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咎人戦騎  作者: 81MONSTER
1/17

第1話【化物】





   壱





 全てが憎い。



 目に映るすべてのものを、殺してしまいたい。



 残酷で——冷酷な想像が、頭のなかを駆けめぐる。気が狂いそうなほどの憎悪が内側から、己の身を焼き(くず)すような感覚に(とら)われる。



 胸中で憎悪の蛇が、蜷局とぐろを巻いている。果てしもない憎しみが、どうしようも無く心を焼いていく。



 深く——濃い闇が、憎しみとともに(くら)(よど)んだ心に、おりのように沈んでいる。粘着(ねんちゃく)質な執念にも似た憎しみの感情が、幸男の心に(まと)わりついて離れない。



 全てを壊してしまいたい。己の内側なかの破壊衝動が、殺意と憎悪に結びついて、どうにも()(がた)い。頭のなかにある果てのない憎しみは、救いようがなく、心を壊していく。



 暗闇を懐中電灯で照らしながら、幸男ゆきおは工場内を歩いている。無機質な足音だけが、闇に木霊(こだま)している。寒気かんきが肌を冷やしていたが、幸男の額には汗が(にじ)んでいた。暑い訳ではない。吐き気がするほどに()まわしい記憶ばかりが、心を彩っていく。



 今朝、工場長に三行半(みくだりはん)を突きつけられた。幸男の脳裏を、永井の言葉が蘇っている。



 ——もう、明日から来なくて良いから。



 見下したような薄い笑みを浮かべながら、工場長の永井はクビを言い渡してきた。



 その時に、永井を殺してしまいたいと思った。四肢を八つ裂きにして、はらわた(えぐ)り出してやりたい。押し寄せる憎悪。(たぎ)る想いを直隠ひたかくしながら、心を押し殺す。



 陰鬱いんうつな感情は、いつだって幸男の心のなかに潜んでいた。



 幸男は脅えたような、困惑したような、そんな視線を泳がせている。(おさ)(がた)い殺意を内に秘めながら、その感情に気付かない振りをした。



 そうしなければ、気が触れてしまいそうだ。不特定多数の人間に、明確な殺意の感情を抱いていたし、自殺を考えた事も数え切れないほどにある。



 ——お前みたいな役立たずは、死んだ方が良いんじゃないか?



 生ゴミでも見るような永井の眼を見て、憎悪に殺意の炎が灯るのが解った。殺してしまいたい。幸男の懐には、常に彫刻刀が隠されている。持っていると、心が落ち着くからだ。彫刻刀をつかって、永井の喉を裂いてしまいたい。滅多刺めったざしにしてりたかった。



 ——何だよ、その目。俺が殺してやろうか?



 幸男の胸倉(むなぐら)(つか)み上げながら、永井は声を低くする。



 周囲の嘲笑(ちょうしょう)の声。



 冷やかな視線。



 その全てが、憎かった。(うら)めしかった。周囲の人間を、みなごろしにしてしまいたかった。



 吐き気がするような腐った空気が、幸男の感情を激しく狂わせる。そんな狂気を無意識の内に押し込めて、幸男は涙を浮かべている。



 逃げるようにして、幸男は家路に着いていた。



 幸男は永井への復讐を誓った。



 今夜、自殺をしようと心に決めた。



 遺書には地獄のように悲惨(ひさん)半生(はんせい)。そして、永井たちへの怨みの言葉を書き殴っていた。



 思えば何一つ、良い事なんてなかった。



 幸男は己の人生を呪い。己の境遇も又、呪った。



 母子家庭に育った幸男は、父親が誰なのかが解らない。



 名前も素性も知らない破落戸ごろつきとの間に生まれた子供だと、スナックに勤める母は言っていた。幼いころの記憶が、頭のなかを()ぎっていく。



 ——アンタは、この世に産まれちゃいけない子だったの。



 感情の(こも)らない声音が、幸男の心を冷たく()でる。冷ややかに、憎しみの種が散蒔ばらまかれていた。



 まだ幼い幸男の頬に、母は煙草の火を押しつける。



 ——アンタの父親は、何処(どこ)の誰とも知れない行きずりの男。



 いつも同じ事を言いいながら、母は幸男に虐待を繰り返した。



 ——アンタなんて、死んでしまえば良いのに。



 何度も同じ言葉を浴びせながら、何度も何度も母は幸男を(しいた)げ続けた。



 ——アンタは、私の子供なんかじゃない。



 冷たい視線を投げ掛ける母。



 ゴミ袋に首から下まで入れられた状態で、幸男の幼い体は縛られている。



 幸男は母への情を(たも)つかのように、母への憎悪の念を必死で振り払う。それでも憎悪の種は、確実に心の奥底に根付いていたし、育っていたのは間違いなかった。



 長い年月をかけて、幸男の心には様々な人間への憎悪が蓄積(ちくせき)していった。



 幼いころから、幸男は周囲の人間に(いじ)められていた。



 ——ほら、ワンって鳴いてみろよ。



 ガキ大将のタケシが、四つん()いになる幸男の顔を蹴りつける。熱にも似た衝撃が、鼻頭に触れる。まるで火花が弾けるように熱かった。自然と涙が(こぼ)れ出して、憎しみが込み上げてきた。



