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咎人戦騎  作者: 81MONSTER
6/17

第六話【食堂】






   壱





 仄暗ほのぐらい室内を、テレビの照明が照らす。



 狭く寒い部屋の空気を、闇に彩られた様に寂しく染めている。部屋の照明は付けてはいるが、どうう訳か薄惘うすぼんやりとしていた。秘めやかに流れるテレビの音量。の音に、カップラーメンをすする二つの音が絡み付く。何とも寂しい音の様でった。



 部屋の中には、二人の若者がいた。どちらも男で、共に貧乏臭い身形みなりをしている。歳の頃は、二十歳前後と言ったところろうか。寒いのかスウェットの下に、服を着込んだ様子だった。どうにも意気地いきじの見られない様子でった。




「金が欲しい……」




 うめく様に、男の一人――今西健吾いまにしけんごが呟く。相方の岸本華きしもとはなは何もこたえずに只、ラーメンをかじりながらテレビに視線を向けていた。テレビの中では、お笑い芸人の司会者が、滔々(とうとう)と人生について語っていた。の様子を華は、醒めた眼で眺めている。日常が詰まらないのか、人生が詰まらないのか、の表情は暗い。




「俺等、いつまでこんな事してるんだろうな……」




 健吾は空になったカップラーメンの容器を、乱暴にゴミ箱に投げ捨てた。暗澹あんたんたる声音。華と同じく醒めた眼をしている。嘱望しょくぼうとはけ離れた場所で生きている所為せいなのか、希望の一切が感じられない。




 深い溜め息をついて、煙草に手を伸ばす。箱の中には、煙草の吸い殻が入っていた。いずれもだ長い。近所のコンビニで、吸い殻を貰って来た物をり分けて、箱の中に詰めていた。ガスの切れ掛かったライターを、何度も擦っている。呆れた様に華は、健吾に視線を送る。




「金がないなら、煙草ぐらい我慢しろよな。そんな、みっともない真似して……恥ずかしくないのか?」




 文句を言いながら、ガスの入ったライターを差し出すの様は、まるで女房の様で在った。



「恥ずかしくない。そんな事より華。今、いくらる?」



 煙草に火をつけ、煙りを肺に送る。の様が身窄みすぼらしい。



「金なら、貸せないぞ。俺も余裕ないからな」



 二人は家賃が三万五千円のワンルームマンションで、共同生活をしていた。



 バイトはしているが二人共、金が無かった。



 り好みさえしなければ、仕事はいくらでもる。けれど二人は何故なぜか、貧乏を選んでいる。夢がる訳でもない。只、の日をり過ごすだけの生活を二人は送っている。何の生産性も無い、蒙昧もうまいしてばかりの人生でった。だからこそ、金が無いのだ。やる気の無い人間に、大金は決して舞い込んでは来ない。




「俺、れからバイトあるから」


「何だよ、華。いつの間にバイト、増やしたんだよ」


「居酒屋の面接、受けたんだ。時給も割りと良いし、週五日ぐらい入れるってさ」


「そんなに働いて、昼のバイトは続けるのか?」




 昼間は本屋で週五日、働いていた。居酒屋で夜も働くとなると、かなりの勤務時間となる。




「勿論、続けるよ。今は兎に角、金が欲しい」


「マジかよ。お前、そんなに金に困ってたのか?」




 間の抜けた事を聞く健吾。華は立ち上がると爽やかな笑みを、健吾に送った。




「お前よりは、マシだけどな」


「うるせぇな……貧乏で、悪かったな!」




 楽しそうに笑う華。


 釣られて笑う健吾。



「今日、初出勤だろ。頑張れよ!」



 手を軽く挙げて応えると、華は玄関の戸口に向かった。



 一人残された健吾は、溜め息をつく。漫然まんぜんとした様子で在る。何か目的が在る様には、とてもでは無いが見えない。暗い表情。意思の籠らない瞳。だらしなく開かれた口元には、先程のラーメンの食べかすが付着している。意味も無く部屋を彷徨うろついては、何やら逡巡しゅんじゅんしている。



 思い立ったかの様に財布の中身をぶちまけるが、五十五円しかない。れが全財産なのか、何度目かも解らぬ溜め息をつく。何とも情けの無い様子で在る。



「仕方がない。遂に、トントンを使うか……」



 トントンとは、半年前に百円ショップで買った豚の貯金箱の事で在る。



「……お。結構、入ってるぞ!」



 期待に胸を膨らませながら、健吾はハンマーでトントンを叩き割った。乾いた音と共に、無惨に砕け散るトントン。



 破片を避けながら、小銭を拾い上げ数えた。



 ――三千六百七円。



「良し!」



 健吾は一人、ガッツポーズを執っていた。



 小銭を財布に詰めて、コンビニに煙草を買う為、立ち上がった。





   弐





 無心で短剣を振るう。



 羅刹らせつが寝床として使ってる廃墟と成ったホテルを、無数の人形が徘徊はいかいしている。人形の手には其々(それぞれ)、武器が握られている。槍、刀、弓、薙刀、大剣、湾刀ダーブプローン、拳銃、短刀ミード戦斧クワーン。実に様々な武器を手にした彼等は、多種多様な武術や刀剣術を使用していた。



