたのは、其の声のお陰だった。声は少年に、知恵を授けた。戦騎に附いて、魔徒に附いて、天界や極界に附いて。様々な知識を与えて、力の使い方を授けた。時には曾ての英雄の話しも語り継いだ。声には幾千もの知識が在る。少年には、果ての無い時が在る。語る言葉も時間も、尽きる事が無い。其れが、少年に取って救いと成った。



 少年は声と共に、牢獄を抜けだす術を探した。どうしても、此処を抜け出したかったのだ。何としても、現世に舞い戻りたい。



 晴らしたい想いが、少年には在ったのだ。曾ての友が、戦騎騎士として蘇っている。自分が【闇の牢獄】に投獄される前に、其の事実を知っていた。閻魔大王が、其の判決を下したのを少年は見ていたのだ。憎悪が弾ける様に、心を粉砕しようとしていた。四百年の時の中で、共に対する想いは更に深く成っていた。



 必ず現世に舞い戻って、曾ての友を自らの手で討つ。



 其の想いが、四百年の間に何かを産み出していた。



 産まれたばかりの其れは、神と呼ぶには余りにも幼かった。けれども、其の力は絶大だった。神の力を以ってすれば、此処を出る事が出来る。声がそう、教えてくれた。



 少年は、神と契約していた。



 己の産み出した禍神(まがつかみ)と契約した事に()り、少年は《禍人の血族》と成った。尤も産まれたての神には、《地の掟》も《血の定め》も課すだけの知恵は無い。



 声が少年に囁いた。



 ――間もなく【闇の牢獄】は破られる。



 【闇の牢獄】に幽閉されているのは、少年だけでは無い。直接には彼等と話した事は無いが、声を通じて其の存在は知らされていた。そして彼等が、禍神と契約していた事も知らされた。彼等は少年と違って、強大な力を有している。禍神を通じて【闇の牢獄】を破る為の力を錬成している。声が全て、手引きしてくれている。



 現世に舞い戻る術が間も無く整う事を知って、少年は深い闇の中で笑った。





   参





「いい加減、出て来たらどうだ?」



 人気の無い公園で、立ち止まる羅刹。時刻は午後九時を回った頃合いだ。時折だが、人の往来が在る。余り派手な立ち回りは出来ない。だが、手加減の出来る相手では無い。



 先刻から、()けられている事に気付いていた。気配の正体にも、憶えが在る。今宵は魔徒の気配は無い。戯れるには調度、良い相手だった。



 狐面の女が姿を現していた。



 此の間の様に、奇襲を掛けずに此方を見ている。




「俺に用は、無かったんじゃないのか?」


「少し、お前に興味が沸いた」


「奇遇だな。俺も、お前に興味が在る。お前は何者だ。何故、此の間は俺を襲った?」


「此の間は、本当に只の勘違いだ。私が探していた男に、お前は良く似ている。尤も……其の男は、もう此の世には居ない!」




 狐面の女――(いおり)は、腰に差した二本の短刀を静かに抜いた。其の構えに、憶えが在る。




「お前、其の構えを何処で憶えた?」


「此れは……私の兄が使っていた技だ。矢張り、そうか。お前は、兄を知っているんだな」




 菴は、静かな殺意を纏っていた。其れは鋭く研ぎ澄まされた刃の様に、冷たく空気を張り詰める。獰猛な獣の放つ殺気だ。気を当てられただけで、鈍い重圧を感じる。



 菴の短刀二刀流の構えが、(かつ)ての友の姿と被る。



 前傾姿勢で、此方を見据える菴。面の下は一体、どんな表情をしているのだろう。羅刹はそんな事を考えながら、短剣を引き抜いた。




「あら、羅刹。私を喚装しなくて、良いのかしら?」


「其の必要は無い。調度、此奴(こいつ)を試してみたかった処だ」




 羅刹は右手を翳して見せた。



 《護りの刻印》が青白く光って、籠手と成る。確かに、菴は強い。以前に合見(あいまみ)えた時には、戦騎の力が必要だった。だが、今の自分には更なる力が必要だ。戦騎無しで、何処まで闘えるのか試してみたい。



