大義なき戦い
1.
兵站線の構築は、思った以上に早かった。オルリアントや瑞国との間に築いていた交易の道を、そのまま利用できたというのが強かった。
大王からの軍勢とあわせて、八百程度が維持、運用できるようだった。士気、練度ともに不足なく、情報の伝達にも齟齬はないようだ。
軍監として、デドゥユムという将校がやってきた。これ自体も将として十分以上であり、人となりも明るく、接しやすかった。
バルハドルはすぐさま、デドゥユムを副官として用いることに決めた。これでバブガイもドラーンと同じように、自由に動かすことができるだろう。
市場は、今までより南の交易路の上で開かれている。戦の匂いを嗅ぎ取った、西の酒保商人や傭兵たちが入ってきており、昔からいる商人たちといくらかの衝突をしているようだった。
そういうところは変わらず、ヘルブレヒト・イヴィシャと協力して対応していった。
西からの傭兵二百程度が賊と化し、交易の道を荒らしているようだった。調練がてら、五百程度を伴って、バルハドルは対応に当たることにした。
「交渉は?」
「無事、決裂」
「よし。デドゥユム、砲を打ち込め。動いたところを順に刈り取るぞ」
合図ひとつ。焼けた石が敵陣に放り込まれはじめた。
攻城兵器のひとつである。梃子の要領で、ものを放り投げることができる。あまり大きくないものであれば、こうやって野戦にも持ってくることができた。
ゼルグレイに伝える。それで、バルハドルの百五十が動いた。揺らいだ傭兵の陣に、勢いそのままでぶつかっていく。
爆ぜ矢。それで、相手の馬は怯んだ。
敵は剣すら抜けていない。何度か駆け巡るだけで十分だった。散り散りになりはじめたところを、残った三百五十で揉み込んでいく。
そのうちに、敵陣から白い旗が上がった。降参の意思表示である。
「どうなさいますか?」
「無視しろ。事前の交渉は、決裂済みだ」
それだけ伝え、鏑矢を放った。
ドラーンの百が駆け巡るたび、悲鳴が上がった。最初こそ必死の抵抗を見せたが、三巡目ほどになると、ほとんどのものが武器を捨てた。
これではただの殺しになる。調練にはならない。
首魁と思われる男を引きずり出させた。醜く肥えた男だった。憔悴して、懇願するようなことばかりを呟いている。
戦士のそれではない。
「生命だけは、どうか」
「生命だけでいいのだな?」
バルハドルの言葉に、男の体がびくりと跳ねた。
「売り飛ばせ。値がつかないやつは、犬の餌だ」
「どうか、それだけは。どうかお慈悲を」
「生命だけでいいと言った」
それだけ言って、馬首を返した。
練度は低いが、統率自体は取れていた。しっかりと交易の道を攻撃するという事をやっている。本当は身をあらためるなりして、密書なり何なりがないかを確認したいが、おそらく続く。きりがない。
西の馬が七十ほど。鍛え直している暇もないので、これも売ることでいいだろう。
「嫌がらせとはね。嘗められたもんだな」
本営に戻ったところ、エイリン・ツォルホンが馬をあわせてきた。残していた三百を与えていたが、問題なく動かせているようだった。
「兵站を乱そうという魂胆だろう。そのうち民間人にこれをやらせて、俺たちに対するいやな噂を流させることもありうるかもしれん」
「何某聖教の巡礼という名目は、十分にありうる。こちらも攻めに回れんものかね?」
「なんともだな。ヘルブレヒト・イヴィシャ殿の守りが万全だ。密偵すら、ほとんどがあぶり出されている」
「見事なもんだねえ」
まるで他人事のように、けらけら笑っていた。
エイリン・ツォルホンは、本当に人が変わった。以前の陰湿さは一切感じさず、快活で、人当たりがよくなった。兵の指揮も思い切りが良く、それでいて無理をさせないものだった。
兵の将ではなく、将の将として用いてもいいかもしれない。
ゼルグレイを牧に放し、家族とともに過ごすことにした。
セオラという女を、シドゥルグの妻として迎えていた。二歳ほど上で、先の婚約では早くに夫を亡くしたという。
儚げな美しさのある娘だった。遊牧の民だが、いささか線が細く、馬や羊の扱いもあまり得意でないようだった。かわりに手先が器用であり、裁縫などは見事な腕前だった。
まずは家のことよりも、雰囲気に慣れてもらおうと、ツェレンの側にいることを勧めた。ツェレンも話し相手ができて、嬉しそうだった。
不安材料だったアルミアは、それほどでもなかった。同じ氏族らしく、一度嫁に行った身の上ならば、家のこともひと通りできるだろうと、前向きにとらえてくれていた。
跡継ぎについて、とやかく言うつもりはない。バルハドルもシドゥルグも、まだまだ若いのだし。年上の、男を知っている女であれば、周りが急かさずとも、うまくやってくれるだろう。
「これで、シドゥルグも一端の男だな」
「いやはや、祝着至極にございますな」
杯を交わしながら、バブガイがにやにやと笑った。
「ただ、うかうかしてはいられませんぞ、殿。若さまは闊達で、才気に満ち満ちておられますれば」
確かに、と思わず頷きかけたが、バルハドルはすぐに思い直した。
「バブガイ、俺は自分の倅を敵と見るほど、小さな男ではない」
「これはこれは。失礼をいたしました」
そうやって、バブガイはわざとらしく礼をした。あえて言ったひと言だろう。
赤羽氏は、長らくの内乱にあった。それも、産まれた赤子を湖に沈めるような、ひどいものである。
二の轍を踏むな、という、遠回しな忠告だった。
それからも何度か、交易の道を荒らされる、ということが繰り返された。
兵馬を動かす機会にはなる。ものや人を売れば、収益は出る。しかし交易に来る商人たちにとっては、心穏やかではないだろう。
ヘルブレヒトの息子、ベルンハルトを通して、西のものを説得できないものか、試してみることにした。ベルンハルトは戦をいやがっており、商人が離れることもまた、よしとしていない様子だった。
「武人たちめ。戦となれば、すぐにこれだ。そこで暮らす人々のことなんぞ、ひとつも考えておらん」
「はは。ベルンハルト殿からすれば、そう見えますでしょうな」
「戦をするにしろ、今はまだ準備の段階でしょうに。それなのに、先走った連中が余計なことばかりをする。おかげで今の市場は、人が一番の商品になっております。なんと嘆かわしいことか」
「それに関しては、我々も勝手をしてしまい」
