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咎人戦騎  作者: 81MONSTER
7/17

第七話【魔窟】






   壱





 霧深い山の中を、香流羅かるらは一目散に歩いていた。周囲は邪気に満ち溢れている。



 山全体には、異常な規模の結界。一体、誰が張ったのかは解らない。



 規模からして、個人の張った物では無い。



 大掛かりな結界装置と、大規模な人員を用いた結界だ。




 結界を破るのに、三日も掛かった。破ると言っても、小さな穴を空けた程度。れでも、人間一人が通る入口としては、問題は無い。もっとも一日もしない内に、穴はふさがってしまうだろう。山中に人の気配は全く無い。代わりに死屍累々(ししるいるい)と築き上げられた獣達のかばねが、無数に転がっていた。普通の山とは、明らかに一線をかくしている。




 山の至るところに、魔徒まとの気配を感じた。一つ一つの気配は弱いが、の数は百を越えているのは明白でる。どうやら山全体が、魔徒の巣と化している様だ。



 いにしえの時代から、人々に魔窟まくつとして恐れられたの山の何処どこかに、香流羅の目的の物がる筈だ。



 ――人間よ、我にお前を喰わせてくれ。



 猪に取り憑いた魔徒が、ささやき掛けて来る。鼻の奥まで膠着こびりつきそうな腐臭ふしゅうが、胸糞の悪い気分にさせる。香流羅は嘆息たんそくしながら、周囲の殺気をうかがった。



 ――我にも、喰らわせろ。



 背後からも、魔徒の気配がする。



 ――いいや、我に喰わせてくれ。



 至るところから、魔徒が狙って来ている。揃いも揃って、胸糞の悪い匂いを漂わせている。そう、れは死の匂いだ。



「香流羅ぁ……帰った方が、良いんじゃない?」



 鷹の姿をした青丸が、不安げな声を投げ掛ける。



「情けない事を、言うな。赤丸、全部で何匹ぐらいだ?」



 狼の姿をした赤丸が、鼻を効かせて魔徒の気配を探った。



「全部で八匹だ。前方に三匹。後方にも、三匹。上に一匹。最後の一匹は……」



 隆起りゅうきする土の気配を、鋭敏えいびんに感じ取って一同は飛んだ。



 瞬時に青丸を、腕に宿らせる。青い光が羽根と成って、両のかいなまとう。小太刀でとんびに憑いた魔徒を斬り滅ぼして、光の羽根を前後の魔徒に送る。起爆札きばくふだり交ぜた攻撃を受けて、散々(ちりぢり)に飛散し、消滅する魔徒達。残った土竜もぐらに憑いた魔徒を、赤丸が噛み殺していた。




「こいつは、只の雑魚だ。さっさと、目的の物を見付けるぞ」


「解ってるよぉ、香流羅ぁ~!」


「なら、さっさと行くぞ!」




 二匹の霊獣が、香流羅にき従う。赤丸も、青丸も、神に与えられた神の眷属けんぞくだった。




 彼等を使役するには、を操るすべを身に付けねば成らない。才覚のる香流羅には、二匹の霊獣を使役しえきする程の操氣術そうきじゅつる。れでも御法院みほういんの歴史で見れば、香流羅は未々(まだまだ)、未熟でった。故に香流羅は力を求めている。目的をげるには、絶大なる力が必要だ。だからこそ、禁術に手を出そうとしている。




 神に与えられた【天涯てんがいの書】には、龍脈りゅうみゃくの流れが記されていた。龍脈とは、大きなの流れでり、氣は川の様に流れている。氣が集まる場所には、土地神が宿る。香流羅が契約している神もの一つだ。の書には、龍脈の歪みが生まれる場所と、の周期が記されている。




 そして【人外じんがいの書】には、氣を操る術が記されている。すなわち、龍脈の氣を取り込み、おのが力とする術が記されているのだ。



 大きな氣を操る為には、魔徒の骨で造られた数珠じゅずが必要でった。禁忌きんきの秘術だが、習得すれば格段に強く成れる。自分は強く成らなければらない。



 の名も解らぬ山の何処どこかに、目的の物がまつられている社がる。れを見付ける迄は、山を降りる気は無かった。



 静かな憎悪を胸に秘めながら、香流羅は屍の山を歩いていた。





   弐





「何の用だ?」



 一人、短剣を振るう羅刹を見ながら、刹那は申し訳なさそうに呟いた。




うちに来てみない……?」


「戦騎騎士で在る俺が、《禍人の血族》の家にか?」




 刹那は良く解っていなかったが、どうやら其れが不味い事なのは解っている様だった。




「安心して。家には今、お姉ちゃんしかいないから……。其れに……お姉ちゃんも、羅刹に逢ってみたいって言ってるの」


「何も知らない様だから、教えてやる。《禍人の血族》とは、戦騎騎士に見捨てられた人間が、魔徒に対抗する為に、神と契約した一族の事だ。騎士達と《禍人の血族》の対立は、何千年も前から続いている。四百年前に起きた魔徒達との大きな闘いの際に、其の溝はより大きな物に成った」