 気が付いた時には、菴は此方に向かって仕掛けていた。瞬時の内に、間合いを詰められている。全く隙が無い。有無を謂わさずに、先を取る気だ。



 左から壱の太刀が、振り降ろされる。短剣で払った刹那、弐の太刀が迫る。籠手で受けて、其の手を捻る。遠心力に捲き込まれる様にして、此方に向かって体勢を崩す菴。既に菴は其れに対応しようと半身を捻って、重心を下に降ろしている。だが、羅刹の方が一手、勝っている。



 参の太刀を繰り出す前に、羅刹は短剣を突き出していた。



「何故、剣を止める?」



 菴の胸を短剣が刺し貫く寸前で、羅刹は剣を止めていた。




「お前を斬る理由が、俺には無い」


「いいや、理由なら在る」




 面を外して、菴は微笑を浮かべていた。妖しく鈍い暉を孕んだ微笑。其れは、人成らざる者の笑みだ。全身が総毛立つ様な寒気を感じて、羅刹は身を引いた。僅かに距離を取って、菴を見据える。



 其の額には、赤黒く光る刻印が浮かび上がっていた。術式からして、其れが《禍人の血族》の力だと悟る。だが、菴から放たれる邪気は、人の物では無かった。




「お前、魔徒か?」


(ああ)、そうだ。お前達、騎士が忌み嫌う魔徒だ」




 突然、菴から魔徒の邪悪な気配が強く成った。



 同時に《禍人の血族》特有の不思議な力も、強く感じられた。



「鬼神化した私は、かなり強いぞ!」



 迸る程の殺気を受けて、全身がひりついていた。



 菴は鬼神化していたが、姿形が変わらなかった。己の自我が、魔徒の意思を凌駕している証拠だ。其の手の魔徒は、決まって強い。



 籠手を前に突き出す様な姿勢で、腰を落とした。



 短剣を持つ手を、だらり……と、垂らしている。其の構えは、ボクシングのヒットマンスタイルに酷似していた。



 此の構えならば、如何なる攻めにも対応する事を、羅刹は本能的に理解していた。



 ゆっくりと息を吸い込んで、吐き出す。丹田呼吸をしながら、菴の動きを注視していた。周囲の喧騒が、はっきりと聴こえる。車の駆動音や風の音。菴の息遣いですら、手に取る様に解る。あらゆる感覚が、鋭敏に研ぎ澄まされていた。まるで、時が止まったかの様に、一秒が長い。



 ゆらり、ゆらり……と、菴は身体(からだ)を揺らしている。構えこそは酷似していたが、菴の剣は友の剣とは全く違った。



 ――にたり。



 薄気味の悪い笑みを浮かべた刹那、菴は動いていた。其の瞬間、羅刹は短剣を(しな)らせる様にして突き出した。



 ――其の剣速は、零コンマ壱秒にも満ちていなかった。通常の人間ならば、攻撃を認識してから対応するには零コンマ五秒の誤差が生じる。例え魔徒で在っても、宿主の脳が人間で在る以上は、羅刹の剣速に対応する事は不可能で在る。



 そう、通常ならば――回避は不可能だった。



 左手の刀の(しのぎ)で、羅刹の突きを受ける菴。其れと同時に突きの勢いを殺す様にして、左側に身体(からだ)を捻っている。武の心得が在る魔徒を相手にするのは、初めてで在る。紛れも無い強敵で在るが、戦騎の喚装を無くして対応し切れている。羅刹の中で、慥かな手応えが在った。



 迫り来る右の太刀を、羅刹の眼は捉えている。



 在れを回避して来た事には驚いたが、羅刹は冷静に籠手で受けて()なしていた。



 追撃を繰り出す菴。



 反撃の太刀を放つ羅刹。



 互いの剣が、互いの急所を捉える寸前、互いの剣が止まった。



「二人共、其処までだ!」



 身体の自由が、効かない。



 声の主には、全く憶えが無い。視線を向けると若い女が、此方を見ていた。色の白い美しい女だ。不思議な力を感じる。邪気は一切、感じられない。術の類いが《禍人の血族》に酷似しているが、次元が違った。