 ——ポチ、あそこにエサが落ちてるぞ。



 犬の糞を指差しながら、タケシは笑っている。



 周囲の(あざけ)り声。



 残酷な子供達。



 無関心な大人達。



 ——早く、食えよ。



 (はや)し立てるタケシ。



 期待と奇異(きい)眼差(まな)し。



 込み上げる殺意。



 抑え(がた)い憎悪を、子供ながらに()じ込むように飲み込んだ。



 殺してしまいたい。



 けれど、押し殺した。



 感情を(ふさ)ぎ、己を殺し、幼い幸男は犬の糞を口の中に含ませる。ぬちゃり……とした感触が、口の中を満たしている。吐き気が込み上げるような異臭が、鼻腔(びこう)いっぱいに広がった。胃液が逆流して、()えたような何とも()えない味と相まって、心をどす黒い何かが満たしていく。



 ——こいつ、本当に食いやがった。



 殺してやる。



 気味悪そうに、タケシは逃げていった。



 殺してやる。



 周りの子供達も、タケシを追うようにして逃げていった。



「殺してやる!」



 幸男の絶叫が、工場内の闇に木霊した。



 永井も母も皆、殺してやる。



「殺してやるぅぅぅーっ!」



 ガソリンを()き散らしながら、狂った様に叫んでいる。



「皆、殺してやるぞぉ!」



 ——なら、俺が協力してやろうか?



「何だ! 何処(どこ)にいる?」



 何処(どこ)からか、声が()こえてきた。男の低い声だ。



 ——殺したいほど、憎いんだろう?



「誰だ……。何処(どこ)にいる?」



 工場には、誰もいないはずだ。



 辺りを懐中電灯で照らすが、誰もいない。



 それなのに、声が()こえる。



 ——俺が、最高の快楽を教えてやろう。



 何かが己の内側なかに、ゆっくりと入ってくるような感覚がした。



 不思議と恐怖はなかった。良く目を()らすと、黒いもやのような物が全身を包んでいた。



「本当に皆、殺すことが出来るのか?」



 黒い(もや)に問う。



 もしも本当に、永井や母を殺せるのならば、迷う(まで)もなかった。復讐を果たせるので()れば、鬼でも悪魔にでも魂を売り渡そう。それほどにまで、己の人生には救いがない。一人残らず、殺してしまいたかった。



 ——約束しよう。



 この世の者とも知れない声に、幸男は心を(ゆだ)ねていた。



 声の申し出は、とても魅力的だった。今まで味わったことのないような、安心感を抱いていた。



「解った」



 忌憚きたんの無い言葉を発すると、ゆっくりと眼を閉じた。



 (もや)は幸男の内側なかへと入っていった。心に掛かった煙霞えんかが晴れるような想いが、心を満たしていく。心地良く、心が洗われていくようだった。迷いもまどいも、微塵(みじん)もなく消え()せていた。



 ゆっくりと眼を開くと、幸男の哄笑こうしょうが工場内に(とどろ)いた。



「清々(すがすが)しい。晴れやかな気分だ!」



 爽やかな笑みを浮かべて、幸男は生まれ変わった世界を眺めた。





   弐





羅刹らせつ、扉が開いたわ」



 夜の闇に(しの)ぶようにして、歩いていた。吹きつける風に、邪気が紛れている。



「又、魔徒(まと)が出現したか」



 羅刹は闇を見詰めていた。内に秘めた殺気を押し殺しながら、獲物を見定めるような視線を送っている。



 ——魔徒。人の心の闇に取り憑き、人を喰らう魔物。()の存在は、太古の頃より出現している。人が生まれた頃から、魔徒も又、生まれたとわれている。



「——で。魔徒は、何処(どこ)にいる?」



 黒いコートに忍ばせた短剣に手を当て、羅刹は歩き続ける。心が(たぎ)り、身体が(うず)いていた。斬りたい——という衝動が、心を甘く誘う。魔徒は残らず斬り伏せて()る。それが、己の役目なのだ。



「近いわ。其処(そこ)の先にある工場にいる」



 頭のなかに直接、響く女の声。



 彼女の名は、タリム。



 羅刹の相棒である。



 その姿は、この世には存在しない。声こそは幼かったが、千年以上もの時を生きている。



彼処あそこか……」



 視線の先には、何の変哲もない工場が(そび)えている。その中から(かす)かに、邪悪な気を感じた。




「どうやら、奴はまだ鬼神化していないようだな」



 邪気の強さから、魔徒の力を()(はか)る。今なら()だ、楽に倒せるだろう。もっとも自分としては、鬼神化してからでも一向に構わない。周囲の人間が、どうなろうとも関係ない。