 一息に捲し立てる羅刹。




「四百年前に一体、何が起きたの……?」


「騎士達は《禍人の血族》達を、捨て石に使ったのよ。其れが伝承に依って、大きく歪んで伝わっていったわ。《禍人の血族》に取って、戦騎騎士とは、魔徒以上に憎い対象と成っているの」




 タリムが諭す様に、付け加える。




「だって……羅刹は、私を護ってくれたでしょ?」


「あぁ。だが……他の《禍人の血族》は、俺なんかには護られたくない筈だ。現にお前の兄貴は、俺を憎んでいた」


「お兄ちゃんに、会ったの?」


「二度、刃を交えた」




 香流羅の眼は、憎しみに染まっていた。憎悪の炎は、決して鎮火する事は無い。いつまでも、何年でも、己がを焼き焦がし続ける。其の炎が大きければ大きい程に、紅蓮の憎悪は殺意と成って放たれる。



 其の感情は、戦騎騎士で在る自分に確実に向けられていた。香流羅の瞳に宿る憎しみは、自分の眼にも宿っている。自分と香流羅は、似た者同士なのかも知れない。



 故に互いに解り合う等、不可能に等しかった。そう、解り合える筈が無い。




「ご免なさい。……けど、お兄ちゃんは私が必ず説得して……」


「――無理だ!」



 刹那の言葉を遮って、羅刹は叫んでいた。



「二人共、少し落ち着きなさい!」



 二人をいさめるタリム。




「兎に角。一度、刹那ちゃんのお姉さんに逢ってみなさい」


「本気で言ってるのか?」




 意外そうに、羅刹が問う。




「其れと……私は【裁きの門】に喚ばれているから、着いて行けないからね?」


「タリム、お前……面倒事を俺に押し付けて、逃げるつもりか?」


「あら、其れとも……貴方も【裁きの門】に着いて来るのかしら?」


いや、在の女は嫌いだ」


「なら、決まりね。行ってらっしゃい!」




 愉しそうに言って、タリムの気配は消えた。



 極界に在る【裁きの門】に向かったのだろう。此れで暫くは、戦騎を喚装する事が出来ない。



「羅刹……?」



 窺う様に、刹那が此方を見る。




「仕方がない。今回だけだからな」


「うん!」




 表情を明るくして、刹那は頷いた。





   参





此処ここか……」



 五十匹以上の魔獣をほふった頃、ようやく目的の社が見えて来た。次第に霞む視界は、霧の所為せいだけでは無い。体力の限界が近付いていたが、休む訳にはかない。



「貴様、此処ここに何の用だ?」



 今度は人の姿をした魔徒まとが、行く手をふさいでいた。先程までの雑魚ざことは様子が違う。



 身形みなりからして《禍人まがびとの血族》だと解った。恐らく自分と同じ様に、数珠じゅずを求めて此処ここに来たのだろう。そして魔徒に討たれて、魔徒に成り下がった。恐らく、そんなところだ。



 鬼神化こそはしていないが、自分と同じく《禍人の血族》ならば、術を使う筈だ。



 ――もう、使っているよ。



 何処どこからか、声がこえた。若い女の声だ。



 光の輪が、身体を拘束している。身動きが取れずにいると、目の前の男が槍を構えていた。逃げるいとまは無さそうだった。真面まともに受ければ、命は無い。



「赤丸!」



 香流羅の声に呼応して、炎の鎧が身を包んだ。



 放たれた槍が、先端から炎の熱で溶けていく。此方こちらも術を使って、拘束を解いた。術の様式からして、御法院みほういんの物でる事が解った。同門とう訳だ。死者とはえ、身内に手を掛ける事にる。



香流羅かるら、後ろ!」



 敵が二人以上、居るのは解っていた。己が祖先が相手だとしても、邪魔立てするらば斬るだけだ。



 背後から閃光に包まれた弓が飛来していたが、飛んで躱した。空中で、青丸の羽根をまとう。の形態で居れば、短時間だったが飛行が可能に成る。の矢、さんの矢と追撃をしてくる女。躱しながら、女を目掛けて滑空する。動きが単調だ。



 背後で雷鳴が、鳴り響いていた。どうやら男は、雷を操る様だ。前後から閃光が襲い掛かっていたが、つばめの様に素早い動きでかわす。二人の動きには、共通して隙がる。溜めが長い為に、連続して術を放つ事が出来ないのだろう。未熟な故に、補い合う様にして二人で連携しているのだ。だがいくら連携していようが、所詮は未熟なコンビネーション。崩す事は容易かった。



「貰った!」



 光の羽根と共に、起爆札を女に飛ばした。



 爆発と共に、女の気配は容易たやすく消滅した。



 香流羅は空中で旋回して、男に目掛けて飛来した。



 雷を放つ男の顔は、修羅の形相で在った。余程、此の世に憎しみをのこしていたのだろう。もっとも憎しみを持たない《禍人の血族》は、かなりまれな存在だ。自分のり得る中では、一人しか居ない。



