第四話【呪毒】
壱
美しい髪の女が居た。
艶の在る漆黒の髪で在った。
柔らかで、甘い香りを漂わせていた。櫛で梳けば、滑らかに通る事だろう。良く手入れがされている。見る者の心を魅せ、甘やかに惑わせる。其の顔立ちも、端正で美しく華が在った。
然しながら、女には愁いが窺えた。翳りの在る其の佇まいが、内に秘めたる想いを物語っている様で在った。年の頃は二十歳そこそこ。其処此処に、切り傷や痣が垣間見えた。
女の名前は、皆川一乃と謂った。
幼い頃より優しい両親に育てられて、成人を迎えるまで穢れの一切を知らずに生きてきた。
「呪ってやる……」
心の奥底から絞り出したかの様な悪意が、其の声や言葉には籠められていた。披瀝された憎悪が、其の言葉に蒐められていた。
「呪ってやる……」
掠れた声。美しい容姿からは想像も附かぬ様な、嗄れた声音。其れはまるで、死の際に座す老婆の最期の言葉で在るかの様に、悲壮な嘆きの言葉にも聞こえていた。
怨みに染まった眼は赤く充血している。怨みに染まった毒気の在る双眸。女は呪文の様に同じ言葉を、延々と繰り返していた。
「呪ってやる……呪ってやる…………」
只、髪だけが鈴と美しい色を奏でている。怨嗟の濃さが、髪に宿った様に美しかった。
半年前、皆川家に一人の男が忍び込んで来た。三十代半ばの男で在った。男は一乃の両親を殺し、一乃の体をナイフで切り刻んだ。一乃の操を奪い、金品を持ち去って行った。未だに男は見付かっていない。以来、一乃は心を閉ざした。人との関わりを避けた。
一乃の両親は生命保険に入っていた為、多額の保険金が降りた。贅沢さえしなければ一生涯、働く必要がない額で在った。一乃の縁者は挙って、一乃の元を訪れた。悲劇に見舞われた一乃を同情するかの様に、悼辞を述べるが、孰れも本心では無かった。皆、金に目が眩んだ様な表情をしていた。
両親の葬儀で参列した親族達に、怨みの言葉を打つけた。
一乃の目には、金目当てのハイエナにしか映らなかったのだ。怨み辛みの籠った罵詈雑言を受けて、当惑する者や怒りを顕わにする者も居た。だが血相を変えた一乃の姿は、異常な雰囲気を漂わせていた。蓬髪姿で異様に眼を血走らせていた。皆、黙り込んだ。異常な空気を纏わせた一乃は、既に気が触れていた。固唾を飲んだ一同に向けて、呪いの言葉を放っていた。
以来、一乃は孤立した。
心を侵され、体を穢され、両親を殺された。其の怨みの色は深く濃い。清廉潔白な一乃の心は、毒気に染まっていた。真っ白な半紙に墨汁を打ち撒けた様に、一乃は憎悪の黒に染まっていたので在る。
人を避け、一乃は部屋に籠った。犯人の男を一向に呪い続けた。
「呪ってやる!」
己の髪を編み込んで作った人形を、男に見立ててナイフを突き立てた。何度も、何度も――。
一心不乱に、一乃はナイフを振り降ろした。
一乃の怨みはまるで、美しい毒で在った。甘やかで、艶やかで、漆黒に彩られた髪の様に、心に絡み附いては離さない。
――男が憎かった。心底、憎かった。
殺す等と謂う生易しい物ではなかった。自ら死にたくなる程の苦しみを与え続けた儘、生かし続けたかった。
死ぬ事は赦さない。
のうのうと生きる事も赦さない。
無限の生地獄を味わわせてやりたかった。呪詛を籠めて、一乃はナイフと髪を振り乱し続けた。
――ならば、妾が毒を授けてしんぜよう。
何処からか、女の声が聴こえてきた。
低い声だった。
一乃は只、ナイフを握る手を止め、辺りを窺うだけで在った。焦りや驚きは、微塵も見せなかった。そう謂った感情は、疾うに失われていた。
――ほう、微動だにせぬか。中々、肝が据わっておるわ。
声の主が誰で、何処に居ようが、然したる問題ではなかった。
一乃に取っては、そんな事はどうでも良かった。
「貴方、在の男の居場所が解るの?」
恐ろしく冷ややかな声だった。以前の一乃は、もっと温もりの在る声音をしていた。其れが今では、すっかり温度を失っている。
憎しみ以外の感情を、一乃は失ってしまったのだ。
――妾の力を以ってすれば、其の男に地獄の苦しみを与える事等、容易い事じゃ。
其の言葉に、一乃は目を見開いていた。
「良いわ。貴方の言葉を信じる」
全く感情の籠らぬ言葉を、声の主に向ける。
――ならば、妾を受け入れるが良い。
其の刹那、一乃の中に何かが入り込んでいた。
とても素晴らしい高揚感に包まれて、一乃は半年振りに笑っていた。