 剣術、棒術は勿論。サバットやクラビー・クラボーン、フェンシング、太極拳や八極拳と言った中国武術、空手や素手ベアナックルを用いたボクシングまで、縦横無尽じゅうおうむじんに羅刹を襲った。



 全てをかわし、払い退けて、斬り捨てていく。だが、の動きには何処どこか、憂いが見られた。



「羅刹、どうしたの。今の貴方の剣には、迷いが見えるわよ?」



 人形達の群れの中心に、若い女がいた。とても、美しい女でった。整った顔には、厳正な表情が張り付いている。小柄な体躯には、白い戦騎がまとわれていた。



 の女の手にも又、刀が握られている。



の間の事を、気にしてるのかしら?」



 女は微笑を浮かべながら、羅刹に問い掛ける。



 ――人殺し。



 の間の女の言葉が、頭にこびりいていた。胸を痛みが満たしている。互いに愛し合っていた男女。男は魔徒まとに憑かれていた。斬らなければ、いずれは多くの哀しみを招いていた。



 れなのに、羅刹は後悔している。果たして、本当に自分が正しかったのかが、解らない。戦騎騎士として、魔徒を斬らなければ為らなかった。れなのに、迷いが汚濁おだくの様に心にまとわりいて離れない。迷いを払拭しようと、足掻あが藻掻もがく様に剣を振るった。



 無言で只、振るい続ける。己の迷いを断ち斬ろうと只々、必死でった。何故なぜか脳裏を過去が過ぎった。幼い頃の事や、札付きと成った時の事が鮮明に蘇る。畏怖いふあざけりの眼が、羅刹をとらえる。人形達が突然、声を上げてわらい出した。



 の声に、獣の声が絡みく。羅刹の叫び声でる。



 一心不乱に、剣を振るった。の剣では人形は斬れても、心の闇までは斬れない。自分自身の心の闇は、決して斬れはしない。晴れぬ心を、悲しみにも似た怒りが満たしている。



「貴方の心には、大きな闇がるわ」



 女――タリムは、静かに語り掛ける。こうして戦騎の姿ではなくて、人の姿で羅刹に語り掛けるのは数年振りでった。



 人形達も皆、タリムの力で生み出した幻覚でる。れまで羅刹が闘った者だけでなく、タリムが幾千年いくせんねんもの間に共にした騎士や敵達の動きを再現している。



 人形の姿は、タリムのイメージで決定付けられるが、時として羅刹の心にも呼応こおうする。れは、羅刹の闇を、具現化した物だ。羅刹を嘲笑あざわらう人形が、禍々(まがまが)しい異形いぎょうかたどり始めた。



 鋭利な刃が、次々に羅刹を襲う。の太刀筋は縦横無尽で多彩だった。全てをとらえ、見切る事は不可能でった。数々の斬撃が、羅刹を撫でる。痛みは無い。幻影の刃は、身体を傷付ける事は無い。だが、羅刹は負傷していた。



 迷いが心をおかして、まどいが剣を曇らせる。幻影に心を奪われれば、身体にまで影響が及ぶ。幻影に斬られる度に、羅刹は負傷してく。斬られれば斬られる程に、羅刹の傷は深く成る。けれど、羅刹は退かない。斬られながらも、剣を振るい続けた。



「貴方の中の大きな闇は、何処どこるのかしら?」



 人形達を全て蹴散けちらした時には、羅刹は汗と血にまみれていた。呼吸は無様に荒れている。まるで、暗幕あんまくの掛かった心を映し出しているかの様でる。苛立ちは焦りと成り、羅刹の判断力を奪い、剣を鈍らせる。れが実戦でらば、致命的な状況を生み出している。



 僅かな隙をいて、タリムが間合いを詰める。静かで流麗りゅうれいな動作でった。とげが無く、羅刹とは対照的な動きでる。気配を完全に断っている。



 タリムの刀の一撃を、羅刹はかろうじて短剣で受け止める。交わる刃。無機質な感触から、不思議と温かな物が伝わって来る。タリムの剣は、慈愛に満ちている。羅刹を厳しくいさめながら、何かを伝え様としているのかも知れない。羅刹に取って、タリムは慈母じぼの様な存在でった。



「良く眼を凝らし、己の心と対話しなさい。貴方の憎しみは、誰に向けられた物なの?」



 タリムの言葉に呼応する様に、羅刹を取り巻く空間が変化してく。タリムを通して、羅刹の心が空間を染め上げてく。羅刹の心の闇が、次第に輪郭りんかくを持ち、実態をあらわにしてくのだ。



 燃える家屋。逃げまどう人々。上がる悲鳴や懇願こんがんの声。れは羅刹が生前、最期に見た光景だった。寸分のたがいも無く、は再現されている。



 正に地獄絵図でった。人が焼けながら斬られ、金品は奪われ、女子供はしいたげられて、矢張り殺されていった。死臭と炎。絶望と恐怖。そして、一人の男の哄笑こうしょうに染まっていた。