 此の時代の寺子屋の着物に身を包んでいる。




「お前は何者だ?」


「何……私は只の禍神(まがつかみ)の化身。半神半人の半端者だ。名は、舞織神楽(まいおみかぐら)と言う」




 あっけらかんと笑う女。



 禍神とは《禍人の血族》達が契約している神の事を指す。



「そいつは、私の従者でね。ちょっと、君の力を試させて貰ったよ」



 其の双眸は、澄んでいた。無邪気に笑う神楽を、羅刹は睨み附けた。




「何が目的だ?」


「何、只の暇潰しさ。私達は、長い時を生きている。目的も無いんで、毎日が退屈なのさ」




 (さっき)から術を解こうと試みるが、全く身体の自由が効かない。闘いに為れば、今の自分は瞬殺されてしまうだろう。



 だが騎士として、退く訳には往かない。




「其の女は、魔徒だ。今、此処で斬る!」


「そうは、往かない。菴は、私の大事な従者だからな。其れとも、私も斬るか?」




 其の刹那、異様な迄に強い力を感じた。全身を途轍も無く、鈍い重圧が圧し掛かる。半端の無いプレッシャーが、身体中の筋肉を強張らせる。其の辺の雑魚とは、訳が違う。



 神だと言うだけ在って、其の力は測り知れなかった。




「尤も、私に戦う力は無い。身を護るので、一杯一杯だ」


「羅刹、戦いは避けた方が、賢そうよ」




 半神とは言え、相手は神だ。



 敵に回すのは、得策ではない。




「我々は基本的には、人間に無害だ。だから、目を瞑って貰いたい」


「……で、お前達は何が目的なんだ?」


「さっきも、言っただろう。只の暇潰しだ。今の香流羅とお前、どちらが強いか興味が在ってな」


「奴を、知っているのか?」


「知っているよ。(いず)れ、(まみ)える時が来るだろう。其の時は精々、私を楽しませてくれ」




 女は菴と共に、消えた。



 舞織神楽と言ったか。気に喰わない女だった。何処かエリザに似ている。同じ神の眷属なのだから、似ていて当然なのだろう。



 好きには成れない手合いだ。



「良い加減、お前も出て来たらどうだ?」



 苛立っていた。



 先程から、人間の気配がしている。魔徒でもなく《禍人の血族》でもない。只の人間の気配だった。




「気付いていたか」


「俺に一体、何の用だ?」




 三十代半ばぐらいの男だった。良く鍛えられた体躯から、並の手練れではない事が窺える。



 只の人間が、自分に何の用が在るかは解らない。だが、好意が在る様には見えない。




「羅刹、人間を相手にしちゃ、駄目よ!」


「解っている」


「何を、ぶつぶつと言っている?」




 普通の人間には、タリムの声は聞こえない。




「貴殿の立ち合い、見させて貰った。我が名は爪倉戎三。是非、立ち合って欲しい」


「断る。俺には、お前と戦う理由は無い」




 男に背を向ける羅刹。



「逃げるのか?」



 羅刹は相手にしなかった。



 背後から、此方に駆け寄る気配がした。駄々漏れの殺気が、何故か心地良く心を愛撫する。逸る心を抑えながら、羅刹は振り向いていた。



 空を裂く拳を、振り返り様に左手で受け流す。体を横に回転させながら、右手で追撃を往なす。




「強いな、小僧!」


「お前も人間にしては、やるな!」




 交わる視線。男には笑みが浮かんでいた。邪気の類いは一切しない。



「剣を抜け。俺は、本気のお前と戦いたい!」



 純粋に、闘いを愉しんでいるのだ。




「駄目よ、羅刹!」


「解ってる」




 追撃の手を緩めない男。



 全てを躱し、往なしているが、予想以上に男は強かった。傷付ける事無く往なす事が、至極困難で在る。



 気が付いたら、サイレンの音が近付いていた。御用と成る訳には往かない。



 相手も同じなのか、攻撃の手を止めた。



「此の勝負は一旦、預ける!」