弐
御法院家の地下には、龍脈が流れている。龍脈とは、大きな氣の流れで在る。氣は川の様に流れていて、氣が集まるポイントには土地神が宿る。
御法院の一族は、神と契約した《禍人の血族》で在る。
神の眠る祠を、家屋の地下に奉っていた。
暗闇の祠の中で、香流羅は座禅を組んで眼を綴じていた。神は気紛れで在る為、妄りに姿を現さない。神に認められ、其の力と眷属を与えられたとは言え、容易に謁見する事が出来ないでいた。
だからこそ禅を組んで一向、待ち続ける以外には無かった。
待ちながら、香流羅は戦騎騎士の少年の事を考えていた。戦騎騎士と相対するのは初めてで在ったが、手強い相手だった。此方の手の内を全て曝け出した訳ではないが、まだまだ底が見えない。軽く手合わせしただけだが、かなりの修羅場を潜っている事が窺える。
今の儘では、恐らく勝てないだろう。戦騎騎士を斬るには、新たな力が要る。其の為には、神に請わねば為らない。《禍人の血族》で在る我等は、此れまでそうして力を得て、生き存えてきたのだ。其の為に支払った対価は、決して安価な物ではなかった。
《血の定め》も《地の掟》も、背負うには余りにも重い荷では在った。だが、此の世に生まれた時から与えられた宿命で在る。
何人たりとも、犯す事の出来ない領域で在った。戦騎騎士は、必ず斬る。先刻の少年には怨みはないが、掟で在る以上は抗う訳には往かない。其れに――戦騎騎士には、個人的な怨みが在った。
決して赦す事の出来ない怨みが在る。
香流羅は目を見開いていた。其の瞳には、憎悪の光りが色濃く灯されている。
「香流羅よ、良くぞ参ったな」
香流羅は眼前に、神の気配を感じた。
其の姿こそは見えないが、辛うじて神の輪郭を捉える事が出来た。並々ならぬ力を発する神は、此の世に具現化すれば大気を歪ませ龍脈に亀裂を齎し兼ねない。
故に神は、不用意に出現する事は無い。
「戦騎を繰る者が、現れた様だな?」
「はい。先刻、刃を交えました」
「今の儘では、勝てぬか?」
全てを見透かされていた。己の未熟さ故、勝てない事は承知している。
だからこそ、力が要る。
「私に、神威の使用を許して下さい」
「――ならぬ」
宝刀【神威】は、神が生み出した破邪顕正の刃だ。
御法院家が、神に授かりし刀。如何なる魔で在ろうと、其の一振りで無へと帰す力を持っている。
其の力を以ってすれば、戦騎と言えども斬る事が出来るだろう。
「神威は、伝家の宝刀。今の貴様では、触れる事すら赦されぬ。更なる修練を積み上げ、力を得るが良い」
「此れは?」
香流羅の前に、二冊の巻物が現れた。
「【天涯の書】と【人外の書】だ」
刹那、香流羅の顔色が明らかに変わった。名前ぐらいは、姉から聞いた事が在る。
二冊共、禁忌の書で在った。
御法院の始祖、最初に神と契約した男が書き記した奥義書でも在る。
御法院の歴史の中、幾人もの猛者達が挑み、命を落としてきた。
「必ずや会得するのだ。そして、騎士を斬れ」
戦騎騎士を斬る。其れは、神が課した《地の掟》で在る。
「私は騎士を赦さない。曾て在の男に斬られた傷が、今でも痛むのだ」
神は曾て、戦騎騎士に斬られた。以来、神は戦騎騎士を等しく怨んでいた。所謂、逆恨みでは在るが、神が課した掟で在る以上は守らねば為らない。元より戦騎騎士は、魔徒よりも憎むべき対象だった。
必ず此の手で、斬る。
愛する者達を護る為には、力が必要だった。
御法院家の当主として、一族を護らねば為らない。
巻物を手に取り、香流羅は決意を固める。
「必ずや、会得して参ります」
頭を深々と垂れて、香流羅は神に誓いを立てる。其の瞬間、香流羅の全身を凄まじい重圧が包み込んだ。
吹き出る汗。
――が、凍て附く様な寒さを感じた。
沸き上がる恐怖。得体の識れない何かが、全身に浸潤するかの様だった。震えが止まらない。自分の意思で体を動かす事すら、儘為らない。突然、無重力の空間に放り込まれた様に、立ち位置すら覚束無い。あらゆる感覚が、麻痺して往くのが解った。そう――此れは、死の恐怖だ。選択を過てば、命を落とし兼ねない。
畏れを懐きながら、顔を上げる。
神が此方を見ていた。とても美しい女の姿をしていた。
其の双眸から発せられる重圧に、肢体を押し潰されそうに成った。
「其の言葉、違える事は赦さぬぞ」
冷やかな声。
震える大気。