 江戸時代の小さなる村を、盗賊達が襲っている。盗賊の頭目の名は外道丸。本来の名は、誰も知らない。狂気に染まった笑みに、多くの者はおそれを抱いた。



 羅刹も又、の一人でる。羅刹の憎しみの根源こんげんの一つでった。そして、もう一つ――。



 目前で剣を交える相手を見て、羅刹は我を忘れていた。心の中を憎悪や憤怒ふんどの感情が、暴れ狂う蛇の様にうごめいている。決して忘れる事の出来ぬ相手でった。



 己の顔に傷を付けたの相手は、羅刹と同じ歳だった。札付きと成った羅刹と共に生き、共に剣を磨いた。羅刹と同じく修羅の道を歩んだ同士。互いに背を預ける程の中でった。



 の者の名は――



出狗いずく……何故なぜ、裏切った!」



 過去にも同じ言葉を、投げ掛けていた。



 仲間だと想っていた。唯一無二の友だと信じていた。れなのに何故なぜたもとを分かち、剣を交えるのか。憤怒ふんどの炎がたぎり心と体を、内奮うちふるわした。憎悪の細霧さいむが、心を色濃く深い闇へと彩る。出狗いずくの短刀を払い刀の鞘で、出狗いずくが繰る弐の太刀を受け流した。短刀二刀流が、出狗いずくの剣でった。縦横無尽に上下左右から、繰り出される連撃は正に獣の剣。羅刹は出狗いずくの剣を、知り尽くしていた。出狗いずくも又、羅刹の剣を知り尽くしている。



 共に生き、共に闘った二人だからこそ、常に息がぴたりと揃っている。正に阿吽あうんの仲でった。実力も互いに、拮抗きっこうしている。



 故にこそ、互いに死合えば相討あいうつ定めも又、必定ひつじょうったのかも知れない。



 互いの刀が、互いの急所をとらえる瞬間。



「羅刹っ……!」



 刹那の叫び声と共に、出狗いずくの姿は消え去った。景色も元居た廃墟と成っていた。タリムの姿も無い。何時いつの間にか、負傷した傷すらも消えていた。



 羅刹だけが只、抜き身の刀を握り締めていた。憎悪を携え、憤怒ふんどいだいたの刀は羅刹、其の物でった。



「貴方には、光が必要よ。心を祝福で満たす、暖かい光が……。彼女には、の光がる。だから、此処ここに招かせて貰ったわ」



 タリムの存在も又、羅刹を導く者でった。



 けれども、人の温もりまでは与えられない。



「余計な事を……」



 刀を鞘に納めながら、羅刹は呟いた。の瞬間、刀は短剣に戻っていた。



「迷惑……だったかな?」



 遠慮えんりょがちに、羅刹を見上げる刹那。



 気まずい雰囲気をまとわせていたが、羅刹は良い意味でも悪い意味でも空気が読めない。



「迷惑じゃない。腹が減った。何処どこか、別の場所へ行こう」



 黒のコートを手に取り、静かに歩き出す羅刹。



 無言で後を追う刹那。





   参





 冬の寒さに包まれた町は、何処どこか寂しく感じられた。町行く人も何処かせわしなく見え、よそよそしく思えた。



 の中を一人、歩く健吾。寒風にさらされる中、早足で歩いている。



 懐には小銭を両替して得た千円札が、三枚。残った小銭で、煙草と缶コーヒーを買っていた。僅かな金でったが、健吾に取っては大金に等しかった。



 本来ならば、大切に使うべきでった。けれども愚かにも、健吾はパチンコ屋の前で立ち止まっていた。パチンコ【玉出】の看板を眺めながら、健吾は紫煙しえんを吐き出している。



 たったの三千円で勝てる程、パチンコは甘い物ではない。だが、三千円で勝てる事も在るのも又、事実ではる。



「さて、行くか……」



 きらびやかなネオンに誘われる様に、健吾はパチンコ屋に吸い込まれて行った。



 喧騒けんそうに包まれる店内を、健吾は歩いている。



 ゆっくりと台を品定めしながら、歩いている。一円パチンコのコーナーを、行ったり来たりとしている内に、る台に視線を落としていた。



 本日、大当たり回数が零。既に二千回転以上も回っていた。正に、大ハマり台でる。



 健吾はパチンコに詳しい訳ではない。と言うよりも、今まで数回しか打った事がなかった。はっきり言って、パチンコ初心者でる。しかも、一度も勝った事が無かった。



 人生で一度でも良いから、パチンコで勝って良い思いをしてみたかったのだ。今の自分は底辺に近い存在だ。そんな自分には、目の前の台がお誂(sつら)え向きな気がした。



 台に着き、千円札を入れる。玉貸しボタンを押して、玉を出すとハンドルに手をった。



 ――どうか、勝てます様に。つたなはかない願いを込めて、ハンドルを右に捻る。次々に打ち出されるパチンコ玉。の内のいくつかの玉が、ヘソと呼ばれる箇所に吸い込まれる。抽選が始まり、派手な演出に台は彩られる。大音量の期待が、玉と共に飲み込まれてく。