 紙一重で雷を避けて、男の胸に小太刀を突き刺していた。



 此方こちらにも、譲れぬ事情が在る。こんな処で、つまずいている時間は一寸も無い。



「大人しく、消えるが良い!」



 小太刀を斬り上げながら、香流羅は叫んでいた。



 体力的にも精神的にも、随分と疲弊していた。だが、休む訳には往かない。香流羅は懐から、御法院家に伝わる丸薬と栄養ドリンクを取り出した。



 近年の栄養ドリンクには、砂糖やカフェイン等が大量に含まれている。丸薬と合わせて飲めば、かなり体は楽に成る。



 こんな処で、立ち止まってなど要られない。



 自分は必ず戦騎騎士を斬る。



 一族を護り、怨みを晴らすのだ。



 亡き父と母の為にも、愛する者達の為にもだ。





   肆





白鷹戦騎はくおうせんきタリムよ、良くぞ参られた」



 【裁きの門】の番人でる【なげきのエリザ】がおごそかに言った。エリザは天界の神々の眷属けんぞくるが、千年前の闘いで粗相そそうを起こして、極界ごくかいに追いやられた。以来、此処ここで番人としての役目を与えられている。




「羅刹は、ようやく騎士としての使命が芽生えた様ですね」


「はい。今はの子に取って、大切な時期。厳正げんせいなる御裁おさばきを願い申し上げます」




 羅刹の処遇しょぐうは、エリザの気分次第でいくらでも変える事が出来る。エリザの機嫌を損ねれば、即刻にでも地獄へ逆戻りとう事も起こり得る訳でる。



 零落おちぶれたとは言え、エリザは神々の眷属けんぞくる。れだけの権限が、彼女には与えられていた。




「今日は羅刹の事で、貴方を招いた訳では在りません」


れでは、どう言った御用向ごようむきで御座ございましょうか?」




 エリザの招集は、何時いつだって悪い予感しかしない。大抵はエリザの尻拭いが多い。そしての殆どが、ろくでも無い事ばかりだ。



 きっと今回も、面倒事をおおけられるに違いない。



 身構えるタリム。




「邪悪なる魔獣・タタラが、現世に蘇ってしまいました」


「タタラが……そんな、馬鹿な。奴の復活は、未だ千年以上も先の話では、在りませんか?」




 タタラとは、古の時代より多くの人々を苦しめ、数多あまたの戦騎騎士をほふって来た魔徒の名だ。



 強大な力を有した魔徒。四百年前に多くの騎士や戦騎の犠牲と引き換えに、ようやく封印したのだ。其の闘いにタリムも又、参加していた。そしての時に、多くの《禍人の血族》が犠牲に成った。



 タタラの強大で巨悪な力は、に嫌と言う程に染みている。



「万が一、タタラと相対したら……倒せとは、言いません。人々を安全な場所へと避難させなさい」



 本当にタタラと相対したのらば、逃げる事すら至極困難しごくこんなんな事で在った。



 其れに羅刹の性格を考えれば、逃げる事は絶対にしない。



 面倒事が又、一つ増えてしまった。



「我々は、貴方を失いたくは在りません。良いですね。呉々(くれぐれ)も慎重な行動を御願い致しますよ」



 要するにエリザは、自分の保身を考えているのだ。



 先の大戦で、多くの戦騎を失った。現存する戦騎の数は、千年前の十分の一しかない。魔徒達との闘いに勝ちこそはしたが、エリザの立案した作戦の所為せいで、多くの戦騎を失ったのも事実。エリザの立場からしたら、れ以上の失態をさらす訳にはかなかった。何せエリザには、後が無いのだ。



いずれ天界より、タタラ討伐隊が編成されるでしょう。貴方は其れまで、何としても生き延びなさい。話は以上です」



 エリザは直ぐにではなくて、何れと言った。詰まり未だタタラ復活の報告を、天界にしていないと言う事だ。



 そうでなければ、天界で非常事態が起きているかだ。どちらにしても、タリムにどうこう出来る話ではなかった。



「畏まりました……」



 タリムには、渋々ながらに受け入れる他なかった。





   伍





「さて、数珠はの奥か……」



 社に入った途端、魔徒以外の気配を感じていた。



 気配は二つった。のどちらも、並の手練てだれではない。今の自分では、手に負える様な相手では無いのは瞬時に理解わかった。



 の内の一つが、此方こちらに接近していた。緊張が全身を駆けめぐる。下手をすれば、瞬きのいとまも無く殺され兼ねない。香流羅は懸命に、生き残る術を探った。全身を伝う冷や汗と、焦りばかりがまとわりく。