 羅刹は静かに息を吸い込むと、疾走はしった。



 一目散に目標である魔徒の元へと、疾走はしる。まるで風の(ごと)く、迅速(じんそく)に——しかし、気配は完全に消している。



 工場内は暗く、様々な機材で入り組んでいた。そんな中を尋常ならざる速さで、障害物に当たることなく魔徒へと接近する。



 気配だけを頼りに、間合いを計算して、羅刹は魔徒に斬り掛かる。



「何だ、お前は……?」



 後退する魔徒。大した手応えは、得られなかった。



 踏み込みが浅かったためか、魔徒となった男の胸を(かす)めた程度だった。



 暗闇のなかから無数に飛来する殺意。風を切る(かす)かな音。人並みならぬ羅刹の感覚が、それらを鋭敏(えいびん)(とら)える。



 たったの一呼吸で、難無(なんな)く短剣で払い退()ける。



 金属音と共に、数本の何かが床へと弾かれた。魔徒に視線を送るが、その姿も気配も、消えている。



「逃げられたか」



 すでに邪気は遠ざかっている。



「急がないと、犠牲者が出るわよ」



「知ったことか。俺は只、奴を斬るだけだ」



 羅刹は魔徒を()(ほろ)ぼすために存在している。



 その命はうに、果てている。だが地獄の底で、閻魔大王の(はか)らいに()り蘇った。



 魔徒を狩る戦騎(せんき)騎士として、その命を()けなければならない。それが羅刹に()せられた使命であった。



「貴方は、いつもそうね」



 元来、騎士とは護るために存在している。魔徒から人々を護ることこそ、戦騎騎士たる(さだ)めである。



 だが、羅刹は違う。



 魔徒を斬ることだけに執着していた。まるで抜き身の刀のように、羅刹の心は殺気に(とら)われている。



 人を護る心算つもりなど、ありはしない。人としても、騎士としても、羅刹の心は欠けている。



「戦騎騎士としての自覚を持ちなさい。そうしなければ、いつかきっと後悔するわ」



「関係無い。俺は只、奴等(やつら)を斬れれば、それで良い」



 本心だった。



 羅刹に取っては、戦騎騎士としての宿命も、人々の平穏な日々も、どうでも良い。



 只、魔徒の存在は気に入らない。だから、魔徒を斬る。



 それだけの事でしかなかった。



 本心を言うならば、己のなかに()る憎しみのさを晴らすためだ。(たぎ)る憎悪は、鎮まることをらない。



 (おさ)え込む心算(つもり)も、毛頭ない。復讐を果たす相手は、()うに命が()き果てている。



 魔徒を斬ることだけが、唯一の救いだと感じていた。只の気休めではあったが、闘争の間だけは、心が(まぎ)れていた。



「奴は、何処(どこ)へ行った?」



「解らないわ」



「どうやら、手掛りは()れだけか……」



 魔徒が投げた武器を、拾い上げる。



「どうやら、彫刻刀のようね」



辿(たど)れるか?」



「多分ね……」



 タリムには、魔徒を感知する能力が()る。



 彫刻刀に残った(わず)かな思念を頼りに、魔徒を追跡するしかない。



「とにかく、此処(ここ)を出るぞ。腹が減った」



 羅刹を動かすのは、殺意と本能だけであった。





   参





「何なんだよ、アイツ。(くそ)、血が出てる!」



 幸男は胸を抑えながら、傷を見る。白いTシャツが朱に染まっているが、見た目ほどには深くない。それでも急襲に()る焦りが、尾を引いていた。胸中を(かす)める不安が、恐怖と混乱を呼び込んでいる。



「糞っ……折角、素晴らしい力を手にしたのに!」



 戦騎騎士の存在は、魔徒に憑かれたことで理解していたが、実際に相対したことで、幸男の自我が戸惑(とまど)っていた。困惑と恐怖で(たか)ぶる感情を抑えるため、幸男は彫刻刀を手に取った。



 いつも幸男は嫌なことがあると、彫刻を掘るようにしていた。



 彫刻をしている時だけは、嫌なことを忘れられる。無心に()り、心が落ち着くのだ。



 幸男は黙々と彫刻を掘り続けている。随想(ずいそう)する想いは母への怨みばかりである。自分はこの場所で、化物として扱われてきた。



 真面まともな食事は、滅多(めった)なことでもないと、与えられない。母が食べ残した物ばかりを食べていた。皿の上に()っていれば、まだ運が良いほうだ。



 大抵は流し台の三角コーナーに、ぐちゃぐちゃの状態で捨てられている。それを手で拾い上げて、口のなかに放り込んだ。



 食事を(たの)しむ——と()う行為を、幸男はしたことがない。()(かく)、食べれる物ならば何でも、口に入れて育ってきた。いつか必ず、母を殺してやろうとばかり考えて、(うら)んで生きていた。



 母への殺意を()り込むように、一心不乱に彫刻を掘り続けている。母だけではない。永井や周囲の人間もそうだ。必ず全員、残らず(みなごろ)にしてやる。



 二時間かけて完成したころには、冷静さを取り戻していた。



「アンタ、いつ来たのよ?」



 スナックから帰ってきた母が、疲れた眼差(まなざ)しをこちらに向けている。心がざわついて、息が苦しくなる。胸が締めつけられるように痛かった。吐き気がするほどの殺意が、呪文のように脳裏を駆け(めぐ)っている。



 ——どうした。何を迷っている。お前は母が、憎いのだろう?



 頭のなかに直接、内なる声が響いていた。その声が、幸男の心を冷ややかに落ち着けていた。覚醒された意識のなかで、静かに母を見据(みす)える。(しわ)の目立つ厚化粧に、吐き気がする。



 母に会うのは、半年振りだ。高校を卒業して、すぐに家を出た。リサイクルの工場に就職して、寮に入ったのだ。(もっと)も、工場はクビになってしまったのだが。今となっては、どうでも良い。



 お陰で生まれ変われたのだから、感謝しなければならない。今の自分には、想いを果たすだけの力がある。後は其処(そこ)を、踏み越えるだけだ。



 それは、意図も容易(たやす)く行えるような気がする。呵責(かしゃく)の念が、浮かぶこともない。ほんの少しの勇気も、必要としない。何故なら自分には、()り余るほどの殺意と憎悪がある。



「何しに帰って——」



 母が言い終わる前に、彫刻刀で母の胸を刺し貫いた。積年の間に積み重なった想いが、握られた彫刻刀の刃先に蝟集いしゅうしている。生暖かくて、柔らかな感触が、幸男の心を蠱惑こわく的に()でつける。



「……あ、んたっ……どうして……?」



 今際いまわきわに、母が問い掛ける。



 ——どうしてだって?