 数分後には、千円分の玉は全て飲み込まれていた。



 二千円目の札を投入する手は、僅かばかり震えていた。はやる気持ちと焦りが、秘めやかに心を撫でけている。パチンコ屋独特の空気に、健吾は飲み込まれている。



 煙草に火を着けて、健吾は台を睨み付けていた。




 ――ちっとも、当たらない。音と見た目が派手なだけで、一向に当たるきざしが見られない。不安が胸奥きょうおうを満たしている。既に健吾は、パチンコを打った事を後悔していた。れでもどうしても、勝ちたかった。華の初出勤の門出を、買った金で祝ってやりたかったのだ。けれど、当たらない。穏和おとなしく三千円で、ささやかに祝ってやれば良かったと心底、後悔していた。残る千円では、してやれる事なんて高が知れている。




 こうなったら、当てるしかない。けれど、胸中を不安が満たしている。



 本当に、パチンコなんかで勝てるのだろうか。自分でパチンコ屋に来ておきながら、一抹いちまつの希望すら残っていない。



 ――と、の時でった。液晶画面を、でかでかと『激熱』の二文字が、金色の文字で埋めていた。一際ひときわに派手な効果音が鳴り響いている。隣りで同じ様に飲まれている中年女性が、恨めし気に此方こちらを見ていた。



 パチンコ初心者の健吾にでも、の意味を理解する事が出来た。派手な演出を経て、派手なギミックが作動して、SPスペシャルリーチが発生した。



 いやおうでも、期待は高まっていく。激しく胸を打つ己の心音が、健吾の緊張を最高潮にまで高めていく。実際には短い時間ではったが、健吾には相当な時間に感じられた。



 長いSPリーチの果てに、再びギミックが作動して、液晶画面をスリ―セブンが埋める。



「当たった……」



 信じられないと言った様子で、健吾は人生初の大当たりを体感した。驚きや喜びよりも先に、理解が追いいて来ないとった様子でった。



 右アタッカーを狙え。



 画面上に浮かぶ文字に従って、狼狽うろたえながらも、健吾はハンドルを右一杯に捻った。



 下皿から大量に吐き出される玉を見て、健吾はようやく笑みを浮かべていた。



「すげぇ……」



 間の抜けた声を上げていた。





   肆





 町外れに建ち並ぶビルの一室に、ニコニコ金融と言う名の事務所がった。



 違法な金利で金を貸す所謂いわゆる、闇金と言う奴だった。事務所に居る男達の顔は皆、一様にいかつい。あつめられた視線の先には、華の姿がる。



 全裸で正座をしている華を、オールバックの男――田辺が睨み付けていた。眼が合わぬ様に、華はうつむいている。



「君さぁ……約束した事、覚えてる?」



 ニコニコ金融の社長が、穏やかな口調で華に問い掛ける。だ若い男でった。険しい連中とは対照的に、とても穏やかな表情かおをしている。



「はい……。けど、もう少しだけ待って下さい!」



 恐る恐る華は顔を上げていた。の拍子に田辺と目が合い、僅かに弛緩しかんしていた筋肉が再び強張った。




「てめぇ、めてんのか。返済期限は、昨日までだろうがっ!」


「田辺、うるさい。黙ってろ」




 抑揚の無い声音で、社長は田辺をいさめる。れが気に喰わなかったのか、田辺は華に無言の圧力を掛ける。そんな田辺を無視して、社長は華を見た。



「昨日から、居酒屋のバイトも始めたんです。ですから、もう少しだけ待って下さい。お願いします!」



 必死に懇願こんがんする華。



 嘘ではなかった。きちんと働いて、真面目に返済する心算つもりでいた。けれども今回だけは、どうにも都合がかなかった。



「良いよ。今回だけは、ジャンプさせてあげるよ」



 五万円を華の眼前に投げ捨てて、社長は胸ポケットから《うまか棒》を取り出した。ジャンプとは、更に追加融資を受けて、利息分だけを返済する事でる。の場はしのげるが、とても危険な行為でる。



 安堵に表情を緩める華。



「けど、忘れるな。次は、容赦しない」



 の声には、研ぎ澄まされた刃物の様な鋭さがった。田辺の見掛けだけの恫喝どうかつとは、全く比にらない恐怖を感じて、華の心は恐怖に満ちていた。



 一瞬で華の表情が強張ったのを確認して、社長は欠伸あくびをした。まらない、とった様子で投げ掛ける。




「君、もう帰って良いよ」


がと御座ございます!」




 頭を地面にこすり付ける華。そんな自分が、酷く惨めでった。何故なぜだか涙がこぼれていた。悔しさと恐怖。そして嘆きの感情が、そうさせている。そんな自分が、愚かしく思えた。どうにかして、の現状から抜け出したかった。死ぬ気で働いて、必ず完済してみせる。