「珍しい事もるな。此処ここに、人間の来客がるのか?」



 何時の間にか、もう一つの気配が背後にった。



 振り返り身構える。



「止めておけ。私達に、闘う意志は無い。れに、お前では勝てん」



 魔徒では無い。人でも無い。の気配は、神に近しかった。邪悪なは、全く感じられない。



「お前等は一体、何者だ?」



 警戒を強めながら、攻撃の機会をうかがう。不用意に掛かれば、此方こちらが死ぬ事に成る。



 れだけの手練れが、二人も居る。闘うのは得策では無かった。だが、退く訳にはかない。



あんずるな。私達は、敵ではない。見ての通り私は、半神半人の半端者。其処そこに身を潜ませているのは、私の従者だ。いおり、姿を現せ!」



 女に言われるままに、狐面を付けた小柄な女が姿を現した。全く隙が窺えなかった。



「私の名は舞織神楽まいおみかぐら。一応、今の世に馴染む為に、女子高生とう奴をやっている。此処ここは、一時的に寝床として使っているだけだ」



 邪気や悪意は、全く感じられなかった。



 女の言葉を信じる訳ではなかったが、嘘ではない様だ。の人懐っこい笑顔に、自然と心が緩みそうにる。




「俺はの奥にる物に、用が在る。通らせて貰うぞ」


「別に止めしないが、止めておいた方が身の為だ。の奥には、魔徒がうようよ居る」




 気配から、十や二十ではない事は解っていた。此処ここに来るまでに、随分と体力が消耗している。



 だが、退く気は無い。




「忠告は、無用だ。何が在ろうが、俺は目的を果たさねばらん」


「なら、菴を連れて行け。きっと、役に立つぞ」




 信用は出来ないが、の先の気配から、一人では危険なのは解っていた。




「面を取れ。素顔を見せん奴は、信用ならん!」


れで、満足か?」




 狐面を取ると幼い顔が、あらわになった。



 妹の刹那よりも、幼い。仏頂面でったが、可愛らしい顔をしている。



 僅かだったが、香流羅の警戒が緩んだ。正確には、油断しているのだ。れが、命取りに成る。



「直ぐに警戒を解いては、いかんな……」



 僅かに生まれた隙をいて、菴は小太刀を抜いていた。



 太刀筋が、見えなかった。気付いた時には、喉元に切尖きっさきを突き付けられていた。菴が其の気で振り抜いていれば、首を斬り落とされていただろう。



 ――成る程な。



 自分の弱点は、油断をする所にる様だ。



 神と同じ言葉と刃を向けられて、今の自分では二人に勝てない事を悟る。



「菴、刀を納めよ」



 女に従う菴。主従関係は明白で在った。



「そう言えば、御主の名を聞いて無かったな?」



 微笑を浮かべる女。



 美しい顔をしていた。此方こちら見据みすえる瞳には、けがれの一切が感じられない。




御法院香流羅みほういんかるらだ」


「では、香流羅よ。無事に帰って来る様、まじないを掛けてやろう」




 女が手をかざすと、香流羅の全身を温かい光が包んだ。今の所、二人は自分に味方してくれる様で在った。



 菴を連れて、香流羅は社の奥深くへと消えて行った。





   陸





「貴方が、羅刹ね。刹那ったら中々、良い男を連れて来るじゃない」



 品定めをする様に、砂羅さらは羅刹をまじまじと見た。



 《禍人の血族》特有の不思議な力を、砂羅から感じた。恐らく砂羅は香流羅かるらよりも、遥かに強い。



 タリムが居ない今、闘いに成れば勝てる気がしなかった。



「あら、嫌だわ。取って喰ったりはしないから、そんなに身構えないで」



 たのしそうに、笑みを浮かべる砂羅。



 敵意は全く感じられない。



「貴方には、何の怨みもないわ。其れに私は刹那を護れれば、れで良いのよ。だから、貴方が刹那を護ってくれて、感謝してるのよ」



 優しい眼差しを向ける砂羅。




「ほら。お姉ちゃんだって、こう言ってるんだから。戦騎騎士と《禍人の血族》だって、きっと解り合える日が来るわよ!」


れは、無理だ」


「其れは、無理よ」




 羅刹と砂羅の言葉が、重なる。




「私は彼の敵には成らないけど、香流羅は違うわ」


「どうして、そんな事を言うの?」


「あの子は、憎しみに囚われているわ」


「俺も、そう思う。奴と刃を交えた時に、奴から計り知れない憎しみを感じた」




 憎しみに妥協は生まれない。



 狂気に染まった炎の様に、相手だけではなく己までもを焼き尽くす。



 れに香流羅の過去には、何かる様に思えてらない。其れが何なのかは解らないが、憎しみの根源は其処そこに在る気がした。



 そして恐らく、砂羅は何かを知っている。微笑を浮かべてはいるが、砂羅の瞳の奥にも、憎悪の炎は宿っていた。戦騎騎士と《禍人の血族》は、決して相容れないのだ。



「……さ、こんな所で立ち話も何だから、上がって。御節と御雑煮ぐらいしかないけど、心から持て成すわ!」



 砂羅の笑顔は、刹那と同様に屈託がない。其れに、温かかった。



 羅刹の警戒心は、何時いつの間にかほぐれていた。





   漆





 魔徒まとを討ちながら、香流羅かるらいおりを見ていた。



 素早い太刀筋に眼をらすが、とらえ切れない。程迄ほどまで剣捌けんさばきを一体、どうやって会得したのかは解らない。現時点で相対すれば、自分では太刀打ち出来ないだろう。もっとれは、現時点でだ。必ず力を得る。そうしなければの先、何も斬れはしない。