「あんたが、憎いからに決まってるだろう。憎くて、憎くて、仕方なかったんだ!」



 幸男の叫びは、すでに母には届かない。



 事切れた母の体を、幸男は残酷に蹴りつける。




 ずっと、こうしたかった。


 ずっと、殺したかった。




 ようやく、叶った。


 幸男は笑っている。



 笑う幸男の体に、異変が起きている。全身の皮膚はどす黒く染まり、昆虫のような甲殻(こうかく)(おお)われてしまっている。



 その()で立ちは、正に化物のようだ。これが、力を得た代償なのだろう。



 だが、別に構わない。




 自分は生まれた時から、化物として扱われていたからだ。今更、化物の体になったとしても、関係無い。



 地獄のようなこれまでの人生に比べれば、今は天国だ。



 憎い奴は、全て殺すことが出来る。



 母のように、永井や工場の連中も(みなごろし)にしてやる。




 ——アンタみたいな化物、死んじまえ!




 不意に、母の言葉が蘇る。



 幼い幸男に、母は憎悪と憤怒ふんどの塊をぶつける。



 幸男は奇形児として産まれてきた。顔のパーツが、大きく歪んでいる。本来、口が有る所に鼻が有るのだ。口は、右頬の位置。左右の目は、斜めに離れている。その所為(せい)で母だけではなく出逢(であ)う者達の全てが、幸男を化物として扱ってきた。



 そしてそれは、常に幸男を苦しめてきた。暗澹あんたんとした想い出ばかりが、心を(かす)めていく。



 中学生のころ、幸男のクラスに木下有紀という少女がいた。幸男は彼女に淡い恋心を抱いていたのだ。



 皆が幸男を化物と(ののし)るなか、有紀だけは自分を名前で呼んでくれていた。



 皆に苛められる自分を、気に掛けてくれていた。



 今まで優しく接してくれる者がいなかった幸男に取って、有紀は慈愛の女神のような存在だった。入魂じっこんの想いを有紀に抱くのは、必然のことだ。有紀への想いだけが、自分が生きるための薪炭しんたんとなっている。



 中学を出たら進学する高校が違うため、有紀とは会えなくなってしまう。幸男は勇気を振り絞って、有紀にラブレターを贈ることにした。優しく接してくれた感謝の気持ちを、(つたな)い文にしたため学校へと向かった。



 振られることは、初めから解っている。自分なんかが、有紀のような女性ひとと付き合える訳がない。



 それは、覚悟の上だ。自分の想いを伝えることが出来れば、それで満足だった。



 しかし、幸男を待ち受けていた結果は、余りにも残酷な物である。



 卒業式が終わり、有紀にラブレターを渡す直前のことだ。幸男をクラスメートの男子数人が、面白がって取り囲んだ。




 ——木下さんに一体、何の用だよ、化物。




 リーダー格であるタケシが、幸男をめつける。タケシとは、小学校からの付き合いだ。事在(ことあ)(ごと)に、幸男を苦しめ続けていた。




 ——タケシ君、こいつラブレターなんか持ってやがる。




 クラスメートの一人が、幸男のポケットからラブレターを奪い取る。




 ——見せてみろよ。




 タケシがそれを受け取ると、皆が聴こえるように大きな声で読み上げた。



 周囲の奇異(きい)の視線が、幸男の心に突き刺さる。



 羞恥(しゅうち)が静かに(さいな)み、憤怒(ふんど)が全身を愛撫する。憎悪が心を焼き()がし、幸男の全てを負の感情へと(うなが)していく。



 しかしそんな事は、()れから起こる悲劇の比ではない。



 有紀がゆっくりと、幸男の元へと歩んでくる。




 ——貸しなさいよ。




 タケシからラブレターを乱暴に奪い取ると、有紀は笑い出した。



 今まで見たこともないような、軽蔑(けいべつ)の視線を幸男に向ける。




 ——アンタが、私に惚れてるのは知ってたわ。




 有紀は見せつけるように、ラブレターを引き裂いた。




 ——私がアンタみたいな化物、好きになる訳ないじゃない。




 ラブレターを踏みつけながら、(あざけ)(わら)う有紀を見て、幸男は本当の絶望をった。



 果てしない紅蓮の炎に焼かれて、幸男の心は殺意に染まっていく。蠕動ぜんどうする悪意が、心のなかで(うごめ)くのが解る。



 身も心も、本当の化物になってしまえれば、どんなに楽だろう。



 そうすれば、なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく皆を殺せる。



 幸男は壊れた心の中で、いつも想い続けた。





   肆





 幼いころの記憶を辿(たど)ると、いつも同じ景色へと行きつく。そしてそれは、夢のなかにあらわれていた。



 刹那せつな微睡まどろみのなかで、光の騎士の姿を捉えていた。



 霧深い森のなかで、幼い刹那を怪物たちが取り囲んでいる。



 この世の者ではない姿をした怪物たち。幼いながらに、刹那は死を直感していた。目を閉じて、死を覚悟した次の瞬間。聞くに()えない(うな)りのような、鈍く恐ろしい叫び声が木霊(こだま)していた。