 迅速に立ち去る男。



 又、厄介な奴が増えたな。



 全く、今日は厄日だった。





   肆





「おっはよー、刹那!」



 萌が人懐っこい笑顔を浮かべて、抱き付いてきた。



「そう言えば、知ってる?」



 萌は目を爛々と輝かせていた。



「今日から、転校生が来るらしいよ」



 二年生の三学期。時期的には、かなり中途半端で在った。



 しかも刹那が通う私立晴明女学院は、お嬢様ばかりが通う学校だ。



 余程に裕福な者が、何か特別な事情で転校して来たに違いない。



「どんな()だろうね?」



 萌が奇異と期待の籠った声音で言った。




「きっと、お金持ちのお嬢様じゃないかな?」


「刹那も、やっぱりそう思う?」




 そうこうしていると、予鈴が鳴った。



 暫くして、担任の教師と共に綺麗な女の子が来た。



「え~……転校生を紹介する。舞織神楽さんだ。皆、仲良くするようにな」



 担任の青山が、気懈(けだる)そうに言った。今年で定年退職の所為か、いつもやる気が無さそうだった。



「舞織神楽と申します。皆さん、仲良くして下さい」



 鈴とした佇まい。透き通る様な、綺麗な声。其の落ち着いた物腰は、高貴な品格を漂わせていた。



「其処の空いてる席に、着いて下さい」



 青山が、刹那の隣りの席を指差す。



 言われる儘に、神楽は席に着いた。




「舞織さん、私は御法院刹那。宜しくね」


「お前の事は、香流羅に聞いているぞ」


「えっ……?」




 何故、神楽は兄の事を知っているのだろう。



 刹那は明白(あからさま)に動揺していた。




「どうして、お兄ちゃんの事を……?」


「成る程……珍しいな。お前は《捧ぐ者》の様だな」


「捧ぐ……者?」




 言っている意味が、解らなかった。



「どうやら、何も知らされていない様だな。其れに、封印の術式が施されているな」



 周りの者には聞こえない様に、神楽は囁いた。




「貴方は、一体……」


「何、只の半神半人の半端者だ」




 笑みに染まる声で、神楽は応えていた。





   伍





 道場で座禅を組む戎三。



 昨夜、見えた少年に想いを馳せていた。



 まるで思春期の少年が、意中の少女に恋い焦がれる様な心中で在った。初めて出逢った(まこと)に強き者。在の少年ならば、本気で死合(しあ)える。



 此れまでの修練を、試す時が来たのだ。己の武を、存分に振るえる相手が遂に現れた。



 内奮える心を、抑え切れなかった。幼い頃に一度だけ、強き存在(もの)を見た事が在る。



 光り輝く鎧を、身に纏い。醜く凶悪な魔物を討ち(たお)した騎士。魔物の正体は、父で在った。不思議と怒りや悲しみは無かった。共に居合わせた弟は、悲しみに涙していた。憎しみに染まった(まなこ)を、光の騎士に向けていた。



 だが、己の胸中に在った物は、全く別の感情で在る。



 其の騎士は真に、強き男で在った。(たけ)る様な、雄々しき鎧。迸る程に鍛え上げられた体躯。全てを射抜くかの如き眼差し。



 包み込む様な優しい笑顔を受けて、こう想った。



 ――何時(いつ)か光の騎士よりも、そして誰よりも、強く成ってみせる。



 昨夜の少年は、光の騎士に何処か似ていた。



 目を見開いて、戎三は眼前の刀を見た。




 ――打刀(うちがたな)篠ノ雪(ささのゆき)




 銘こそは不明で在ったが、其の切れ味は折紙付きで在る。笹の上の雪を落とす程の切れ味から、付いた其の名は伊達では無い。



 其の刀身は通常の太刀よりも、少し長いが敏捷性(びんしょうせい)は打刀の方が優れている。打撃力こそ優れているが、太刀は抜刀後、刃を返さなければ、相手を斬る事が出来ない。だが打刀の場合は、刃を上に向けて帯刀する為、速やかに敵を斬る事が出来た。