「ああいえ。バルハドルさまはよろしいのです。何はともあれ、交易の道をお守りしてくださっている」
頭をかきむしりながら、ベルンハルトは礼をしてくれた。
「答えられる範囲で構いませんが」
話しながら幾らかが見えてきたので、思い切って突っ込むことにした。
「此度の件、ヴァルハリアの総意ではないという認識で、よろしいでしょうかね?」
ベルンハルトがはっとした顔で、こちらを覗き込んできた。そのうえで、いくらか神妙な面持ちになった。
「総意ではございません。軍権は、高稜峻殿がお持ちになられています」
「あの男は、瑞のものです。こちらに来たばかりの外様の将軍が、総軍の全権を握っているとは考えづらい」
「皇帝陛下は、それをなされた。逆らえば、陛下への叛と見做すとも」
「となれば、高稜峻殿に不満のある諸侯が、傭兵を使って、交易の道や、こちらの兵站の道を荒らしていることになるのですかね」
「その認識でよろしいでしょう。ですから、捕まえた連中は、そのまま我らに突き出してくれても構いません。こちらで巣穴を探り当て、高将軍に上申いたします。謝礼もいくらかは、お出しできるはずです」
「かたじけない。では今後、そうさせていただきます」
和平工作の一環として、ヴァーヌの高僧とも会わせてくれるそうだ。デドゥユムに確認し、会っても問題ないとのことだった。
そもそも、利のない戦いである。こちらとしては、勝ちをどこに定めることもできないし、負けたとして、向こうが平原を統治、開発できる能力を持っているとは思えない。
「ヴァルハリアの王は、何を目的に戦うつもりでいるのかな?」
デドゥユムとそれを、相談してみた。大王も同様に、そこは突き止められていないようだった。
「一部の噂によれば、大山を狙っているとか」
その答えに、バルハドルはおそらく、眉間に皺を寄せていたと思う。
「大王が仰られていた。大山の頂にて、天啓を得たと。また、天の名はミュザと云うとも」
「俺も、それは伺っております。そして西の王は、そのミュザの末裔を自称しているそうです」
「出自の正当性を保証するためか。そのために、兵を動かすか」
「下らぬことと、笑われますかな?」
「笑いはしない。それに付き合わされる兵どもが、哀れだというだけだ。そして、それと戦うこととなる我々も、また」
吐き捨てるように言って、馬乳酒を煽った。
大王や赤羽氏を含む平原の民には、大山、あるいはガル・ホタグと呼ばれる山に対する信仰がある。しかしそれは緩やかなものであり、何かしらの教義や道徳と結びついているわけではない。あるいは、その北にある国々にも、似たような信仰が根付いているとも聞いていた。
山ひとつ欲しいなら、そう言えばいいだけの話だ。火を吹く山であり、鉄や宝石が採れるわけでもない。そこに居を構えたいならば、勝手にすればいい。我らの信仰さえ排斥しなければ、それで構わない。
話し合いもせず、何故、戦という選択肢を採るのか。
オルリアントにて、ペーツォルトという僧侶と会えることになった。ヴァルハリアの王とも近しいという。
「西が戦いに備えております。その理由をお伺いしたい」
こちらはデドゥユムとエイリン・ツォルホンを連れてきていた。向こうには、ヘルブレヒトが着いてきている。
「大平原に不穏の動きあり。我らがヴァーヌに攻め込む気配ありとの風説が流れておりますれば」
「風説に過ぎませぬな。むしろ害を被っているのは我々です。それは、ともに市場を取り仕切っているヘルブレヒト・イヴィシャ殿がおわかりのはず」
「バルハドル殿の仰る通り、風説にござる。しかしその風説に、ヴァーヌは惑わされておる」
ヘルブレヒトが同意してくれなかったのが埒外だったのか、ペーツォルトはぎょっとした顔を見せた。
「ペーツォルト猊下、バルハドル殿は和平をお望みだ。前提を間違えてはならぬ」
「しかし、イヴィシャ殿」
「我らが陛下の心の内を、そのまま語られよ」
いくらかの逡巡の後、ペーツォルトが神妙な面持ちで語りだした。
「陛下は、大平原にある、とある山をご所望でございます」
その言葉に、デドゥユムとふたり、目を合わせた。噂の通りである。
「それこそは、陛下の血の郷里。なればこそ、大平原を平定し、黄金都市ミュザリアの再興を果たすべく」
「山ひとつのために戦を起こす。ご家来衆はそれを、納得しておられるのか?」
「陛下の仰ることは、絶対なれば」
「しからば、提案ひとつ」
ひと言の後、デドゥユムが居住まいを正した。
「我らの言葉で言うところの大山、ガル・ホタグの領有権を、ヴァルハリアに移譲いたす」
「なんと、それは」
「山ひとつのために戦をする気はない。こちらのバルハドル殿も、我らが大王も、そうお考えでござる」
「いやしかし、それは困るのだ」
「如何なされた?これにて、ヴァルハリアの王の大願は成就せり。戦の必要なく、黄金都市とやらの再興も果たせましょうぞ」
「デドゥユムさんよ。そりゃあ、ちょっと違うようだぜ?」
エイリン・ツォルホン。極めて軽い口調で割り込んできた。
「こいつらは単純に、俺たちのことが気に食わないんだよ」
「そちらの方。それは」
「実際にそうだろう?西の連中、どいつもこいつも、俺たちのことを異教徒だの蛮族だのと呼んで蔑んでいるじゃないか。結局は、投げれるだけの石を投げたいだけなんだよ」
エイリン・ツォルホンが笑って言った言葉に、ペーツォルトの顔が見る間に青くなった。どうやらそうらしいと悟ると、デドゥユムの顔は赤くなりはじめた。
「西の民は、我ら平原の民を見下すか。瑞国など、東のものを西にもたらしているのが誰か、わかったうえで申し上げておるか」
「猊下、正直に申し上げよ。そうでなければ、お三方は納得はすまい」
「異教のものと、共存はできぬ。それが陛下のお考えでございます」
「貴殿の考えを伺いたい」
「陛下のお考えは、絶対にございます」
「つまりはあんたも、腹の中では、俺たちのことを馬鹿にしているってわけだ。こりゃいいね。喧嘩をするのには一番、都合のいい理由だ。嫌いなやつをぶん殴りたいっていうだけの話なんだもの」
「エイリン・ツォルホン」
バルハドルは、つとめて穏やかに割って入った。その時点でエイリン・ツォルホンは、掌をひらひらとさせてきた。
「人種の違い。民族の違い。考えの違い。それが戦の根本にあると仰りたいかな?ペーツォルト殿」
「然り、然りにございます」
「ならばその考えとやら。つまりは貴殿らの信仰を、我らも奉ずれば、戦は回避できますかな?」