「畏こまりました」
暫しの沈黙の後、神が静かに微笑んだ。其の刹那、心が和らぐのが解った。安堵しているのだ。
だが其れが、命取りに繋がる事を刹那の後に悟らされた。
「直ぐに警戒を解いては、いかんな。隙だらけだ」
刀の切尖が、香流羅の喉元に在った。
優しく突き付けられた神の刃が、香流羅の命を静かに撫でる。
「申し訳、御座いません……」
香流羅は心底、恐ろしかった。殺される事がではない。
殺意を向けられているのに、心が癒されているのだ。心が蕩々(とうとう)と安らいで往く。其の事実が、どうしようもなく恐ろしくて堪らなかった。
「安心するが良い。ほんの戯れだ。儂は眠りに就くとしよう」
そして、神の存在が消えた。
震えと汗が止まらなかった。
参
御影町に殺人鬼が引っ越して来たのは、半年程前の事だった。殺人鬼の名は東山昭久。
人を殺す事に生き甲斐を感じ、異常な性癖を持った男で在った。幸福で穢れを知らない様な、そんな純真無垢な少女を恐怖に満たしたい。柔らくて美しい肌を、傷付けて蹂躙したい。操を奪い、希望を奪い、己の存在を絶望と共に植え付けたい。
昭久は支配欲の塊で在った。
幸せな人間が、気に入らなかった。美しい物は、汚したかった。ドラマの中に出て来そうな、幸せな家庭は壊したくなる。今まで十人近くの人間を殺してきた。数え切れぬ数の人間を、絶望の淵に突き落としてきた。貪婪に、己の欲望を満たしてきた。けれども、湧き上がる欲求は、枯渇を識らなかった。一定の周期で、心が疼いた。だからこそ、自分の行いの残滓を持ち帰っていた。
身体の一部や所持品を、蒐集した。其れ等の事を思い出しては一人、悦に入っていた。其れでも誰かを蹂躙したいと謂う欲求が、抑え切れない時期が在る。
此の半年間で、昭久は五人の少女を殺した。六人の人間を、絶望の底に突き落とした。孰れも弄び、蹂躙した。身体を滅茶苦茶に切り刻んだ。
――心地良かったなぁ。清々しく、晴れやかな境地に至れる唯一の一時。何者にも犯す事の出来ぬ領域に、自分は土足で踏み躙るのだ。堪らなく爽快で、痛快で在った。愉悦に浸り、法悦に包まれ、至高の快楽の中で射精しながら穢れの識らない若い女を切り刻むのだ。
マンションの一室で、半年前の出来事を思い出していた。
初夏の風が薫る中を、淑やかで、清純そうな女が歩いていた。年の頃は二十歳程か。昭久の視線と心は、女に釘付けに成っていた。直ぐに後を付けて、家を調べた。優しそうな両親がいて、幸せそうで在った。だから、真っ先に両親を殺してやった。眠る女に跨がり、其の事を鮮明に話してやると絶望と哀しみに涙を濡らしていた。思いっきり殴り衝けてから、ナイフで体を切り附けてやった。じっくり、ゆっくり、ねっとりと痛め附けて、弄んで、楽しませて貰った。透き通る様な、綺麗な髪を引き千切らなかったのは、失敗だった。持ち帰って、蒐集にすれば良かった。
昭久の部屋には、色んな女の体の部位がホルマリン漬けに成っていた。
常軌を逸している。
其の事を、昭久は理解していた。だからこそ、犯行を実行する際は、細心の注意を払ってきた。
此の町も、もうそろそろ潮時だった。
今の職場には、魅力的な獲物がごろごろ居たが、最後に一人、支配してから此の町を出る事にしよう。
昭久は呻く様に笑い出した。
――が。唐突に、呼吸が出来なくなった。
喉の奥に異物が埋め込まれたかの様に突然、息が詰まっていた。一体、何が起きているのか、理解が出来ない。昭久の頭を混乱と焦りが埋め尽くしていた。
――苦しい。息が出来ない。
慌てて口を開き咳き込もうとするが、得体の識れない何かが、喉を埋め尽くしている。
昭久の顔面は、涙と汗と涎と洟に塗れている。
焦りと混乱が、苦しみと恐怖を招いている。
堪らなく成って、昭久は喉の奥に指を突っ込んでいた。
指先に触れる感触。
其れは、髪だった。
髪の感触に間違いない。何とか指を絡めて、引き摺り出した。
指に纏わり付いた其れは、矢張り髪で在った。
もう一度、喉の奥に指を突っ込んで残りの髪を引き摺り出す。二度、三度と繰り返した途端、呻き声と共に嗚咽が込み上げる。大量の髪を嘔吐する。貪る様に酸素を吸い込み、昭久は何とか呼吸を取り戻した。口の中は甘酸っぱい味と何とも謂えない髪の感触が埋め尽くしていた。一体、何が起きたのかを考えるが、訳が解らなかった。