 その声は、怪物たちの断末魔の叫び声であった。



 刹那の視界に飛び込んで来たのは、光に包まれた騎士の姿である。黄金色に輝く鎧に身を包んだ騎士は、誇らしげに雄々しく佇んでいる。その姿が余りにも美しくて、刹那は魅入(みい)っていた。



 無骨な風貌(ふうぼう)だが、優しい眼をしている。騎士の穏やかな笑みが、幼い刹那の心を和らげていた。



 その直後、刹那は気を失っていた。



「刹那、遅刻するわよ!」



 姉の叫び声が、刹那を現実へと引き戻す。



 時計を見ると、止まっていた。昨夜から電源をつけたままにしていたラジオからは、八時の時報が流れていた。



「いっけない。急がなきゃ!」



 刹那は飛び起きると、物凄い勢いで身支度(みじたく)を始めた。着替える刹那の鼓膜を、ラジオのニュースがでた。御影みかげ町を騒がす連続猟奇殺人事件に関するニュースであったが、今の刹那には近隣の情報よりも、迅速(じんそく)に登校することの方が重要だ。



 刹那の通う私立晴明女学院は、校則の厳しい学校である。遅刻なんて、もっての外だ。



 遅刻者には、厳しい罰則が課せられるのだ。




「刹那、朝ごはんはどうするの?」



 姉が溜め息混じりに問い掛ける。



「要らない!」



 髪を結い上げると、刹那は鞄を持って家を出た。



 走りながら、刹那は腕時計を見る。後、五分しかない。学校まではまだ幾許いくばくかの距離があったが、刹那の足でならば、ぎりぎり間に合うはずだ。



 何としても、間に合わせなければならない。



 角を曲がった直後、刹那は何かにぶつかり転倒していた。




「何だ、お前は?」


「ごめんなさい!」




 見上げると、自分と同い年くらいの少年がいた。



 不思議な少年だった。全力疾走で激突したはずなのに、少年は微動(びどう)だにしていない。ぶつかった時の衝撃はまるで、巨木か何かのように重かった。



 黒いコートに身を包み、静かな物腰でこちらを見据(みす)えている。その顔には大きな斬り傷がある。尋常(じんじょう)な事でつくような傷ではない。思わず刹那は息を()んでいた。それに少年の眼が、こちらを睨みつけている。



 その視線は、触れれば斬れるような鋭利な刃物を思わせる。他を圧倒させるその瞳に、刹那は何処どこか哀しさのような物を感じていた。けれど……ふと、我に返ると刹那は思わず叫んでいた。



「いけない。遅刻しちゃう!」



 立ち上がると刹那は又、走り出した。



 本当に不思議な少年だった。



 雰囲気が何処どこか、幼い頃に出逢であった光の騎士に似ている。



 そう逡巡しゅんじゅんしたのは一瞬の事である。



 刹那は猛スピードで、学校へと向かった。





   伍





 幸男は工場の前に佇んでいる。



 怪物の姿から、元の姿へ戻っていた。



 もうすぐ、永井がやって来る時間でる。自分と同い年の永井は、社長の息子とうだけで、何の苦労も無く工場長の地位を与えられている。ゆえに、重役出勤が黙認されていた。



 いつも永井は、就業時間の直前にやって来るのだ。だから、待ち伏せしていたのだ。



 工場は山道に面してそびえていて、人通りはほとんどとって無かった。誰かに邪魔をされる心配も無い。



「もう、来なくて良いって、ったろう。何しに、来たんだよ?」



 永井が幸男を見るなり、睨みけてきた。



 燃えたぎる憎悪を、殺意に結びけて幸男はわらった。自分でも驚く程に、冷徹な声音でる。



「永井。お前を、殺しに来たんだ」



 永井を睨み返した。永井の瞳の奥が、僅かに揺れるのが感じ取れる。明らかに、永井は動揺している。そしてれは激しい怒りと結びいたのか、見る間に険しい表情へと変わっていった。



 以前の自分でったらば恐怖で狼狽うろたえていたが、今の自分には、恐れる物など何もない。



「上等だよ。俺が、殺してやる!」



 幸男の顔面、目掛けて永井は拳を叩きける。頬を撃ちける衝撃が、肌を僅かに揺らす。けれど蚊程かほどにも、効かなかった。どうして今まで、こんな奴を恐れていたのか不思議なくらいだ。気付くと自分が、薄い笑みを浮かべているのが理解わかった。愉悦ゆえつに満ちた笑みだ。



 まで鬱積うっせきした想いを、ようやける時が来た。笑わずには、要られなかった。



「殺してやる」



 永井の腕を掴みながら、幸男は呟いた。強く握り込めば、容易にし折れそうだ。今の自分は人間の力を、遥かに凌駕りょうがしている。



 彫刻刀で、永井の右目を刺し貫いた。彫刻刀を媒介にして、生々しい柔らかな感触が伝わって来る。永井の眼球が潰れる感触だ。心地良く甘美な手触りでる。



 悲鳴を上げる永井の腹を、蹴りける。加減をしなければ、簡単に絶命してしまう。人間は脆い。



 激しく後方へと吹き飛ぶ永井。苦痛に歪んだ表情かおを、恐怖に染め上げたかった。




 ぐに殺してしまうのは、勿体ない。じっくりと時間を掛けて、甚振いたぶって苦しめてやる。自分が味わった以上の辛苦しんくを与えなければ、復讐の意味をさない。自分はずっと、地獄を生きて来たのだ。れを理解わからせてやる。