「バルハドル殿。そういうわけでもなく」
「なれば臣従か。それとも我らが死か。ヴァルハリアの王は何を望みか」
そこまでデドゥユムが踏み込むと、ペーツォルトは頭を抱えてしまった。
「私には、わからぬのです」
顔中に、脂汗を滲ませながら。
エイリン・ツォルホンを見やる。こくりと、頷いてきた。それをみとめてから、バルハドルは続けることにした。
「わからぬままに、戦をなさるのですな?」
「然り。我らには陛下の御心が読み取れませぬ。然れども、陛下が戦と言えば、戦なのです」
「そりゃあ大変だね。俺が行って、聞いてこようか?」
エイリン・ツォルホンの軽口に、ペーツォルトが遂に俯いた。ヘルブレヒトが気分悪そうな顔ひとつ、咳払いを入れた。
これ以上は話が進まない。つまり、そういうことになる。
「まずは、心得た」
それだけ言って、バルハドルは卓上の葡萄酒を一気に飲み干した。
「ならば、我らは一切の手段は選ばぬ。我らは我らを守るため、ただ無為な戦いに身を投ずることになるがゆえに」
「申し訳が立ちませぬ、バルハドル殿」
「構わん。腹の中ひとつ、知ることができた」
三人、合わせて席を立つ。
「ヴァルハリアの王にお伝えあれ。暗君と佞臣ども。価値なき戦の代償は、その身を以て知ることとなるぞ、と」
それだけ言い残し、部屋を出た。
廊下には、心配そうな顔をしたベルンハルトが、ぽつんと立っていた。
「無念にございます」
「此度のご手配、感謝いたします、ベルンハルト殿。交渉は決裂しました。我々、以後は敵になりますがゆえ、交易もまた、これにて、ひと区切りとさせていただきます」
「まこと、残念です。そして何より、申し訳ございませぬ」
「ベルンハルト殿が頭を下げることではござらん」
つとめて、優しく言ったつもりだった。
「一番偉い人から、詫びてもらうことにするさ」
頭を下げたベルンハルトに、エイリン・ツォルホンが笑いながら言った。それで、場がいくらか砕けた。
滅びのための戦。生き延びた先にあるのは、ただの無為だけだったと思うと、いやにもなった。
2.
“国境”周辺の諸侯が傭兵を使って、大平原の交易路を荒らすなりしていた。先ごろそれについて、大平原側の人間と高僧ペーツォルトの間で講和の機会があったらしいが、ペーツォルトが譲歩に応じることなく、破談となったそうだ。
実際はすべて、高稜峻が図ったことであった。ヘルブレヒトから借りていた酒姫を使って、そういうことをやらせていた。
死んでいいもの、滅びていいものを教えてもらっていた。その中でもペーツォルトは財産と家柄だけでのし上がった佞臣であり、周囲からの反感も強かった。マイザリウスには、いくらか以上の援助をしており、それもあって今の地位に付いていたそうだ。
マイザリウスからは、真っ先に消せと言われていた。だから、講和の話が出た際、その席に出るように仕向けた。
和平、和睦だけは絶対にするな。それだけを、酒姫を通じて言い含めていた。
予想以上に、大平原の勢力からは不興を買ったらしい。議論の材料は何ひとつ持たされず、徹底抗戦とだけ告げられて行ったのだから、当然である。
そして首都に戻ってくる間に、世論の調整をした。讒言を用いて、嘘の情報を流した。独断かつ単独で和議に出向き、ただ相手を怒らせたという結果に終わったと。
最初こそ抵抗を見せていたが、そのうちに、マイザリウスから直々に短刀ひと振り、渡されたらしい。
「なかなかにえぐいね、将軍さんも」
ロクの店でめしを食いながら、酒姫の調整をしていた。酒姫を含めた調略の元締めである。
「武人だが、調略もこなせる。それだけのことだ」
「それだけのことが、誰にもできるわけじゃない。うちの旦那だって、ここまではやらないよ」
「イヴィシャ閣下は武人として極まっている。政争には向かんだろう。酒姫たちは、あくまで自分を守るために用いているにすぎない。私はそれを、攻めに使えるというぐらいさ」
「虚実を操りはすれど、不実は働かない。そこがあんたの凄いところだよ、将軍さん」
言って、男前といった風貌を笑みで崩した。
「悪いが、あんたの素性を調べさせてもらった」
「だろうな。それで、気になるところは?」
「特に無し。人を見限ることはあっても、裏切ることはない。それぐらいか。だから俺たちは、あんたの信頼に応え続ける必要がある」
「その自信は?」
「旦那の度量と、俺の料理で」
ロクの言葉に、思わずで鼻を鳴らしてしまった。
ロクたち酒姫のほとんどは、交易の国、エルトゥールルの血である。めしに関しては、西と東のいいとこ取りのような印象であり、西に馴染みの薄い高稜峻にとっても美味く感じていて、本当にありがたかった。
「陛下の本心を知りたい」
「山ひとつのためにする戦ではない。そういうところかね?」
「猜疑心が強く、男でも女でも難しいだろう。むしろ老婆とか、そういう話し相手になれるものを用意して欲しい」
「わかった。侍従を増やしておくよ。あと、食いたいものはあるかね?」
「別段無いが、鯉があれば。郷里ではよく、膾で食べたものだ」
「はあ?鯉を生で食ってたのか?」
「美味いぞ。生でなくたって、揚げたり蒸したりしても美味いのだよ」
どうやら物珍しいようで、ロクは腹を抱えていた。
そうやっているうち、幾人の諸侯たちが勝手に軍を動かした。曰く、戦と決まったというのに、一向に動かぬ高稜峻とやらは腰抜けだということである。
「内憂の排除と、敵情視察の両取りですか」
高所から軍勢を眺めながら、ヨーセンが不服そうな表情で言ってきた。武人肌が強く、こういった奸計については、あまり理解を示していないようである。
「敵の先鋒となるであろう赤羽氏の動きを、実際に見ておきたい。イヴィシャ閣下と長らく敵と味方をやっていたとなれば、相当な戦術家とみるべきだ」
「故に、今回は軍監としての参戦と?」
「陛下に無断で出撃したとなれば、勝っても負けても面倒だ。どちらでも責任を取れるようにしておきたい。それに、本軍を動かせるほどの兵糧は、まだ用意できていない」
「やはり三年ですか」
「十五万を五年動かすのだ。本当は、もっと欲しい」
ヴァーヌ地方は瑞と比べれば、土地が痩せていた。南方ヴァーヌで、ようやく瑞北部にあたるほど、北の土地なのだ。