余所見よそみしている暇は無いぞ、香流羅よ!」



 とがめる様に、赤丸がうながす。魔徒の数は、百を優に超えている。してや此処ここに至る迄に、かなり疲弊ひへいしている。全てを倒すのに、自分一人では無理で在った。菴は大小の太刀を見事に使い分けて、魔徒を薙ぎ払っている。疲れるどころか魔徒を斬る度に、強く成っていた。



 良く見ると斬られた魔徒は、消滅せずに菴の持つ刀に吸い込まれている。



 菴は魔徒を、喰らっているのだ。



 次第に菴から、邪悪なが発せられてく。魔徒と同じく邪悪なを、菴からは感じられた。菴の正体に、香流羅は気付き掛けていた。



 だが今はかく、魔徒を斬るのが先決だった。



 体力の消耗がいちじるしかったが、前に進む以外の道はない。立ち止まる事は、死を意味していた。



 一心不乱に、香流羅は剣を振るい続けた。



 気がいた時には、魔徒の気配は一つしか感じられなかった。の気配は香流羅が相対した中でも群を抜いて強大で、微塵みじんの隙も見当たらない。圧倒的な力量の差を感じていたが、逃げる事すらも叶わぬ現状。もっとはなから、逃げる心算つもりは毛頭も無い。



 残る魔徒は、菴一人だけでった。



 互いに対峙して、改めて庵の強さを実感した。全く隙が無い。どう、打ち込んでも、返す弐の太刀で斬られてしまう。故に、香流羅は動けないで居た。僅かな隙でっても、菴は見逃さない。れは既に、学習済みだった。



 隙を見せれば、斬られてしまう。獰猛どうもうな獣は対峙しただけで、相手を畏縮いしゅくさせる。れだけの威圧感が、菴にはった。焦れば剣だけでは無く、判断力までもが鈍る。恐怖を抑え、呼吸を整える。



 ままでは、殺されてしまう。



 焦りが、汗と共に伝う。



 退けば、斬られる。前に出ても斬られる。



 だが活路は、前にしか切り拓けなかった。



 意を決して、香流羅は動いていた。





   捌





 温かい雰囲気が、部屋を満たしていた。



 柔らかな砂羅の微笑みが、心を和らげる。羅刹の中で、砂羅に対する警戒心は完全に消えていた。



 心が緩むと言う事は、身体が緩むのと同じ事だ。穏やかな笑みを浮かべながら、砂羅は拳を繰り出して来た。反射的に、羅刹は動いていた。



「あら……中々、良い反射神経をしてるのね?」



 砂羅の拳を、左腕で(さば)いていた。




「何の真似だ?」


「安心して、部屋には結界を張っておいたから」




 何時(いつ)の間にか、刹那の姿が消えていた。



「貴方の力を少し、見せてくれない?」



 微笑を浮かべて、砂羅は姿を消した。



 《禍人(まがびと)の血族》特有の不思議な術で()った。気配はするが、()の姿は何処(どこ)にもなかった。



「勘違いしないでね。さっきも言った様に、私は貴方の敵には成らない。()れは、そう……ほんの戯れよ!」



 背後から迫る気配を察知して、羅刹は動いていた。短剣の鞘でクナイの一撃を受け、身体を反転させて短剣で砂羅を斬り払う。だが手応えは、全くなかった。又、術を使って姿を(くら)ませている。




「凄いわね。香流羅じゃあ、貴方に勝てない訳ね。けど、気を付けて。あの子は今、禁忌(きんき)の書に手を掛けている」


「禁忌の書だと……。どう()う事だ?」




 今度は上から、小太刀を振り降ろして来た。短剣で受けて、鞘で撃ち()ける。()れをクナイでなして、砂羅は前蹴りを放つ。左足で払い退()けて、羅刹は右の(まわ)し蹴りを繰り出していた。砂羅は更に前に出て、近接距離から頭部への(まわ)し蹴りを放った。()れを真面まともに喰らって、羅刹は倒れていた。体術で押し負けるのは、初めての事で()った。




 追撃はして来ない。



 まさか今の距離から、(まわ)し蹴りが放てるとは思わなかった。砂羅の身体は相当、柔軟に出来ている。



 本気ならば、今ので追撃を受けて致命傷を受けていただろう。



「どうやら貴方は、戦騎に頼り過ぎている様ね。戦騎無しで、何処(どこ)まで闘えるかしら?」



 此方(こちら)が構えるのを待ってから、砂羅は回転蹴りを放って来た。其れを左腕で受ける。



「其れじゃ……駄目!」



 足を左腕に絡めて、砂羅は体を捻った。



 砂羅の体重に引っ張られて、羅刹は倒されていた。



 首に絡み付く太腿が、頸動脈を絞め付ける。



「貴方は確かに強いわ。けれども、其れは戦騎が()ってこそよ……。貴方は今、女の私に体術で追い詰められている」



 (くび)を絞める力が、更に強くなって()く。



 ()(まま)だと不味い。



 墜ちてしまう。



香流羅(かるら)は、()れから強く成るわ。今の貴方よりも……私よりもね」



 短剣を砂羅に向けて振るうが、術で逃げられる。



「貴方は、強く成らなければ()らない。でなければ……此れから先、何も護れないわ」



 砂羅は異常な迄に強かった。強さの底が、全く見えない。



「次の一撃は、本気で行くから覚悟してね」



 此の時、初めて砂羅は殺気を放っていた。其の気配は研ぎ澄まされた刃に酷似している。冷たい波紋が、触れる物を鮮やかに両断する様は美しい。そんなイメージを羅刹に抱かせる。