一先ず台所へと向かい水道の蛇口を捻る。
口を濯いで、サッパリしたかった。考えるのは、其れからだ。
「何だっ……?」
突然、部屋の電気が消えた。
蛇口から、手が離れなかった。と言うよりも、全身が動かせなかった。
何かが身体中に纏わり付いている。先程と同じく髪だと悟った。じっとりと、冷や汗が湧き出るのが解った。全身が締め付けられた。
物凄い力で在った。
「呪ってやる……」
不意に、声が聞こえてきた。
口の中にも、髪が侵入している。ゆっくりと、ねっとりと髪が口内を埋めていく。喉の奥にも浸食ってきた。
嗚咽を洩らし、涙を溢し呻いている。
「呪ってやる……」
再び、声が聞こえてきた。
声に聞き覚えが在った。と言うよりも、自分が手に掛けた獲物だ。
忘れる訳がない。
――皆川一乃だ。
しかし、何故だ。何故、今さら皆川一乃が現れる。
逡巡するが、呼吸をしていない所為で頭が回らない。先ずは脳に酸素を取り入れるのが先決だった。此の儘では、窒息死してしまう。
此の儘では不味かった。
必死で藻掻こうとするが、全身を髪で縛られている所為で、身動きが取れなかった。
意識が段々と朦朧として、眩暈がしてきた。
此の儘では、本当に不味かった。
脳に酸素を送り込まなければ………呼吸が、出来ない。真面に思考が纏まらない。気分が悪い。吐き気はするが、吐瀉物が髪に痞えてしまって、胃液だけが唾液と共に垂れて往く。苦しい……が、どうにも為らない。視界が掠れ、意識が薄れて往く。こんな処で、死ぬのか…………此の東山昭久が、こんな処で――死ぬ筈が無い。唐突に、思考の狭間に割り込む様に、自分自身の『声』が聴こえた。其れは、意識の底から聴こえた。決して自分は死なない。根拠は無いが、確信が在った。死の際に立たされて、成せる術は何一つ無かったが、確信が在った。
「気を失う事は、赦さないわ!」
意識が飛ぶ瞬間、髪を吐き出した。否、吐き出させられたと謂うべきか。だが矢張り、自分は死ななかった。死のイメージが、浮かばない。此処では無い。此の東山昭久の死に場所は、此処では無いのだ。幼き頃の記憶が、脳裏を掠める。大好きだった妹の顔が浮かぶが、其れを振り払う様に、辺りを見渡した。
どうやら皆川一乃の目的は、自分を殺す事ではない様だ。別の目的を感じた。
昭久は直感的に理解していた。幽霊とかそう謂った類いの物を、全く信じてはいない。だが今現在、起きている事態は、皆川一乃の怨念に依る呪いなのだ。
其れだけは理解、出来た。
「私に復讐するつもりか?」
「お前を呪ってやる。殺して下さいって、懇願するくらいに苦しめて、苦しめて、苦しめ続けてやる!」
皆川一乃の表情は、どす黒い怨みに染まっていた。
初めて出逢った頃の神聖なる純白さは最早、何処にも在りはしない。そして、皆川一乃を染め上げたのは、紛れもなく自分なのだ。
そう思うと笑いが込み上げてきた。
「何を笑っているの?」
「随分と滑稽だな、皆川一乃。私が憎くて仕方がないんだろう?」
態と挑発する様な言葉を投げ掛ける。ほんのちょっぴりでも、動揺してくれれば自分のペースに乗せる事が出来る。
昭久は肺一杯に酸素を吸い込んだ。
そして――
「誰か、助けてくれ。殺される。助けてくれ!」
叫んでいた。しかし、其の表情には焦りの色は無い。
「貴方、何を考えているの?」
怪訝な表情で問う皆川一乃を無視して、昭久は叫び続けた。
時刻は午前の五時半を回った処だ。こんな早朝にマンションの一室で叫べば、隣室の住人が通報する事は間違いない。
「嫌だ、嫌だ。ふふふ……何を焦っているんだい。お前は、絶大なる力を手に入れたのだろう?」
不敵な笑みを浮かべる昭久。
「一体、どういうつもり。助けを求めても、無駄よ。何処に逃げても、私は貴方を必ず追い詰めて、苦しめてあげる。こんな風に――」
昭久の口内に髪が侵食していく。
気道を塞ぎ、呼吸を妨げる。だが、昭久に焦りの色は窺えなかった。其れ処か、余裕すら感じられた。
殺すのが目的ではない。苦痛を与え、生地獄を味わわせる事こそが、皆川一乃の望みなのだ。決して、殺されはしない。
昭久は直感的に理解していたのだ。
だからこそ、無呼吸の苦しみに耐え、平然を装った。間違っても、弾みで殺したりはしない。何故ならば、其れだけの憎しみを皆川一乃は抱いている。
昭久には確信が在ったのだ。
――とは言え、此の儘では不味い事には違いなかった。