このオルリアントを含むユィズランド地方の産出がなければ、五年はかかっただろう。それ故か、ヴァーヌ地方の諸侯は兵站に関する理解に乏しく、攻め込む先を略奪することぐらいしか考えていない。
大平原での現地調達など、まさしく絵空事である。
「現状の調べで、我軍は総勢三千六百。敵軍は六百程度。圧倒的戦力差です」
「三千六百のうち、酒保商人が四百。ひと月は持たんだろうな。緒戦で勝ちを取らねば、相手の懐に引きずり込まれて、飢えて死ぬ羽目になる」
高稜峻は、天幕に据えた地図を見ながら、敵がどう動くかを考え続けていた。
「アベスカ大橋。これを隘路とする」
南東の川。ここに、点を打った。
「そこまで、偽装退却ですな」
「二日戦って、逃げるはずだ。二日のうちに勝たねばならん」
「槍騎突撃がうまく行けば」
ヨーセンの言葉に、ふと高稜峻の頭の中で閃いたものがあった。
「重騎を動かせないようにする」
北東部の湿地帯。距離は遠い。七日から九日はかかる。
そこまで行けば、本当の退却になる。あるいは敗北か。
「ぶつかりはじめました」
外を見ていたものが、声を上げた。
天幕を出て見下ろす。早速、膠着している模様だった。
「砲を、野戦に持ってくるとは」
ここまで響く轟音にかき消されそうになりながら、ヨーセンが呻いた。
先頭の騎馬は動かしていない。火薬を詰めた樽か壺か。そういったものを、小型の砲で投げ込んでいた。砲弾は複数種あるようで、地面にぶつかってから炸裂するものや、空中で破裂し、火の粉を撒き散らすものもあった。
いずれにしろ西の馬は閃光と爆音には慣れておらず、走らせようと並ばせていた重騎兵は大混乱に陥っていた。
平原の軍。百五十ほどが動いた。動揺している重騎の後ろにいる歩兵に、側面から襲いかかった。
先頭の、赤い毛並みの馬が大将だろうか。矢をどんどんと番えながら、突っ込んでいく。歩兵に槍衾を作る暇を与えていない。隣の槍持ちも相当に腕がいい。
三巡ほど揉み込むようにしてから、我軍の先頭が崩れた。第二陣、白獅子騎士連合教会の重騎が前に出る。
槍騎突撃、三枚。敵軍本陣に向けてである。砲の爆撃に削られながら、それでも本陣に向けて吶喊してゆく。
不意に、敵の本陣が下がった。それも整然としている。
「まずいな」
下がったあとに残されたものを見て、高稜峻は思わずで呟いていた。
土嚢。馬止めの柵。そして空堀。
そこに、一枚目の重騎が突っ込んでしまった。足を止めるもの。それぞれに自分からぶつかりに行くもの。そして、その後ろから来た二枚目と三枚目とぶつかって、どうにもならなくなったもの。
相手の本陣から、二百程度が出てきた。百が二枚。それぞれ、重騎である。
本陣、突撃。
槍衾に対し、火薬の瓶を投げつけていく。爆発に怯んだところを入口にして、どんどんと切り進んでいく。
先頭の将が特にいい。弓ひとつを、右でも左でも引くことができている。
四巡するころには、見知った首が槍の穂先に掲げられていた。
「退却。部隊の再編。応援要請」
「はっ」
「練度が違いすぎる。勝っている軍を寄越せとだけ、ゾンダーハに伝えてくれ」
言いながら高稜峻も、馬にまたがった。
「ぶつかってみる」
「将軍、危のうございます」
「承知の上だ。なに、本気では当たらん。その間に下がらせよう」
軽騎、二百。丘から駆け下りる勢いで、赤い馬の百五十に真っ直ぐ向かう。
「高家が頭領、稜峻に続けい」
腹から声を出した。おう、と返ってきた。
ぱらぱらと矢。本気のものではない。向こうもこちらの意図を読んだか。たどり着く頃には、五十程度が残っているだけだった。
付かず離れずで相手を見ていく。相手の矢が届かない程度、と言いたいが、赤い馬の弓は、他のものの三割増ほど伸びてくるように思えた。
突っかけようとすると下がり、下がろうとすると前に出てくる。意図は読まれているようだった。
となれば一度、突っ切って終わるぐらいにしておこう。
死ぬつもりになる。それだけで、矢は体から外れていく。剣戟は、勢いを失う。鈍った時間の中で、自分だけがはっきりと動くことができる。
「見たことのある面だっ」
咆哮と、矢、ひとつ。飛んできた。あまり意識せず、掴み取っていた。
剣。引き抜く。赤い馬。相手も剣。勢いのまま、ぶつかる。二回、火花が散った。三度目、上段から。
何かが宙に舞った。自分の肩甲だった。
「退くぞ」
隣に控えていたヨーセンに伝えた。すぐにまた、付かず離れずの距離に戻る。そうやって、少しずつ遠巻きになっていった。
具足には、何本かの矢が突き立っていた。それぞれ、肉には到達していない。
「五十で、あれか。凄まじいな」
「武人として恥かと思いますが、死ぬかと思いました」
「恥じることではない。死ぬ思いで戦わねば、戦えもせぬ相手だというだけさ」
「将軍は長く、あれのようなものと戦われた」
「諸君らも、そうだろう。赤羽のバルハドル。とびきりの強敵と、やり合ってきた」
本営は、暗い雰囲気だった。誰も目を合わせてこようとはしてこなかった。
死亡、重軽傷含め、損失は一千近い。とても戦える状態ではない。
「首ひとつでも取らなければ、帰れん」
それでもパラヴィチーニはやる気でいた。南方ヴァーヌの領主で、大ヴァルハリア統一では戦うことなく帰順している。
東征に逸る主戦派諸侯の大体がそうであるように、大ヴァルハリア統一にて帰順したはいいが、その後に活躍する機会もなかったために、領地や俸禄が増えるわけでもなく、というもののひとりである。
東に新たな領土を求めているのだろうが、“国境”の経営の難しさを知る高稜峻からすれば、甘えきった考えであると言わざるを得なかった。
ご随意に、とだけ、言っておいた。
日を改め、もう一度、攻めかけた。今回は軽騎を主軸に動かすようだった。
なにより、将がいい。小勢でありながら、恐れなく突っ込んでくる。あの、額に縦一文字の傷がある将などは、弓を右でも左でも引くことができて、敵陣に飛び込めば、ひとりで十数を刈り取ってしまっている。
なかでも、あの赤い馬。赤羽のバルハドル。人馬一体と言っていい。それでいて苛烈、果敢。弓も剣も巧みだ。あれが前に出ただけで、勢いが何倍にもなる。
「援軍、マントヴァーニ殿。総勢二千」
伝令がそれを伝えに来た。ほう、と声に出ていた。なかなかの戦巧者である。領地もここからほど近い。
守りの戦をすれば、援軍までは持ちこたえられる。
ふと、こちらの重騎五百ほどが攻めかかった。パラヴィチーニ。馬上槍ではなく、すべて剣か、通常の手槍である。