 ――人間とは、愚かな者だな。




 いやしい笑い声と共に、頭の中で声が響いた。



「どうかしたか?」



 不思議そうに周りを見渡す華に、男の一人が問い掛ける。



「いえ、何でも有りません……」



 華は慌てて衣服をまとって、事務所を後にした。





   伍





 小さな食堂の片隅で、羅刹と刹那はカツ丼を食べていた。



 早々にカツ丼を平らげる羅刹とは対照的に、刹那は全く箸を付けていない。




「食わないのか?」


「タリムさんに、貴方の過去を少しだけ聞かされたの……」




 幼い頃から鬼子と呼ばれ、み嫌われて育った事。両親に捨てられて、札付きと成った事。そして、生きる為とは言え、多くの悪事を働いてきた事。



 の事実を、タリムにって知らされた。羅刹に対して、軽蔑けいべつの感情は無かった。あわれみの感情も無かった。の当時と現代では、物事の考え方が根本的に違う。



 想像を絶する様な生涯を、羅刹は歩んで来たのだろう。刹那の心を、哀しみが満たしていた。



 今の羅刹が騎士として、魔徒を滅ぼす者だと言う事は以前から知っていた。



 けれども、れが生前の罪滅ぼしでる事は知らなかった。



 羅刹の胸中を、自分でははかれる物ではなかった。羅刹の抱える闇を、消し去る事も出来ないのだろう。れでも、刹那は羅刹の力に成りたいと考えていた。一体、どうすれば良いのかは、解らなかった。



「刹那ちゃん、貴方は気負う必要はないわ。只、羅刹の傍に居てあげるだけで良い。貴方のお陰で、羅刹は変わり始めたのよ」



 優しいタリムの声が、頭の中に流れた。



「羅刹。ゆっくりで良いから、己の闇を払ってきなさい。そして、多くの命を護るの。そうすれば、きっと貴方の心は、光に満ち溢れるわ」



 諭す様に、羅刹にささやく。



「俺は……人を護りたい。の間の様な、哀しみに満ちた人間を誰一人、生み出したくない」



 真っ直ぐな瞳を、刹那に向ける。




「刹那。勿論、お前もだ。例え、お前が《禍人まがびとの血族》でったとしても、俺はお前を護りたい!」


「えっ……?」




 戸惑う刹那。




「羅刹、貴方……れが一体、何を意味しているのか、解ってるの?」


「解っているさ」




 刹那には、羅刹の言葉の意味が解らない様だった。どうやら、何も知らずに育って来たのだろう。《禍人の血族》の事も、自分の力の事も、無自覚なのだ。



「刹那ちゃん。戦騎騎士と《禍人の血族》には、大きなみぞるの――羅刹!」



 話しを中断して、羅刹は立ち上がった。



「直ぐ近くに、魔徒まとの気配を感じる」



 周囲を探る様に、羅刹は辺りを見廻みまわしていた。





   陸





「バイト始めた祝いに、旨いもん好きなだけ、食わしてやる!」



 意気揚々とバイクを走らせる健吾。の後ろに座る華。以前は今の様に、二人でバイクに乗って出掛ける事が多かった。部屋の中でしか顔を合わせる事しかしなくなったのは、何時いつからでっただろうか。別に不仲とう訳では無い。互いに時間はったが、何となくタイミングが合わなかっただけだ。金も無く、部屋でこもる事も多かった。



 れからは、少しずつでも二人で遊びに行こう。健吾は、そう心に決めた。



 初めてパチンコで勝った為か、健吾は舞い上がっていた。単純な理由でったが、久々に心が弾んでいる。たったの三千円が、五万円に増えたのだ。れが、喜ばずにはられない。健吾に取って五万円は、一ヶ月分の収入に等しかった。



れから、取って置きの店に連れて行ってやるよ!」



 叫ぶ健吾の表情は、喜びに満ちていた。満面の笑みは、爛漫らんまんと輝いている。



 こんなに気分が満ち足りたのは、数ヶ月振りの事でる。走るバイクも心なしか、軽快だった。今日は信号に捕まる事もなく、全ての物事が自分を味方してくれている気がした。



「着いたぞ、華!」



 行き着いた店は、何処どこにでもる小さな食堂でった。けれど、健吾に取っては、取って置きの店でる。いつも、何かがれば足を運ばせている。



此処ここのカツ丼、めっちゃ旨いんだぜ!」




 一年程前、健吾はの店で食い逃げをしようとした。食う金にも困り、華にも相談する事も出来ずにいた。そして空腹に耐え切れずに、の店に吸い込まれる様にやって来た。カツ丼を頼み、健吾は一気に平らげた。米粒一つ残さずに、綺麗になった器を見詰め続けた。財布の中は、空っぽだった。無銭飲食でる。まま、逃げる事を健吾はどうしても出来なかった。勇気を振り絞って、店の大将に本当の事を打ち明け様とした。立ち上がろうとする健吾に、大将はいくつかの料理を差し出して来た。どうやら大将は、金が無いのを見透かしていた様だった。代金はらないから、腹一杯に成って帰る様にと言う大将の言葉に、健吾は心から涙していたのを覚えている。れ以来、健吾は金が出来るたびに、の食堂を訪れていた。