何とかして、此の状況を打破しなくては為らなかった。
苦しみの中、昭久は思案に暮れていた。
だが、必ず切り抜けてみせる。自分は今まで、どんな困難も退けてきた。
何者にも、此の東山昭久は止められない。
肆
「羅刹、魔徒が出現したわ。随分と近くに居る」
頭の中に直接、語り掛けられる声。
タリムの言葉に、羅刹は目を醒ましていた。
御影町二丁目に有る簡素で小さな安ホテル。現在は廃墟と成ってはいたが、人が住める程度には片付いていた。
「どうやら、まだ鬼神化はしていない様ね。でも、急いだ方が良いわ」
此の世界には、タリムの実体は無い。極界と呼ばれる黄泉の國に、其の本体は存在する。
此の世に彼女が其の身を顕すのは、羅刹が戦騎を換装している僅かな時間だけで在る。故に会話はテレパシーを用いて行っていた。
「解ってる。奴の居場所を教えてくれ!」
黒のコートを羽織り、短剣を手に取る。
羅刹の心境は、僅かにだが変化が顕れていた。
其れは、言葉の端々からも窺えた。
部屋を飛び出し駆ける羅刹。其の動きは速く一陣の疾風の様だった。が、其の動きに附いて来る者がいた。そして、強烈な殺気を感じて羅刹は立ち止まった。
辺りを警戒しながら、身構える。
「此の殺気の主が、魔徒なのか?」
異様な殺気だった。
「魔徒の気配は感じられないわ」
「だが、人の気配ではない。此奴は一体、何者だ?」
「解らないわ。けど、気を付けて。只者ではない事だけは、確かよ……」
神経を研ぎ澄まして、殺気の気配を探る。
まるで、獰猛で狡猾な獣だった。
相手は、気配を殆ど殺している。
一体、何処に居る。
焦りが、汗と共に伝う。
風が木々の葉を揺らす音。遠くで叫ぶ犬の雄叫び。車のエンジン音。家屋から漏れる生活音。
今の世は、余りにも余計な音が多過ぎる。だが羅刹は、微かに空を引き裂く気配を聴き取っていた。
――後ろだ。
爆ぜる金属音。
短剣で、刀の一撃を受ける。
受け流して、斬り伏せる心算だったが、相手は半身を捻って弐の太刀を繰り出してきた。
脇差しに依る二撃目を、辛うじて躱すが皮一枚、斬られる形となった。柔らかな動きに反して、重い太刀。そして、速い太刀筋。並の手練れでは無い。
予想以上に強い相手の奇襲を受け、羅刹は混乱していた。
相手は狐の面を被っている。
御法院家の者ではない。《禍人の血族》特有の不思議な力は、感じられなかった。そもそも、人の気配を感じられない。
だが、魔徒とも違う。一体、何者なのだろうか。
解らない。
解らなかったが、其の力量だけは理解った。
「タリム、喚装だ!」
伍
一乃は内心、動揺していた。
東山昭久の真意が、全く読めないでいた。
今、自分は圧倒的優位に居る。相手は動く事は愚か、呼吸すら真面に出来ないでいるのだ。
其れなのに何故、平然としていられるのかが解らなかった。理解が出来ない。其れが苛立ちと成って、焦りと成っていた。漸く復讐が果たせると思ったのに、思い描いていた物からは懸け離れていた。苦痛を与え、生地獄を味わわせなければ、意味を為さない。
既に東山昭久の臓器を、死なない程度に髪で締め付けていた。本来ならば、気が狂う程の激痛にのた打ち回っていても可笑しくはなかった。
糞尿を撒き散らして、失神していても不可思議ではない状態で在った。
其れなのに何故、命乞いをしないのだ。歯痒くて仕方が無かった。
「どうやら、並の精神力の持ち主では無い様じゃな。腕の一本を切り落としても、声一つ上げぬ輩と見た」
内なる声が、一乃に囁き掛ける。
「此の様な手合いは、何時の世にも居る。さっさと殺してしまえば良かろ?」
「駄目よ、そんなの。私はこいつに、地獄を見せなければ、気が済まない。いいえ……例え百万回、ぶち殺しても殺し足りないわ!」
叫ぶ一乃を、東山昭久は冷静な眼差しで見ていた。
只、静かに観察していた。其の事が、一乃は気に入らなかった。
折角、復讐を果たす為に人の道を外れたと言うのに。此の儘では、人外の道に足を踏み入れた意味がない。東山昭久に、生地獄を必ず与えてみせる。
涙を流し、嗚咽を洩らし、糞尿を垂れ流し、恐怖と苦痛に震え上がりながら助けを懇願させたかった。
そして、気が狂いのた打ち回る其の様を見たかった。
――と、其の時だった。