槍騎突撃のこだわりを捨てれば、人馬ともに板金鎧で身を固めた重騎は、相手の攻撃の一切を弾き返す、無敵の兵になる。
数で言えば、ほぼ向こうの全軍。そのうちに押し出しはじめた。
「敵軍、退く構えです」
ヨーセンが鼻息を荒くした。
さて、どこに退くか。当初見立てでは南東の川にある橋を隘路に見立てて、数の不利を無くすと見ていた。
敵軍が退いた。整然としている。偽装退却である。
方角は、北。南ではない。
「追うな、と伝えよ」
いやな予感ひとつ、近くにいたものに告げた。
「偽装退却ではなく、本当の退却では?」
「まだわからん。追っても三日に止めねば」
伝令ひとつ送ったが、本気で追うようである。
もとより不満の強い諸侯をあぶり出す目論見であるが、兵馬を失わせることは本意ではない。可能であれば、被害は最低限に抑えたかった。
三日、追った。そのあたりでマントヴァーニと合流した。かなり早く出立したようである。
相手の足が止まる。開けた平野。やる気か。
「おう、殊勝な連中だ。成敗してくれよう」
マントヴァーニ。いかにも猛将といった男である。
攻め方だけ、教えた。槍騎突撃は捨て、重騎の数だけで圧すべしと。
ぶつかった。優勢。傍目から見れば、勝っているように見えるが、相手は無理なく動いて、損害自体は出ていない。
そのうちに、また敵が退きはじめた。
「口ほどにもない。あんなものに苦戦していたとはな」
「言ってくれる。攻め手を見つけたのは、我々だぞ」
「ご両名、そこまで。敵の真意を探るべく」
「真意もくそもない、高将軍。パラヴィチーニ殿らはご奮戦なされ、俺が着く頃には戦ひとつ終わっていた。ただそれだけのことだ。あとは追って追って追い滅ぼすのみだ。俺の仕事ではない」
高笑いひとつ、マントヴァーニは天幕から出ていってしまった。
「遊びに来たというのか、くそったれ」
「落ち着きなされ。ともかく、敵の退却が真か偽かを」
「本物に決まっている」
そうやって、パラヴィチーニらも外に出てしまった。
頭を抱えながらも、ヨーセンと共に地図を見ていく。
やはり、退くとすれば、北東の湿地帯。あと二日もない距離である。
「止められないとなれば、全滅もありうる」
「我らは軍監です。手勢二百。とても戦力足り得ません」
「死ぬ定めの将に、兵馬を付き合わせることになるか」
苦いものが、口の中に広まった。
翌朝、マントヴァーニの軍勢は引き払う準備をしていた。
「遠路はるばる、ご苦労にございました」
「なに。巡幸だと思うことにするよ。道中はゆっくり、兵に酒と肉を振る舞いながら帰ることにするさ」
そう言って、マントヴァーニは去っていった。
これで、パラヴィチーニたちは進むより他なくなる。
ここまで作ったか。いや、それは考えにくい。
「これ以上、付き合うと、我々も帰れなくなります」
「陣容をみとめ次第、帰るとしよう」
ヨーセンとふたり、そうやって頷いた。
そうして、相手の足がまた止まった。
湿地帯。五百もない。正面の山林に隠れているのだろう。対してこちらはど真ん中で、馬も馬車も動かせない状態になってしまっている。
帰ったはずのマントヴァーニから援軍要請が来たのは、自分たちの帰り支度が済んだあたりだった。
3.
戦力差十倍。それが今、目の前で、壊れつつある。炎の中、泣き叫び、踊り狂っている。
シドゥルグはエイリン・ツォルホンと共に、遊撃隊三百を任されていた。動き方は任せる。その一言だけである。
ほとんど、エイリン・ツォルホンに従った。しかしエイリン・ツォルホンは、それをすべて、シドゥルグの手柄としてくれた。
父からは度々、いやなやつだと聞いていた。実際会ってみて、そんな印象はまったく感じられなかった。
「肉は食えそうかね?若君殿」
援軍として来た二千はあらかた焼き払った。残ったのは散り散りに逃げている。そうした中で、奪った物だとかで、一日だけ宴を許した。
「焼けた匂いでは、あまり」
「だろうな。平原の民は、肉を茹でる。だからあまり気にしないらしい。西や東は、肉を焼くものと考えているからな」
「そうなのですか。肉の肉たる部分が、焼けば失われると思うのですが」
「我々が思うより、水というものは貴重なものなのかもしれないね」
羊の肉を茹でたものを供してくれた。いつもの味である。
エイリン・ツォルホン。磊落で快活だが、深慮なひとでもある。色々なものを培って、ここまで来た、という雰囲気が、父と比べれば何倍もあった。
父はきっと、孤高の人だった。それ故に、人を寄せ付けないというか、人の気持ちをわからない部分があるのかもしれない。シドゥルグはそれが、いくらかだけ恐ろしい時があった。
エイリン・ツォルホンには、それがなかった。本当に、普通の人として生きてきた。そんな印象である。
あるいは祖父たるイルウェス。幼い頃に顔を見たきりであるが、嫌いだった。
威厳の人。人の間違いを許さず、己の間違いを認めない人。それが滑稽で、何より醜かった。
そうやって間違いを犯し、赤羽氏は凋落した。
「エイリン・ツォルホン殿は」
肉に齧り付きながら、聞いてみたいことを聞いてみることにした。
「我が父を、どう思ってらっしゃるのか?」
「うむ。いい質問だな」
「それは、どういう?」
「俺自身、それを顧みるための、いい機会という意味でな」
笑いながら、立派な顔つきを解していた。
「俺はあまり、そういうことを考えることが少なくなっている。人は人、友は友、そして主君は主君だ」
「立場で言えば、我々は主君筋に当たります」
「そうなのだ。ただあいつは、友だちが少ない」
言われて、ずきりとした。友だちと呼べるものは、ほとんどが死んでいた。
敵か味方か。あるいはそういう見方でしか、人を見られなくなってしまっているのかもしれない。
「人間には、友だちが必要だ。多くなくてもいい。心を許せるもの。近くにいて、不快な気持ちにならないものが」
「父や私には、それがあまりにも少ない気がします」
「俺がそれになれるのなら、そうなってやりたいと思う気持ちはある。馬しか話し相手がいない男を主君と仰ぐのも、気持ちが悪かろうて」
「それは、確かに」
「友として。そして家臣として、側にある。それがあいつのためになるはずだと、俺は思う」
「エイリン・ツォルホン殿ご自身は、それでよろしいのですか?」