 鋭い刃物で背後から、心臓を刺し貫かれた様な殺気を感じた。其の瞬間、羅刹の背中を砂羅の手が触れる。



 ――全く、動けなかった。



「此れが実戦なら、貴方は死んでいたわ」



 砂羅の手から、温かい力が伝わって来る。不思議な其の力は、己の内側から全身を駆け巡っている。胸を見ると蒼白い光の刻印が、刻まれていた。



「其の術が毒に成るか、貴方の力に成るかは、貴方次第よ」



 見た事も無い刻印で在った。



 だが呪いの類いでは無い事は、確かで在る。気付けば辺りは一面、闇に包まれていた。





   玖





 一気に間合いを詰めて、香流羅(かるら)は上段斬りを放っていた。



 ()れを小太刀で受けるのは、予想済みだ。だから(あらかじ)め、己の小太刀に札を貼らせて貰った。(いおり)の動きが一瞬、止まっていた。ほんの僅かだが、相手の力を札の力が奪っていたのだ。



 小太刀を捨て、菴の懐に潜り込む。起爆札を握り込んだ左拳を、叩き込んでいた。二人を爆煙が包み込む。構わずに体を捻って、懐刀を菴の胸に突き立てる。



 刃先は心臓を捉えていたが、踏み込みが浅いのか菴は倒れない。



 迫り来る弐の太刀を、(さば)く余裕は無かった。



 斬撃を受ける寸前で、香流羅の全身が光を包んだ。其の刹那、()の動きが止まった。



「貴様、何をしている?」



 香流羅を睨み()けて、菴が言い放つ。魔徒の気配は、感じられなかった。どうやら、正気に戻った様だ。神楽が掛けた呪いとやらの効果のお陰だった。



「何をほうけている。さっさと、行くぞ!」



 刀を納めて、菴は歩き出した。



 どうやら菴は、魔徒(まと)でも()り《禍人(まがびと)の血族》でも()る様だ。()の力は、神楽の力に()って抑え込まれている。()れ故に気配を感じられないのだ。



 魔徒喰らいの魔徒。《禍人の血族》で()りながら、魔徒でも()る菴は、かなり異質な存在だった。



 ()れに神楽だ。自分の事を、半神半人だと()っていた。二人の目的は解らないが、()の二人組が敵に(まわ)れば相当な脅威と成る。だが幸いな事に、今は自分に味方してくれている。



「どうやら()の箱の中に、お前の欲しい物が()る様だな」



 小さな箱を、乱暴に投げて寄越す菴。



 箱を開けると中には、数珠が入っていた。禍々(まがまが)しい力が()められた()の数珠には、無数の邪気を感じた。数珠を手に取った途端、魔徒の思念が急激に雪崩(なだ)れ込んで来た。




 無数の声。


 邪悪な声。


 怨みの声。


 嘆きの声。


 憂いの声。


 美しい声。


 醜悪な声。


 羨望の声。




 魔徒達の声だ。



 ()の声を抑え込むには、相当な精神力が必要だった。



 ――成る程。こいつは、骨が折れる。



 香流羅(かるら)は数珠を、右腕に()めた。




 目を閉じて、精神を研ぎ澄ます。心の奥底から聴こえる声に耳を傾ける。怨みの()った声が、周囲の声を掻き消して往く。()の声の主が、内なる世界へと香流羅を引き入れる。()れを感覚的に、香流羅は理解した。己の精神力が魔徒に負ければ、身体を乗っ取られてしまうだろう。恐らく強大な力を有している。肉体が滅びているとは謂え、相手の精神世界に惹き込まれるのだ。




 並大抵の覚悟では、切り抜けれない。



 目を開いた時には、闇の中に居た。辺りには、無数の邪気が在った。




 数多あまたの魔徒の怨念に誘われて、魔徒の心の中に入り込んだ。其の奥底に沈み込む様にして、香流羅は其の者に吸い寄せられていった。強大で凶悪な気配。禍々しい其の風貌。打ち()ける重圧。並々為らぬ邪気が漂う濃い深淵。深遠の底の底。其処此処(そこここ)で悲鳴が、音楽の様に()(わめ)く。気が狂いそうで在った。香流羅は見えぬ眼で、(かばね)の山に鎮座(ちんざ)する魔徒を睨み附けた。