インターホンが部屋に鳴り響いた。先程、昭久が喚き散らした所為で、隣室の住民が通報したのだろう。警察を呼んだ処で、意味を為さない。昭久の狙いが、此れだと謂うの為らば、徹底的に絶望を叩き込んでやらなければ為らない。
「警察です。東山さん、どうしました?」
暫しの間の後、鍵を開ける音がした。
ドアが開き人が侵入する気配が複数した。程無くして、二人の警察官と管理人と思わしき男が、部屋に入って来た。
誰にも邪魔はさせない。邪魔をするの為らば殺すだけだ。
力を得たばかりで、呪毒を一度に一人にしか使えない。仕方なく東山昭久に絡めた髪を解除した。どうせ、逃げられはしない。
警察官の一人に、髪を絡めて絞め殺した。其の刹那、内側から異様で異質な力が溢れて来た。迸る様な快楽が全身を衝き抜けて、心が沸いていた。
「どうやら、殺した様じゃな?」
愉悦を含んだ内なる声。
「ひぃっ……化物ぉ!」
警察官の一人が、恐怖に顔を歪めて叫んだ。
「其処の鏡を見てみるが良い」
内なる声に言われる儘、鏡に目をやって驚いた。
自分の美しい髪が、蛇に成っていた。
「さぁ、もっと妾の力を振るうが良い。もっともっと……数多の殺戮に内奮うが良いわ!」
愉快そうな内なる声。
警察官が拳銃を構えていた。
発砲する前に、念を送るだけで石と化していた。他愛も無い。
管理人と思わしき男も、恐怖に歪めた顔で石化していた。
「素晴らしい力だな、皆川一乃。差し詰め、神話に出て来るメデューサと言った処か……」
愉快そうに拍手を送る東山昭久。随分と余裕そうで在った。
其れが、何よりも気に喰わなかった。殺す事は、何よりも容易かった。だが、決して殺しては往けない。
必ず追い詰めて、生地獄を与えてみせる。
「一つ、忠告してやる。私が憎いのなら……今、此の場で殺しておいた方が良い。そうしなければ、きっと……後悔する事になる。ふふふ……何故なら、何者にも此の私を止められないのだから!」
突然、ドアに向かって走り出した。
逃がしはしない。
髪を東山昭久に送る。
「馬鹿の一つ覚えだな、皆川一乃ぉッ……!!」
東山昭久は、ライターで己のスーツに火を着けた。
髪が纏わり付く前に、燃やされて往く。苛立ちに拍車が掛かった。殺してしまいたい。けれど、其れでは足りはいない。激しく荒ぶる憎悪は、どす黒く燻っていた。昭久の苦痛に歪んだ表情を見るまでは、決して収まらない。泣き喚きながら、殺して下さいと懇願するまでは、苦しめ続けなければ為らない。気が触れて狂い死ぬ迄、苦しみを与え続けなければ為らない。
「追わずとも良い。最早、奴に逃げ場は何処にもない」
内なる声が、制止の声を掛ける。
「其れもそうね……」
東山昭久の体内には、まだ髪が残っている。呪毒の籠った髪だ。
其の髪が、じわりじわりと毒の様に苦しめる。臓腑を腐らせ、激痛と成るのだ。だが決して、直ぐには死ねない。
決して逃れる事は叶わないのだ。
陸
「タリム、奴は何者だ?」
戦騎を纏っているのに、羅刹は圧されていた。
太刀筋が速過ぎて、隙が無かった。加えて二刀流だ。間合いを取って、態勢を立て直さなければ不味い。純粋な剣術の打つかり合いで、遅れを取っている。其の事が心を苛立たせたが、羅刹は至って冷静で在った。潜って来た修羅場の数が、そうさせているのだろう。
大小二刀を繰り出す身体は、思いの外に小さかった。華奢な身体に、そぐわぬ身体能力の高さ。体の造りから、相手が女で在る事を悟った。
だからこそ、余計に戦い辛かった。刹那と出逢ってから、どうも調子が狂ってしまっている。以前の自分ならば、相手が女で在っても、決して躊躇しなかっただろう。羅刹は今、目の前の敵を斬る事に、僅かばかりの迷いを抱いている。
だが、手加減をする余裕はなかった。覚悟を決めねば為らない。
大きく息を吸い込み、丹田呼吸をする。意識を研ぎ澄まし、極界の炎を召喚した。全身に炎を纏いながら、歩を進める。
女が繰り出す斬撃が、空を斬った。
僅かに生じた隙を、逃さなかった。
技の名は【糸游】と言った。
擦り足を用いた独特の歩法で、相手の間合いを狂わせる技で在った。加えて極界の炎の熱で、陽炎が生じている。
羅刹の斬撃で、相手の大刀は折れた。
「お前は何者だ?」
刀の鋒を突き附ける。
女は面を取った。
まだ幼い顔立ちをしていた。自分よりも年下だった。
「私の名は菴。お前に用はない」
「ならば何故、襲った」
「只の勘違いだ……」
其の刹那、女は去って行った。