「それほど負担でもないし、無理をしているわけでもない。むしろ何よりも自然なかたちかもしれない」
笑いながら、エイリン・ツォルホンは肉にかじりついていた。
「父やバブガイ殿からは、エイリン・ツォルホン殿のことを、いやなやつと聞いていました」
「そうだろうな。きっと、そう言っているだろうと思っていた」
「今、こうやって話をさせていただいている中で、そう思うことは感じません」
「やはり、片目を捨てたおかげかもね」
「矢を受けたと聞きました」
「賊の矢を避け切れなかった。逸りがそうさせたのかもしれない」
「逸りですか」
「これでも、赤羽氏の中では、お前たちより家格は高いからな。それがバルハドルなぞに顎でこき使われるのが気に障っていた。そればかりが、ずうっと心の奥底で澱んでいたのだよ。それで、矢の一本も見切れなかったのだろう」
エイリン・ツォルホンの左目は、澄み渡っていた。
「そのかわり、自分自身が見えてきた。俺はバルハドルのような度量も力量もない。ただし、別のものを持っている。その別のものを使えば、バルハドルに並び立てる。あるいは支え、隣りにいることも」
「片目になることで、それが見えるようになったと」
「俺には、ふたつの目というのは、多かったのかもしれんな」
言われた言葉に、思わずで笑っていた。
気付けば、夜通し語らいでいた。それぐらい、自然な人となりだった。親戚の、気のいいおじさん。そんな感じの人である。
片目を捨てて、等身大になれた男。自分もまた、余計なものがあるのかもしれない。何かを捨てれば、大きくなれるのだろうか。
夜襲を仕掛けた敵軍が、一応のまとまりを見せはじめていた。相当に警戒している様子で、ほうぼうに斥候を放っているようだった。
地の利はこちらにある。平野であれ、隠れる場所は山程にある。放たれた斥候を捕まえて、嘘の情報を掴ませて帰すということを、何度かやった。
「増援は出せない。生きて帰りたくば、こちらに合流せよ。そういうふうにしました」
「ハルドス方面で決戦だろう?湿地帯で、馬を使えなくしてすり潰す算段だ。敵の数を増やすことにならんか?」
「向こうの連中の気持ちになってみました。馬が使えず、攻めあぐねているところに、決死の覚悟の軍勢が加勢しに来るのです。戦わなければ負けると息巻いて」
「相手の混乱を呼び込む。その状況で後ろから俺たちが突っついてやると。いいじゃないか。若君殿も、なかなか悪どいね」
にんまりと、エイリン・ツォルホンが笑った。
動きはじめた。およそ八百ほど。北東、ハルドス方面。もともと二千程度いたが、先の夜襲で、大半が焼け死ぬか、役に立たなくなっている。特に馬は、ほとんどが火に怯えて逃げ帰っていた。
小刻みに、嫌がらせ程度の攻撃は行った。それでも姿を見せるたび、相手は恐慌状態に陥った。
「このままだと、ちと勢いに欠けるかね」
「そうですね。ひと合戦、やるふりでもしましょうか」
「よし来た。俺が二百で当たろう。適当に負けて、引っ張ってくるさ。それに、ハルドス方面には、偽の斥候も出しておこうかね」
「文面は、何とします?」
「敵、増援」
「かしこまりました。それは、こちらで」
「任せたぜ」
そういったやりとりだった。
そろそろ湿地帯に入る。まともに進めば、馬が持たなくなる。それも、迂回して森林地帯に入れば、馬の脚を来にせずに済む。
バルハドルの方から、伝令が来た。首尾よしとの評価である。
あと三日で、父と会える。父と戦える。そう思うと、心が踊った。
4.
山林の小高い丘で陣取った。
向こうは湿地帯のほぼ手前である。馬車を横倒しにして、即席の防御体制としていた。
それも砲と火矢があれば、どうにでもなるものだった。他にも弩や大弩もある。相手が打って出てこようが、地形と武器だけで戦力差は埋めることができる。
当初、デドゥユムは軍監として赴任したが、バルハドルの人となりや、赤羽氏の内情から、将としても働くことに決めた。
もとより軍監などという堅苦しいことは苦手であり、戦とあれば槍を担いで前線に出る方が性に合っていたというのもある。
赤羽のバルハドル。英傑であった。一族の内紛がなければ、大王と並び立つことができるほどだったろう。
大王よりも孤高かもしれない。その本当の心の中は、愛馬であるゼルグレイぐらいしか知ることができないだろう。
何かひとつ、攻めあぐねていたというところで、シドゥルグが訪いを入れてきた。
「ご無事で何より」
「デドゥユム殿も、お変わり無いようで」
幼い顔だが、剽悍さも見えてきた。
今回は、遊撃隊を任せていた。三百。好きに動けとだけ、伝えていた。補佐として、エイリン・ツォルホンも付けてある。
思いの外、上手に動いていた。一切の気配を消して、相手の援軍が離れたところを、火計を用いて壊滅させていた。
訪れたのは、シドゥルグひとりだった。三百も、エイリン・ツォルホンの姿もない。
「敵援軍を連れてきました」
「ほう。何をさせるおつもりか?」
「こちらに攻め込ませます」
敵陣を見やる。どうやら歩兵八百ほどが合流したようだ。それも相手としては予想外という様子で、かなり混乱しているようにも見えた。
「明日、雨が降ると、デドゥユムは読んでいる」
ちらと、バルハドルがこちらを見てきた。意見を否定しないことは、作戦に問題なしという判断だろう。
「お相手さんには、冷たい泥濘を進んでもらうことになりますかな。シドゥルグ殿がお考えで?」
「はい。それを、エイリン・ツォルホン殿がかたちにしてくれました」
「それで、あいつは敵の後ろに隠れていると」
なかなかえげつないことをしてくれる。バルハドルが思わずといった様子で苦笑していた。
地図の前。三人で眺めながら話を進める。
「相手がこちらの本陣に攻めるには、この川を渡河する必要がある。この橋がちょうど、隘路になる」
「渡り切ったところを、落としますか?」
「半ばでいい。渡りきられると、決死になるだろう。俺たちは別で即席の橋を作って、相手の後ろに回り込む」
「置いてけ堀を食らわすわけですね。こりゃあいい」
手を叩いていた。
周りのものに、爆薬と橋の手配を指示していく。爆薬は水に濡れないようにだけ、注意を払った。
即席の橋は、二日ほどで作れそうだった。筏をいくつか用意して、それぞれを鎖などで繋げていけば、橋のようなものになる。
そろそろ橋ができるといったあたりで、にわかに敵陣が騒がしくなった。後方からエイリン・ツォルホンが突っかけたようだ。