「お前の望みは、何だ。我は魔徒の王族の末裔・ガイア。何故、我を呼び覚ます」




 どうやら、とんでもない大物に出会でくわしてしまった様だ。恐怖よりも先に、(よろこ)びが在った。狂気にも似た狂喜。既に己が精神は、魔徒に侵され始めている。気を緩めれば、気付かぬ内に、憑かれてしまう。喰われれば、永遠に魔徒と成るか、憎き戦騎騎士に斬り滅ぼされるか――其れだけは、御免だった。騎士に斬られるぐらいなら、闇に墜ちた方が未だマシだ。




 既に思考が、魔徒に依って(ただ)れている。急がなければ、運が良くて精神異常者だ。気が触れる前に、魔徒を屈服しなければ為らない。



 其れにしても、自分は運が良い。



 此れ程迄に強大な力を、手に入れれるのだからな。




「我が名は、御法院香流羅。貴公の力を貰い受けに来た!」


「成らば、我を受け入れるが良い!」


「断る。俺は魔徒には、屈しない!」




 神楽の呪いは、未だ香流羅の中に存在していた。



 魔徒を抑え込む光だ。半神とは言え、神の力。例え魔徒の王族の末裔で在っても、効果は在る筈だ。



 手を(さざ)すと(まばゆ)いばかりの光が、深淵なる闇を照らしていた。



 其の姿をあらわにしたガイアは、想像を絶する禍々しさだった。蝋人形の様に、生気の無い老人。骨と皮だけに成った其の姿は、悪魔の様に憎悪に染まっている。



 ガイアは強大な力を有してはいたが、所詮は(かばね)に過ぎない。神の加護で更に弱体化されている。今の自分でも、充分に抑え込む事は可能な筈だ。



 ガイアの胸を、小太刀で刺し貫いた。




「愚かでさかしらな人間よ。(いず)れ……我が乗っ取ってみせよう……」


「負け惜しみにしか、聞こえないな」




 完全にガイアを抑え込んで、香流羅は呟いた。



 何時(いつ)の間にか、元居た場所に戻っている。



 全身を流れる力に、香流羅は驚いていた。此れ迄に無い程の大きな力を、自分の中から感じる。其れだけではない。周囲の()の流れが、手に取る様に解るのだ。今の自分にならば、【天涯の書】と【人外の書】の極意が理解、出来た。水面の水を掬い上げる様に、龍脈の氣に触れる。其れを、そっ……と、掬い上げる様にして術を放った。



 炎の塊が、社の壁を粉砕しながら爆炎を上げる。火柱が周囲の氣を取り込んで、弾けて往く。爆風から身を護りながら、(たし)かな手応えを感じていた。



 自分は今、新たな境地に到達したのだ。



 香流羅は高笑いを上げていた。





   拾





 漆黒の闇に(とら)えられて、羅刹は身動きが取れなく成っていた。



 前に進もうにも、自分が何処(どこ)を向いているのかさえも解らない。一体、此処(ここ)何処(どこ)なのだろう。闇と静寂に包まれている。何の気配も感じられなかった。



 ――此処(ここ)は、貴方の心の中の闇。



 何処(どこ)からか、砂羅の声が聴こえて来た。



 ――貴方は己の闇に(とら)われている。



 闇の奥から並々ならぬ憎悪と共に、殺気が伝わって来た。羅刹は殺気の主を知っている。



 ――さぁ、剣を取りなさい。



 殺気の主は、自分自身だ。目の前には、闇に染まり切った自分が居た。憎悪に()られ、殺意を振るう事しか知らない鬼子。



 悪意を携え、刀を振るう事しか出来ない愚かな男だ。闇を裂いて、悪意の刃が迫って来た。



 短剣を引き抜いて、受け止める。重く鈍い剣圧に、羅刹は圧されていた。



 ――己の闇を斬りなさい。そうすれば、貴方は更に強く成れる。



 相手が踏み込む気配を感じて、羅刹は動いていた。左手に持つ鞘を盾に、迫り来る裏拳を受ける。短剣を突き出して、相手の胸部を狙う。相手は身を捻って、刀の鞘で軌道を逸らしながら前進して来ていた。()の勢いを利用して、下から斬り上げて来る太刀を辛うじて(かわ)す。僅かにれる重心。追い打ちを掛ける様に、相手は蹴り上げて来た。



 後ろに倒れる様にして、寸での(ところ)(かわ)すが追撃は止まない。体重の乗った斬り降ろしが、羅刹を完璧なタイミングで(とら)える。


 雪崩(なだ)れ込む憎悪。全てが憎かった。両親や異端の眼を向ける村人達も、己を裏切った友も、何もかもが憎かった。憎しみの中で、死んだ時の事を思い出していた。冷たい雪の降る夜。村は炎に包まれていた。慶長(けいちょう)九年の師走。薄れ()く意識の中で、羅刹と出狗を見下ろしながら(わら)う外道丸の姿が、最後に見た光景で()る。



 全てを恨みながら、江戸の世を生きた。



 全てを妬みながら、死んだ。



 騎士として蘇ってからも、()れは変わらなかった。憎悪に心を(ゆだ)ねて、魔徒を一向ひたすら――只、一向に斬り続けた。晴れる事の無い憎しみ。決して報われる事のない怨恨(えんこん)。出狗や外道丸が、憎い。最早、憎しみの対象は、()の世に居ない。だからこそ、憎しみが晴れる事は無い。魔徒を斬れば斬る程に、憎しみの炎は大きく成っていた。