 倒れる永井の右目を蹴りける。何度も、何度も、蹴り続けた。靴底に触れる感触が、少しずつ柔らかくってく。余りにも気持ちが良くて、法悦ほうえつの笑みが込み上げて来そうだ。愉悦ゆえつの渦中に浸りながら、永井の顔を覗き込んだ。




 右眼球は血にまみれ、グジャグジャになっていた。痛みと恐怖からか、残された左目で涙を流している。良い気味でる。陶然とうぜんとした快感が押し寄せていた。とても、すこやかな気分だ。自分は今、永井を蹂躙じゅうりんしている。殺す事も、の身をぐちゃぐちゃに破壊する事も、自分の意のままに行える。こんなに素晴らしい気持ちは、生まれて初めてでった。



 しゃがみ込み、永井の髪を掴み上げる。ぞくぞくする様な快楽が、脊髄を通して全身を充足してくのが解った。




「許じで下ざいっ。お願いします!」



 涙ながらに懇願こんがんする永井を見て、更なる欲求が沸き起った。そうか……永井はまで、こんな気持ちで自分の人生を支配して来たのか。そう思うと、快楽で陶酔していた心に、再び憎悪の炎がともった。もっと苦しめてりたい。膨らむ想いを抑え切れなかった。



 幸男は彫刻刀を使い、永井の鼻をゆっくりといだ。悲鳴を上げながら、ジタバタと暴れ狂う永井。わざとゆっくりと、長く、永く、痛みが続く様に削いだ。



 堪らなかった。



 心地良かった。



 鼻を失った永井の顔を、なぐける。ぬちゃっ……と、した。拳を舐める永井の血が、生温かい。



 ピクピクと痙攣しながら、永井は小便を漏らしていた。未だ未だ、足りはしない。



「失神するなよ、永井。お前への怨みは、まだまだこんな物じゃない」



 冷淡な自分の口調。



 声にらない声で、助けを懇願する永井。



 幸男はわらいながら、今度は左耳を引き千切った。



「ほら、此処ここにエサがる」



 引き千切った耳を、永井の口の中にじ込んだ。



「喰え」



 永井武に幸男はった。



 幼い頃から自分を苦しめ続けた永井には百万回、殺しても殺し足りない怨みがった。どんなに残酷な仕打ちをしても、ゆるす事が出来ない程の地獄を味わって来た。胸臆きょうおくで増幅する殺意。の程度の地獄では、生温なまぬるい。狂った心には、生半可なまはんかな悲鳴は届かない。断末魔の叫びですら、心は震えないだろう。



「どうした。喰えよ!」



 永井の睾丸に、彫刻刀を突きける。押し寄せる欲求が、最高潮を迎え様としていた。



「お前に喰わされた犬の糞の味を、俺は覚えてるぞ。潰されたくなかったら、早く喰え!」



 永井はゆっくりと、己の耳を咀嚼そしゃくして飲み込んだ。既に倒錯とうさくする様な快感は、消え失せていた。弾切はちきれそうな憎悪と、身を焼く程の殺意が心を満たしてく。もう、我慢の限界だった。



「こいつ、本当に喰いやがった!」



 かつて自分に向けられた言葉を、そっくりのまま返してやる。



 堪え切れなくって、永井の睾丸を滅多刺しにした。刺して抉って、刺して抉ってを、繰り返してく内に心を甘い感触が撫でて往くのが理解わかった。



 睾丸が原型を留めなくなった頃には、永井はショック死していた。



 幸男はわらった。



 狂ったように、嗤った。



 否、うの昔に狂っていた。永井の所為せいで、幸男の精神状態は滅茶苦茶に狂わされていた。



 気がつくと又、怪物の姿に変わってしまっている。



 どうやら感情が最高潮に達すると、人間の姿を保つのが困難な様だ。



 そろそろ残りの奴等やつらも、殺しに行くとするか。



 幸男は工場へと入って行った。





   陸





 ビルの屋上で、羅刹は横にっている。アスファルトの堅く冷たい感触を背に受けながら、空を見上げていた。雲一つ無い群青ぐんじょうの空が、広がっている。穏やかな日差しが、心地良く全身を照らしてくれている。



 今朝、ぶつかった少女の事を考えていた。雲一つ無い様な、穢れの一片もらない表情かおをしていた。何故なぜだか知らないが、せられていた。心の片隅に、少女の姿がちらいて離れない。



「可愛らしい女の子だったわね」



 羅刹の心を見透かしたかの様に、タリムは茶化した。の声は何処どこか、揶揄からかっている様にも思えた。別に怒りは無い。純粋に只、少女に興味が沸いていた。



「アイツから、不思議な力を感じた」



 僅かにだが、何らかの力を感じた。戦騎騎士とは異なる力だ。までにも、異能の能力ちからを操る人間を見た事はったが、少女はの中でも異質だった。微弱な力しか感じられなかったが、羅刹の心は穏やかに落ち着いている。




「あいつは、何者だ?」


「解らないわ。れより羅刹、例の魔徒はどうするつもり?」




 気配から、魔徒が鬼神きじん化したのは解っていた。の結果、罪もない人が死ぬ事も、良く理解している。放っておけば、多くの犠牲者が生まれるだろう。



 だが、何処どこの誰が死のうと関係ない。自分の仕事は、魔徒を狩るだけだ。



「昼は目立ち過ぎる」



 誰かに見られたら、後が面倒だった。



 るなら、夜が良い。





   漆





 幸男は困惑していた。



 母を殺し、永井を殺した。其の結果、晴れやかな気分にれていた。



 の後、工場の連中もみなごろしにした。殺せば殺す程に、己の殺意は大きくなってく。



 怨みを晴らせば晴らす程、憎しみは深くなってく。



 ——殺せ。そうだ、もっと殺せ。



 内なる声は、母を殺した時から聞こえてきた。



 最初は、ほんの小さな声だった。の声は、殺す度に大きくなっている。



 ゆっくりと、ゆっくりと自分の中を何かが侵食していく感覚がった。



 己の意識とは別に、何者かが存在している。



 の存在が、自分を乗っ取ろうとしている。



 ——殺せ。本当に憎い奴は、誰だ?