「前に出る。軽くぶつかったら、早めに本陣にまで戻ってくるぞ。起爆の頃合いは、デドゥユムに任せる」
「相分かった」
言いながら、バルハドルはゼルグレイに跨った。赤い毛並みの立派な馬体は、静かでありながら、圧されるほどに気高い。人であれば、やはり大王やバルハドルの如きものになるだろうか。
「高稜峻殿は、まだ敵陣にいるだろうか?」
不意に、バルハドルがそんなことを言い出した。
「負け戦がわかった段階で帰ったでしょうな。軍監として来たみたいですし」
「惜しいな。将として来ていたなら、首を狙えたのに」
それだけ、歯噛みしたようだった。
二百五十騎ほどがバルハドルに続いた。敵陣。エイリン・ツォルホンに追い立てられるように、騎士たちが歩行で前に出ていた。
どれもこれも必死の形相。前にしか退路がないと、悟った顔だ。
バルハドル以外の者が、馬を降りた。
横一列。平原の短弓ではなく、瑞や西からかき集めた弩である。装填に時間はかかるものの、板金鎧すら貫く威力を誇る。
そうやって射立て、砲や大弩で押しつぶしていった。そして相手が前に出るたび、じりじりと下がる。
西の騎士たちは、弓や弩をあまり好まない。あくまで接近戦で勝負を決めたいようだ。この距離からでも、罵声のようなものが聞こえてくる。
ほぼ一日掛けて、背水の陣、というところまで追い詰められた。
鏑矢ひとつ、聞こえた。
「よし、起爆の用意。ドラーン殿は、先んじて渡河を」
「おうさ。武運を祈りますぞ」
細い目と、縦一文字の傷が笑った。
部下たちと共に、小船で橋の下に潜り込んだ。石造りの立派な橋で、中程の橋脚ふたつに、相当量の爆薬を積んだ船をくくりつけていた。
「敵、六百が渡りました」
「我軍は?」
「既に、引き払っております」
「よし、やるぞ。導線に火を点けたら、一目散だ」
川上の方から、火を点けた。そうやって、櫂を使って一気に川を下っていく。
爆音と衝撃は、いくらかしてから伝わってきた。乗っていた船がひっくり返るほどのものだった。
「デドゥユム殿」
岸から声が上がっていた。シドゥルグである。空馬を用意して、迎えに来てくれたようだ。
「大儀でございます。即席の橋も、焼いて捨てました」
「ご苦労でした。さて、あとは残ってる連中をやっつけるだけですな」
「はい。一気にやっちゃいましょう」
そう言って、シドゥルグがはにかんだ。
年相応の少年。いくらか年上の未亡人を娶ったと聞いた。それでも、戦士としてここにいるからには、大将首のひとつでも上げたいだろう。
自分も年頃のおやじである。いくらか世話を焼いてもいいかもしれない。
「槍は、あるかね?」
着いているものに尋ねた。十数本、多めに持ってきているという。それを聞いて、思わずで口角が上がっていた。
どれ。ひとつ、格好でも付けてやろうかね。
「敵も聞けい。味方も聞けい」
弩の列の前に、体ひとつで出張ってみた。誰も彼もが止めに入ろうとしたが、すべて制した。
「男なれば、このデドゥユムのところまでたどり着いてみせい。褒美にこの首、くれてやるぞよ」
腹の底から喝を上げた。味方からは、おお、という声が。敵からは、罵声が上がった。
側のものから、槍を貰う。それをそのまま、天高く放り投げた。
それは綺麗に弧を描き、泥濘を走り来る騎士の脳天に突き刺さった。
「おお、美事よ」
「まだまだ。これからにござるぞ」
次の槍。真っ直線。これは雑兵に当たった。鎖帷子と布鎧を簡単に貫いている。そうやって、前に出てきたものどもを、投槍で貫いていった。
これぞ我なり。デドゥユムなるは、大王の槍ぞ。我が穂先は那由他の先に届くと知れい。
盾を構えた騎士。兜の拵えが見事だ。あれは価値があるだろう。
「よっしゃ、次はあいつだ。あの首、シドゥルグ殿に献上せい。遅くなったが、婚約祝いじゃ」
兵どもに向かって叫んだ。大笑いが上がる。狙われたと悟った騎士が、盾と雑兵を前に出した。
知ったことかよ。全部まとめて、貫いてくれる。
左右の手、一気に二本。それぞれ、盾と雑兵を貫く。
「これが最後の一本です」
「おう、ちょうどいいな」
それを貰い受け、うろたえる騎士の腹へ。
咆哮。直線で、板金鎧に大穴が空いた。
「さあ行け。あれをシドゥルグ殿に届けしものは、羊十頭のおまけ付きだぞっ」
笑って叫んだ。それで誰も彼もが、弩を捨てて騎士の躯に飛びついた。
踵を返す。バルハドルが笑っていた。
「ありがとう。息子のために、張り切ってくれた」
「なぁに。あと二十本あれば、もっといい首級をくれてやれたというものですよ」
「はは、果報な子だよ。お前もエイリン・ツォルホンも、進んでちやほやしてくれるのだもの」
「年を取っちまうと、どうしてもね。若いものは可愛くって仕方ないやなあ」
戦場でふたり、呵々と笑った。
それからしばらくもしないうちに、敵陣最奥に白い旗が上がった。降伏の意思表示である。
「見えるかね?デドゥユム」
「見えませんなあ」
「そうだよな。全部まとめて、焼いて捨てよう」
砲を前に並べた。それで、悲鳴が上がりはじめる。
「やめい、やめい。いい齢ぶっこいたおやじが泣いているんだ。話ぐらいは聞いてやりな」
しばらくやっていて訪れたのは、エイリン・ツォルホンだった。下着だけの男を何人か、縄で引き繋いでいる。
顔を見やる。どれもこれも、戦士であることも、男であることも捨てた顔だった。
対してバルハドル。憤然とした表情。ゼルグレイもどこか、不機嫌そうに鼻を鳴らしている。
「それが、将たるものにふさわしき姿か」
下馬もせず、バルハドルは告げた。
「我が名はパラヴィチーニ。南方ヴァーヌ、尚武の家系にして」
「それが小雨の中、裸同然でいるのだ。その名に何の意味がある?」
その声に、パラヴィチーニと名乗った男は押し黙ってしまった。
ゼルグレイ。闊歩しながら、男のような者どもに、泥をぶっかけていった。それでも誰も、何もできない様子だった。
「せめて」
いくらか肥えた男。おそらく具足を着込んでさえいれば、見栄えのいい騎士に見えることだろう。今はただの、肥った男に過ぎなかった。
「せめて、生命だけは」
それが、唯一の言葉だった。
右も左も、笑っていた。それが何を意味するか、知っていたから。
「生命だけで、いいのだな?」
馬上のバルハドルの声は、裸の連中を震わせるのに十分なほどに冷たかった。
5.