釈然としなかったが、羅刹は魔徒を目指して再び駆け出した。
漆
昭久は焦っていた。
平然を装ってはいたが、髪の所為で体内はボロボロだった。身体の中を、無数の虫が蠢いている様で在った。激痛が常に迸り、身悶えそうだった。
計り知れないストレスを感じた。全身を、厭な汗が撫でていた。此れが、恐怖と謂う物なのだろう。生まれて初めて感じる其の感情に、苛立ちを覚えていた。
こんな事は初めてだ。とにかく此の髪の呪いを、どうにかしなくてはならない。其の為には、原因を取り除く必要が在る。
つまり、皆川一乃を始末すると謂う事だ。併し其れは、至極困難で在った。
今の皆川一乃は、化物だ。其れもとんでもない化物で在った。並大抵の事では、殺す事は出来ないだろう。
神話の中でペルセウスが、メデューサの首を切り落として殺している。皆川一乃も神話の様に、首を切り落としてしまうしかない。
だが一体、どうすれば良いのか思い附かない。策を練る時間はなかった。今こうしている間にも、体内の髪が臓器を蝕んでいる。耐え難い苦痛だった。まるで獰猛な蟲が、体内を貪り喰っている様な激痛と不快感が常に在る。立っているだけが、此れ程に迄も辛いのは初めてで在った。
正直な事を言うと、発狂してしまいそうだ。不意に、妙な笑いが込み上げて来て、唐突に笑っていた。自分でも不気味な笑い声で在った。余りにも滑稽で在る。
「東山先生……?」
背後から声を掛けられ振り向くと、御法院刹那がいた。
彼女は昭久の通う私立晴明女学院の生徒だった。
御法院刹那も又、以前から目を付けていた生徒の一人で在る。全身を切り刻んで、其の純真無垢な心を恐怖に染め上げたい処だ。だが、今は其れ処ではなかった。
「どうしたんですか……。全身、傷だらけで。其れに、酷い火傷っ……!」
心底、心配そうな表情が又、邪念を唆らされる。全身をナイフの刃で、愛撫したかった。ゆっくりと切り刻みながら、じっくりと絶望を味わわせたかった。ねっとりと、恐怖を植え附けてしまいたい。どうやら欲望の方が、苦痛を遥かに上回っている様だ。痛みを一時的に忘れていた。
慌てて駆け寄る御法院刹那。優しく触れた手が、白く輝いている。其の瞬間、どういう訳か体内から痛みが消えた。
「一体、君は何をしたんだ……?」
痛みが、体内を這い廻る髪の感触が、綺麗さっぱりと消滅した。しかも、傷と火傷も全て癒えていた。
御法院刹那が、呪いを浄化させたとしか考えられなかった。
だが、当の本人も困惑している。
「矢張り、何者にも私を止められない。運が……此の東山昭久に味方している!」
「東山先生……?」
突然、笑い出した昭久を、怪訝そうに御法院刹那が見ている。
彼女は使える。だが、皆川一乃だけではなく警察も、そろそろ自分を捜し出す頃合いだった。警察官が二人も死んだのだ。
今頃、警察側は昭久を重要参考人か、下手したら犯人として捜索するに違いない。
「此方へ来い!」
乱暴に御法院刹那の手を引いて、昭久は歩き出した。
「東山先生、痛いっ……」
「私は今、化物に追われている。お前には、協力して貰うぞ」
人気の無い廃ビルへと歩を進めながら、昭久は淡々と語り出した。
「訳在って、化物に追われている。どうやら、お前には化物の力を中和する力が在る様だ。皆川一乃を始末するまでは、丁重に扱ってやる」
全て方が着いたら、堪能させて貰うとしよう。柔らかな其の肌を、ケダモノの様に蹂躙してやる。御法院刹那――此の町の最後の獲物に相応しい少女で在る。
「私は其の化物を知ってる。そして、化物を滅ぼす者の存在も……だから、落ち着いて下さい!」
強い意志の宿った瞳をしている。益々、支配したく成ってくる。
廃ビルの奥へと入っていく最中に、遠くからサイレンの音がした。
「ちっ……。もう、警察の方が来たか。だが、運は私に味方している」
今、確かに御法院刹那は言った。
化物を滅ぼす者の存在を知っている――と。為らば、そいつを利用しない手はない。
「東山昭久、大人しく投降しろ!」
刑事らしき男と複数の警察官が、拳銃を突き付けて来た。
「御法院君、実は私は殺人鬼なんだ。全てを片付けたら、君も優しく切り刻んであげるよ……ふふふ」
