第11話 講和への準備
また、長期間外国で過ごし、剣を置いて春の暖かさと氷の溶ける時期を待つという無駄を避けたいと思うのは、ただ焦っているだけではなく、全体の状況を考慮してのことなのである
-伊藤博文
「お疲れ様です、杉内です。今よろしいでしょうか?
重光外務大臣」
電話の相手は、外務大臣であった。
外交の経験においては、少なくとも杉内より豊富であった重光に、杉内が電話をかけたのには訳があった。
「ええ、私は構いませんよ。して、用件というのは、日中戦争の講和に関するご相談ですか?」
「はい、おっしゃる通りです。蒋介石は我が日本軍が捕虜として捉えながらも、生活は保障している状態です。ですが、捕虜として捉えた以上、講和の交渉がうまく行くか、あるいは交渉に応じるか、分からない次第でして...」
「承知しました。なるほど...そうでしたか...とはいえ、今から講和の準備を整えるのも悪くはないかもしれませんね。現に武漢に第二の拠点を置いた皇軍はすでに重慶に向けて進軍していますし、満州軍も関東軍も一大拠点の南京に到着し、補給を整えてベトナム国境まで進軍する準備を整えております。」
「そうでしたか、感謝いたします。台湾方面隊も投入して、南京とベトナム国境の中間地点で合流なんてことも可能かもしれませんね。となれば、講和はその時までに準備を完了させなければなりませんか。」
「ええ、思ったよりかなり早い段階で進んでいますし、国民党も共産党も主力を失ってもはや抵抗力が残ってるかわかりませんから。」
「ありがとうございます。現状では蒋介石を講和相手に指名し、日本からは私と重光外相の2人で臨みましょう。」
「ええ、首相。どうにかなりそうですね。」
「いえいえ、こちらこそ、ご相談に乗っていただきありがとうございました。失礼いたします。」
杉内と重光の2人は電話相談を終えた。
日中戦争開戦から半年が経つと、大陸打通は成功し、重慶は陥落した。
日本は極めて有利な状況で、春を待たずして、日中戦争における勝利を掴んだのである。
しかもこれは、欧米の干渉を受けることなくスムーズに講和を行えることを意味していた。
杉内は年こそ跨いだものの、どうにかして遅くとも1938年の上半期中には講和を結び、世界版戦国時代となりつつある国際情勢に対応したかったのである。
三日後、杉内は首相官邸に重光外務大臣、石原陸軍大臣、山本海軍大臣を招集した。
小さい会議室に案内された三人は、各々椅子に腰掛けると、秘書がお茶と茶菓子を用意した。
「本日は、お忙しい中、お集まりいただき感謝申し上げます。」
杉内が立ち上がり、頭を深々と下げると、他の三人の大臣も着座したまま頭を下げた。
杉内が頭を上げると「では、本題に入らせていただきます。現在起きている日中戦争の終結についてと、戦後処理について、ご意見を伺いたく、このような会議を開かせていただいた次第です。」
すると、石原大臣が手を挙げた。
「ええ、中国についてですが、陸軍の一部や関東軍は、全土併合すべきとの声が出ております。こと関東軍においては、全土を満州に併合すべきと言う過激派まで存在する次第です。」
それに対して山本海軍大臣が反論する。
「異議あり!全土併合などときてはいけませぬ!そのようなことがあれば欧米から反感を買うだけでなく、現地の中国人からもどのような反発があるかわかりません!」
それを諌めるように石原陸相が「ですから、私としては全土併合ではなく、一部の併合あるいは、傀儡化がよろしいと考えています。」
それを聞いた山本海相は「ああ、安心しました。ただ、私としては全土併合は避けつつ、将来に控えてるであろう対米英戦に備えるにあたり、中国をどうするかを考えていた。だからこそ、全土併合ともなれば、防衛が難しくなると考えたまでです。」
杉内が言う。「そうですね、それも踏まえて交渉に臨みます。」




