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第20話 奇妙な期間

主導権を決して手放してはいけない。


               - シャルル・ド・ゴール

1940年3月


デリーでは現地のイギリスの高級将校と山下大将がテーブルに向かい合って話し合いをしていた。


「このような結果になるとは...恐れ入りました」


イギリスの高級将校名はルイス・マウントバッテン。


彼はこのインパール作戦において、英国側の指揮官を務めた。


1940年3月5日にデリーは陥落し、それと同時に降伏に至ったのである。


マウントバッテンが日本側からの要求が書かれた文書に目を通すとこのようなものであった。


・インド植民地を放棄すること

・インド全土から英国軍およびイギリス人を完全撤退させること

・ビームラーオ・アンベードカルをインド初代大統領とすること

などの旨が記載されていた。


意外にも賠償金の支払いについては明記されておらず、ようはインドを大東亜共栄圏に組み込むようなものだった。


ここでなにかごねたところで、長引き時間の無駄と考えたマウントバッテンはサインを済ませ、ここに日本との戦争に負けたことを認めた。


長引かせたくない理由として、ヨーロッパ戦線が上げられる。


すでにジブラルタルはスペインへ帰属し、ドイツはポーランドを制圧していた状況で、遠く植民地の支配を手放すかどうかで揉めている間にドイツが本土へ攻めてこない保障はどこにもない。


場合によっては、ドイツとソビエトを同時に相手取る可能性すらあった。


独ソ不可侵条約は、日独伊ソ4カ国同盟が築かれる可能性を孕んでいたし、イギリスとしてもそれだけは起きて欲しくない悪夢と考えていた。


インド陥落の一報を聞きつけた英領パキスタン軍は日本軍との戦闘開始わずか15日で降伏した。


これにより在イラン日本軍を置くイランへの道が開けたのである。


イラン製の石油を陸路及び海路から運ぶことが可能になったのであった。


しかし、一つ奇妙とも言える事象が起きていた。


それはドイツは、英仏に宣戦布告したにも関わらず、フランスへ侵攻する気配を見せなかった。


日本政府の高官さえ首輪傾げるほどに不可思議であったが、杉内首相と水野内相は事情を知る数少ない人物であった。


その理由はメヘレン事件が原因だった。


遡ること1940年の1月10日、英領インドがデリーで最後の抵抗を続けていたころ、ベルギーに不時着したドイツ軍の航空機に搭乗していた参謀総長が、フランス侵攻における軍事計画書を所持しており、ベルギー軍に捕らわれた際に資料の焼却に失敗したことで、ドイツはフランスへの侵攻を一時中断して、作戦を練り直していたのであった。


そこで白羽の矢が立ったのが、かのマインシュタイン元帥だった。


彼は綿密に作戦を練りに練り、第一次世界大戦の苦杯を舐めまいと努力して作戦を完成させた。


ヒトラーはそれに満足し、フランス侵攻を決定した。


1940年5月10日


ついにドイツはベネルクス三国へ宣戦布告した。

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