 戎三は篠ノ雪を手に取って、立ち上がっている。



 磨上無銘(すりあげむめい)の刀を腰に差し、静かに笑った。



 少年に想いを馳せて只々、笑った。



 ――相手に取って、不足は無い。





   陸





 ――天界。



 神々の住まう居城に、二人の騎士が(ひざまず)いていた。



 一人は初老の男だった。鮮やかな赤毛が印象的で在る。



 もう一人は、三十代の男。其の鍛え上げられた体躯は、洗練されている。



 二人は共に、天界の神と契約した天仕で在った。



 《禍人の血族》と違って、天仕は何の制約も受けない。そして天仕には、不老と強大な力が与えられる。言わば、神の御遣いと成るのだ。



「良くぞ、参った。邪悪なる魔獣・タタラが復活した事は、知っているな?」



 神が言った。



「我々に、タタラ討伐の命を御与え下さい」



 赤毛の男――矢紅が言った。




「タタラ討伐は、矢紅(しぐれ)。貴方、一人で(おもむ)きなさい」


「何故、大軍を率いないのですか?」




 若い騎士が問う。




「【闇の牢獄】が先程、破られました」


「【闇の牢獄】が……。では、例の戦騎が解き放たれたと言う事に成る。其れと同時に、皇渦陸仙(おうかろくせん)が動いた事を意味する」


「だからこそ、同じく皇渦陸仙で在る貴方達を()び寄せたのです」




 ――皇渦陸仙。




 天界の賢人・仙人達の頂点に位置する六人。其の内の三人が、闇に墜ちて【闇の牢獄】に幽閉されていた。




「天界は今、非常事態に在ります。天界の戦力を、タタラに割く余裕は在りません。(きょう)、貴方は暗黒戦騎・ガルム並びに、皇渦陸仙の討伐を命じます。最強の騎士《金獅子》と呼ばれる貴方にしか、任せる事が出来ません」


「畏まりました」




 二人は深々と頭を下げて、其の場を去った。





   漆





「こんな所に呼び出して、何の用だ?」



 学校の屋上に刹那と神楽が居た。




「貴方に教えて貰いたいの……私の力の事を、貴方は私の事を《捧ぐ者》と言ったわ」


「矢張りお前は、何も知らずに育ったのだな。お前の家族は、優しいな。何も知らずに、普通の女子(おなご)として過ごした方が、お前に取っては幸せだぞ?」




 妖艶な笑みを浮かべて、神楽は問う。




「私は……皆の力に成りたいの。何も知らずに、護られてばかりじゃ嫌なの!」


「危険な日常を生きるよりも、平穏無事な日々を過ごした方が幾分、幸せだと思うがな。まぁ……私の知る物は皆、決まって命知らずばかりだ。ならば、教えてやろう」


「有り難う……!」




 目を輝かせる刹那。



 自分の背負う定めを知れば、其の笑みは消えるだろう。護られる日々を、無難に過ごす事だろう。




「《捧ぐ者》とは、其の名の通り己を捧ぐ者の事だ。己の命を削り、他人に力を与える事が出来る。傷を治す能力(ちから)も、備わっている。軽い怪我ぐらいなら、代償も少ない。……だが、命に関わる傷を治すならば……寿命が数年、無くなる物と思った方が良い」


「凄い……。私に、そんな力が在るなんて」




 嬉しそうに、頬を紅潮させる。



 其の表情も、直ぐに消える事に成る。



「そして《捧ぐ者》の大きな特徴は、其の身を魔徒に捧ぐ事が可能だと言う事だ。例え其れが、魔徒の王族で在ってもだ。故に、魔徒や邪悪な者に狙われ易い。尤も……お前には、封印が掛かっている。狙われる可能性は、宝くじ程度にしかない」



 表情を少し曇らせる。間違っても、封印を解きたいとは言うまい。




「戦騎騎士の力に成る方法は、無いの?」


「在るぞ。騎士を、とびきり強くする方法がな」


「どうすれば、良いの?」


「簡単な事だ。願えば良い。《捧ぐ者》の力は、祷りの力だ」


「だったら、御願い。私の封印を、解いて頂戴!」




 決意に満ちた表情。



 曇り無き其の(まなこ)を見て、神楽は満面の笑みを浮かべた。




「お前は面白い奴だな。気に入った。封印を解いてやる代わりに、私とも契約してみないか?」


「そんな事が、出来るの……?」




 驚いた表情を浮かべて、刹那が問う。




「出来るさ。私は一応、神だからな。お前の負担を、私が軽減してやろう。其の上で、力を抑える術式を授けてやる」


「どうして、其処までしてくれるの?」


「単なる私の気紛れだ。気にする事は無い。《血の定め》や《地の掟》等と言う、まどろっこしい奴も要らない。但し、私を楽しませろ。良いな?」




 笑みを浮かべて、刹那に問う。



 神楽はいつも笑みを浮かべているが、其れは表面上の事に過ぎない。本心から、笑った事が無かった。だからこそ、心の底から笑ってみたかった。刹那と契約する理由も、菴の時と同じだ。