パラヴィチーニたちは生きていた。オルリアントの市場の端で、二束三文で売られていた。それらは、ヘルブレヒトが見かねて買い戻していた。
そうして今、彼らは首に縄を括られた状態で、椅子の上に立たされていた。マイザリウスから直々に、矜持があるなら自分で椅子を蹴ってみせろと言われて、もう五日が経っていた。
マントヴァーニは、どうやら戦死したらしい。首のない死体だけ、見つかっていた。
「むごいものだのう」
ようやくに決心がついたのだろう。次の日の朝、処刑台には首を括ったパラヴィチーニたちが並んでいた。
「戦の責も、命令無視の罪咎も問わぬと説き伏せました」
「それだけではなかろう」
「さもなくば、嫡子に椅子を蹴らせると」
高稜峻の言葉に、ヘルブレヒトは瞑目した。
「大平原の脅威を、ヴァーヌに知らしめるための生贄か」
「戦いの大義名分が薄い。兵糧を集めるためには、喉元に刃が突き立っていることを知らしめねばなりませんでした」
「大平原での現地調達は不可能。オルリアントを含めたユィズランド地方だけの産出でも、また、賄いきれまい。南北ヴァーヌのそれぞれが、持っているものを吐き出さねば、間に合わん」
「軍勢の構造を変えるのも、これでいくらかはましになる」
確かに、となった。大平原のように、将と兵を自在に組み合わせなければ、やりあえもしないだろう。ヘルブレヒト自身、大平原と戦うにあたっては、オルリアントの将兵たちをそういうふうに組み替えていた。
大平原脅威論と、封建社会の抜本的改革。これをあと、一年か二年で成し遂げなければならない。
「陛下は、また別の目的を持って戦に望まれておられる」
高稜峻が、そういうことを言い出した。
ヴァーヌ聖教の聖地とはいえ、山ひとつ、土地ひとつのために戦うというのは、確かに今ひとつ名分としては薄い。何かもっと、別の目的がある。あるいは、生やさなければならないだろう。
「来月、陛下に拝謁する。その際に聞いてみよう」
「お頼み申す」
拝礼を、素直に受け取った。
オルリアントから首都ヴァルハリアまでは、およそ六日の行程である。ヘルブレヒトはいつも、三十ほどの供回りを連れて向かっていた。
その道中は未だ安全とは言いづらく、賊や、良からぬことを企む諸侯に出くわすことも少なくない。そういうものを何度もあしらい続けて、ようやくに平穏な旅路を作り上げることができていた。
赤地に黒の山羊頭。イヴィシャの黒山羊。この紋章を掲げるだけで、民衆は快哉を、諸侯は悲鳴を上げるようになっていた。
「身の回りに人が増えたなあ」
マイザリウスの私室。平然と笑いながら、マイザリウスはヘルブレヒトに酌をしてくれた。
「高将軍が、何人か入れているようですな」
「余の真意を読もうてか」
「ご賢察にございます。山ひとつのために十五万を動かすのは、いささかに大仰が過ぎますがゆえ」
「南方ヴァーヌの連中に渡す領土が欲しい。平原は土がよく肥えている。麦がよく育つだろうさ」
「それも、真意ではございますまい。陛下は瑞のような中央集権政府をお考え遊ばされておられる」
「ちぇっ。ヘルブレヒト・イヴィシャの前では嘘も通らんか」
「虚実で人は動かせようと、虚偽では人は動きますまい」
「仰る通り」
からりと笑ってみせた。
「ならばご覧に入れよう。余の真意だ。とはいえ、戦の大義名分としてはやはり薄いから、対外的には別のものを用意しておくがな」
「陛下の、個人的な願いということですな」
「他言無用を、誓えるかね?」
「神たる父と、御使たるミュザに誓って」
微笑みながら、マイザリウスが頷いた。
極めて個人的なことで戦をやろうとしている。それは構わない。だがそれが、ヴァーヌと大平原のすべてを巻き込んでまでのことなのだろうか。それを見極める必要がある。
宮殿の、かなり奥まったところまで連れてこられた。大きな倉庫のようである。
「貴公を同志と見込んでのことだ」
閂が外された。
「なんと、これは」
思わずで、ヘルブレヒトは声を上げていた。
骨、いや、化石というものだろう。それもかなりしっかりしたものだった。
「大平原から見つかったものだよ」
その言葉に、ぞくりとした。
けもの。それもおそらく、蜥蜴とかの類。
それでもその首は不自然に長く、そもそも大きかった。人の五人か六人分はあるだろう。人を丸呑みできるほどに大きく、がっしりとした顎には、鋸刃のような牙が並んでいた。
「これほどのものが、平原から。いや、そもそもこれは一体」
「ドラゴン」
マイザリウスが振り向いた。満面の笑みである。
「つまりは、“龍”だよ」
笑みは冷たかった。背中に流れるものと同じ程に。
その化石の肢は二対ではなく、一対、多かった。
(つづく)
◆登場人物
【大ヴァルハリア】
高稜峻:東の国、瑞から来た老将。
ヘルブレヒト・イヴィシャ:オルリアント辺境伯領領主。
ベルンハルト・イヴィシャ:ヘルブレヒトの長子。
ロク:ヘルブレヒトの密偵、酒姫を束ねる。
ヨーセン:ヘルブレヒトの家臣。高稜峻の副官。
ゾンダーハ:ヘルブレヒトの副官候補。
ペーツォルト:ヴァーヌ聖教の高僧。
パラヴィチーニ:南方ヴァーヌ諸侯。
マントヴァーニ:南方ヴァーヌ諸侯。
ミヒャエル・マイザリウス:大ヴァルハリア初代皇帝。
【大平原】
バルハドル:赤羽氏の長。
シドゥルグ:バルハドルの長子。
バブガイ:赤羽氏の家令。
ドラーン:バルハドルの家臣。バブガイの子。
オウリ:バルハドルの家臣。牧士。
ツェレン:バルハドル第一夫人。シドゥルグの母。
アルミア:バルハドル第二夫人。
トア:バルハドル第三夫人。もとはツェレンの下女。
セオラ:シドゥルグ第一夫人。
エイリン・ツォルホン:バルハドルの家臣。
大王:平原で最大の勢力を誇る王。
デドゥユム:大王の軍勢の軍監で、バルハドルの副官。
【その他】
ミュザ:神代の英雄。ヴァーヌ聖教の信仰対象。