 中学校の卒業式の記憶が蘇る。自分の心をもてあそび、踏みにじった有紀が、誰よりも憎い。



 ——そうだ。殺せ。女を、殺せ。



 有紀が憎い。



 殺さなければらない。



 幸男の目の前を、有紀とは似ても似つかない少女が歩いている。



 幸男の心は既に、魔徒に支配されてしまっていた。



「有紀ぃぃぃー!」



 幸男の叫びと、少女の悲鳴が交差する。



 彫刻刀で全身を切り刻まれて、少女は殺された。



「違う。こいつは、有紀じゃないぃぃー!」



 幸男の意識は、完全に崩壊していた。





   捌





 日が暮れる中を、刹那は家路についていた。



 今朝の少年の姿が、不意に頭をぎる。不思議な少年だった。



 彼は一体、何者なのだろうか。



 幼い頃、刹那は不思議な場所に迷い込んだ。の場所は、深い霧に包まれた森の中だ。幼いながらにも、危険な場所でる事を理解していた。



 刹那には、生まれつき危険を予期する能力が備わっている。大抵の場合は危機と遭遇する前に、無意識の内に回避していた。しかしの時はどういう訳か、最も危険な場所に迷い込んでしまっていた。



 気が付くと周りを、怪物達が取り囲んでいた。唸りを上げ、自分を見定める怪物達。彼等かれらが何者なのかは、刹那には解らない。只、死を覚悟する事しか出来ない。



 目を閉じて、死を迎え入れ様とした時でる。



 光の騎士が、自分を救ったのだ。



 少年の雰囲気が、何処どこか光の騎士と似ている。



 けれど、少年の目には深い闇が潜んでいる気がした。



 彼は何者なのだろう。



 刹那は心の中で、問い掛ける。



 日が暮れる中を、歩いた。そしてふと、歩みを止めた。何故だか解らないが、何か良くない物が迫って来ている様な気がした。



 危機が迫っている。瞬間的に、刹那は理解した。半年程前から、の町には殺人鬼が出没する様にった。一家惨殺事件を皮切りに、複数件の事件が起きている。被害者はいずれも刹那と似た年の少女ばかりだった。



 何かがぐ近くに居る。全身をほとばしる悪寒。突き抜ける恐怖が、冷やかに、刹那の脳裏に『死』を浮かび上がらせていた。



 不意に、刹那は振り返っていた。



「有紀ぃぃー!」



 奇形の顔の男が、彫刻刀を持って襲い掛かっていた。振りかざされた彫刻刀を、刹那に目掛けて振り下ろす男。逃げられない事を、刹那は悟っていた。無慈悲に肌を焼く緊張感が、身体を強張らせてく。