 神楽は友として、刹那を気に入ったのだ。友と親しく成れば、愛着が湧く。菴の様に昵懇の仲に成れば、情も入る。



 刹那は、呆気に取られた様な表情を浮かべていた。




「解った。楽しませる。……けど。貴方、変わってるわね?」


「お前も充分、変わり者だ!」




 神楽は手を翳して、刹那の胸に触れた。



「今、封印を解いてやる!」





   捌





「又、お前か……」



 羅刹は溜め息混じりに、男を見た。



 時刻は深夜二時。場所は公園。昼間とは打って変わって、煩雑が無い。電球の切れ掛かった街灯が、胡乱な明かりを照らしている。闇夜には調度、良い。



 昨夜の男は、刀を携えていた。



 静かな殺気を(たた)えている。



「俺は、お前と戦う気は無い!」



 無言の男。


 只、此方を見据えている。




「羅刹、魔徒の気配よ」


此奴(こいつ)か?」




 男を見るが、そんな(きざ)しは無かった。




「彼は只の人間。昨日も言ったでしょ?」


「だろうな。じゃあ、魔徒は何処に居る?」


「彼の腰に差している在の刀。彼処(あそこ)から、邪悪な気配を感じるわ」


「なら……此奴は、魔徒に操られてるのか?」


「其れも違うわ。彼が魔徒を操っている。魔徒の意思を、凌駕しているわ。彼、強いわね」


「そんな事は、初めから解っている。実の処、俺も此奴と戦ってみたかったからな」


「殺しちゃ、駄目よ。あくまでも、相手は人間なんだから」


「解っているさ」




 羅刹は短剣を引き抜いて、男を見据えた。




「漸く、剣を抜いたな。我が名は、爪倉戎三。貴殿の名は?」


「羅刹だ。悪いが、手加減は出来んぞ!」




 羅刹は男に目掛けて、斬り掛かっていた。





   玖





 羅刹の初撃を鞘で受けて直ぐ様、斬り払った。が、籠手で防がれた。



 足払いで、態勢を崩しに掛かる。其れも半歩、下がって躱される。僅かに()れた隙を衝かれて、羅刹の蹴りを腹に受ける。



「……ぐぅっ!」



 予想以上に重く鈍い。



 羅刹は蹴りの勢いを活かして、飛んで上段斬りを放って来た。



 (たい)を捻って躱しながら、廻し蹴りを放つ。



 ――確かな手応え。



 空中で回転しながら、羅刹は蹴りの勢いを逃がしていた。同時に短剣の一撃を放っている。刀で払った直後、額を鞘で割られていた。



 ――だらり、と垂れる鮮血。痛みは余り感じなかった。脳内でアドレナリンが、分泌されているからだろう。



 追撃を放つ羅刹。



 体を捻りながら、刀で受け流した。脇ががら空きに成っている。鞘で打つと羅刹は、苦悶の表情を浮かべていた。



 矢張り(さっき)の蹴りで、肋が何本か折れていたか。



 後ろに飛んで、羅刹は距離を取ろうとする。逃がす心算は無い。



 間髪入れずに間合いを、ぴたりと詰める。羅刹から繰り出される短剣の一撃を、刀で受け止める。



「……強い。本当に、強い!」



 肝胆(かんたん)感嘆(かんたん)の声が漏れ出ていた。此れ程迄に強き者と闘うのは、生まれて初めてで在った。心が充溢している。此れまで、貪婪に強さを求めていたのは、此の時の為だったのだ。