「……お、の顔は何か良い事がったな!」



 店に入るなり、大将は健吾に声を掛けた。上機嫌の健吾の笑い声に、阿阿大笑かっかたいしょうの声が絡みく。大将の年齢は七十は越えていたが、溌剌はつらつとした様子でる。いつも穏やかな笑みを張り付けている。



「大将、いつもの!」



 健吾は此処ここに来ると、いつもカツ丼を頼んでいた。肉厚のカツに甘辛いつゆが溶け込んでいた。フワッ……とした卵のトロトロの触感が、心地良く舌上でとろけるのだ。



「あいよ……で、そっちの兄さんは、何にする?」



 穏和おんわな表情の大将。優しい眼差しを華に向けている。人生を達観しているのか、大将は人の心が見えているふしる。不思議と大将の優しい笑みを見ていると、心が落ち着けられるのでる。そんな大将が目的で、店に足を運ばせる者も少なくはない。



 中々の高齢者だったが、一人で店を切り盛りしている。本人曰く、年寄りの道楽。店を切り盛り出来なくったら、ころり……と、ってしまう。客が来てくれてる間は、死んでも死に切れない。だから健吾は金が出来れば、必ず大将に逢いに来ていた。



 逡巡しゅんじゅんする華の眼が、健吾と交わる。にこやかに健吾が笑うと、華も釣られて笑った。




「……あ、じゃあ。カツ丼、お願いします」


「あいよ!」



 威勢良く、厨房へと向かう大将。



 二人はカウンター席に腰掛けて、勝手にグラスを手に取り水を注いだ。




「しっかし、急にバイト増やして……金に困ってんのか?」


「うん、まぁ……」




 図星を突かれたと言う様に、口をにごす華。



 れ以上、何も言うなと言わんばかりに、華はグラスに視線を落とした。の様子が少しばかり、寂しかった。




「まぁ、良いや。れより、マジで此処ここのカツ丼、うめぇから楽しみにしてな!」


「あぁ……」




 何故なぜか気まずい雰囲気に成って、健吾は店内に視線を泳がせた。



 隣りの席に、高校生ぐらいのカップルが、何やら神妙な顔付きで話していた。大方、別れ話でもしているのだろう。



 そうこうしている内に、カツ丼が運ばれて来た。



 早い、安い、旨い。が、の店の売りだ。



「カツ丼、二丁おまち!」



 後、大将の人柄も売りの一つだ。



「さぁ、食ってみろよ!」



 湯気を立てる丼からは、こうばしいかおりが漂っている。健吾に促されて、カツ丼を口に運ぶ華。



「旨い……めっちゃ、旨い!」



 華の表情が、僅かに明るく成った。



「だろ!」



 笑顔を返す健吾。



 箸を手に取り、カツ丼を掻き込む健吾。



「やっぱ、此処ここのカツ丼は、最高だ!」



 満足そうに笑う健吾。



 釣られて、笑う華。



 穏やかな空気が、二人を包み込んだ。





   漆





 華がカツ丼を半分程、たいらげた時でった。



 がらの悪そうな男達が、来店していた。



 の中には、田辺の姿がった。華の胸中を、くらい物が満たしてく。




「あれぇ~……。ウチで金を借りて措きながら、カツ丼ですかぁ。良いご身分ですねぇ~!」


「おい、田辺。次の返済期日は、まだ先だ。勝手な事をしたら又、社長に怒られるぞ?」




 男の一人が、見下した様に田辺を止める。



「解ってるよ、うるせぇなぁ~!」



 男の手を払い、田辺は不機嫌そうに席に着いた。の時には既に、華の表情かおは、かげりを見せていた。



 ――愚かな奴等だ。人間は皆、愚かだ。



 又、頭の中で声がした。甲高い男の声だった。けれど、の姿は何処どこにも無い。



「どういう事だよ、華。まさか、お前……闇金に、手ぇ出したんじゃねぇだろうな!」



 とがめる様に問う健吾。健吾にだけは、知られたくは無かった。心配を掛けたく無かったからだ。掛け替えの無い友達だから、迷惑を掛けたく無い。



「そうだよ。悪いか……?」



 口から出た声には、けんが含まれていた。




「何で、俺に相談の一つもしないんだよ!」


「おい。こいつ等、内輪揉めし出したぞ!」


「放っとけ。そんな物、ウチの客じゃ珍しくもないだろ」




 口々にいやしく笑う男達。



 かげる健吾の表情。




の間、彼女が消えて……代わりに、こいつらが突然、やって来たんだ!」


「……んで、お前が女の借金、肩代わりしたんだよなぁ~……華ぁ?」




 田辺が楽しそうに、高笑いを上げる。




「何だよ、れ……」


「お前を、巻き込みたくなかったんだよ。健吾、俺達……親友だろ?」


「水臭い事、言うなよ。金なんか、俺が払ってやるよ!」




 健吾が財布から、五万円を取り出そうとした。



「足りないんだよ!」



 健吾の手を、慌てて止める。金を出させれば、健吾からも取り立てねない。そうれば、本当に友情に亀裂が入る気がした。れだけは、絶対に嫌だった。



「そうそう。れっぽっちじゃ……全然、足りないの。こいつ、ウチから五百万も借りてるから。けど、社長は優しいんだぜ。女の借金、肩代わりする代わりに、利息をトイチに負けてるんだからな!」