御法院刹那の耳元で囁きながら、ナイフで頬を撫でる。刃先を目玉に突き立てながら、静かに嗤った。此の儘、眼球を抉り出してしまいたい。残された左目で、涙を流しながら喪失感に侵されて往く様を見たかった。想像しただけで、全身を得も謂われぬ快感が突き抜けて往く。だが今は、遣るべき事が在る。
今、此の空間を支配しているのは自分だ。何故なら、総ての事態を把握しているのは自分だけなのだから――。
「東山、ナイフを捨てろ!」
安っぽい台詞を吐く刑事らしき男。全く、つまらない男だ。一切の興味が沸いて来ない。
「嫌だ、嫌だ……ふふふ。君達、気を付け給えよ。もう既に、奴は来ているぞ?」
「何を言っている、貴様!」
叫ぶ刑事らしき男の背後で、悲鳴が上がった。精々、暴れて貰うとしよう。事が済んだ後の闘争ルートを、確保しなければ為らない。其の為には、警察官が邪魔で在った。
一同の視線が、悲鳴がした方へ集まっている。
「そうら……。メデューサの御出座しだ!」
高笑いを上げる昭久。皆川一乃には、咬ませ犬に成って貰う。今の内に喰い荒らすが良い。
次々に石化していく警官達。皆、一様に恐怖に歪んでいる。
「誰にも、邪魔はさせないわよ。其の男を、私に寄越しなさい!」
メデューサさながらの化物に出会して、刑事らしき男は声を失っていた。そして、瞬く間に石化していった。
彼よ是よと謂う間に、全ての警察官が石化してしまった。そして皆川一乃は、此方を見ていた。
「何故、其の小娘は石にならない!」
困惑する皆川一乃。矢張り、運が味方してくれている。
御法院刹那を連れて、更に廃ビルの奥へと向かった。
――必ず、逃げ切ってみせる。
捌
「羅刹、最悪の事態よ!」
「どうした!」
魔徒の元へ駆けながら、羅刹は叫んでいた。
「刹那ちゃんが、魔徒と接触したわ。今は私の結界で護ってるけど、そう長くは保たない。其れと……刹那ちゃんは今、殺人鬼に拐われてるわ!」
「何だって……?」
謂っている意味が良く理解できなかったが、刹那が危険に晒されている事だけは理解った。
「急いだ方が良いわ。喚装して、一気に行くわよ。魔徒は在の廃ビルの屋上にいる!」
タリムの意思に依って、戦騎を喚装させられていた。そして、戦騎に翼が生えた。
タリムは鷹の戦騎の為、飛行が可能だった。尤も此の状態に成ると、喚装していられる時間が短く成る。急がなければ為らない。
猛スピードで廃ビルに目掛けて、羅刹は飛び立った。数十秒で、到着した頃には鬼神化した魔徒が、刹那と殺人鬼を追い詰めていた。
「貴様、戦騎騎士かっ!」
「さぁ、ペルセウスよ。其処に居るメデューサの首を、跳ねるが良い!」
「お願い、羅刹。東山先生を助けてあげて!」
口々に叫ぶ三名。
刹那は此の期に及んで、殺人鬼を助けろとか吐かしている。
戦騎を喚装していられる時間は後、数秒しかない。飛行中にタリムから、魔徒の能力を聞いていた。見た者を石化する力。大した問題ではなかった。
「貴様も、石に成るが良い!」
鋭い眼光を此方へ放つ。
だが、遅い。
魔徒が捉えたのは陽炎だった。
既に羅刹は、魔徒の背後を取っていた。【糸游】からの一閃で、魔徒の首を跳ねた。
魔徒が灰になるのと同時に、喚装は解けていた。
――だが。生身の人間が相手なら、戦騎が無くとも充分に制する事が可能だった。間髪入れずに、殺人鬼のナイフを弾き飛ばしていた。刹那を抱き寄せて、殺人鬼の喉元に刀の鋒を向ける。
「どうした。小僧。やれよ!」
いつの間にか、刹那は気を失っていた。
タリムから、刹那が禍人の力を行使った事を聞かされている。恐らく、其の影響だろう。
今なら、刹那が哀しむ事もない。
「さっき、こいつがお前を助けてくれって言ったのが、聞こえなかったのか?」
殺人鬼を睨み付ける。
吐き気がする程、どす黒くて醜悪な眼をしている。
「あぁ、聞こえたさ。生っちょろい綺麗事がなぁッ!!」
「こいつは俺と違って、穢れを知らずに生きて来たんだろう。だから、平気で綺麗事を吐けるんだ。だが……こいつは、其の綺麗事に命を懸けやがる。だから、お前みたいな糞野郎でも、助けてやる。二度とこいつの前には、現れるな。良いな!」
本来ならば、此の場で殺すべきなのだろう。
でなければ、此の男は誰かを傷付け奪う。だが――男は人間で、自分は戦騎騎士だ。
殺す訳には、いかない。
其れに、刹那に嫌われたくなかった。
「小僧よ、今は退いてやる。だが、此の東山昭久を殺さなかった事を、何れ後悔させてやる!」
高笑いと共に、殺人鬼は去って行った。