 蝟集(いしゅう)された想いが今、結実する時が遂に来た。陶然とした感覚に身体が包まれている。



「お前も、強いな……」



 交わる声。



 重なる刃。



 高鳴る鼓動と抑え切れぬ衝動。ひりひりと身を焦がす様な、空気に包まれていた。此れ程までに満たされた事は、未だ(かつ)て無かった。



「だが、まだ全力ではない。俺は、本気のお前と戦いたい!」



 刀で払い、飛び蹴りを放つ。右の蹴りは、躱された。左の蹴りは、腕で受けて防がれた。身体を捻って、回転した勢いで再び右の蹴りを()る。



 空中での三連脚。



「技の名は蓮華(れんげ)。よもや……此の技を使える日が来るとは、夢にも思わなかったぞ」



 況してや、三連撃目に合わせて、短剣を放って来るとは思わなかった。



 右足の靭帯を斬られていた。




「諦めろ。其の足では、真面(まとも)に動けない。大人しく、其の刀を渡してくれれば、命までは奪わない!」


「興が醒める様な事を言うな。お前も武人ならば……解るだろう?」




 死ぬならば、戦いの中で死にたかった。



 互いに死力を尽くした上で、逝きたかった。



「成らば……俺も全身全霊の剣で、応えてやる!」



 羅刹の真っ直ぐな瞳には、一点の曇りも無い。



「礼を言う」





   拾





 擦り足で、間合いを詰める。



 【糸游(いとゆう)】を使い間合いを、狂わせるのが目的だった。



 どんな事情で在っても、人間を殺す訳にはいかない。刀だけを砕けば、其れで良かった。



 魔徒を討つ。其れが己の使命だ。



 人間を護る。



 其の想いに、反する真似はしない。



 戎三の放つ斬撃は、空を切っていた。既に自分は、背後を取っている。



「見事だ!」



 叫ぶ戎三。



 腹に鈍い痛みが走っていた。



 一瞬、何が起きたのかが理解(わか)らなかった。



 戎三は己の腹を貫いて、攻撃してきたのだ。其の捨て身の奇襲を、全く予測していなかった。



「不味いわよ、羅刹。彼が魔徒と同化したわ」



 羅刹は後ろに退がっていた。



「其れに……己を殺した事に()り、鬼神化したわ」



 戎三の傷が癒えていく。




「気を付けて。彼の能力は《練磨》よ。既に貴方の技は、学習されてしまっている」


「戦騎を喚装しろ!」




 叫ぶ戎三。



 鬼神化しても、其の姿が変わっていない。



 そういう手合いは、決まって強い。




「何故、魔徒に身を委ねた?」


「言っただろう。俺は、本気のお前と戦いたい!」




 戎三は、斬り掛かって来た。



 戦騎を喚装して、籠手で受けた。



 短剣を、刀に変化させて斬撃を放った。



「お前ならば、騎士に成る道も在った筈だ!」



 極界の炎を、身に纏う。



「正義の味方は、性に合わん!」



 《糸游》を繰りながら、刃を放つ。上下に打ち分けながら、隙を窺う。



 だが、隙など微塵も見出せなかった。



「俺も同じだ。だが、今は護りたい者が居る!」



 先程、戎三が見せた蓮華を放つ。



 三連撃目に、刀を合わせて来る戎三。



「そして……其の存在が、俺を強くする!」



 更に身体を回転させて、鞘で刀を打った。炎の出力を、刀に集中させて五連撃目の斬撃を放った。



「見事だ。最早、一分(いちぶ)の悔いも無い!」



 炎の斬撃を受けて、戎三の身体は燃えていた。



 本当に強い相手だった。無聊を携えて掛かった己を、恥じなければ為らない。此の傷は、其の報いだ。薄れる意識の中、煌めく一陣の暉を見た。其れは戎三が放つ最期の暉だ。灰に成りながら、全霊の剣で斬り掛かって来ている。



 既に戦騎の喚装は解いていたが、問題は無い。



「誠にッ……天晴だッ!!」



 放たれた短剣を胸に受けて、戎三の身体は灰燼に帰した。



 ――爪倉戎三。其の強き者の名を、確りと心に刻み込んで短剣を鞘に納める。



「……糞。思ったよりも、傷が深い」



 眩暈がして、膝を着く羅刹。腹部が血に染まっている。其の出血量は、尋常ではなかった。此の儘では不味い。



 息が荒れている。身体に力が入らない。血と汗にへばり附く衣服が、異様に重い。脱力が全身を襲う。血に伏せば、途端に意識を失うだろう。抗い切れぬ睡魔が、曾て経験した死を誘う。