 嘲笑ちょうしょうが、店内を木霊する。



 ――薄汚く、醜い奴等だ。お前の女も、こいつ等と出来てるぞ。



 内なる声が、悪魔の様に華の心を撫でる。どす黒い感情が、心を掻き立てる。



れは、本当か?」



 ――本当だ。こいつ等が、憎いか?




「あぁ、憎い……」


「おい、華。どうしたんだよ……。一体、誰と話してんだよぉ……?」




 狼狽うろたえた様な表情の健吾。健吾を見ていると、胸が締め付けられる様に痛かった。けれど、心の奥底から沸き起こる感情を、どうにも抑えれ無かった。憎しみの念が、田辺達に向けられる。



「ごめんな、健吾。お前の大切な店で、こんな事になっちまって……」



 ――我を受け入れろ。そうすれば、此処ここに居る奴等を殺してやろう。



 内なる声の誘いに、抗えない。



「あぁ……受け入れる!」



 染まる憎悪が、心地良く華の心を変貌かえさせた。





   捌





 口々に、いやしい言葉を放つ男達。



 虫酸むしずが走った。




「羅刹、気持ちは解るけど……駄目よ」


「解っている」




 戦騎騎士は、人間を傷付けてはいけない。れが例え、どんなに虫酸が走る様な醜悪しゅうあくな人間でってもだ。人間を裁くのは、人間の役目だ。自分が立ち入るべきでは無かった。



 れよりも、今は魔徒だ。どの人間に、魔徒が憑いているのかを、見極めなければらない。早くしなければ又、犠牲者が出る。今迄の自分ならば、決して抱く事の無かった感情。の想いが、羅刹を焦らせている。



 ――人を、護りたい。そんな想いが、羅刹の心に芽生えていた。



「貴様等、良い加減にせんか。寄ってたかって言いおって。恥を知れ!」



 店の大将が、堪りねて叫んでいた。



「何だと、の糞ジジィが!」



 男の一人が叫んだ瞬間、魔徒が動いていた。



 少年の一人が、男の胸を手刀で刺し貫いていた。



「糞、遅かったか……」



 又、一つの命を護る事が出来なかった。



 自分は、騎士失格だ。だが、今は嘆いている暇は無かった。



 魔徒が、もう一人の男に手刀を放とうとしている。短剣を引き抜き、手刀を受け止める。悲鳴と共に、店内を混乱と恐怖がうごめいていた。



「お前達、逃げろ!」



 例え、虫酸が走る人間でろうとも、護り抜いてみせる。



 己は、戦騎騎士なのだ。



 全ての人間を護る。



 我先へと逃げる男達。



 少年と大将は、逃げなかった。




「お前達。何故なぜ、逃げない!」


「そいつは、俺の親友なんだ。見捨てるなんて、出来る訳がないだろ!」




 又、魔徒と親しい人間が傍に居る中での戦いでった。



 だが、斬る事を躊躇ためらう訳にはかない。誰かが傷付く事に成ってからでは遅いのだ。



「良く言った坊主。おい、兄さん。此処ここわしの店だ。微力びりょくながら、加勢するぞ!」



 包丁を取り出しながら、大将が笑った。



「余計な事は、しなくても良い!」



 はっきり言って、大将が居たら逆に足手纏あしでまといだ。



 居ない方が良い。




「刹那、二人を頼む!」


「……え、頼むって?」


「お前には、タリムが居る。二人の近くに居るだけで、結界が張られる。行け!」




 三者を背にかばう様にして、羅刹は前に出た。



「邪魔をするな、小僧!」



 どうやら今回の魔徒は、依代よりしろの心を完全に支配している様だ。



 最早もはや、少年の自我は何処どこにもない。



 次第に鬼神化する魔徒を睨み付けて、羅刹は戦騎を喚装かんそうした。




「華ぁ……お前、身も心も、化物になっちまったのかよぉ!」


「そうだ。奴を斬らねば、お前の友は永遠に化物のままだ!」


「そんな……」




 表情を暗くする少年。




「羅刹。魔徒の能力が、だ解らないわ。気を付けて!」


の必要は無い。俺が逃げれば、後ろの三人が死ぬ。俺には、前にしか道は無い!」




 炎をまとわせた大剣を構えて、前へと全身した。



 の突進エネルギーを利用して、魔徒へと大剣を刺し貫いた。



 其の剣に最早もはや、迷いは微塵みじんも無かった。



 人を護る。今の羅刹の胸は、其の想いで溢れていた。



 ――何が在っても、必ず護り抜いてみせる。





   玖





「……あいよ」



 店内に残された大将と健吾。薄暮はくぼの日に染まり始める店内に、哀しいひかりが満ちている。自分は何もしてれなかった。二人で描いた遠い過去が、急激に健吾の心を絞め付けている。堪える涙。先程まで華が座っていた席を見詰めながら、惨めな自分がゆるせなかった。