 そんな自分が、何時(いつ)の間にか変わり始めていた。他人の事が、どうでも良かった筈なのに、護りたいと思う様に成っている。



 刹那に出逢って、憎しみの感情が次第に和らいでいた。抱いた事の無い想いを知った。感じた事の無い痛みに(さいな)まれた。人の痛み。心の温かさ。闘う事以外で人と交わる事が、こんなにも居心地が良い事が不思議で()る。



 初めて誰かを護りたいと思った。



 初めて人間を護りたいと想った。



 憎しみでは無く、護る為の剣を知った。



 次第に胸の刻印が、光を帯び始める。



 体を大きく捻って、羅刹は回転しながら短剣で斬撃を捌いた。




 人間を護りたい。


 刹那を護りたい。




 ()の想いが強く成る度に、胸の刻印の光が強く成る。



 騎士として、人として、愛する者達を護る。



 (まばゆ)い光が、闇を照らし出す。胸の刻印が弾け()び、羅刹の左腕に(まと)わり()いた。



 ()れは、籠手(こて)()る。防ぎ(さば)く、護る為の武具だ。戦騎以外の新たなる力だ。



 ――()れが、貴方の選んだ新たな力。さぁ、貴方の闇を斬りなさい。



 迫る斬撃を、籠手で受け流す。ゆっくりと間合いを詰め、剣を衝き出した。心の奥深くから、熱い物が込み上げている。()の想いに呼応するかの様に、(まばゆ)い光りが闇を照らし出している。



 胸を刺し貫かれて、自身の幻影は消滅した。



 何時(いつ)の間にか、元居た部屋に戻っていた。



()れが、貴方の新たな力」



 胸の刻印は消滅して、籠手の中央に刻まれていた。



()の刻印は【護りの刻印】と呼ばれている。貴方の心次第で、()の姿を変えるわ」



 砂羅は、穏やかな笑みを浮かべていた。



「さぁ、そろそろ刹那が待ち草臥くたびれてる頃ね。今度は本当に、御節(おせち)をご馳走(ちそう)するわ」



 優しくて、温かな笑顔だった。



「護る力を授けてくれて、感謝する」



 何時か戦騎騎士と《禍人の血族》が、肩を並べて闘う日が来るかも知れない。



「良いのよ。刹那の事を、頼んだわよ」



 少なくとも、砂羅の様な人間が居る事が解った。



 羅刹は砂羅に、微笑みを返していた。





   拾壱





 天界の上層部には、天承院(てんしょういん)()う名の王宮が()った。神々の王が住まう王宮。其処(そこ)には専任の騎士が居る。



 ――天承院附(てんしょういんづ)けの戦騎騎士。()れは、神との謁見(えっけん)(ゆる)される事を意味していない。其処(そこ)に至る迄には、更なる功績と確かな力が必要で()った。王宮とは()え、神々の王が住まう地。人間の理屈が通る事は無い。そもそもが、規格が違うのだ。



 【嘆きのエリザ】から、天承院に住まう第一騎士団へと()る連絡が入ったのが三日前。タタラ復活の報は、未だ神々に受理されていなかった。(ちなみ)みに、第一騎士団に報じられた伝達は、タタラ復活とは別の案件で()る。詳しい情報は一部の神にしか報されていないが、天承院は確かに揺れていた。




 神に直々(じきじき)に呼び出されて、矢紅しぐれは嘆息していた。()の時には()だ、矢紅は何も報されていない。タタラ復活も《開門》の案件も、何も知らない。故に矢紅には、動き様が無いのだ。そして、神からの呼び出しを受けて、実際に謁見する迄には、数日の時を要する。先程も述べたが、神と人間では規格が違う。永遠を生きる神々に取っては、数日は人の数分にも等しい。




 故に数日を掛けて、神が熟孝(じゅくこう)をするのは自然な事で()った。




 (ようや)く考えが(まと)まったのか、神からの勅命(ちょくめい)を受けて初めて、矢紅は《開門》が近い内に行われる事を知らされる。詳しい時間と場所。そして必要な(にえ)の選定。()の詳細と指揮は、全て矢紅に任せるとの事で在った。第一騎士団も《開門》の実行が、第一優先事項だと()う報せを受けている事を教えられた。故に()の時点では矢張り、タタラ復活の報を矢紅は知らなかった。




 ()の時に矢紅の胸奥を占めていたのは、贄の選定で()った。《開門》に携わるのは、矢紅も初めての事で在る。古来から()る資料では、贄の多くは《捧ぐ者》が務めていたとされている。戦騎騎士と《禍人の血族》との関係に、大きな溝を生み出している原因の一つだ。



 矢紅に取って、頭の痛く為る話しで在った。



 天承院の最大の脅威が、己の手腕に()けられたのだ。頭が痛く()って、当然で()る。




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