 次いで鳴り響く金属音。黒い影が、刹那の視界を遮った。



 今朝の少年が、二人の間を割って入っている。の瞬間、不思議な事に、刹那は安堵していた。



 少年が短剣で、男の彫刻刀を受ける。少年が男を蹴りけた。



 後方へと飛ぶ男。



 瞬く間の出来事だった為、何が起きたのかが理解できないでいた。けれど、少年が自分を護ってくれていると謂う事だけは、理解わかった。



「逃げろ!」



 謂い放つ少年。



 唖然とした様子の刹那。



 構わず少年は、男との距離を詰める。



 短剣を振り下ろし、男を斬った。



「小僧、矢張り戦騎騎士だったか!」



 男の声は、不気味なまでに低かった。全身の肌を逆撫でする様な不快感が、刹那の心に纏わり附いていた。



 肩を斬られたにも関わらず、男から血は流れなかった。



「為らば、殺してやる!」



 男の全身が、膨れ上がる。どす黒く染まった皮膚を、昆虫の様な甲殻が覆う。



 怪物の姿へと変貌する。其れは曾て見た化物と類似していた。



「タリム、喚装だ!」



 少年の叫びと共に、光に包まれた鎧が出現する。純白の鎧には、鷹のレリーフが刻まれていた。



 鎧を纏った少年の姿が、光の騎士と被り、刹那は驚愕する。



 とても美しい其の鎧に、目を奪われていた。



 刹那は一歩も、動けないでいた。



 只々、騎士の姿に心を奪われている。





   玖





「タリム、喚装だ!」



 羅刹の体を、光輝く鎧が覆う。



 鎧の名は、戦騎。生命の宿った鎧で在る。戦騎には其々、個別の色と獣が刻まれている。



 羅刹が纏いしは、白鷹はくおう戦騎タリム。古より戦騎騎士と共に、幾千もの魔徒を狩った歴戦の戦騎で在る。



「羅刹、気を付けなさい。奴の能力が、まだ解らないわ」



 人間が魔徒に憑かれ、人を殺すと鬼神化して怪物の姿となる。鬼神化するとやがて、憑かれた人格を支配する。



 そして完全体と為った魔徒には、特殊な能力が宿る。タリムには、魔徒を感知する能力が備わっている為、魔徒の詳細や能力を探る事が出来た。



 特定には、若干の時間が掛かった。



「小僧、咎人だろう?」



 確かに、自分は咎人だった。生前に多くの罪を重ねて、咎人となった。閻魔大王の計らいがなければ、今頃は地獄の業火に焼かれている。



「だったら、何だ?」



 無数の彫刻刀が、魔徒の周囲で宙を舞う。



「小僧も、我等と同じだと謂っているんだ!」



 彫刻刀が、巨大化する。



「違う。貴様等と一緒にするな!」



「人を喰らう我等と、人を殺す咎人。何処が違うと謂うのだ?」



 槍ほどのサイズの彫刻刀。真面まともに受ければ、危うかった。



 其の内の一本が、羅刹を目掛けて飛来する。



 大した速度ではない。羅刹は剣で薙ぎ払う。



「羅刹、残念な知らせよ」



 剣が途端に重くなった。



「奴の能力は加重。彫刻刀に触れる度に、重力が増すわ」



 次々に彫刻刀が、羅刹を襲う。其の全てを剣で薙ぎ、払い、受け止めた。



 とてつもない重量となった剣を、羅刹は支えていた。余りの重みで、アスファルトの足場が割れている。戦騎を纏っていなければ、とてもではないが持ち切れない。



 戦騎を纏うには、タイムリミットが在った。66、6秒。此れは、地獄の獣が持つ数字で在る。



「絶体絶命と謂う奴だな、小僧!」



 駄目押しとでも謂う様に、一際に大きな彫刻刀が迫り来る。今ならまだ、ぎりぎりで躱す事が出来た。



 しかし、羅刹は避けようとはしない。



「羅刹、避けて!」



 戦騎騎士の短剣は、戦騎を纏うのと同時に剣へと姿を変える。そして羅刹の持つ剣は、更に姿を変える。



 大剣で巨大な彫刻刀を受ける。



 持ち切れず、大剣を地面に垂らす羅刹。



 大剣の重量に依る衝撃で、アスファルトが砕け散る。



「どうして、避けないのよ?」



 羅刹の実力なら、全ての彫刻刀を躱せていた。



 なのに、其の全てを剣で受け流していた。




「俺が避けたら、アイツが死ぬ」


「羅刹、貴方……」




 後ろで佇む少女を護っていた。



 羅刹は此れまで、人を護ろうともしなかった。其れなのに、羅刹は少女を護ろうとしている。



「惚れたの?」



「黙れ!」



 解らなかった。



 何故、自分が少女を護りたいのかが、解らなかった。タリムの言う通り、少女に惚れたのかと聞かれれば、其れも解らない。只、少女を護らなければいけないと思った。



 其れだけだった。それに、惚れると謂う感覚が解らない。今迄、自分は多くの人間を恨んで生きてきた。色恋の沙汰とは、無縁な世界に其の身を置いてきた。だが少女の存在が、自分の中で違和感を生み出している事は、間違いなかった。其れが何なのかは解らないが、不思議と穏やかな気持ちにさせられていたのだ。



 だからこそ、死なせたくないと感じたのかも知れない。其れが、恋心かどうかは解らない。



 今は只、目の前の敵に集中しなければ為らない。状況は芳しくはなかった。秋宵しゅうしょうの月に照らし出された表情かおには、焦りは微塵も在りはしなかった。羅刹の眼には只、鋭いひかりだけが浮かんでいた。



 大剣を引き摺りながら、羅刹は走った。助走の勢いを其のまま利用して、羅刹は体を捻って回転した。助走の勢いと遠心力に依って、大剣は大きく宙を旋回する。



 だが其の動きは、余りにも大振り過ぎた。



 大剣の斬撃を、魔徒は躱す。



「何故、咎人の小僧が戦騎騎士になった?」



 巨大な彫刻刀を構えて、魔徒は問い掛ける。



 タイムリミットが、近付いていた。次の一撃で決めなければ、後がなかった。



 羅刹は大剣を、もう一つの形態へと変化させた。納刀して、居合いの構えを取る。今の形態なら、大剣の時よりも重量は軽くなる。




「咎人が、正義の味方気取りか?」


「違う。俺は、悪を斬る一振りの刀だ!」



 刀に依る斬撃が、彫刻刀ごと魔徒を捉える。



 魔徒の体を断って、羅刹は鎧の喚装を解いた。



「良くやったわ、羅刹!」



 初めて羅刹は、人を護った。



 タリムには、其の事が嬉しかったのだろう。全く、うっとおしい目付け役だ。いつも、人を護れ。騎士の使命を全うしろと、喧しくタリムは謂う。



 灰になった魔徒に歩み寄り、勾玉を翳す。



 魔徒の魂を放っておくと、他の人間に憑いてしまう。人間の闇は底知れない。幾らでも、魔徒の依代よりしろは見付かる。



 だから、勾玉に封じ籠めなければならない。



「あの……助けてくれて、ありがとう」



 応えずに、羅刹は少女を睨み付ける。




「逃げろと謂った筈だ」


「ごめんなさい……」



 俯く少女。



 矢張り、解らなかった。



 どうして少女を助けたのか、羅刹には解らなかった。




「私は刹那。(御法院みほういん刹那。貴方は?」


「羅刹だ」



 そう言い放って羅刹は、闇の中へと消えて入った。





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