 呆然と佇む健吾に、大将はカツ丼を差し出してきた。




「俺……カツ丼なんて、頼んでないよ?」


「儂のおごりだ。こんな事しかしてやれんが、食ってくれ」




 優しく穏和おんわな笑みを向ける大将。何時いつだって、大将は優しい。そんな大将が、健吾は大好きだった。



 湯気を立てるカツ丼を、強引に掻き込んだ。白米に染み入る甘辛い汁に、カツの肉汁が閉じられた卵が絡みいている。口内に溢れるこうばばしい薫り。



「旨い……。旨いよ、ちくしょう……やっぱり、大将のカツ丼は最高だ……」



 涙と共に、カツ丼を平らげる健吾。自分は変わらなければらない。華の分も性根を入れて、しっかりと生きなければ顔向け出来ない気がした。



 次第に傾く日が、店内を朱に染め上げてく。静かにたたえた覚悟を抱いて、健吾は立ち上がった。





   拾





「嫌だ、嫌だ……ふふふ。年末だと言うのに、そんな顔をしないでおくれよ」



 昭久あきひさが、年端としはもいかぬ少女を見据みすえていた。ナイフの刃先が、心地良い感触を伝えてくれる。恐怖に染まった眼まなこが、非常にそそらされる。



 町の外れにる小さな社。大晦日だと言うのに、参拝者は誰一人としていなかった。まりは、潜伏するのに持って来いと言う訳だ。死に損ないの老神主ろうかんぬしは、既に始末した。目の前の少女以外は、生存者は居ない事も確認済みだった。最高のねぐらだった。



「今宵は大晦日。除夜の鐘の代わりに……巫女の悲鳴でも聴いて、年を越すとしようか?」



 恐怖に顔を歪めて、震えながら昭久を見る少女。何度も何度も、優しく切り刻んであげよう。気が触れるまで丁寧ていねいに恐怖を植えけてあげよう。



 糞尿を垂れ流して、余程に恐怖しているのだろう。可哀想に……。優しく、じっくりと壊してあげよう。



「おいおい……君。随分と恐がって、どうしたんだい?」



 昭久は、僅かばかりの違和感を抱いていた。少女の様子が、おかしいのだ。



 獲物が恐怖するのは、何時いつもの事でったが、の恐怖が自分に向いていない。



「私は……こう見えても、紳士なんだよ……。安心し給え。優しく、君を……殺してあげるから……ふふふ……」



 震える指先で、明後日あさっての方を指差す少女。



 矢張り、何かる様だ。



「何か、言いたいのかい?」



 口をふさいでいる為、少女は呻く事しか出来ないでいた。



 猿轡さるぐつわを取ってると、か細い声で呟いた。



「タタラ様に、呪われる……」



 少女が指差す方に、視線を送る。



「タタラ様って、さっき私が壊した御神体の事かい?」



 視線の先には、粉々に成った仏像の残骸ざんがいった。



「貴方は、きっと……タタラ様に呪われるわ!」



 うらめしそうに、少女は叫んだ。



「いいや……れは、違うね。タタラ様は……私に、味方してくれるよ……」




 ――お前が、私の封印を解いた者か。




「ほらね……。声が、こえた」



 嬉しそうに、たのしそうに、昭久は少女にささやいた。



「そうだ。私が、お前の封印を解いた。私に力を授けるが良い。そうすれば、騎士ですらしりぞけてみせよう!」




 ――ほう、面白い事を言うな。お前の様な邪悪な人間は、の数百年は見ていない。




御褒おほめに預かり、光栄だね」



 少女の身体が、異常に迄に震えていた。全身から、あらゆる体液を垂れ流している。




 ――気に入った。お前こそ、我が依代よりしろに相応しい。




「さぁ、タタラ様……私に、力を与えるが良い!」



 邪悪な魔物が、邪悪な心の奥深くへと入ってった。昭久の身体を、溢れんばかりの力が満たした。



 いにしえの時代。多くの戦騎騎士をほふった魔徒が存在した。数多あまたの英雄が立ち向かい、ほふられた。戦騎と騎士のしかばねの山を築き、人々に恐怖と死を招いている。邪悪なる魔獣・タタラの名は、多くの戦騎騎士を震え上がらせた。だが数百年前に、多くの騎士の犠牲と共に、の社に封じ籠められた。



 の邪悪なる魔獣・タタラが、の東山昭久の力と成った。何者にも自分を止める事は出来はしない。



 少女の断末魔の悲鳴を喰らって、昭久は甘美な眩暈めまいに包まれた。






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