 意識が薄れて往く。



 此の儘では、不味かった。眠れば、確実に死ぬ。自分は未だ死ねない。漸く見えて来た光を、護りたい。



 刹那を、守護(まも)りたい。こんな処で、死ねる訳が無かった。



 何処か遠くで、声がした。



 自分を呼ぶ其の声が、とても温かくて心地良かった。気付けば、地に伏していた。



 温かい暉が、身体に触れている。意識が甘やかな微睡(まどろ)みに墜ちて、溶け込んでいった。





   拾壱





「羅刹!」



 タリムに(いざな)われて、駆け付けた時には、既に羅刹は崩れ墜ちていた。



 息も絶え絶えに、苦しそうな表情をしている。夥しい血を、腹から流している。此の儘では、羅刹が死んでしまう。



「羅刹っ……!」



 涙ながらに、叫んでいた。



 羅刹を救いたかった。



 ――《捧ぐ者》の力は、祷りの力。



 神楽の言った言葉を思い出して、羅刹を抱き締めていた。



 刹那の全身を光が包んでいる。刹那の両の手には、白く光る刻印が浮かび上がっている。温かな暉で在った。不思議な力が今、自分の中で息衝いているのが解る。今為らば、其の力の使い方が理解(わか)る。



 刹那は内に在る想いを、一心に籠めた。



 ――羅刹を救いたい。



 其の想いが願いと成り、祷りと成った。



 そして其の祷りは、力と成った。



 刹那から発せられる暉が、羅刹の身体を優しく包み込んで往く。次第に癒えていく傷。羅刹の血色は、みるみると良く成って往く。先程まで荒れていた呼吸も、穏やかな寝息に変わっている。其れを見て、刹那は安堵していた。




「其れが、貴方の力なのね……刹那ちゃん。羅刹を救ってくれて、ありがとう」


「ううん……。私はいつも、羅刹に護られているもの。私は少しでも、羅刹の力に成りたい」


「貴方の其の優しさが、羅刹を変えてくれた。本当に……感謝してるわ」


「ありがとう、タリムさん……」




 急に眩暈がした。



 力を使った所為だろう。



 其れにしても、どうやって羅刹を運ぼうか。



 眠る羅刹を見ながら、刹那は思案した。





   拾弐





 矢紅は思案に暮れた。



 《開門》に次いで、タタラ討伐の命を受けた。何方(どちら)も片手間には出来ない。だが、何方も確実に果たさなければ為らない。でなければ、多くの命が失われる。既に《開門》に関する資料は、全て目を通していた。必要な準備や術式も、調べ上げている。天承院附けの騎士団に通達して、施さなければ為らない術式は現在、錬成中で在る。



 此れまでに二度、天承院は壊滅的な被害を受けている。



 たった一体の魔徒に依る被害で在る。



 現在、其の魔徒を討つ術は無い。贄を捧げて、帰って貰う以外の術を知らない。如何なる騎士とて、対抗し得る術が無い。天界の神々の力も及ばぬ程に、其の力は強大なのだ。其の詳細も、神ですら知り得ぬのだ。故に討つ術は無い。封印する事すら敵わない。魔徒の住まう極界に只、帰って貰うだけで精一杯なのだ。



 過去にも数度に渡って神々が極界に赴き、件の魔徒を討つべく部隊を編成した事が在る。其の何れも部隊は壊滅した。神をも喰らった魔徒は、更に増大した。故に全く手が附けられない。何者にも、討てないのだ。



 被害を食い止めるには、帰って貰う縒り他は無い。



 神々は常に魔徒を監視し続けている。先の未来を詠む力の在る神は、魔徒の出現時刻を割り出す事に全霊を尽くしている。故に魔徒が何時、何処に出現するのかだけは、在る程度は解っている。多少の誤差は在れども、其の時刻は概ね正確で在るらしい。



 らしい、と謂うのは、矢紅が其の魔徒と相対した事がないからだ。天承院の永い歴史の中でも、稀有な事例で在る為、矢紅ですら事態を飲み込めないでいた。



 《開門》に必要な贄の選出は、常に人間の住まう現世にて行われる。詰まり件の魔徒が、現世に送り込まれる事を意味する。下手をすれば、人の世が滅ぶ事態を招いてしまうのだ。



 其れに加えて、タタラ復活が重なってしまった。頭を悩ませる最中、矢紅の脳裏を在る閃きが掠める。かなり突拍子も無い事だが、上手く往けば全て纏めて解決する。タタラ討伐の任が重なったのも、何かの運命を感じていた。



 魔徒が天界に出現するまでに後、一月程の猶予が在る。其れまでに全ての事を運び通す事が出来れば、或いは死者の数を最小限に留められるかも知れない。



 必ず皆を守護(まも)ってみせる。



 其れが矢紅に課せられた使命なのだ。





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